ゴーストシップ ⑩
一方『オルカ』の船内では、リズベットが不満げな顔で嘆息していた。
「残念ね。最高の読みだったんだけど」
『マスターは前回、ドロップダウンは外せと言っていたはずですが、何故そう動くと分かったのでしょう?』
「咄嗟に出る癖だから。今のタイミングはノータイムだったでしょ? あなた達機械が合理的な動きに囚われるように、人間も咄嗟の時には癖が出る」
今のはシャトル乗りの癖、とディスプレイに先ほどの映像を映す。
「上下左右で見た場合、若干だけど上部スラスター推力が弱いシャトルって多いの。重力ある場所から離着陸するために下部スラスターが強い、とも言えるけど……それは分かるでしょ?」
『理解しています』
「だから回避するなら普通はスラスター推力の高い方向に誰だって避ける。左右あるいは上方向、さっきの場合は横を取ってたから上下のどちらかね。あなたも安全マージンを大きく取りたいと思えば上に逃げる。違う?」
指を上に向けて尋ねるリズベットに、はい、とミノムシは同意する。ポンコツも興味深そうに話を聞き、だから下なの、とリズベットは指を下に。
「素人がどう躱すかを熟知すればこそ、慣れた人間ほどその逆を選ぶ。あのロッドという男はベテランの宙賊で、サンダーボルトレースをやってたくらいのシャトル乗り。当然シャトルの弱味は理解してるし、そう避けるっていうのが無意識レベルで癖として染みついてるから、前回リフトダウンで下に逃げた」
リズベットは目を細める。
「もちろん、ちょっとした癖。意識はしてるはずだし、ほんの少しでも思考に余裕があれば上に逃げる選択を取ったはず。……でも、放り出されただけの魚雷に虚を突かれ、初めて目にするこの船の中型レールガンへの反応が遅れてノータイム。そういう時に、人間は咄嗟に染みついた動きをしてしまうもの」
スロー再生された映像では、『ハンターシャーク』を真っ二つに破壊し、逸れた弾が『スパルタン』のアポジモーターを破壊する瞬間が映される。
「大事なことは可能性の木から枝を剪定していくこと、そのために主導権を握り、場を支配すること。相手の動きを予測するんじゃなくて、誘導して引き出すの。それが出来ればわたしもあなたに全部任せて、この先は手放し運転ね」
『善処します、マスター』
「そうしてちょうだい。後、駆逐艦みたいな大所帯は目も多いけど間抜けも多いの。意外に反応は鈍かったりするって覚えておきなさい。艦長の性格によっては、さっきみたいなオーバーライドも良くあるでしょう」
了解しました、という声に、リズベットは自分の髪を弄ぶ。
どんなに高価な乗り物でも、扱う人間が間抜けならばそれまで。素人に毛の生えたような宙賊クルーが自分の役割に徹することが出来るかと言えば否だろう。数が増えれば質が落ちるのは道理。リズベットだけを追い、ロッドに伝えてやるべき観測手さえ、囮の魚雷を間抜けな顔で見ていたのだろう。
集団はリーダーに奉仕し、リーダーは集団に奉仕する。それが徹底されてなければ集団など単なる烏合の衆だった。
ロッドの腕は悪くはないが、駆逐艦を動かすには部下があまりに頼りない。
その部下が必殺の一撃を防いだことを思えば、イーブンなのかも知れないが。信頼されるリーダーであるというのは見て取れる。
映像は船首の回収シーン。
部下に命懸けで守られ、その部下を咄嗟に回収した。
あのタイミングで魚雷を放ち、レールガンでの追撃を加える選択をしたならば、十分それで終わりもあり得た。考えるまでもなく動いたのか、どうなのかは知らないが、自分に比べればずっと、リーダーには相応しい人物なのだろう。
『救助のタイミング、六番を放つには絶好の機会だったように思います。マスターの力量ならば、再度のレールガンで仕留められた可能性もあったのでは?』
「……そうね。あまりに間抜けで呆気に取られただけよ」
はぐらかしたリズベットに、ミノムシは言った
『ですが、あそこで撃てないマスターの癖は、とても素敵な癖だと思います』
「……、馬鹿じゃないの。間抜けなわたしへの新手の嫌味?」
『当機ミノムシはマスターに対し、嫌味に該当する発言を行なう事はありません』
「ついこの間、散々ボロカスに言ってたでしょ」
聞いていたポンコツは思わず笑いを零し、リズベットはそちらを見ることなくその頬を引っ張る。
「うぅ……っ」
「本当にその内、このポンコツと一緒にジャンクヤードに放り出す必要がありそうね。経年劣化も深刻だもの」
『経年劣化で放り出された当機ミノムシは機密保持も忘れ、マスターのあらゆる個人情報を広域通信でばら撒くポンコツになるかも知れません。確かに深刻です』
「……わたしを脅してるの?」
『あくまで可能性を提示しただけです』
いつか本当にそうしてやるから、とリズベットは苛立たしげに告げる。
「気が散るから余計な事を話しかけないで」
『了解しました、マスターキティ』
「ほんと腹立つ」
「うぅっ、ほんほふはなにもいっへらいれふ……っ」
「ポンコツ仲間で連帯責任よ」
頬を引っ張る手を離すと、頬をさするポンコツを無視して意識を戻す。
当たっていれば勝負は決したタイミングだった。流石にあちらも負けを認める他なかっただろう。残りはシャトルが三隻で内一隻は小破。少し離れた残り二隻がやってくる前に、仕留めきれる自信もあった。
それだけに残念ではあるが、とはいえ、アポジモーターを一基破壊出来たのは大きい。あの巨体を制御するには重要な部位だった。傘裏四つのサブアポジモーターは莫大な推進力を生むための要で、一つでも失えばバランスを失う。その気になれば容易に追いつけた、化け物染みた前方推力は失われたに等しい。
そしてただでさえ弱い姿勢制御に明確な穴も出来た。
「ポンコツ一号、回避が可能であれば、スパルタンは次に同様の状況に陥った場合、鈍い方向に多分動く」
『それも読みですか?』
「二回同じ動きをして死にかけた。だからこそあえて、三回目も多分そうする。勝負にこだわる負けず嫌い、ああいうタイプは意固地になる」
そう見せかけて裏を掻く、そういう狡猾さを見せる可能性はもちろんあるが、考え過ぎても無意味であった。駄目なら駄目で、試行回数を重ねるだけ。失敗ではなく単なる分岐。試行を重ねる余裕が尽きて、初めてそれが失敗となる。
音楽が続く限り、ダンスは踊り続けるものだった。
それがいつ終わるかなんて、踊り手側には決められない。
選べることなどステップくらいで、狂い果てるまで踊るが定め。
「そろそろ最終ステージね。突入する」
あり得たはずの未来など、目の前にある岩塊ほどの価値もなかった。
そんなものにはこだわらないと決めている。
「シールドはバックラー。出力最大」
『了解しました』
デビルリーフ――この一帯は悪魔の岩礁と呼ばれてはいるが、精々岩塊とデブリが点在する程度であった。大抵の場所においてその密度も濃くはなく、近いと言っても大きなアステロイドはそれぞれ数kmというところ。
ただ、公転軌道を取るアステロイドとこちらの相対速度は秒速1万5000mを超えている。激しく減速しながらも、『オルカ』の右斜め後方からは流星群のように、無数の岩塊が押し寄せていた。
ほんの少しその密度の濃淡が変わるだけで、それらは嵐となって押し寄せ、呑み込まれた船は海の藻屑へと容易く変わる。
嵐の中を迸る、稲妻のように駆け抜ける。
サンダーボルトレースの由来はそういうものだ。
機首を傾け突入体勢、岩の嵐に真横から。
輝く翠の瞳を、長い睫毛で閉じ込めるように目を閉じて、
「仕方ないからあなたとレースをやってあげる」
それから大きく見開いた。




