ゴーストシップ ⑨
『ショートパス侵入まで後三分』
その言葉にリズベットは両手を伸ばして伸びをする。
「一番から五番、発射準備。抜けた瞬間投げてスタチュー、引っかかったら点火して。エッジターンで岩礁域に向かうと見せかけ回頭、一発ぶち込む。運が良ければスパルタンはリタイア……照準はわたしがやる」
『了解しました』
「そこで操縦も変わりましょ。それ以外は全部任せる」
言って、ポンコツに目をやった。
「あなたは首を取り外しが出来るよう頑張って」
「ポンコツの首は取れません!」
「じゃあ首をロックしておくことね」
リズベットは目を閉じると、後ろ髪を纏めた髪留めを外した。ジェルのような髪留めはあっさりと髪を通り抜けるように外れ、腕輪のように手に纏わり付く。
ふわりと浮かぶ長い髪は一瞬広がり、意思を持つように揺らめいた。開かれた翠の瞳は薄らと輝き、無数の小さな光を放つ。
『あなたの操船を見るのは久しぶりです、マスター』
「あなたが仕事を覚えた証拠ね」
リズベットはそのままシートに深く身を沈める。
「リズ様、そんなに操縦がお上手なんですか?」
「別に。下手じゃないだけ」
リズベットに代わって、ミノムシが答えた。
『そうですね。マスターの表現に合わせるならば、この宇宙には下手しかいないことになるでしょう』
「それはつまり……」
『当機ミノムシのマスターは、この宇宙一の運び屋です』
どことなく誇らしそうに、確信に満ちた声音で。
□
「敵船間もなくショートパスに侵入!」
「照準急げよ! 最大六発、出たら目の前にあると思え!」
ロッドが告げると威勢の良い返事が返って来る。
秒速3万m近くまで両者は加速していた。80kmの距離も僅か三秒足らず。
デブリもアステロイドもない場所からショートパスに突っ込む際、良くある事故が衝突だった。出口正面に偶然アステロイドやデブリがあって死んだ、などという話はどこにでも転がっている。ショートパスでは良くある事故だった。
この速度で突っ込むこと自体、頭がどうかしている。
だが、現状で何より怖いのは『オルカ』であった。
あの幽霊船を、三秒足らずであっても完全に見失うというのが恐ろしい。
ショートパスを抜けた瞬間、対艦魚雷は必ず置かれる。速度特化の改造品なら、出た瞬間に放出、点火した場合20km付近まで迫っていてもおかしくはない。軽傷で突破出来れば運が良かった。至近弾の一つ程度は覚悟している。
魚雷を速やかに破壊し、すぐさま反転しての急制動。いくらリズベットでも相対速度秒速3万mでは岩の海には突っ込めない。特大のレールガンが飛んでくるようなもの、ある程度は岩礁域との相対速度を合わせる必要があった。
魚雷を破壊するまで船の方向は変えられない。ほんの一瞬でも早く、魚雷を破壊し減速、艦首を『オルカ』の方へと向けるために最善を尽くす。
オルカがショートパスに入り、消え――
「な……っ」
「魚雷五発! 敵艦エッジターン!」
見えたのは対レーザーチャフの雲と、点火もされていない対艦魚雷だった。
スラスターを全開で逆噴射する『スパルタン』に対し、慣性のまま流される魚雷までの距離は80km――反転した『オルカ』よりも奥にあった。
そして『オルカ』はそのまま鋭角でアステロイドベルトの岩礁域へとスライド。
この距離では魚雷に対し、レールガンも躱される。むしろ無視して『オルカ』を狙えば撃沈を狙えるタイミングだった。点火されていなければ反転した後にでも好きなだけ撃ち落とせば十分間に合う。
だがこの一瞬、誰もが魚雷迎撃に意識を割かれていた。
複数人で操船する上での限界。火器から操船まで、ロッドが全てをやれたならば『オルカ』を沈められたかも知れない。
「レールガン発射、レーザー照射!」
「馬鹿野郎! そんなの無視してすぐに回頭だ! オルカを――」
遙か遠くの魚雷に気を取られ、そして刹那の後悔に思考を呑まれた意識の空白。そのタイミングで、『オルカ』がこちらに艦首を向けていることに気付いた。
船首下部のハッチ。そこから顔を覗かせるのはレールガン。『ハンターシャーク』に載せたそれではなく、より強力な、駆逐艦クラスのもの――恐らくは、彼女が沈めた駆逐艦に搭載されていたレールガンであった。
――狙いは傘のすぐ後ろにある、このコントロールブリッジ。こちらの機能を停止させながら、フルサイボーグのロッドは恐らく生き残れる、そういう場所。
「っ……!」
気付いた瞬間、艦船コントロールをオーバーライド。
選択したのはドロップダウン。
上部アポジモーターとスラスターが火を噴いた瞬間、船首が大きく下方へ傾き――脳裏で、あの船に乗った少女のような運び屋の顔が笑ったように思えた。
「敵艦、レールガン――」
その言葉と同時に発射されるのはレールガン。その秒速は5万mに達し、着弾は一秒足らず、命中軌道。開幕に使った下方向は避けるつもりであったが、一切の予見が出来ていない、思考の余裕のない状況で、咄嗟にロッドが選択するのは下方向だとリズベットは予測していたのだろう。
姿勢制御は鈍重な機体。咄嗟にスラスターを逆噴射するものの、今から多少ずらしたところで、重大な損傷を受けることは確実だった。
「――クソったれ」
負けだ、と理解し笑った瞬間、横から飛び出してくるのは『ハンターシャーク』だった。射線を遮るように、その船体が盾となって真っ二つに吹き飛んだ。
僅かに逸れた弾はコントロールブリッジではなく、傘にあったサブアポジモーターを破壊し、艦が大きく揺れる。
「第三アポジモーター破損!」
「分かってる! 船首を確保しろ!」
目を見開いたロッドはすぐさま回頭しながら、真っ二つになった船首部分を船体後部のトラクタービームで捕獲させる。回転していた船首部分は『スパルタン』の放つ電磁気によって引き寄せられていく。
「ボギー! ケインズ! フィリップ! 馬鹿野郎、生きてるか!?」
『な――か生――ます』
「ハッ、乱暴でいい貨物室に放り込め! 殺しても死なねぇ奴らだ!」
「はい!」
魚雷は五発、そして即座にもう一発は『オルカ』も放てる。
今の救助は向こうの追撃に適した致命的な隙だったことに後から気付くが、発射の反動を利用しながら『オルカ』は既に反転していた。今のは完璧な一撃。あちらとしても外したのは予想外――流石に虚を突かれたか、あるいは見逃したか。
何となく、後者だろうと思えた。
これほど鮮やかに人の裏を掻ける人間が、その程度で動揺するとは思えない。
壊れた『ハンターシャーク』の船首が乱暴にハッチから貨物室へ放り込まれるのを確認すると、ロッドは吠えた。
「尻から来る魚雷を始末しろ!」
魚雷は単なる囮であった。対レーザーチャフのこちら側に出てきた以上、破壊は難しい事ではない。本命は先ほどのレールガン。ボギー達が機転を利かせなければあれで終わっていただろう。
貨物室の天井にある衝撃吸収マットに勢いよく叩き付けられ、ネットランチャーで確保される『ハンターシャーク』の船首部分を見ながら、内部通信で告げる。
「お前達の大手柄だ! 酒代は弾むぜボギー、新しい船も最新型にしてやる!」
『ぉ、親父、今ので死にかけたんですが……おい、二人とも無事か?』
「魚雷の爆発に巻き込まれた方が良かったか? ボギー、ともかく岩礁域に入る前に医療ポッドへ二人を放り込め。暇な奴はそっちを手伝え」
船に乗る宙賊はある程度、対G調整などの改造はしてある。とはいえ、レールガンの直撃――それなりのダメージがあるはずだった。
「フィリップの腕も大したもんだ。一歩間違わなくても普通は八割死んでるぜ、なぁダールトン」
「ええ。バッテリーやジェネレーターが損傷しなかったのは運が良かった」
爆発物ではなくレールガンとはいえ、生きていたのは運が良かったと言うしかない。船の中は爆発物だらけであった。コックピットとメインジェネレーターの間、魚雷格納庫のある、比較的爆発物の少ない下部で受けようとしたのだろうが、分の悪い賭けだった。死ぬ覚悟がなければ出来ない。
元々小破していたボギーのシャトルは『オルカ』の監視担当だったこともあり、恐らくロッドよりも先にあちらの狙いに気付いたのだろう。
だからと言って、自分を盾にするのは中々出来る芸当ではない。
後方で起きる魚雷の爆発を無視して、『オルカ』に目をやる。
「可愛い子分の挺身で、あんたの必殺は空振り、試合は継続。……お上品で結構だが、残った札はいくつだ、レディ」