ゴーストシップ ⑧
戦列駆逐艦『スパルタン』のコントロールブリッジ。そこに無数に表示されるディスプレイの中では、何事もなかったように悠々と飛ぶ『オルカ』の姿。
「敵船……損傷なし、です」
観測手は、辛うじて、といった様子で自分の義務を果たす。
二十発の対艦魚雷を放つと聞いた段階では、ここにいた全員が呆れていた。ロッドは享楽的で気まぐれな人物。それが面白いと思えば何のメリットもないような事でも平気でやる人間で、周囲の人間は大抵それに振り回される。豪快で小さな事を気にしない彼は子供が憧れるような宙賊らしい宙賊で、多くはそうしたロッドを慕っている子分。また始まった、と隣の相手と笑ってもいた。
ナンバー3エルフリーデはディープ・ワンズの暴力を司り、その傘下にある人間に求められることは強いこと。彼女の右腕たるロッドの強さは折り紙付きで、魚雷を盛大に無駄遣いしたところで文句を言う人間はいない。強さを重んじる彼らにとって、むしろ小さな金にこだわることを恥とする意識があった。
それでも運び屋のシャトル一隻に対艦魚雷二十発。流石に馬鹿げた無駄遣いであったが、平然とそれだけの金額を遊びで使う主の豪胆さにこそ彼らは心酔する。
生け捕りって話じゃなかったのか、なんて小声で笑いながら、前方を飛ぶ運び屋のことなど頭から半分消えていた。生き残る可能性は欠片もない、と。
だが、現実として『オルカ』は生き残っていた。
生き残っただけではなく、何の損傷もなく。何事もなかったかのように、戦艦でさえ致命傷になるだろう飽和攻撃をあっさりと処理して。
その場の誰もが言葉を失う光景だった。
結果として無傷の敵船を見れば、対艦魚雷二十発が決して気まぐれでも遊びでもなかったことは誰にでも分かる。
とはいえ、それがどうしてそうなったのか。
それを理解出来るかどうかとは、全く別の問題であった。
「クソ、まんまとハマった。逆サイドの魚雷を潰したのはフェイクか。最高に性格悪いぜ、読み勝ったと思ったんだが……」
頭を抱えたロッドだけが、普段と変わらぬ様子で口を開く。
隣に座っていた副艦長、ダールトンもまた唖然とする側。他の人間ほど楽観していた訳ではないが、これでほぼ終わると考えていた。
リズベットは三十年前にロッドが逃がした獲物。執心しているのは以前から知っていたし、あちらが並の腕前ではないと十分に理解はしている。
しかし生き残ることはあっても、船は決して無傷ではなく、勝敗を決するに足る損傷は与えられるだろう、と考えていた。
対艦魚雷二十発。やり過ぎだとは思ったが、しかしやり過ぎなくらいで丁度良い相手なのかも知れない――そう思う気持ちもどこかにあった。
誰よりもロッドを知ればこそ、表面上はともかく、意外に彼が無駄なことをしない、極めて実際的な人物だと知っている。遊ぶことを好みはするが、一切の利がない遊びはしないし、勝負事では誰よりもストイックな人間。今の攻撃もあちらを仕留める上で、必要と考えた上でのものだったのだろう。
二十発の魚雷で仕留めきれないことは端から承知の上。全ては狙った動きを引き出し、陽電子砲の一撃で仕留めるためのもの。手動照準を合わせる際の挙動は確信的だった。読みが当たりさえすれば、間違いなく命中していたのだろう。
それさえ向こうに読まれた、というだけで。
「正直、驚きました。決して軽く見たつもりはありませんでしたが」
「魚雷二十発が安いくらいの相手だろう?」
「……ええ。みすみす逃がすくらいなら、始末した方が良い相手だということもようやく理解しました。下手な宙賊より性質が悪い」
ダールトンは目を細める。
あんな運び屋がラットホールを飛んでいること自体が問題だった。
二十の魚雷を平気で躱し、運悪く遭遇すれば、駆逐艦さえ沈めうるシャトル。
事故にしたって性質が悪い。場合によっては巡洋艦さえ無事では済まないだろう。油断すれば沈められかねない。ただ飛ぶだけでも迷惑だが、万が一にでも他の宙賊にだけは取られたくない相手であった。
ここで殺すか引き入れるか、選択肢は二つに一つ。
遮蔽物のないこの環境で、今のはこちらが出来る最大限の攻撃だった。それをこうもあっさり退けられれば、もはや距離を詰める以外に手はない。
あるいは、とダールトンは告げる。
「もう三十発試してみるのも有りだとは考えますが。あの豆鉄砲で迎撃するのは見事と言わざるを得ませんが、連射間隔から考えて限界も近い」
「おいおい、小言の多いダールトン君にしちゃ、珍しく太っ腹じゃねぇか。どうした、頭が煮えてきたか?」
「私も必要と感じれば惜しむことはありません。このままデビルリーフに入った後の損害を考慮すれば、十分天秤に掛けられる金額でしょう」
ロッドは愉快そうに笑う。
「なしじゃねぇが、俺の見たところ二割三割ってところだな。七割以上の確率で、魚雷もないシャトルを連れてあの尻を追っかけることになる。撃てばショートパスまで魚雷を渡せる余裕はないし、隣にいるのは役立たずだ」
「なるほど、なしですね。事故させるには爆発物は必要です」
あの幽霊船への直撃は難しいが、アステロイドに魚雷を当てれば破片で損傷を与えられる可能性は十分ある。斜角を取れるよう、数はいた方がいい。
「遮蔽の使い方が病的に上手い。俺の経験上、岩礁域に入った時点でレーザーは当たらん。当時と比べてステルス機能も搭載してんだ、望み薄だろう。狙うならアステロイドやデブリを上手く使って、陽電子砲か魚雷の間接攻撃……もちろん、こっちの修理代も覚悟した上でのな」
「……仕方ないでしょうね」
「あっちの腕前は見ての通りだ。とはいえ、逃げ場がなければどんな腕があっても限界がある。少し下品だがそれしかねぇだろう」
岩礁域で駆逐艦がシャトルに追いつくのは難しい。図体が大きい分、アステロイドを避けきれないためだ。だが、それも普通の駆逐艦であれば。
この『スパルタン』は非常に強固な装甲を正面に有する。レールガンとレーザー、そしてシールドを用いればジグザグ軌道を描かざるを得ないシャトルと違い、多少強引な正面突破が可能であった。
そして陽電子砲を持つこちらに対し、無制限な加速も出来ない。
「岩礁域じゃ俺もお手上げのシューティングスタ-だが、こっちの陽電子砲の爆発に突っ込まねぇよう、多少速度は落とさざるを得ない。最初に合流する二隻、それとボギーのシャトルにも少し離れたところで後詰め兼監視役をさせろ。特にボギーの船は傷んでるからな」
「分かりました。ボギーに伝えろ」
デビルリーフにいるシャトルには、相手の進路が分かった段階で指示を伝えてある。四時間ほどタイムラグはあるが、特に問題はなく伝わっていた。
「ショートパスの出口で必ず対艦魚雷をぶっ放してくる。流石に向こうもショートパスまで壊す気はねぇだろうが、俺が防がなきゃ壊れても仕方ない、程度の感覚でな。先頭はこいつで行く」
「……聞いてるだけで嫌になりますね」
「ぶっ飛んでるだろう? そっちを俺が必死に破壊してる間に減速と方向転換、悪魔の岩礁に突入って寸法だ。次の陽電子砲はそこを狙う」
公転するアステロイドベルトとは速度差がある。
突入前の減速タイミングは好機だが、それを防ぐようにあちらは魚雷をばら撒く。王手の掛かった状況で、相手に王手は掛けられない。
宇宙ではあらゆる機動に時間を使い、融通が利かないもの。物理的に避けられないタイミングは山ほどあり、ほとんど全てが計算と予測の範疇にある。
減速タイミングでの近距離からのレーザー照射は致命傷。
だからこそ向こうは当然、致命の一撃でそれを防ぐ。
常に互いに王手を掛けあって、死路へ追い詰めた方の勝ち。
宇宙における戦いとは、盤上遊戯に良く似ている。
「敵艦加速!」
「まぁそう来るよな。加速してゆっくり距離を詰めろ。予備の魚雷を素直に渡させてくれる気はないようだ」
加速しながら魚雷の受け渡しも決して不可能ではないが、当然そうしようとすれば邪魔をしに来るだろう。緊急回避せざるを得ない何かをされれば、『スパルタン』はともかくシャトルが潰れる可能性が大いにある。
合流した『ハンターシャーク』には事前に魚雷八発を積ませていた。残り四発あれば仕事はこなせるし、無理して渡すほどではない。
「向こうの掌の上というのは不本意ですが。……相対距離は80kmで?」
「そうだな。距離を詰めすぎれば出口の置き魚雷を避け切れん」
「侵入時に相対距離80kmになるよう加速しろ」
「はい!」
ダールトンは操舵手に命じる。
ショートパスを抜けた直後、魚雷の反転射出。通常の対艦魚雷であればともかく、足の速い改造品なら、こちらが抜けた直後には迎撃不可能な距離に入っている可能性は大いにある。
距離を詰めすぎては魚雷の餌食、かと言って開きすぎても尚更だった。
合流まではともかく、先ほどの攻撃では完全に主導権はこちら。沈められずともあちらの余裕を奪い、主導権を握り続けられるはずであったが、ああも鮮やかに処理されたことで完全に主導権を奪い返されている。
こちらはあちらが明示する道を進むしかない状況であった。
そもそも主導権などこちらにあったのか――それさえも疑わしい。二十発の魚雷という常軌を逸した一手さえ、あちらは読んでいたのではないか。
だとすれば化け物だと、ダールトンは眉間に皺を寄せる。
「全員、この間に敵の機動データを頭に入れておけ。ここからはこちらの庭だが、あちらの庭でもある。……兄貴の負け試合を見せてもらっても?」
「構わねぇよ。今更舐めて掛かってる奴もいねぇだろうが、よく頭に入れておけ」
ディスプレイに表示されるのは三十年前のサンダーボルトレース。こだわり抜いた最速カスタマイズの『ハンターシャーク』で、ほぼ無改造のシャトルに岩礁域で千切られる映像。そしてそのデータ解析だった。
「ここからはしばらく大人しく、脳内リハーサルとでも行こうじゃねぇか」
次の勝負はパーティーホールに入ってからだ、と口の端をつり上げた。
 




