ゴーストシップ ④
「くそ、馬鹿にしやがってあのアマ」
「そう怒るな。茶目っ気あっていいじゃねぇか」
操舵手の言葉にロッドは笑う。先ほど下部のウェポンベイから放り投げられたのは空になった推進剤のタンクであった。一瞬そう見せかけた爆弾ではないかとレールガンで破壊したが、降り注ぐゴミを増やしただけ。
エネルギーと推進剤を無駄に使った。
「しかし、まさかあっちがデビルリーフでヤリあうつもりとは流石に思わなかった。クロードには悪いことをしたな。……どうだボギー、惚れちまうくらいの上玉だとは思わねぇか?」
「並の運び屋じゃないってことは。……クロードの野郎も、普段なら魚雷一発でやられるような玉じゃない」
「あれが大人しくラットホールの幽霊船をやってるのは運び屋だからだ。こそこそ隠れず堂々と暴れられる立場を与えてみりゃ、年間十隻はあっさり沈める。手下と駆逐艦でも持たせれば、宙賊のステーションも落とすだろうさ」
ロッドは楽しそうに言った。
エッグコンフリクトにおいて、強化人間達は現地人を纏め上げて、体制側に刃向かった。無謀にも思えるゲリラ戦にて多大な戦果を挙げ、結果として封鎖惑星の存在が露見――彼らは勝利を収めた。
リズベットはどう見てもそこの出身、頭の切れも並じゃない。その中でも恐らくは使いっ走りの兵士などではなく、上澄みの指揮官クラスだろう。
手下を与えれば使いこなせるだろうし、上等な強化人間。その能力に限界はあっても、駆逐艦程度なら難なく使いこなせると見ていた。
田舎企業が作ったような強化人間もこのレッドセクターには多少いる。ロッドもラットホールに住み始めて六十年ほど。そうした連中とは会ったこともあったし、皆優秀だったが、やはり質が違う。当時の先進企業が宙域一つを丸々使って造ったあちらと比べれば、日曜大工と工芸品だった。
五百年ほど前とは言え、技術は精々マイナーチェンジ。技術革命は遠く久しく、掛かった金額がそのまま性能の差と言える。
「その上、紳士なこっちに対して淑女。勝負はとっくにこっちの負けだが、きっちり試合も受けてくれるらしい。シールドの焼けたこっちを放置でレースを継続、向かう先は俺達の庭、デビルリーフと来たもんだ」
「イカレてますよ。スパルタン含めて七隻は集まる。ジェームズ・ホルンまでデブリの中を突っ切る気ですか?」
「あるいはこっちを喰らいに来るかだ」
正気じゃない、とボギーは首を振る。
「流石にそこまでハンデをくれるっていうなら負けるつもりも更々ねぇが、どうやって勝つ気なのかは中々興味深い。……向こうは俺が後から何の文句も言えなくなるくらいの完全決着をお望みだ」
向こうが考える出口はいくつかあった。大本命はすぐ側にあったアステロイド帯を抜けた先。密度はやや薄いが速度次第で十分レースが出来、最短でこの宙域を抜けられる。次点が別の宙賊の勢力圏であるサードアイ方面。こちらに向かえばロッド達が追うにも限界がある。
その二つが本命で、デビルリーフは大穴中の大穴だった。
先ほどの出口はこの宙域の恒星からは約45億kmに位置する。アステロイド帯でも密度が薄い場所にあった。ショートパスは無数にあるが、使えるものは限られる。リングゲートも含め、まともに残ったショートパスは様々な宙賊が完全封鎖し網を張っていた。周囲一帯に何もない、虚空に放り出されるものもある。
回遊、あるいは年単位で逃げ回るつもりがあるならばともかく、精々五百時間程度の範囲で脱出を狙えば向かえるルートはある程度絞られる。
解けない糸玉のように絡まり揺れる、壊れたショートパスの迷路。その中からリズベットが選んだのはデビルリーフに到るショートパスだった。
アステロイドの資源採掘用だったのだろう。無数のショートパスが張り巡らされた場所であり、夥しい小惑星が浮かぶ空間。ここと比べて恒星に近く、40億kmほど離れた場所にある。
その密度とショートパスの数から運び屋も多く、宙賊の狩り場。特にデビルリーフと呼ばれる一帯は宙賊同士の協定でディープ・ワンズの縄張りとなっていた。
前者二つに絞って張ったシャトルの網は無駄になったが、どうとでもなる。
「敵艦加速停止」
「こっちも適当なところで停止する。シールドなしでコーティングも随分剥がれた、レーザーの撃ち合いでさえ負ける。情けを掛けて貰ってる状況だ、下品な真似はせず、行儀良く安全距離を確保しろ。スパルタンはいつ合流出来る?」
「今から伝えればおよそ二十二時間後、D408を潜って合流が最短かと。デビルリーフに向かうのなら、先回りして出口で待ち伏せも可能と思われますが」
左手に座った男が答えた。
「いや、スパルタンがどこにいるかは予測してるだろう。出待ちなんて下品な真似をすりゃ、流石にへそを曲げて余所へ逃げる。折角庭まで来てくれるつもりなんだ。ロメオらしく尻から追うさ」
駆逐艦『スパルタン』は僚艦と一緒に、ショートパスを使って多方向に飛べる中継地へ配置してある。その場所をリズベットが知らないとは思わなかった。そうでなければ三十年もこの宙域で運び屋など出来はしない。
恐らくは最も、この宙域の抜け道に精通しているのがリズベットだった。壊れたショートパスが今どこにあり、どういう航路で抜ければ宙賊の目を掻い潜れるか。宙賊の縄張りや巡回経路も含め、高い精度で把握している。
宙賊同士が縄張り争いをしている緩衝地帯や空白地帯だけではなく、時には素知らぬ顔でデビルリーフのような宙賊の庭を通ったりもしているだろう。
あの幽霊船ならそれも十分可能であった。
「不思議だとは思わねぇか? ここからデビルリーフの入り口まで、D408が最後のショートパスだ。そこへ二十二時間後に差し掛かる」
「……合流を見越して、わざと合わせたって事ですか?」
「そうだ。こっちもそこで100kmに入るよう速度を合わせろ。あっちはきっちりお膳立てもしてくれてる。デビルリーフに入る前に合流出来るようにな」
「ふざけてますよ、そんなの……」
「いいや、こりゃ高度な心理戦だぜ、ボギー」
右手で不愉快そうに言ったボギーにロッドは笑う。
「俺の希望に応えることで、俺に強制してるんだ。これは面子の勝負でしょ、ってな。ここまでされれば俺は正々堂々あっちを追うしかないし……例えばなりふり構わずなんて事は出来なくなった。俺の子分以外を使うとかな」
直接の手駒ではない、ディープ・ワンズの構成員を無理矢理使うという手もないではない。ディープ・ワンズに刃向かった以上、そういう大義名分でロッドはそういう連中を使うことも出来た。
「ディープ・ワンズではなく、喧嘩をするのはあくまで俺。そして仮にこれで逃げられて、後でボスに泣きつこうもんなら俺は宙賊として終わり。俺は男の風下にも置けねぇクソ野郎だってことになるからな」
「……ですが」
「それにてめぇの庭で運び屋に負けた宙賊が、顔を真っ赤にその運び屋を追いかけてちゃ看板が腐り落ちちまう。他の宙賊はこれ幸いとあっちを庇い、矜持の欠片もないド腐れ宙賊討伐って大義名分で同盟でも立ち上げるだろう」
楽しそうにロッドは言った。
「ディープ・ワンズとしての面子を守るためにも、俺が負けりゃこっちは無罪放免ってことにせざるを得なくなる。俺がどういうクソ野郎でも平気なよう、外堀を埋めてる訳だ。あっちに取っちゃ、ふざけてるつもりは欠片もねぇさ」
立場として弱いのはあちら。失うものが多いのはこちら。それを踏まえた上で、こちらが吐いた唾を飲めないような条件を整えている。宙賊は屑の集まりであるが、面子だけは守るもの。場合によってはその面子を守るために人を八つ裂きにすることもあるが、同じ理由で目を瞑らなければならないこともある。
何よりこれだけ有利な条件で負けた挙げ句に文句を言えば、何より下の連中に見放される。仮にどんな屑野郎であっても、それは必ず避けるだろう。
「大したもんだ。俺の知る限り三回は宙賊に追い回されてるはずだが、こうして生き残ってるだけはある」