ゴーストシップ ①
――ワームホール内、『ハンターシャーク』コックピット。
『ハンターシャーク』のコックピットは探査用シャトルであったこともあり、『オルカ』に比べてやや広い。正面真ん中に操縦担当、右手に火器担当、左手には情報担当のシートがあり、中央には船長が座る。一応役割に応じた区分けはあるが、その気になればどの席からでも全体のコントロールは可能であった。
中央に座り、頬杖を突いているのはロッド。
全身機械化済み――宇宙空間に放り出されても問題のない彼以外は宇宙服を身につけていたが、彼はフライトジャケットのまま。
ロッドは船内で宇宙服を身につけない場合が多い。
「後五分……もうすぐ動き出すだろう」
前方を進む『オルカ』は今のところ真っ直ぐと、トンネル上部を進んでいた。ワームホールは基本的に対面通行、ど真ん中を互いに突っ込めば事故が起きるし、中からも外からもトンネルの出入り口となる境界面からは互いが見えない。そのため便宜上の上下が定められており、こちらから入る時は上部、こちらから入る時は下部、という簡単な決まり事があった。
それさえ守るなら進入速度も何もかも自由。恐らくあちらはここを出る前に加速するだろう。
「ここを抜けるきっちり十秒前に、レールガンを発射準備だ。出た瞬間発射出来るようにな」
ロッドは指示を出した。
こうして複数人で操作する主な理由は作業の分担。大金を注ぎ込まれた人工知能のミノムシや、強化人間であるリズベットのように、一人で船全体の制御と情報処理が行なえる飛び抜けた操縦者がいるならともかく、普通はそうではない。
船を使う荒事稼業の人間は大抵、船舶コントロールを直感的に行なえるようインプラントを施してはいるが、強化人間とは違う。幼少期、あるいは胎児の段階から機械との適合性を高めた強化人間は機械を手足のように扱えるが、機能が後付けされただけのサイボーグはそこまで上手く機械を扱えない。
例えばリズベットは機械義手を追加で装着すれば、生まれた時から三本の腕を持っていたかのようにすぐさま使いこなせる。だが、ただのサイボーグが三本目の腕を操るには訓練が必要で、生まれつきの腕のように扱うためには時間がいる。
中に入った機械部品のスペックをどれだけ上げようと、そればかりは埋められない差だった。リズベットの基幹システムは五百年前のもの。入っているパーツの性能だけで言えばロッドのそれは概ね上回っていたが、例えば電子戦でも行なってみれば十人いても勝てるかどうか。そういう差が生じることになる。
生身の人間で生まれた以上は、脳で思考し行動するもの。そもそも脳という『ハイテク部品』を使っているという意識さえないだろう。脳とインプラントで自在に思考を切り替えることにも年単位の訓練がいる。何をどうインプラントしようと船を一人で掌握し使いこなすのは至難の業で、精神的負荷も高い。そのため船の操作は基本的に役割分担が必須であった。
無論指定航路を飛ぶだけのクリーンな人間ならばマニュアルコントロールなどする機会はほとんどない。移動中はスリープポッドに入って眠りながら、艦船AIに任せっきり、一人で仕事をする人間はそれなりにいた。だが、戦闘を前提とする彼らの場合は、そのような理由で三人一組がスタンダードとなっている。
「どこを狙いますか? 生け捕り狙いなら――」
「馬鹿。相手を誰だと思ってる。頭のネジが二、三個飛んだ強化人間で、俺を惚れさせる女だ。開幕こっちを殺す気で魚雷くらいはぶっ放してくる。それを狙え」
その言葉に前の三人が怪訝な顔をし、右手の男が尋ねた。
「開幕に魚雷……ですか?」
「十中八九な。出口から半径2000kmは爆発物厳禁ってのは俺達宙賊同士の取り決めだ。それで他の宙賊から文句を言われるのはそこにいた俺らで、あっちじゃない。お構いなしでやってくるだろうさ」
楽しそうにロッドは笑う。
「ラットホールの入退場を除けば、1万km以内で長居も禁止。俺達が網を張っていいのはそれ以降……あっちにとっちゃ、やりたいことをやり放題だ。頭がぶっ飛んでるのは知ってるだろう、ボギー。挨拶代わりに鼻をへし折る女だぞ」
「そりゃそうですが……鼻の調子はどうだケイン。多少は面がマシになったか?」
「……からかわないでください、ボギーの兄貴」
右手、火器制御のシートに座っていたボギーという男は、左手に座った男のうんざりした声に笑う。医療ポッドで既に完治はしていた。手足が吹き飛んだだの、腹が吹き飛んだだのの怪我でなければ、大抵の傷は数日あれば治る。
「改めて言っておくが、出来れば生け捕り、だ。他の連中と合流して確実な優位が出来るまでは沈める気で行く。本格的に狩りに行くのは俺のスパルタンが到着してからだ。すぐに合流が出来るのはクロードの船だけだな?」
「ええ、デビルリーフの方から。タイミングは合わせてくるはずです」
とりあえず二対一か、とロッドは呟く。
「どこのロングパスに向かうかによるが、狩るのは三隻になってからだ。それまで生け捕りは考えず、慌てずゆっくりで沈めに行く。ローガンの仇を取りたいお前らとしては嬉しいだろう? 殺せるなら殺していいぞ」
「親父がそう言うなら、マジでやりますが。親父の考えはともかく、正直、俺はローガンの野郎の仇を討ってやりたいですから」
「いい心がけだ。まぁでも、返り討ちにされない程度にな。あの船はそんじょそこらのシャトルじゃない。恐らくこの船の一式含めて、数隻は買える」
ロッドの言葉に、男達は目を細める。
色んな方向であちらの情報は解析していた。
「俺も初めて見たが、あれが最上級のミラージュリキッドコーティング。ナノボットによるスマートスキン、対レーザー処理と高いステルス性能……よほどの制御装置を組み込んでないと使えない、軍のステルス機が使うような代物だ。今は非稼働、簡単に捉えられるように思えるが、戦いになればFCSも狂わせる」
目標を正確に捉えるには、重力波を除けば反射を使う。様々な方法で反射測定し、火器管制システム――FCSはその情報を元に正確な狙いを定める。反射を狂わせれば、当然FCSは見当違いの場所を狙い撃つ。
目で見えている相手に銃口を突きつけるのとは訳が違う。見えていると思った相手の位置が正しいとは限らないし、ほんの少しの誤差でいいのだ。10m先の相手に撃つなら角度のズレも誤差で済むが、それが10km、100kmと距離を増すほど、それは致命的な誤差となる。
ほとんどの技術は対抗技術とイタチごっこ。レーダー技術が向上すれば、それを誤認させる技術もそれに合わせて引き上げられる。矛と盾なら大抵は強い矛が先に生まれるが、同じ矛を使うのならば優れた盾を持つ方が強い。全身を盾で覆う今の時代では、抜けない盾とは無敵を意味する言葉である。
コーティングとは言うが、ペンキを塗っているのとは訳が違う。リキッドコーティングは制御される流動装甲であり、厚さ数cmはある被膜。軍用艦はどれもこれを使い、多少のレーザー照射など船体装甲に届く前に無力化する。
FCSを狂わせるあちらの『オルカ』であれば恐らく、自動照準などでは一切のダメージが与えられないだろう。完全に初見殺しの船だった。
今乗っている『ハンターシャーク』はともかく、そもそもリキッドコーティング自体、宙賊のシャトルでも使っているものは少ない。高価な制御装置が必要だった。
ただ性能は折り紙付き。ソリッドコーティングで船体を覆えばレーダーを阻害してしまい、展開式のレーダーやドローンを使わざるを得ないが、リキッドコートであればセンサーを阻害しないよう能動的に電磁波を通せる。
あちらのミラージュリキッドコーティングであればより高性能、ナノボットが独立したセンサー素子のように反応するとも言われていた。
高性能な分、非常に高価な制御装置を必要とし、物理衝撃などへの耐性は通常のリキッドコーティングに大きく劣るのだが、そもそも対レーザー以外を視野に入れていないのだろう。普通は装甲の分厚い戦闘艦クラスだからこそ使える代物。アステロイドやデブリ、レールガンや魚雷の破片などにはそもそも当たらない自信があればこそのカスタマイズであった。
「これだけ尻にべったりとくっ付いて、それでようやく分かる範囲だけでもイカレた幽霊船だ。仕事ぶりからステルスドローンも確実に搭載してる。他にも外から見えない札はいくつも隠れてるだろう」
運び屋リズベットはその辺りのゴロツキとは訳が違う。
ラットホールにいる有象無象のネズミと違って、気まぐれにそれを弄ぶ猫の側。どこにも属さず船一隻で仕事をやれる、正真正銘の本物だった。
誰もが恐れる宙賊を敵に回すことさえ、面倒事程度にしか感じていない。
駆逐艦を沈めておいて、まるで何事もなかったように、今も平気な顔でラットホールを走り回っているのだから。
その本物が大金を注ぎ込んだ仕事道具。決して玩具箱ではなかった。
「あっちが損害を覚悟で来るなら、純粋な殴り合いじゃまず間違いなくこっちが負ける。俺はお前達に付き合って死にたくはない。数的優位を取るまではこの距離を維持、その上であの幽霊船を沈められるなら拍手してやる。次に駆逐艦を買うときには、お前達を船長に推薦するぜ」
ボギーと呼ばれている右手の男は眉を顰めた。
「楽しそうですね。……親父があの女を買っているのは分かりますが、ローガンの仇です。親父に逆らう気はないですが、俺もこいつらも笑えません」
「センチメンタルは宙賊に向いてないぜ、ボギー。俺達ゃ宙賊、この掃き溜めに集まった、珍しくもない喋るデブリで社会の屑だ」
それを忘れちゃいけねぇよ、とロッドは笑う。