世界の端の、淀んだ暗がり ②
直立していたカプセルの下部は前にせり出し、背面へと倒れ込む。スキップ出来る操作はスキップし、時間がないため緊急排出。内部の液体と共にドールの体は排出され、リズベットの前に倒れ込む。
そのままリズベットが担ぎ上げようと近づくのと同時、けほっ、とドールが咳き込んだ。排出と同時に目覚める仕組みだったのだろう。体を丸めながら、中に入った液体を吐き出すように、繰り返した。
「……めんどくさ」
リズベットは眉を顰める。
単純化されてはいるが人を模した体。表面を軽くスキャンするだけで分かる、高密度に張り巡らされた神経インターフェイス――五感は概ね人のそれより鋭敏だろう。担いでそのままミノムシの中に放り込みたいところだが、言葉を喋る商品である。あまり雑な扱いをすれば客の心証を損ねかねない。
嘆息しながら背中をさすってやると、しばらくそうして咳き込み続け、人工的な涙を浮かべてこちらを見上げる。
「ます、たー……?」
「話は後にして。すぐさま脱出しないといけないの」
そう言って扉の外側でコンソールに触れているミノムシを指で示す。
「ひとまずあなたはあれの中に入って――?」
言いかけたところで、ドールはリズベットの頬を両手で挟み込み、そっと顔を近づけた。
涙の残った大きな薄茶の瞳が、リズベットの暗く淀んだ青い瞳をじっと覗き込み、明滅するように輝く。
「初めまして、マスター。あなたの名前を教えてください」
その言葉にうんざりした様子で、ドールの両手首を掴み、頬から外す。
「リズベット。ただの運び屋であなたのマスターじゃ――」
「リズベット……すごく素敵なお名前です。では、リズベット様、とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「話聞いてる? 鬱陶しい呼び方はやめて」
「鬱陶しい……」
ドールは少し考え込み、名案を思いついたとばかりに笑顔で告げる。
「では、リズ様というのはいかがでしょう?」
「あぁ、もう……! 何でもいいから後にして。今すっごく忙しいの。あなたと無駄な時間を使ってる場合じゃないくらいに!」
「マスターであるリズ様との初めての挨拶は、決して無駄な時間ではありません」
「マスターじゃない!」
分かったような顔で告げるドールに吠えると、苛立たしげに頭を掻いた。それから顔をずい、と近づけ告げる。
「……ここは難破船で、たまたま通りがかったわたしがあなたを見つけて助けに来た。でも、もうすぐジェネレーターが暴走して爆発する状況で、急いでここを逃げ出したい。……状況は理解した?」
「なるほど……リズ様は命の恩人でもあるのですね」
嬉しそうな言葉に呆れながら、そのままドールを抱き上げる。驚いた様子で恥ずかしそうな顔をするドールに、リズベットは言った。
「あなたの飼い主……本当のマスターのところに連れて行ってあげるから、とりあえず大人しく言うことを聞いて」
「……? 本当のマスターも何も、マスターはリズ様ですが」
「だからマスターじゃないって言ってるでしょ」
そんなタイミングで聞こえてくるのは『閉鎖準備完了』というミノムシの報告。リズベットは嘆息しながらそちらに向かう。
「……ミノムシ、とりあえずこのポンコツを収納して」
『了解しました』
「ポンコツ、というのはわたしのことでしょうか?」
「自覚があって何より、よく分かってるじゃない。ともかく、ここを出るの。後で好きなだけ付き合ってあげるから、今は言うとおりにして」
疲れたようなリズベットに、はい、とポンコツドールは嬉しそうに頷いた。
ミノムシはヘルメットを外すと、リズベットの前で背を向け、背面を左右に開く。その中に裸体のポンコツを放り込むと、ヘルメットをそのまま被せた。
洗練されたデザインとはとても言えない作業服だが、ゆとりがある分、体型の違うドールであっても難なく入る。
先ほど軽くデータを眺めた限りではリズベット同様、宇宙空間にそのまま放り出しても大した問題はなさそうだったが、商品は商品。なるべく美品に留めたい。
「わぁ……」
「ミノムシが勝手に動くから、あなたは動かないで。分かった?」
「はい。今日からよろしくお願いしますね、ミノムシさん。わたしのことはポンコツと呼んでください」
『了解しました。よろしくお願いします、ポンコツ』
聞いているだけで知能が下がりそうな会話であった。
無視しながら首の後ろに触れる。長い髪は独りでに纏まり、それを覆うように簡易ヘルメットが展開されて頭部を包む。保護を目的にした最小限の機能のものだが、大抵の機能が頭に搭載されたリズベットにはそれほど不便もなかった。
「船に戻る。閉鎖後にランデブー、パターン3」
『了解しました』
リズベットの言葉で貨物室が封鎖され、入って来たハッチの方へ。ハンドガンを収納した後、ハッチを開き、ミノムシに抱きつくように宇宙空間へ。ボディスーツの推進装置は最小限、移動はミノムシの方が圧倒的に速い。
ヘルメット越しに不思議そうな顔のポンコツと目が合い、眉を顰める。
『何?』
『どうしてわざわざ閉鎖を?』
『今からろくでなし連中があそこを漁りに来るからね。ゴミ掃除の準備』
『ゴミ掃除……』
気にしないでいい、と口にしながら周囲に目をやる。無数のデブリとアステロイドが浮かんだ岩礁域。この辺りでは安易にレーダーは使えない。敵艦が近づいて来る状況では短距離レーダーであっても同様。光学による観測が基本であった。
ミノムシは優秀だが、リズベットは『道具』に頼り切ることはしない。何かに依存すれば、人間はどこまでも弱くなるもの。
特にこの宙域――ラットホールではそういう人間から消えていく。
銀河を超えて、人類の生息圏は空間と空間を繋ぐワームホールの発見によって広がった。リングゲートと呼ばれる人工ワームホール技術の安定化によって、今では広大な宇宙を自在に行き来し、三万七千年に及ぶ宇宙歴の始まりとなっている。
それは新時代の幕開けだと語られたが――とはいえ、地べたに張り付いて暮らしていた頃と何一つ変わらない。争い合うのが人の世の常。投石が隕石に変わり、反物質爆弾に変わり、無数の星系を丸々滅ぼす戦争を。
世界の広さに合わせ、規模が盛大になっただけのことだった。
やっていることは星にしがみついていた頃から、何一つ変わらない。
この宙域も大昔には随分栄え、何百億という人間が暮らしていたそうだが、その名残はもはや恒星とデブリ、不安定なワームホールだけだった。
様々な宙域に繋がりながら、いつ閉じるかも分からないワームホールは入り口も出口も不安定。所有権で揉め、権力者達も大っぴらには使えず、ろくでもない連中がろくでもない仕事のために走り回るだけのネズミの穴。
リズベットの生きる場所もまた、そういう淀んだ暗がりだった。
輝かしい人の世界の端の端、光も届かぬ冥き世界の中にある。
見飽きたデブリを醒めた目で眺め、先のことを考えた。
十年先も二十年先も、百年先になっても、この暗がりにいる気がしていた。
世界が突然終わるようにと願いを込めて目を閉じて、目覚める度にうんざりしながら、価値もない生にしがみついて。
『綺麗ですね、リズ様』
『……?』
『星、すっごく綺麗に見えます。初めて見ました』
目を向ければ、ポンコツは間抜け面で目を輝かせ、遠くに浮かぶ星々を眺めていた。リズベットが星を眺めていたとでも思っていたのか。
『……デブリを見てるの』
『デブリ?』
『説明するのもめんどくさい。しばらく黙ってて』
はぁ、と不思議そうな顔で首を傾げ、脳天気なことだった。
生まれつきの玩具。
そう作られたのだから当然なのかも知れないが。
暗い夜空に浮かんだ光。
それを綺麗だと思ったこともあっただろうか。
その頃に抱いていた感情は、ずっと前にもう忘れた。