鳴かない仔猫 ④
呆然としていたリズベットは、そんな言葉にバツが悪そうに目を逸らした。
「……この船に下らないものを持ち込まないで」
「下らなくなんてありません。ミノムシさんがリズ様と出会ってからの十七年と、ポンコツの存在理由です」
「わたしの言った意味を理解してないだけよ」
膝を抱いて、目を伏せて。
「……わたしは全員殺して来たの。親代わりの人間も、あなた達みたいに見る目のない馬鹿な連中も」
ぎゅっと、自分の腕を強く掴んだ。
『――正直驚いた。しかし非人道的であっても、この訓練は来たる未来、空の上にいる連中と戦うため、必要なことなのだ。それは理解して欲しい』
『もちろん、理解しております、司令官殿。我々の犠牲がいつか、この星に平和をもたらすのであれば本望です。今後も部下の掌握はお任せを』
『うむ。良い部下を持てて私は幸せだ』
司令官は驚きながらもリズベットの問いに答え、それを聞いたリズベットは、その答えでこれまでのことを理解した。
リズベットに引き金を引かせたのはこの連中。
星を救うだなんて真っ赤な嘘で、簡単なマッチポンプに騙される自分達を笑っていたのだろう。全員殺してやろうと思った。
従順な振りをして、信用を積み重ねながら、洗脳されていた部下達を少しずつ仲間に引き入れ、念入りに反乱の計画を立てた。彼らは皆完成された兵士であり、指揮官であるリズベットには愚かなほどに従順だった。
『誰よりも忠実な兵士の君に、このような真似をさせるのは心苦しいが――』
『いいえ、司令官殿。お任せください』
ある日リズベットに命じられたのは、宇宙から来る客への接待。
もはや落胆さえも覚えなかった。
優秀な兵士であるという付加価値の、高級玩具がリズベット。普通の玩具で遊び飽きた人間は、そういう特徴的な玩具で遊びたくなるらしい。
リズベット達が行なってきた血の滲むような努力も、その過程で命を落とした者達のことも、彼らは心の底から馬鹿にしていた。
笑われていることにも気付けない程度に、愚かであれば良かったと思う。掌の上で滑稽に踊って死ねたなら、それはどれほど幸せだったのだろう。
けれどリズベットは、不良品の玩具であった。
丁度良い機会と決行日を決め、部下達に伝えた。
基地の制圧、他地域の訓練生や現地住民の扇動、武器や兵器の供与。仮に全てが上手く行ったとしても、この隊は文字通り、全滅必至の作戦だった。
部下達はそれを理解した上で、リズベットと共に星を救うと笑った。
どうせ玩具の生ならば、早く終われる方が良いだろう。せめて星を救うという大義名分の中で死なせてやろうと、そう思っての善意で、罪悪感などもなく。
ただ、一人が言った。
『もし生き残れたら、皆でお祝いしましょうね、隊長』
呪いのような言葉だった。
「……そうやって生きてきたし、この先も必要ならそうするでしょう。わたしは馬鹿なあなた達と違って賢いからね、計算が速いの。……ああ、これを捨てれば自分だけは死なずに済むなって」
決行日、客を刺し殺した後、仲間のところには向かわなかった。
ここにいれば死ぬと分かっていたし、逃げ出せば自分は助かる可能性が高かった。簡単な算数で、死にたくなかったから一人で逃げた。
――結局、言葉にすればただそれだけだ。
リベルタリアのエッグコンフリクト。
当時の事は五百年近く経ってから、過去の歴史として知った。リズベットの同類はゲリラ的に抵抗を続け、生き残りもいたそうだが、発端となったリズベットのいた基地は集中的な軌道爆撃を受け、一帯はガラスの大地と化した。
リズベットが当初、想像していた通りであった。
自分を慕っていた部下達を見捨てて、殺して。
それからずっと、リズベットはこの世界の端で生きている。
「……ここはわたしだけの棺桶。わたしが一人で生きて、一人で死ぬ場所。わたし以外の人間はいらないし、それを望むなら……それがわたしのためだって言うのなら、尚更ここから出て行って」
あるいはこれが、リズベットに与えられた罰なのだろう。
いつまでも望みを叶えられないまま、こんな世界に漂い続けることこそが。
「情だとか何だとか、そんなものはもうお腹いっぱい。あなた達が何を言おうと、どう尽くそうと、わたしに応える気はないし、いつか平気で捨てるでしょう。わたしはそういう人間よ」
おままごとに付き合わさないで、と口にして、俯いた。
そんな彼女をポンコツはじっと見つめて、身を寄せる。
「リズ様は、とても優しい人ですね」
「……どこが――」
「リズ様はポンコツが目覚めてからずっと、ポンコツの心配ばかりしてます。ポンコツがどうすれば幸せかって、ずっと考えてくれてます。ポンコツの幸せを壊した責任があるからって……自分の側にいると死ぬだけだからって」
本来の所有者に引き渡そうとしたのもそう。
ダズの要求を拒んだのもそう。
目の前にいる主人はずっと、拾ってしまったポンコツの幸せを考えていた。
「昔のことは知りません。でも、偶然拾ったポンコツの幸せまで考えてくれるようなリズ様が、平気でそんなことをしたりはしません。……それが怖いから、ポンコツ達を遠ざけたいってこと、ちゃんとわかります」
だから平気です、とポンコツは続けた
「もしそうなったとしても、ポンコツもミノムシさんも、リズ様に裏切られただとか、見捨てられただなんて思いません。だから、怖がらなくても大丈夫です。もしそれでも、側に置くのが辛いなら……」
言いながら、リズベットを抱きしめた。
寒さに震える仔猫のように、小さくなった体を優しく、愛おしそうに。
「ポンコツはリズ様と生きるパートナーとして、一つだけ約束します」
「……?」
「もし仮にこの先そういう場面が来て、リズ様が同じような選択を迫られるなら……代わりにポンコツが、責任を持ってリズ様の命を奪いましょう」
その言葉にリズベットが顔を上げる。
ポンコツは真っ直ぐその目を見つめて言った。
「リズ様がこれ以上、辛い思いをしないで済むように、悪いポンコツがリズ様を非情に裏切り、殺害するのです」
柔らかく微笑んで。
「でもその代わり、その時が来るまでポンコツは、リズ様のお側にいます。リズ様のお側で毎日楽しく、ポンコツがやりたいように好き勝手します。……ですから沢山、リズ様の声を聞かせてください」
それから唇を指でなぞる。
「怒った声も、楽しい声も……今みたいな悲しい声も。ポンコツはリズ様のお側で、リズ様の色んな声を聞きたいです。……この先もずっとポンコツは、リズ様のお側でリズ様の言うおままごとがしたいです」
こちらを覗き込む目は、まるで自分を呑み込むよう。
「……リズ様が嫌いなリズ様を、ポンコツに愛させてくれませんか?」
何も言えないまま、瞳の中の星空に、ただただ視線を奪われる。
脅迫でもされているかのように、不思議と体が固まって、動けないまま。
「……えへへ、嫌と言っても、ポンコツはポンコツですから、リズ様の言うことなんて聞くつもりはないのですが」
楽しそうに笑ったポンコツに、金縛りが解けたように。
リズベットは目を逸らした。
「……そんな状況になって、あなたみたいなポンコツにわたしが殺される訳ないでしょ。それで何が約束よ」
「ポンコツにはポンコツ同盟を結んだ、素晴らしい味方がいるのです。ね、ミノムシさん、どうですか?」
少しの間を空け、ミノムシは言った。
『素晴らしい考えです。これより当機ミノムシはポンコツと協力し、マスターを絶好のタイミングで裏切り、この手で始末することを目的にオルカへ乗船したいと思います。許可をいただけますか?』
「……あなた」
『あなたの希望がこの棺桶で死ぬことならば、わたしの希望はいつかあなたを殺すことです、リズベット。……互いの希望が一致しました。何か不満が?』
リズベットは眉間に皺を寄せ、しばらく言葉を探し。
そして諦めたように、目を閉じると嘆息する。
「……、もういい。好きにすれば」
『言質を取りました。好きにしていいそうです、ポンコツ』
「はい、しかと記憶したのです」
ポンコツは飛び跳ねるように立ち上がり、机の上のトレイを手にして再び隣に。
「ではまずお食事のお世話ですね」
「いらない」
「それは困ります。この先の戦闘に備え、リズ様には万全の状態になっていただかなくてはいけません。船が沈んだらポンコツ達は目的を果たせません」
『ポンコツの意見は正当です。マスターは我々に殺されない限り体調維持に努め、生存を第一に考える義務があります』
どんな義務よ、とうんざりしたように告げると、ポンコツはトレイの上のハンバーグをフォークで一口サイズにしながら差し出してくる。
「はい、あーん」
「…………」
『戦闘に向けた作戦立案とポンコツへの訓練指導、戦闘を万全にこなすためのスケジュールが詰まっています。食事を拒めば時間節約のため、当機ミノムシは実力行使で栄養補給せざるを得なくなりますが、よろしいでしょうか?』
「……あのね」
苛立たしげに口を開くと、ミノムシは続けた。
『いかにマスターでも、当機ミノムシの戦闘用強化外骨格への勝率は皆無と言わざるを得ません。カスタマイズしたマスターが知っての通り、制圧は容易です』
「ポンコツは一人で十分なんだけど」
『当機ミノムシがポンコツになるかどうかは、あなた次第です、マスター。今後、マスターが自傷的行動を取る度、当機ミノムシはそのストレスにより機能が劣化、ポンコツレベルが上がっていくことが想定されます』
十分既にポンコツよ、と口にして、期待を浮かべるポンコツを睨んだ。
しばらくの間を空け、仕方なくハンバーグを口にすると、ポンコツはえへへと笑い、
「うぅ……っ」
「粗大ゴミはその内纏めて、ジャンクヤードに放り出してやるから」
頬を引っ張りそう言った。




