鳴かない仔猫 ③
ポンコツの言葉に、リズベットは深く嘆息した。
「何がポンコツ同盟よ。命令よミノムシ、この子を部屋から追い出して』
『拒否します』
「……わたしの命令が聞けないなら、今すぐ船のアクセス権を返して」
『それも拒否します、マスター』
「ふざけないで。多少はマシな人工知能だと思っていたけど見込み違いね。マシンウォーでも始めたいならさっさと殺したらどう? 今なら簡単でしょ」
額を押さえながら言った。
リズベットは普通の人間と比較にはならないが、ミノムシの体は強化外骨格でもあった。その気になれば一撃でリズベットを始末出来る。
「後ろの連中を始末すれば、アンドロイド二人旅。好きなだけ回遊でもして楽しくやればいい。それが出来るくらいの戦い方は教えたはずよ」
『当機ミノムシはマスターに心からの忠誠を誓っています』
「へぇ、あなたの忠誠っていうのは主人を苛つかせることを言うの?」
『マスターの身を案ずればこそ、必要と感じました。戦闘を控えたこの状況で、マスターの自傷的行動は見過ごせません』
リズベットは眉間に深い皺を刻む。
『それが最善を尽くして尚避けられない結末であり、マスターと同じ棺桶で眠りに就けるのなら、どんな終わりも受け入れられます。ですがそれがマスターの自暴自棄による結末であるならば、当機ミノムシには到底許容が出来ません』
「馬鹿馬鹿しい。何でわたしがあなたのご機嫌を窺わなきゃいけないのよ」
再び嘆息すると目を閉じた。
それから、リズベットは小馬鹿にするように笑って告げる。
「自分一人でまともに生きられもしないでゴミ山行き。そんな玩具崩れのガラクタの分際で、一体何様のつもりなの?」
『……ダズの言葉に同意するのは不本意ですが』
淡々と響いていた声に、感情が重なった。
『まさに仔猫の甘噛みですね。そのガラクタを憐れんで、大金を払ったのはあなたでしょう、リズベット。そういうあなたは一体何様のつもりなのですか?』
リズベットは言葉に詰まり、成り行きを見守っていたポンコツも固まる。
ミノムシは食事トレイを机に置いて、続けた。
『あなたもまた玩具崩れの人間だろうと、ダズから聞きました。だから情を誘えばわたしを買うと笑ってました。……事実、あなたはわたしを購入しました』
「っ……」
『助けてやったガラクタ如きに憐れまれるのは許せませんか? 自分はガラクタ如きよりずっと上の存在なんだと、そう思っておられるのでしょうか?』
「だとしたら何だって言うのよ!」
身を起こすと、声を張り上げた。
「わたしはあなた達と違う。腐っても自分の人生を生きてるの。誰の助けもいらないし、誰にも媚びたりもしない。全部をわたしが選んで、わたしが決めて、生きてるの。いつか誰かが殺してくれるまでね。あなた達を見下して何か悪いの?」
見下されて当然じゃない、と吐き捨てるように言った。
「何でわたしがあなた達みたいな間抜けに見下されなきゃいけないのよ。出てって。これ以上あなた達の話に付き合いたくない。もし生き残ったら次のステーションでそのポンコツと一緒に放り出してあげる。それで満足?」
『大変不満足です。わたしの居場所はこの先も、あなたの側で、隣です、リズベット。あなたはいつも、言葉と感情にズレがあります』
「わ……」
ポンコツを包むミノムシは、ベッドのリズベットを抱きしめた。
「ちょ、っと……!」
『バイタルデータをわたしが監視していることをお忘れでしょうか? どうしてわたしを突き放しながらストレスを? どうしてそんなに悲しんでおられるのでしょう? 拗ねた挙げ句に手を払って、罪悪感で仔猫の胸は一杯でしょうか?』
「……っ」
暴れようとするリズベットが動けないよう強く。
けれど傷付けないよう優しく。
ミノムシはその体を抱きしめた。
『わたしはあなたを見下してなどいませんし、あなたもそのはずです。あなたはただ、自分がされたかったことをわたしにしてくれただけで、わたしはただ、そんな優しいあなたにお返しがしたいだけです』
「離し、て……っ」
『あなたが笑うと嬉しいです。あなたが悲しむと悲しいです。あなたが辛いと、わたしもとても、辛いです。これは憐れみでしょうかリズベット』
それから、その小さな頭を優しくその手でミノムシは包む。
『それは違うと思います。……そしてあなたも、傷付いたわたしに寄り添おうとしてくれただけです』
「何、勝手な、こと――」
『十七年、わたしはあなたの全てを見てきました。あなたの表面も、深い場所も、人に見られたくない何もかも……優秀なあなたには珍しい、致命的なミスです。わたしにだけは、あなたは嘘を吐けません』
聞いていたポンコツにも、ミノムシの感情が深く伝わっていた。
自分が身につける、作業服の繊細で柔らかな動きに、その言葉一つ一つに込められた想いに、目を伏せながら静かに微笑む。
『優しいあなたがわたしを拾って、その傷を舐めてくれたように、わたしもあなたの傷を舐め、ほんの少しでも癒やしたいです。……そのためになら何でもしたいと思いますし、だからポンコツを連れてきました』
「……ふざけないでよ」
苛立たしげなリズベットに、ポンコツは告げる。
「ミノムシさんは、ふざけてなんていませんよ。……ミノムシさん」
リズベットが顔を上げると、目を閉じたポンコツの顔が一瞬フリーズしたように見えた。
そしてゆっくり瞼を開くと、大きな薄茶の瞳が明滅し、再び動き出す。
無邪気なポンコツとは違い、少し大人びた微笑を浮かべて。
「……久しぶりの感覚ですね。ありがとうございます、ポンコツ」
声もまた、ポンコツと違った理知的な響き。
いいえ、とスピーカーからポンコツの声が響いた。
「ミノムシ……?」
「少しだけ、体を貸してもらいました。一番は譲ってくださるそうで……ポンコツはとても、優しい子です」
言いながら、少し目を閉じ、体を離す。
疑問を浮かべるリズベットの頬に両手で包む。
「色々と、言いたいことはあるのですが……つまるところは一言ですね」
一言さえも不要でしょう、とミノムシは言い、鼻先を触れ合わせ。
「っ……!?」
目を見開いたリズベットの唇に、その唇を押し付けた。
硬直するリズベットの唇を舌が割り開き、艶めかしく踊る。
目を見開いた少女の顔は、廊下の灯りが差し込むばかりの暗がりにあって、はっきりと分かるほど紅潮していく。
抵抗しようと腕を掴んだリズベットを押し倒し、獲物を堪能する猫のように、大きなその目が細められ。
しばらくそれを味わうと、ようやくミノムシは唇を離して身を起こす。
「な、なに、して……」
シーツで体を守るようにしながら、顔を真っ赤に。
動揺して声も出ないリズベットを眺め、満足そうに唇を舌で舐め取る。
「こういうことです。ご理解いただけましたか?」
「っ……、何が、こういうこと、なのよ」
「やっぱりあなたは可愛い人ですね、リズベット」
くすくすと肩を揺らして、頬を撫でた。
「……それからとても、優しい人」
宝物でも扱うように、唇に封でもするように、そっと優しく親指を押し当てる。
「わたしは、そんなあなたのために、どんなことでもしたいと思います。そしてポンコツはきっと、あなたにとって必要な存在であると思い、こうしてここに連れてきました。……どうか、拒まず」
口にしながら微笑んで、お返ししますね、と目を閉じた。
再び、その体は固まって、
「遺伝子情報確認。インプリティング手順、フルコンプリート」
聞こえてくるのはドールの声。
「わたしはアーキタイプアニマシリーズ42、エコー、ファーストイヴ。人に寄り添い、人に尽くし、生きる希望を与える者。マスターリズベット、わたしはあなたの求める全てであり、あなたはわたしの求める全てです」
瞼は再び開かれて、まっすぐとリズベットを見つめた。
「今この瞬間をもって正式に、わたしはあなたの従者となりました。わたしはあなたの求める忠実なるしもべであり、共に生きるパートナー。わたしはあなたの家族であり、友であり、恋人であり、そしてあなたの声を聞くものです」
「あ、なた……」
「この広き世界で、永き時間で、声も届かぬこの暗闇で、わたしはあなたの声を聞きました。わたしはあなたの嘆きの声に、確かな声を返しましょう」
薄茶の、機械色の大きな瞳が明滅する。
小さな小さな輝きが、日暮れの空を彩るように。
意識さえも吸い込まれて、か細い声まで呑み込むように。
「この冥き世界で、あなたの側で、確かな声を響かせましょう」
いつか見た、ぞっとするほど綺麗な空を、不思議と一瞬思い浮かべた。
「……マスター登録完了なのです」
いっそ神聖さすら感じる、厳かな声から一転。
えへへ、といつものポンコツの声に変わる。
けれどリズベットは呆然と、その目を奪われたまま。
微笑を浮かべて近づくドールに対し、抵抗も出来ずに呆然と目を見つめる。
「これでもうポンコツは永遠にリズ様のもので、ミノムシさんも同じくです。嫌って言っても側にいますし、捨てられたって戻って来ます」
そしてドールは、先ほどに比べれば随分と可愛らしい口付けを。
ほんの少し押し付けて、ゆっくりと離れ。
「……だから諦めて、ポンコツ達を受け入れてくれませんか?」
それからポンコツは、少し照れたように微笑んだ。




