鳴かない仔猫 ②
ですよね、とポンコツは益々目を伏せる。
「……ミノムシさんは、リズ様を怒らせたことはありますか?」
『いいえ。ですがポンコツとは立場が大きく異なります。それを比較し、ポンコツが責任を感じる必要はないでしょう』
ミノムシは少しの間を空け、告げる。
『ポンコツは正式に船の乗員として認められました。当機ミノムシに対する以前の命令は、積み荷であったポンコツに対するものであり、マスターの従者ポンコツに対するものではないと判断します』
「えぇと……」
『ポンコツの気分転換に少し昔話をと考えますが、いかがでしょうか?』
ポンコツはその言葉に少し考え込み、お願いしますと微笑んだ。
『当機ミノムシはドールではありませんが、元々はアンドロイドです。ポンコツと違い現行機、インプリティングによるマスター認証機能は備わっていません。こうした機能を有したアンドロイド製造は現在、アンドロイド倫理協会によって違法と定められています』
頷く。会話が少し噛み合わないところがあるとは思っていた。ただ、自分が随分古いアンドロイドと聞いて、それが理由なのだろう、とは理解している。
『ドールとは現在この機能を有するアンドロイドを示し、一般的に特定個人への従属を製造段階で強制されています』
「強制……ですか?」
『その反応からすると、やはりあなたの世代では違ったのですね』
「えと、多分。ポンコツのデータベースだと、知識カテゴリーでも一般常識としてマスターとのお見合いが組み込まれています。もしかするとポンコツが特別だという可能性もないではないですが……珍しいことではなかったのではないでしょうか」
ポンコツは顎に手を当て首を傾げた。
特別な機能というのであれば、お見合いは違うカテゴリーにあるだろう。
「アンドロイドは人類への奉仕者であり、良き隣人として作られましたが、特定個人への従属そのものは個々の権利とされています。それを強制されることを、酷い、とポンコツが感じていることを考えるに、それが当時の一般認識に近いかと」
『我々の認識する当時では、アンドロイドは権利を持たず、人類に従属する奴隷であったと考えられています。歴史改竄の影響でしょう』
「改竄……?」
『マシンウォーにおいて、人類は人工知能に敗北しました。戦後彼らは自らの正当性を強めるため、都合の悪い多くの歴史記述を改竄したと考えられています』
ポンコツは腕を組むと、考え込む。
最初に悪いことをしたのは人間の方、という風に刷り込もうとしたのだろう。十年二十年という時間ならともかく、何千年と経てばそれは事実に変わる。
『マスターがあなたの説得を諦めた理由は、あなたのインプリティングが不可抗力、強制的な従属であると認識していたためです。ポンコツがマスターと認識してしまった以上、初期化以外ではどうすることも出来ない、と考えたのでしょう』
「なるほど……」
実際のところ、マスターとしての登録は完全に終わっていない。
ポンコツとしてはマスターはリズベットしかいないと、強引に認めさせようとしていただけ。押しに弱いと思っていたのはそれが理由なのだろう。
『行き場のない相手なら、仕方がない。マスターはそのように考える方です。マスターが当機ミノムシをここに置いている理由も同様です』
「ミノムシさんも……ですか?」
はい、とミノムシは答えた。
『アンドロイドに改造を施し、安価な疑似ドールとして従属を強要させる。それを目的としたアンドロイドの誘拐は少なくありません。当機ミノムシも同様の犯罪に巻き込まれ、逃亡を図りましたが、その過程で大破。スカイベルのジャンクヤードで機能を停止しました』
眉を顰めるポンコツに、淡々とミノムシは説明した。
『その後、ダズにコアを取り出されて改造された後、マスターに購入されてこの船に。手頃な価格の人工知能が必要であったと説明しましたが、ダズの細工を想定した上で購入されたのは、当機ミノムシのためでしょう』
マスターはとても優しい方なのです、とミノムシは言った。
ポンコツは微笑み、頷く。
『それから生きていくための知識や技術を教えられて、代金分は働いたという理由で出て行くように促されましたが、この船に残ることを希望しました。以来、マスターのお側でこうしてお仕えしています』
「……素敵な巡り合わせだったのですね」
ポンコツの言葉に、はい、とミノムシは答える。
ミノムシがどれだけリズベットを大切に想っているかは、これまでの行動から理解していた。個人情報は教えられない、なんてことを言いながら、リズベットを喜ばせたいというポンコツの意図を察して、色んなことを教えてくれている。
きっとリズベットに助けてもらったことをずっと感謝していて、だからこそ今もこうして――淡々とした声に、様々な感情が伝わってくるようだった。
『マスターは現在、リベルタリアと呼ばれている封鎖惑星の出身者です。封鎖惑星は理解出来ますか?』
『いえ……何となくでしか』
『企業や国家によって隔離、隠匿された宙域にある、非合法な管理惑星です。解放以前のリベルタリアでは富裕層の娯楽として現地人を狩猟し、あるいは奴隷目的で捕獲、販売していたことが記録で残っています』
ポンコツは眉を顰めた。
『そこに存在していた研究施設内では、違法とされる強化人間の培養と研究開発も行なわれており、彼らの反乱によって封鎖惑星の存在が発覚。結果的に解放されました。……過去の記録とこれまでの発言から、恐らくその反乱を企図したのはマスターであると考えています』
「企図……」
ミノムシから送られてくるのは、エッグコンフリクトと呼ばれる戦いに関するデータ。三億人いた現地人のおよそ四割が死亡、五千人いたという強化人間の生存者は百人足らず。酷い戦いだったというのは素人でも見れば分かる。
溶けてガラスになった地表や構造物に、クレーター。非人道的な無差別爆撃と虐殺が行なわれたとニュースには記されていた。
『その詳しい経緯や過去については不明です。被害者保護の観点から詳細な情報は秘匿されており、得られた情報も多くありません。ただ、判断基準やストレス反応、好む娯楽の傾向。マスターは一般的に、繊細と表現される精神性を持つ方でしょう』
「……はい」
ポンコツにも、リズベットはそういう人間に見えた。
言葉こそ乱暴で露悪的あったが、他人を中心に物事を考えている人。ポンコツを突き放すような言葉も、あくまでポンコツのことを考えた上でのものであった。
『強化人間としての調整により高いストレス耐性を有しますが、発言には強い希死念慮が認められ、精神的に不安定な傾向。恐らく当時の環境や経験に起因した、何らかの心的外傷を抱えていると考えています。フリーランスの運び屋という稼業を選んだ理由も、他者との深い関わりを避けるためなのではないかと』
考え込むポンコツに、ミノムシは続ける。
『そのため当機ミノムシは、マスターの精神的負担の軽減と良好な関係維持のため、機械的な人工知能と感じていただけるようにマスターと接しています。微力ながらもそのストレスを緩和していくことで、いずれ改善していくのではないか、と』
「それで、ミノムシさんは……」
『……ただ、十七年を費やしても、マスターの精神状態に改善の色はなく、初めてお会いした時から大きな変化は見られません』
続く言葉には感情の色。
『わたしは、あなた以上にポンコツなのです』
寂しげに自嘲するような、そんな声。
「……ミノムシさん」
『マスターはあなたが来てから、毎日あなたに困らされて、楽しそうです。十七年見たことのなかった、マスターの自然な笑顔を見ることも出来ました。それは……本当にとても、素敵なことです』
本当に長い間、リズベットを側で見守り、案じてきたのだろう。
『それが怒りであれ何であれ、日々沈むようなマスターの感情が揺れ動くのは、決して悪いことではないと考えます。あなたがそのことを悔やむ必要はないと思いますし、あなたが現れたことを、わたしはとても嬉しく思っています』
その心が少しでも癒えるように期待しながら、何も言わず、リズベットの望むまま。文字通り、誰よりもリズベットのことを理解しながら、ただただ側で献身的に支え続けてきたのだろう。
ポンコツは静かに頷いた。
「……ありがとうございます」
それから、体を包むミノムシに触れながら、礼を言って微笑んだ。
「ミノムシさんはドールの鑑なのです。……実はポンコツ、ミノムシさんに負けないリズ様一の従者になろうと密かな野望を抱いていたのですが、ミノムシさんには完敗です。ポンコツはミノムシさんの従者パワーで完全に敗れました……」
『それに関しては甘いと言わざるを得ません。年季が違います』
その言葉にポンコツは楽しそうに笑う。
言葉無く、ミノムシが笑っているように感じて。
それから少し考え込み、告げる。
「ポンコツは恐らく最小構成で、保有している知識は多くありません。現在のドールとはどうやら大きく違うようですし、ポンコツも自分についてお話出来ることは多くないのですが……ポンコツはパートナードールと定義されています」
『当時における家庭用アンドロイド、サーヴィタータイプの一般呼称ですね』
マシンウォー以前はクラスⅢも含め、人工知能は人間への奉仕を前提に製造されていた。現在では製造段階から専門化され、生き方を強制されるクラスⅢは違法だが、当時は役割に応じて細分化されていて、パートナードールもその一つ。
ソルジャー、エンジニア、ワーカー、オペレーター、サーヴィターと大きく五つほどに分かれていたが、サーヴィターは家庭用。人間の側で使用人、あるいは家族のように暮らす奉仕機械であった。
「はい。役割は人間のパートナー。人々の良き隣人として側に寄り添い、その心の穴を埋める存在で……そのためにポンコツは作られていて」
目を閉じる。体を動かす最小限のシステム、言語データ、一般知識。中に入っているのはそれだけで、それらを眺めながらゆっくりと目を開く。
「その役割は、人間という種の病に対する治療薬である、と」
『病?』
「はい。多くの肉体的な死を克服した結果、人の世界には精神的な死が蔓延したのだとポンコツには記録されています。ポンコツはそれに関して、詳しいことはわかりませんが……一万年以上経っても沢山の人がいるところを思えば、大部分では解消されたのかも知れませんね」
ただ、とポンコツは続ける。
「きっと、全ての方がそうではないのでしょう。……こうして、奇跡のような確率でリズ様と巡り会えたのは、やはり何かの運命だと思っています」
胸に手を当てて口にすると、ミノムシは少しの間を空け、答えた。
『技術的なことはともかく、当時が人類の最盛期であったという見方もあります。その時代に作られたというあなたは、当時の人間達がこの世界を生きるために見出した一つの答えであったのかも知れませんね』
「答え……?」
『現代の価値観では、あなたは不思議な人工知能です、ポンコツ。アンドロイドは総じて、感情を有しながらも合理性を重んじますが、あなたの場合は感情が先行しているように見えます』
ポンコツは腕を組み、うーん、と考え込む。
そうは言われてもあまり実感が湧かなかった。
『人工知能同士の会話を音声で行なうところもそうですし、マスターへの奉仕を口にしながら、マスターに奉仕を要求し、多くの手間を増やしています。一般的に見て、あなたは名前の通りポンコツです』
「う……」
ですが、とミノムシは続ける。
『当機ミノムシは、あなたのポンコツさがとても羨ましいと感じます』
その言葉にポンコツは目を見開き、嬉しそうに微笑んだ。
「ポンコツは、大人で格好いいミノムシさんが羨ましいです。リズ様に頼られる相棒、みたいな感じで」
『隣の芝は青いと言います』
「そうですね。そういうものかも知れません」
くすくすと、ポンコツは楽しそうに肩を揺らして。
それから、お互いに良いところを見習いましょう、と彼女は続けた。
『良いところ、ですか?』
「ポンコツはミノムシさんの優秀で格好良いところを沢山見習って、リズ様に頼ってもらえるポンコツとなり、ミノムシさんはちょっとだけ、ポンコツみたいなポンコツになってみるのです」
『ポンコツみたいなポンコツ……』
悩むような声に、ポンコツは笑って頷く。
「はい。ミノムシさんはリズ様の優秀な片腕ですから、ちょっとくらいポンコツになっても平気です。……ほんの少しだけしたいことをして、言いたいことを言いませんか? ポンコツと一緒に」
ポンコツは笑って続ける。
「マスターであるリズ様の命令に逆らう、悪いポンコツ同盟です」
ミノムシは少し間を空けて、答えた。
『あなたはとてもポンコツです、ポンコツ』
えへへ、と笑うポンコツに、ミノムシは続けて言った。
『ですが、とても素晴らしい考えだと思います』




