鳴かない仔猫 ①
生まれた星は封鎖惑星であった。
企業の管理下にある袋小路の星系に存在し、主な産業は人間牧場。奴隷の輸出とマンハント。料金を支払うことで、動く的を撃って楽しむそういう遊び。ファクトリーと呼ばれる企業管理下の拠点を除けば、『動物達』の文明レベルは抑制され、客は何の危険もなく、気ままに射的を楽しめた。
もちろん、それを知ったのは生まれてしばらく経ってからのことだ。
リズベットの最初の記憶は小屋のような海辺の家で、そこから見える景色が世界の全て。祖父だという老人にそこで育てられた。
老人は優しく、リズベットに不自由もなく、二人きり。
畑を手入れし、魚を捕りながら日暮れを眺め、夜には空を見上げて眠りに就く。
そういう日々の繰り返し。
そんな日々の終わりは六歳になる誕生日。
老人が買ってきたケーキを食べて眠った日。初めて人を殺した日。
家に男達が押しかけて、追い出され、小屋の中から何度も悲鳴が聞こえた。
『応じる気はなし、頑固な爺さんだ』
『このガキはどうする?』
『賭けるか? 使い物になるかどうか』
銃の使い方を教えられ、持たされて、血だらけになった老人の前に立たされた。 頭に銃を突きつけられた。
『それを向けて引き金を引けば、爺さんは死ぬ。引かなけりゃお前も死ぬ。一分以内に決めろ。この爺さんと死にたいか?』
ひでぇな、なんて男達は笑っていて、老人も薄らと笑っていた。
それから震えていたリズベットの銃を掴み、自分の額に押し当てて、声にならない言葉を口にした。
あと三十秒と言われると同時に、引き金を引いた。
生き残るには早い方が良いと思ったのか、あるいは死にかけの老人を長く苦しませたくなかったからか。どうあれ、その瞬間は冷静だった。
『はっ、三十秒残しで育ての親にぶっ放すとは、思い切りがいいなぁ嬢ちゃん! そんなに死にたくなかったのか?』
多分、死にたくなかったのだろう。
男達に笑われながらも、心のどこかで安堵した。
リズベットはいつも、死にたくないから引き金を引く。
生きていても別に、やりたいことなど何もないのに。
――マスター、と声が響いて、ベッドの中で目を開けた。
裸体にシーツを巻き付けながら、苛立たしそうに。
『前回の食事から七十時間が経過しています。ラットホール到着まで後二十時間、食事の摂取を推奨します』
「……連中の様子に変化は?」
『後方22km、依然こちらに対する有効射程限界を保っています』
「こっちの性能把握が中々優秀ね」
向こうの乗ってる『ハンターシャーク』はレーザー4門、小型レールガン1門を搭載する。出力的にこの距離を保てばレーザーで『オルカ』のアポジモーターを潰し、足を止められる限界距離。レールガンの直撃も十分狙える。
ロッドという男は中々優秀、リズベットが改造した『オルカ』の性能を中々正確に捉えていた。無改造の『オルカ』であれば100km先からでも十分な火力だが、それでは無理だと確信している。22kmというのは双方の性能を加味した上で、勝負になる距離。あちらはこちらを仕留められて、尚且つこちらがあちらを振り切れる――そういうギリギリの境界線。
言ったように、やりたいのは勝負なのだろう。
ロッドにとってはこれも遊び。どうかしていてうんざりしたが、それでリズベットを殺してくれるなら感謝してもいい。
「食事はいらない。……ロングパスに入るまで声を掛けないで」
少しの間を空け、了解しましたという返答を聞く。
馬鹿みたい、と心の中で呟いた。
何の意味も無い行動で、まるでいじけた子供のよう。代謝を制限していたものの、流石に空腹は感じていて、けれども食事をする気は生まれてこない。
空腹の苦痛を味わいながら横になっていると、少しだけ気分が紛れた。いっそ餓死してしまうまでこうしていたかった。その苦痛に集中している間、頭がそのことばかりで満たされて、余計な思考がどこかに消える。
ただ、餓死の願いが叶うより船が沈む方が先だろう。仮に餓死出来たとて自分がそうしないことは知っていて、船が沈まぬように足掻くことも知っている。
培養カプセルで生まれたリズベットは、そういう風に作られていた。
頭の中では最適解がいつも浮かんだ。二人で死ぬか一人殺すかなんて計算は単純だった。老人が死ねば自分は助かる。そう思えば、引き金は驚くくらいに軽かった。
戦場のような高ストレス環境下でも『正しい選択』が出来るよう、パフォーマンスを落とさないよう、兵士として設計されたのがリズベット。
ドールが違法であるように、何かのために最適化された人間製造も違法だが、封鎖惑星はそういう実験が行ないやすい環境だった。
目的は良く知らない。対アンドロイドを想定した生体兵器だったのかも知れないし、単純に興味本位の実験体であったのかも知れない。
あるいは単なる、高価な玩具であったのか。
他の連中がどうだったかは知らないが、リズベットは結果的に玩具であった。
玩具であれば玩具のまま、そうと知らずに死ねれば良かったといつも思う。なまじ人間のように育てられたせいで、今もこうして生きている。
あの老人が深くものを考えていたようには思えなかった。リズベットを連れ出して、それでどうしたかったのか。封鎖された惑星で、逃げ道の一つ用意せず。
リズベットの不幸の始まりはあの老人。老人を殺したことに後悔はない。その下らない家族ごっこのせいで、今も苦痛に塗れてこんな世界にいるのだから。
玩具の機械にさえも憐れまれて。
――眠らされた後、目覚めたのはファクトリーのベッドの上。
この星には度々、人を動物のように狩る悪人が訪れるそうで、あの連中は宇宙から来た悪い人間達だったのだと教えられた。そんな彼らの手から、自分達が君を救い出したのだ、ともっともらしく。
間抜けだったリズベットは、彼らの説明をあっさり信じた。
自分は正義の兵士として作られた人間で、あの老人を殺してしまったのは仕方の無いことだったのだと、まるで藁にも縋るように。
『博士は君を連れ、戦いから逃げ出した弱い人間だったが、こんな死に方をするべきではない、優しい人でもあった。その遺志は尊重したい。……君が望むなら別の場所で穏やかに暮らしてもいい。君はどちらを選ぶ?』
リズベットは正義のため、他の同胞達との訓練に参加することを決めた。都合の良いよう洗脳された彼らと過ごす内、そうした正義は塗り固められた。
連中の非道を何度も聞かされながら、死に物狂いで訓練に励み、手術という手術を受けて、リーダーに抜擢されたときには誇らしさを感じてお礼を言った。
最初に疑問を覚えたのは、そこに来て十二年が経った頃。
何度目かの『任務』である拠点を襲撃し、そこにいた相手が同年代の兵士であったと知った時だった。誰もが気にせず勝利を喜ぶ中、リズベットは小さな疑念を抱いた。果たしてこれまでの相手はどうだったのだろう、と。
一つ疑念が湧くと、次から次に疑念が湧いた。
宇宙から来る悪人には表向き逆らえないという設定だったが、それにしては色んな場所で戦っていたし、あまりにリズベット達は勝利を重ね過ぎていた。宇宙から監視している連中がいるなら、それを危険視し、疑うことは当然だろう。
与えられる『任務』が過酷になるほど、何故自分達の存在が今も露見していないのかが不自然だった。
現在『悪人』達は他の勢力と戦争状態に入り、こちらに手が回っていない。
一応指揮官達の説明はそれらしく取り繕ってはいたが、違和感だらけ。あまりに敵が間抜けで、こちらはあまりに有能過ぎた。何故そんな間抜けな連中に封じ込めを受けているのか、分からないくらいに不自然だった。
『賭けるか? 使い物になるかどうか』
老人を殺させた、あの男達の会話も。
そんなはずはない、と何度も繰り返しながらも、任務の度に疑問が湧いた。
幼少期に連れ出されたせいで、調整が中途半端だったせいか。
それともあの老人が作ったという試作品だったせいか。
どうあれリズベットはほんの少しだけ『賢く』育ち、玩具としては出来損ないだった。あってはならない疑問に気付いてしまえば、以前のようには戻れなかった。
『司令官殿。ご提案があります。……現在各地で行なわれている実戦形式の訓練、兵達へのカモフラージュについてです』
口にしたのは、疑問に耐えきれなくなったから。
有能で忠実な駒を装ったまま、ほんの少しの期待を込めて、口にした。
これは全て誤解で、愚かな自分の勘違いであれば良い、と。
「――リズ様、ご飯の時間です!」
扉が開いて現れたのは、ハンバーグプレートを手にしたポンコツだった。
睨み付けるように身を起こし、告げる
「……ミノムシ、何のつもり?」
『マスターは当機ミノムシの入場を禁じられてはいませんので。ポンコツが中に入っていますが、不可抗力です』
「はい、不可抗力なのです」
言いながらポンコツはずいずいと中に入り、ベッドの前に。
「……リズ様がいつまでも出てきてくれないので、強硬策です。リズ様がご飯を食べるまで、ポンコツはここを死守します。」
「ふざけないで。……ミノムシ」
「無駄です。ミノムシさんとポンコツはもはや一心同体……」
うんうんとポンコツは頷いて微笑んだ。
「――ポンコツ同盟という固い絆で結ばれたのです!」