どこにも届かぬ鐘の声 ⑩
「うぅっ!?」
船に戻ったリズベットはコックピットに座り、ポンコツの頬を引っ張っていた。
「ほんとポンコツ。どうしてくれんの」
「ら、らって……!」
指を離すと涙目でポンコツは頬をさする。
「相手の頭がどうかしてたおかげで、イカレジャンクが死ぬまで回遊、なんてことにはならなかったけど……」
不測の事態は起きるもの。長期間の回遊は当然ながら事故があるし、故障も出て来る。回遊者を狙って気の遠くなるような狩りを専門でしている連中もいた。主にアンドロイドであるが、当たれば一攫千金のトレジャーハンター。ダズのように頭のどうかしてるジャンク紛いの連中だった。
楽に死なせてくれるならまだしも、そうでなかった場合には地獄でしかない。
「でもまぁ、どっち道同じね。あの頭のイカレ具合なら、何をどうしても喧嘩を吹っ掛けてきたでしょうし……どう思う?」
『ディープ・ワンズ、ナンバー3エルフリーデの保有戦力は巡洋艦一隻、駆逐艦三隻。戦闘用シャトルは確認されているもので七十八隻。ロッド=ジャークの立ち位置、ラットホールにおける戦力配置から予測するに、どのルートも最低四隻は待ち構えている可能性が高いと考えられます』
「そう。とりあえずサードアイには行かない。それと間違いなく駆逐艦が寄ってくるって考えておいて」
『了解しました』
今頃中継役がラットホールに伝達している頃。物理的には遙か彼方にあるため、ロングパスの入り口付近に誰かを待機させ、リレー形式で情報を送る。宙賊が外に出る場合には二隻で一つのエレメントを作るのが基本であった。
サードアイと呼ばれる宙域に向かえば別の宙賊の勢力圏。ただ、そちらに行けないよう連中はしっかり網を張っているだろう。向こうに話を通す手もあった。
「尻から駆逐艦で追い回して、岩礁域の出口で網に掛ける追い込み漁。時間を掛ければ全周を囲まれて終わり。二隻目が仮に出るなら流石に逃げ切れないでしょう。遊び場はデビルリーフにしましょ」
『ディープ・ワンズの領域ですが』
「だから向こうも想定してない。それに正々堂々、面子の勝負だってことにしなきゃいけないの。勝負に勝って試合にも勝つ。後腐れ無く出来なきゃわたしの負け」
ローツインの片方を、指で絡めて引っ張った。
「使えそうなものはひとまず尻に全部積んでく。最期になる可能性があるなら、盛大にぱーっと使いましょ」
「最期……」
「運が悪いとね。あなたと長い付き合いにならなくて済むと思えば、それはそれで幸運と言えるかも」
不安そうなポンコツを見て、リズベットは笑う。
「言ったでしょ。この船は棺桶だって。冗談か何かだと思ってた?」
ポンコツは目を泳がせて、尋ねた。
「リズ様は……死ぬのが怖くないのですか?」
「怖いに決まってるでしょ。だから死に方を選んでるの」
リズベットは当然のように告げる。
「理不尽に、あ、と言う前に死ぬのが理想ね。足掻いた上での避けられない死なら、それはそれで及第点。納得するもしないもないでしょ。どれだけ気分良く死ねるかが人生で、わたしは十分満喫してる」
うんざりするほどね、と言葉通りの表情で。
生きたいではなく、死にたくない。ずっとそうやって生きている。死ねば楽になれると何十年も考えて、摩耗しながら、それでも無意味に生きていた。
泣こうが喚こうが叫ぼうが、声はどこにも届かない。冥い虚空に消えていくだけ。
生きる意味なんてものはずっと前から考えることもやめていて、瞬間瞬間の刹那に生じる思考だけが、自分を今も生かしていた。
逃れられない死が訪れたならば、自分を殺してくれる何かが現れたなら、きっと笑って死ねるだろう。
そう確信できるくらいには、この世界で生きていた。
「先日から思っていたのですが……リズ様は、その……」
口をつぐむポンコツに目を向け、リズベットは言った。
「慈善事業は好みじゃないけど、この戦いの後で生きてたら、迷子のドールって形で適当なところに引き渡してあげてもいい」
面倒臭いが仕方もない、と嘆息する。
このポンコツには頭の中がお花畑という以外に何の罪もなかったし、不憫なドールの一人として保護してもらえるだろう。
どう考えても、それが幸せに違いない。
「ミノムシにも言った。わたしが与えてあげるのは死に場所だけ。……この棺桶で眠りたいなら置き場所くらいは作ってあげる。でも、そうでないなら出て行くのはあなたの自由。もちろんミノムシには自分の代金分くらいは働いてもらったけど、あなたにはそこまで期待してないからね。好きに選んで」
疲れ果てた老人のような目で、吐き出すように。
言葉に迷うような素振りを見せたポンコツに、リズベットは続けた。
「それにあなたはわたしを勘違いしてるだけ」
「……?」
「あなたがドールであるように、わたしは生まれつきの兵士なの」
リズベットは指先を、自分のこめかみに向ける。
「必要に応じて引き金を引くし、必要な犠牲は平気で割り切る。そういう風に作られてる。あなたがどれだけお馬鹿な良い子で、わたしを慕ってくれたとしても、必要に応じてあなたを平気で捨てるでしょう」
「リズ様はそんなこと――」
「実際にそうやって、何十人と見捨てて殺した人間の実体験よ。……死にたいだなんて言いながら、いざその瞬間を目の前にすると他の全部がどうでも良くなるの」
――だから今もこうして生きてる。
自嘲するようにリズベットは言って、目を伏せた。
「ここはあくまで死ぬのが怖い、わたしのための棺桶で、わたしが静かに眠る場所。あなたもミノムシも、船に乗るならただの備品で副葬品。情や何かに期待するなら別のところに行ってちょうだい」
そう口にした所で、今更もはや。
中古のドール相手には、無意味な会話であったと息を吐く。
ダズの言うとおり、リズベットは中途半端な人間だった。善人にもなりきれなければ、悪党にもなりきれず、機械のように合理的にもなりきれない。
何者にもなれないまま、続けたくもない人生を続けてしまう自分が嫌になる。
「……リズ様」
「あなたにしても意味ない話ね。自分で飼い主も選べないんだもの。悪かった。……この話は終わり。二度としない」
下らない、馬鹿な話。どうかしていた。
ダズの戯れ言でも気にしているのか。
少し休もう、と立ち上がると、不意にポンコツが腕を掴み、リズベットの顔を覗き込む。
「リズ様はずっと寂しかったのですね」
「……終わりだって言ったんだけど。話聞いてたの?」
聞いてました、とポンコツは嬉しそうに微笑んだ。
「今ようやく、ちゃんと理解出来ました。ポンコツの魂を震わせたのはリズ様が助けを求める声なのです」
それから、自分の胸に手を当てる。
「……この広い世界で、長い長い時間の中で、それでもちゃんと、ポンコツのところにはリズ様の声が届きました。だから一目見た時わかったのです、ポンコツがお仕えするのはこの人だって」
うんざりしたようにリズベットは言った。
「……何が助けを求める声、よ。前も言ったけどドールの機能……最初に見た相手を主人だと認識しただけでしょ。頭の痛くなる話はやめて」
「マスターはドールが選ぶものなのです。ポンコツは自分でリズ様を選びました」
「そう認識してるだけ。馬鹿じゃないの?」
「ポンコツは確かにリズ様から見ればお馬鹿かも知れませんが……今はその、お見合いをしないのでしょうか?」
リズベットは眉間に皺を寄せると、尋ねた。
「……お見合いって何?」
「えと、ドールとマスターの相性を確かめるお見合いです。自分を求めるマスターに、ドールがお仕えしたいと思って初めて、ドールとマスターは深い絆で結ばれるのです。良い関係を築くためにはとても大切な事で……ミノムシさんも双方合意の上でお仕えしてるって」
『現在ドールと呼ばれるアンドロイドに関しては、マスターの認識が一般的です。当機ミノムシにインプリティングに類する機能はなく、マスターへの従属は純粋な雇用関係によるものです』
ミノムシが答えると、なるほど、とポンコツは頷く。
「以前からちょっと認識に食い違いがあるとは。ポンコツはどうやら随分古いみたいですし……そのせいなのだと思いますが、ともかくです。リズ様をマスターに選んだのはあくまでポンコツの意思で――」
「訳分かんない、何よそれ」
額に手を当て、リズベットは首を振る。
「気を使って損した。自分で選べるなら尚更でしょ、別の相手をマスターに選べばいいじゃない。あなたのマスターになりたいだなんてわたしがいつ言ったのよ」
「もちろん、言葉でそう言った訳ではありませんが……でも」
それから頬に手を伸ばし、リズベットの瞳を覗き込む。
「初めて見たときから、リズ様はすごく、苦しそうで、悲しそうで……とても、寂しそうな目をしてましたから」
ポンコツは案ずるようにそう言った。
思わず言葉を失って、唖然とし、頭の芯が凍り付くように冷えた。
「何それ。……要するに、わたしを憐れんでるってこと?」
「んー、憐れむ、とは違うと思うのですが……」
言葉を探すようなポンコツに、乾いた笑い。
「そういうことでしょ。あまりにわたしが可哀想な人間に見えたから、自分が優しく慰めてあげなきゃってことじゃないの?」
「え、と……」
リズベットはただ、可笑しそうに笑う。
「呆れた。確かにうんざりするような人生だけど、玩具のドールにさえ憐れまれるなんて、いよいよわたしもおしまいね。……ほんと、笑えてくる」
「あの、リズ様――」
腕を払うと、ポンコツを押しのけ背を向けた。
「ミノムシ、積み込みが終わったら出発して」
『了解しました』
「リズ様、その、ポンコツが何か――」
「ついでに、その子をわたしの部屋に入れないで」
「ぁ……」
吐き捨てるようにそう告げると、声を無視して自分の部屋に。
入った瞬間、苛立たしげに拳を壁に叩きつける。
「……何様のつもりよ」




