どこにも届かぬ鐘の声 ⑨
リズベットは呆れて告げる。
「あなたとレースをした覚えはないんだけど」
「あんたは忘れてるかもな。荷物の配達途中に良くある、日常の一つだったんだろう。だが当時、俺は獲物に逃げられたことはほとんどねぇんだ。その日も網に掛かった獲物を狩るため、意気揚々と専用チューンの愛機で向かったんだが」
ロッドは笑いながら両手を開いた。
「正直俺はビビったぜ。岩礁域で最大加速だ。ガラクタみてぇなスラスターをガンガン吹かせて上下左右に尻振って、コイツは正気かと思ったね。俺も意地で食いつこうとしたが、無理だと思って逆噴射。あっという間にあんたは消えた」
思い出すように目を閉じ、満足そうにロッドは頷く。
当時乗っていたのは小型輸送シャトルの『ハミングバード』で、あらゆる面で宙賊とやり合える船ではない。コネもなく魚雷も買えなかった頃であったし、ラットホールへの理解も浅く、度々宙賊に遭遇しては岩礁域を利用して逃げていた。
どれのことか分からない程度にそうした記憶はある。
「当然それが誰かを調べた訳だが、分かった名前がリズベット。ここらじゃ中々見掛けない強化人間で、来歴不明の漂流者。その特徴と技能から見て兵士、あるいは工作員として培養、訓練された人間で……恐らくはエッグコンフリクトの生き残り。どうだ? 当たらずとも遠からずだろう?」
「まさに調べれば分かる程度の事ね」
ここに来て右も左も分からなかった時期――運び屋を始めるまでは色々と仕事をした。その記録は残っているし、隠したつもりも特にない。
封鎖惑星という名の卵の殻を割ろうとした、奴隷牧場の反乱戦争。ちょっとした小競り合い。体感としてはそれほど前ではなかったが、五百年ほど前の話だった。当時はそれなりのニュースになったようで、今では封鎖が解かれて観光地の一つになっていると聞く。
この先行くこともないだろう。
ずっと遠い場所にあり、良い思い出も特にない。
「ラットホールで必ず荷物を届けるフリーランスの運び屋。すぐにあんたは腕の良い運び屋として名前が知られるようになった。見掛けなくなるにつれて宙賊じゃ話題にされなくなったが、仕事に慣れて、やり方を変えただけのことだ」
「馬鹿じゃないんだから、航路を考えるくらいのことはする」
「ついでに噛みついてきた宙賊の船を沈めたりな」
眉間に皺を寄せると、ロッドは楽しそうに口の端をつり上げる。
「あんたの仕事は芸術だ。一瞬で事を終わらせ後始末、目撃者は全部消す。ある意味俺も危うかったな。こいつらにシャトルの乗り方を教えてる最中、あそこであんたに出くわしたなら殺されてた可能性が高い」
「……言いがかりにも程があるんだけど」
不機嫌そうに言いつつも、事実であった。間違いなく始末していただろう。
むしろこんなことになるのであれば、リズベットが逃げる前に来てくれた方が良かった。後腐れがない分その方が随分と楽だったに違いない。ここでこうして楽しいお食事会なんてものをする必要もなかった。
「あんたはちょいと優秀過ぎるんだ。一切の証拠を残さないってところがまさに、あんたの仕事って証拠さ。駆逐艦沈めてさえ証拠も残さないでいられる幽霊船を、俺は一隻しか知らない。……運じゃなく、沈め方も含めて計算してる」
そこで入ってくるのはウエイター。一礼すると皿を下げ、代わりにコーヒーとデザートを置いていく。優美な飴細工が施されたケーキであった。
眉を顰めると、滑らせるようにケーキの皿をロッドの前に。
「いらねぇならもらうが、甘いモンは苦手か?」
「別に。ケーキが嫌いなだけ。……で、妄想の難癖を押し付ける目的は? あんまり横暴だと、わたしとしてはここであなたを殺して回遊するって選択肢しかなくなるんだけど」
「っ……」
一瞬動き掛けた男をロッドが手で制する。
「怒るな。仲良くしたいって言ったろ? 今のは単なる褒め言葉……俺と一緒にボスの下で仕事をする気はねぇか」
「ない」
「ハッ、ノータイムだな」
「……依頼なら引き受けてもいい。イカレジャンクのダズでも、イカレ女のエルフリーデでも、わたしが気にするのは仕事が妥当かどうかだけ。……そういう意味で仲良くしたいと言うなら歓迎はしてあげる」
コーヒーに口付けた後、ロッドを見据える。
「わたしは全部を自分で選ぶ。誰の指図も受けないし、全部が対等。結果として買わざるを得ない喧嘩があるなら仕方がない。それがわたしの生き方で死に方」
ロッドは笑って口笛を吹いた。
「……想像していたとおり、あんたは最高の女だぜリズベット」
ロッドは益々可笑しそうに顔を歪めた。
「ただ立場上は聞けねぇ話。船を沈められてんのは事実だ。死んだローガンは尻の青いガキだったが、中々見所のある野郎でな。こいつらみてぇに可愛がってた奴らも多いんだ」
側の男を親指で示しつつ、リズベットを真っ直ぐと見つめた。
「選択肢はねぇ、と言わざるを得ないな。尻尾を振るか、殺し合うかだ」
「殺し合いにもならないけどね。わたしが宇宙を回遊することになるだけで」
冷ややかに目を細める。
ダガーを頭蓋に叩き込んで終わり、五秒と掛からなかった。
側の男は身構えたが、ロッドは肩を竦めて笑い、ケーキを一口。
上品な味だ、と口にしながら、再びリズベットに目をやった。
「そう怖い顔をするな。今のはお互いの前提として……お互いの得にならない結論を出さないで済むよう、建設的な話をしようじゃねぇか」
「建設的も何も、理不尽を押し付けてるのはそっちでしょ?」
笑うと、整理しましょう、とリズベットは言った。
「あなたの言葉は根拠のない難癖。積み荷とドックくらいは見せてあげてもいい。今なら丁度ダズの倉庫に入ったところ……中身はわたしが買った軍の横流し品で、スモールコンテナが三つ。それ以外は船体部品や武器弾薬が転がってるくらいね。あなたの探し物はここにない。あなたの妄言に付き合う理由は?」
「単純な力関係ってことになるな。今のところ、あんたの言葉は道理だ」
ただまぁ、と頭を掻いた。
「道理だけじゃ世の中成り立たねぇ。それは分かるだろ?」
「分かりたくはないけどね」
「とはいえ益々あんたのことは気に入った。そこで一勝負するのはどうだ?」
ロッドは右手をミノムシの頭部へと向ける。
眉を顰めるリズベットの前で、手首の下からコイルガンの銃口が露出。弾丸が放たれ、ミノムシのシールドで蒸発した。
「……はぁ」
ミノムシのシールドはレベルⅤ、対シールド徹甲弾クラスでなければほとんどの攻撃に耐える。内蔵火器程度なら何の問題もない。弾丸はシールドで防がれるのだが、ミノムシ――というより中にいたポンコツがびくりと体を跳ねさせた。
このポンコツ、と溜息を吐く。
「予想通り、積み荷はドールか」
「わたしのって言っても信じてはくれなさそうね」
「そいつは随分虫のいい話だ。……積み荷は貨物室ごとだと聞いてたが、それにしちゃ跡形もなく盛大に吹き飛ばされ、対してローガンのシャトルはお行儀良く食われてた。積み荷は案外小さいもんだとは思っていてな」
ロッドは楽しそうに笑った。
「さて、これで難癖に根拠が生まれた訳だが……確かにあんたの言うとおり、ここで俺を殺して回遊って手段もある。というより現実的な手段はそれくらいだ。ボスにはあんたを口説いてくるって言ってあるからな」
再びロッドはケーキを口に。
少し考え込む。その場合、長い回遊になるだろう。
それを許さないダズがいる以上、数百年単位で宇宙を漂う必要があった。
「ただそれは俺にとってもあんたにとっても楽しいことじゃねぇのは確か。どうせなら船を使って、盛大に遊ぼうぜ。これは俺の個人的な依頼だ」
「……わたしの報酬は何?」
「あんたが勝てば無罪放免、積み荷は消えたって事にしてもいい」
悪くない報酬だろ、とロッドは頬をつり上げる。
「泣いても笑っても一本勝負、ラットホールに入ってからのノールール。好きに逃げていいし、好きに追う。ラットホールからあんたが出ればゲームオーバ-」
新しい玩具でも買った子供のように、その目を爛々と輝かせて。
「いつぞやの再戦だ。サンダーボルトレースと行こうぜ、シューティングスター」
この世界で楽しそうに生きているのは、頭のイカレた奴だけだ。