どこにも届かぬ鐘の声 ①
ワームホールを美しいと呼ぶものは多い。
虚空にぽっかりと開いた出入り口――球体上の歪みは直径20kmほど。
その内部に入ると、トンネルの内壁は夥しい光で彩られ、まるで流星群の中を突っ切るように輝いて見える。見えているのは引き延ばされた星の光ではないかと言われているが、実際のところ何の光かはよく分かっていなかった。
トンネルらしき空間の歪みが外側から確認されていないこともあり、星の光というのもそれらしい仮説の域を出ていない。境界面での電磁波の乱れ。宇宙の彼方に放り出される探査ドローン。検証は何万年経っても進んでいないまま。
とはいえ、安定して使えるならばそれで良いという人間が世の中の大半で、むしろ解明出来ていないことが神秘的だと持てはやすような人間もそれなりにいる。これを見たいがためにわざわざ宇宙旅行に出る暇な連中もいるそうで、それを聞く度に頭がどうかしていると考えていた。
リズベットにしてみればただの光である。見飽きた、が枕につくだろう。
だが現在コックピットでは、そんなトンネル内部の光学的映像が部屋中全面に映し出されていた。
「綺麗ですね……」
「……ああ、そう。良かったんじゃない」
例の如く、ミノムシの作業服に身を包むポンコツの言葉に、椅子に座ったリズベットは不機嫌そうに答えた。ワームホールの通過は難しい事ではない。緩やかに湾曲するトンネルの中をただ進むだけ。リングによって安定化されたワームホールであれば直進するだけだが、ラットホールのそれは少々不安定。内側の形状に合わせて微調整が必要だが、機械的な自動運転でも十分なレベルであった。
特にこの船を任せるミノムシは優秀。純粋な船体コントロールではリズベット以上で、不測の事態が常に発生しうる戦闘を除けば手放しで任せられる。艦船AIとミノムシが同時に故障でもしなければ事故も起きないし、起きたとすればそれは不可避の事故だろう。
人間にミスは付きものというが、ヒューマンエラーを込みで考えるなら、機械に任せていた方が良い部分もある。リズベットには時折、見えてるデブリに頭からぶつかりたくなる衝動が湧くが、ミノムシにはそういうものがないらしい。
気が向いたらいつでもそうしろと言ってはいたが、今も生きているところを見るに、主人の願いを叶えてくれる気はないのだろう。
衝動が湧いても結局それを実行しない以上、延々とストレスが溜まるだけ。リズベットは基本的に、問題なければ船の動きをミノムシに一任していた。
ワームホールの通過も同様で、船での生活は寝ては娯楽の繰り返し。
時折訓練で体を動かしたりもするが、仕事というのは航路の決定と敵との遭遇くらいのもの。
いつもなら任せていれば、ロングパスを通過しましたと起きた後にでも勝手に報告してくれるのだが、
『今から通るみたいです!』
などと、ぐっすり寝ていたリズベットを叩き起こしたのはポンコツである。
一人で見ていろと口にするリズベットを寝かさないように、延々と説得を続けるポンコツに目が冴えてしまい、うんざりしながらコックピットに座って見飽きた景色を眺める羽目になっていた。
「出口は予想通り?」
『はい。問題なければスカイベルには103時間後に到着となります』
「そう、ちょっと残念ね。早く来すぎて」
「残念……?」
言ったでしょ、とリズベットは告げる。
「入り口も出口も変わるって言ったでしょ。後10時間ほど後に通った方が、スカイベルには早く到着したの」
「それなら待っていても良かったのでは……?」
「ラットホールの出口はあっちこっちの宙賊が網を張ってる。一応連中の協定で一定距離は戦闘禁止のセーフティエリアってことになってるけど、周辺をうろちょろしてたら補足されるし、あくまで宙賊の協定。わたしみたいな運び屋は対象外」
ラットホール協定と呼ばれるもので、このレッドセクターにおける取り決めごとであった。主には彼らの仕事が円滑に進むよう、そしてそれが破綻しないように決められた約束事。
ラットホールに法はなかったが、ジュニアスクール程度の秩序はある。
「昔、宙賊同士でワームホールの所有権を巡って大喧嘩した結果、出入り口が一つ吹き飛んだらしくてね。以来連中は不必要に近づかないようにしてるけど、近くを暢気に飛んでる輸送シャトルがいたら足を狙うくらいは普通にしてくる」
一度開いたワームホールはそれなりに丈夫というのは知られた話。数発魚雷を叩き込んで、運が悪ければ壊れる程度。壊す気で行くか、よほどの戦闘にでもならなければ壊れるものではない。あくまで戦闘禁止は宙賊同士がワームホールの支配権を巡って大喧嘩をしないための決まり事であり、運び屋などは無関係だった。
そして宙賊の仕事の基本は、推進力の要となるアポジモーターを破壊しての拿捕。乗組員も船も荷物も丸ごと手に入れ、売りに出すのが彼らの仕事。まともな脳の詰まった宙賊は金のために仕事をしているし、拿捕を目的とした狩り程度なら、ワームホールを気にする必要は特にない。
「ラットホールみたいな場所は入る時も出る時も速やかにが基本。距離と時間にこだわってるとカモにされるし、そういうカモで鍋を食うのが連中の仕事だからね。船を沈めた以上は早くここを出たかったし……」
「色々と難しいんですね……」
「世の中の大半は簡単なことの組み合わせよ。あなたみたいにポンコツだと、複雑で難しいことだらけなんでしょうけど」
欠伸をしながらそう告げると、ポンコツはうぅ、と唸る。
「ミノムシ、ポンコツの相手をしろとは言ったけど、ツアーガイドじゃないんだから余計な事を教えないで」
『この場合における余計な事、の定義をお願いします』
「余計な事は余計な事よ。おかげでわたしが気持ち良く寝てるところをポンコツに起こされたの。……もう少しだけあなたも融通が利くと完璧なんだけど」
不満そうな言葉にポンコツは思わず笑ってしまい、リズベットに睨まれる。
「何笑ってるの」
「いえ。リズ様、お食事はどうでしょう?」
「食べない。一人で食べて」
「じゃあリズ様が食べるまで我慢します」
「……あのね」
ポンコツは笑いながら、腰を掴んで立ち上がらせると抱きしめた。
「リズ様、ポンコツはリズ様のものですが、現状は半分商品なのです。ポンコツのメンタルを良い状態に保つのはリズ様の義務だと思うのですが」
「……ミノムシ、ポンコツが日に日に付け上がってく気がするんだけど、本当に余計な事吹き込んでないの?」
『口頭回答が難しい質問です。質問内容に対する解釈を含めたデータ回答の許可、あるいは具体例の提示をお願いします』
「あなた、ポンコツの話だとわざとはぐらかしてない?」
疑うように告げると、ミノムシは変わらぬ声で答えた。
『口頭回答が難しい質問です。ポンコツとの会話記録の全てをお渡しすることが可能ですが、ご確認なさいますか?』
「……いらない。頭が痛くなりそう」
ポンコツが来てから、かれこれ二百時間ほど。人工知能同士で仲が良いのか、毎日のように下らない会話を聞かされて、こちらはお腹いっぱいであった。
ポンコツのように無駄口を叩きはしないが、同じクラスⅢの人工知能。薄らと感じていたことだが、ポンコツに対してどうにも甘い。ポンコツのことになると、融通の利かなさに拍車が掛かっている気がしていた。
気のせいにしろ、そうでないにしろ、どちらにしても面倒臭い。
「……もういい。グラタン作って」
「あ、ポンコツもお願いします」
『了解しました』
「そもそも何でわたしと同じもの食べようとしてるのよ。エナジーバーでも食べればいいでしょ」
ポンコツに搭載されているのはパワーコアと呼ばれるバッテリーの入ったパッケージと、ナノマシンを充填した分解槽。機械部分は電力を用い、生体部分は分解槽を用いていた。生体部位と機械部位の比率は大きく違えど、概ねリズベットと同じ構造。アンドロイドとしては生体部位が随分多い。それも見せかけではなく、本物の生体組織。パワーコアはともかく、その維持には多少の食事を必要とする。
多くのアンドロイドにとって食事は不要で趣味の範疇。娯楽の一種であるのだが、このポンコツは活動するだけで無駄に食料を消費する。
その上、リズベットが自分のために用意した良質な食糧を貪るのだから、性質の悪いポンコツであった。