騒がしい棺桶 ④
「言っておくけど、これ以上譲歩はしない。あなたが何を言おうと、場合によっては持ち主のところに行ってもらう。これを守れるなら、という前提。……これはわたしとあなたが交わす契約だと思って」
「契約……」
「あなたがわたしの命令を聞かないポンコツというのは百歩譲って我慢しても、対等な契約さえも守れない相手をわたしは船に乗せたりしない」
抱きつくポンコツを押しのけ睨んだ。
「その場ではわがままに応じるでしょう。でも、宇宙に飛び立った後、さっきのような躊躇はしない。バラしてデータを抜き取った後、デブリとして放り出す」
「う……」
「……ミノムシ。今の言葉は撤回しない。このポンコツが契約を反故にしたなら、仮にわたしが止めようと強制的に処理をして」
『了解しました』
うぅ、とポンコツはリズベットを不満そうに睨む。精神的には子供であったが、今の言葉くらいは理解出来るだろう。
「あなたがポンコツというのは置いておいて、マスター認証させたのはわたし。非があることは認めるし、後悔するくらいややこしいことになったのも、元を正せばわたしの責任。だからこれだけ譲歩してるの。これ以上はない」
「……置いてくれるのは本当ですか?」
「わたしにとっては最悪のケースだけど、約束は守る」
しばらくほとぼりが冷めるまで、ラットホール周辺からは離れる必要があるだろう。稼ぎは減るが、もはやこの際、それは受け入れるしかなかった。
「それに、あなたにとってのマスターの価値がどういうものかは知らないけど、どうやら随分値の張るドール。間違いなく大切にされるし、良い暮らしも出来る。わたしと来れば良かった、なんて後悔することはない」
「……ポンコツは良い暮らしを望んでいる訳ではないです」
「そ。でも一般的には誰もが夢見る生活には違いない。あなたは恵まれてるの。他人を蹴落としながら日銭を稼ぐ必要もないんだから。まだこの世界を知らなさ過ぎて、それがどれだけ素晴らしいことか分からないだけ」
人は星々の世界に広がって、それに伴い貧富の差もより広がった。
惑星の一地域を巡る争いは、いつしか星単位になり、星系単位になり、富めるものは際限なく富んでいく。国家は広大な世界を管理しきれなくなり、幾度もの戦争を経て、今では企業と機械の傀儡。彼らの利権を守るために法を定めた。
豊かな星系はこの世の楽園と呼ばれる一方、搾取され続ける星系は枯れきって、この世の地獄そのものだった。それを是正しようと立ち上がろうと、百の艦隊に万の艦隊が押し寄せる。太古の昔なら弱者の側にも対抗策はあったのだろうが、制宙権は絶対的で、惑星封鎖であっさり終わる。軌道爆撃で地表はガラス化、兵器によっては一日かからず粉々にされるのだから、どうしようもなかった。
人々の語る世界の外側には、人権などと高尚なものは存在しない。人々が認識出来ないほどに世界は広がっていたし、そしてそういう世界を権力者は見えないように覆い隠した。そこは彼らが後ろ暗い欲望を満たす場所。奴隷労働や人身売買など平然と横行していたし、現地人を狩る娯楽用の狩猟惑星も存在している。
同じ人間でありながら人間は二種類に分けられ、一方は家畜のようなもの。そして家畜に産まれた人間は、よほどの運がなければ人間にはなれない。
機械の玩具としての生活は、多くの人間よりもずっと幸せなものだろう。
「リズ様も、そういう場所で暮らしたいのですか?」
「……一般論よ。普通は誰でもそう考える」
自嘲するように言った。
「わたしはただ、死んでないから生きてるだけ。何をしたいとかどうなりたいとか、考えたりしない。わたしとあなたは違う」
結った長い髪を指に絡めて、軽く引っ張り目を伏せる。
生きている理由もなければ目的もなかった。死にたくないから息をしてるだけ。苦痛だらけの人生を、今もやめられないだけだった。
「……マスターに尽くすことが幸せなら、それを求める相手のところに行く方が幸せでしょ。わたしは歩く死体で、この船はわたしの棺桶。副葬品はいらないし、ある日突然静かに眠るのがわたしの望み」
スイッチでも切れたように、あっさりと。
そうやって終わることを毎日のように願っていた。
「わたしが手を出さなきゃ、何の疑問もなくあなたは幸せな毎日を過ごせていたでしょう。望むように仕えて、求められて。それを邪魔したわたしが言うのも何だけど、あなたの居場所はここじゃない。……素直に応じて」
告げると、頬を包み込むように手が触れた。
目を向けるとポンコツは嬉しそうに微笑んで、口にする。
「リズ様との契約、受理しました」
大きな薄茶の瞳――その内側のカメラとセンサーがリズベットを捉え、明滅し、機械的な発光を繰り返す。
「リズ様はとても優しくて、素敵なマスターです。お仕え出来るならばこれ以上の方はいないと思いますし、より一層、お仕えしたくなりました」
「そう。わたしは嫌」
「はい。嫌だと仰るリズ様だからこそ、ポンコツはマスターにしたいのです」
「……本当にポンコツね」
「はい。ポンコツなのです」
何が楽しいのか、嬉しそうにポンコツは笑った。
「場合によってはリズ様のお望み通りに。ですがそれが叶わなかった場合、リズ様が何と言おうと、ポンコツのマスターになっていただきます。リズ様の仰る棺桶で、安らかに眠れぬように尽くしましょう」
「ただの嫌がらせじゃない」
心底嫌そうに呆れてそう言った。
「言っておくけど、船に乗せるだけ。あなたのマスターになる気はないし、なったところで命令も聞かないポンコツのマスターなんてごめんだから」
「大丈夫です。ツンツンしているリズ様をいかにメロメロにさせるかがポンコツの腕の見せ所ですから。いわゆるフットインザドアというやつですね」
「……何が大丈夫なのよ」
顔が近い、とポンコツを押しのける。
「まぁ、それで納得したならいい。とりあえず、作業の続きをしたいから邪魔をしないで。ミノムシ、マトリョシカ」
『了解しました』
告げると、コンテナの向こうから歩いてくるのは全高4mの作業用のオートマトン。コンテナなどの積み込みに使われ、輸送シャトルには大抵どの船にも一機くらいは載せていた。大型の強化外骨格と呼ぶべきものであったが、自ら乗り込むことは稀で、大抵操作命令はミノムシに任せている。
搭載されているのはクラスⅡのAI。感情的思考を有する――要するに人間的なAIがクラスⅢ、そうでないものがクラスⅡと定義される。両者の違いは感情的思考を有するか否であり、クラスⅡであれば酷使しても何の文句も言われない。艦船AIから何から、アンドロイド以外のそれは大抵クラスⅡを示す。
クラスⅠと定義されるAIは高度な汎用性を持たないもの。作業用アームにボットやミサイル、ほとんどの機械に使われているが、一般的に人工知能と言えばクラスⅡかクラスⅢであり、AI搭載などとは当たり前すぎてわざわざ言わない。
形式上、人権や自由意志というものが認められなければならないクラスⅢとは異なり、クラスⅡやⅠは人間の指示に従う道具。気兼ねなく使える便利な道具として扱われていた。マシンウォーと呼ばれる機械の反乱まではクラスⅢも同じ道具であったそうだが、今では基本的に、人間よりも手厚く保護されていた。
アンドロイドとオートマトンというのは単なる見た目の違い。オートマトンはクラスⅡやⅢの人工知能を搭載した、多目的作業の行なえる独立機械の総称。
基本的には人間的な見た目をしていないものを示す言葉であり、汎用的ではない、何かに特化したものはドローンと呼称される場合が多い。
「おぉ……初めまして、マトリョシカさん。新しく入ったポンコツと言います」
『ポンコツ、マトリョシカはクラスⅡ、感情的思考を持たない人工知能です。挨拶は不要です』
「あ、そうなんですね」
知能の下がりそうな会話を聞きながら、疲れた顔で指示を出す。
「この残骸をひっくり返して。センサー類を回収する」
『了解しました』