第1話 平和な日常はいともたやすく崩れ去った。
私、城ヶ崎佳人。
永遠にも感じた受験勉強が終わり、希望通りの高校に無事受かって、この春から晴れて華の女子高生! なんだけど。
初登校の今日、早速道に迷っちゃったっ!
「っていうか。ここ、……どこ?」道に迷ったとかそんなレベルじゃ無いことに気付いて辺りを見回す。
学校に向かう途中、大通りから脇道に曲がったところまでは覚えてる。その瞬間まで違和感なんてひとつも無かった。でも今、鼻から吸い込まれる空気はなんだか粉っぽい感じがするし、さっきまで薄い水色だった空もいつの間にかどんよりとした灰色。道路から聞こえてた自動車の音や人々の歩く音、歩行者信号が赤に変わることを知らせるメロディ、道行く人々の話し声。そんな雑多な音が一切聞こえてこない。
でも人が一人も居ない訳じゃないの。辺りを見回すと私と同じような表情で硬直して立ち尽くしている人の姿がちらほらと見えた。
そしてみんなが動揺してその場で動けずにいると、灰色だった空が見る見るうちに赤く染まっていった。遠くに見えていたビル群はボロボロで足元の道路も風化して部分的に崩れてて、まるで世紀末の廃墟の中にいるみたい。
ちょっとこれヤバくない?
「きゃあーっ!」
前方の死角から叫び声が聞こえてきた。そういえば私の少し前をベビーカーを押して歩いていたお母さんがいたっけ。
その声で我に帰った私は慌てて声のした方へと駆け寄る。すると信じられない光景が私の眼に飛び込んできた。
ベビ-カーが黒ずくめの男たちの一人に蹴飛ばされ踏みつぶされ、倒れた先の地面には真っ赤な鮮血が広がっていく。また別の男がお母さんを力一杯殴り飛ばし、倒れたところをまた別の男が彼女の顔面をまるでサッカーボールのように思いっきり蹴飛ばす。
「ちょ、ちょっとっ! あなたたち、な何してるのよっ!」
男達が一斉にこっちを見る。
あっちゃー、またやってしまった……。私、目の前で倫理観の欠如した暴力行為を見るとどうしても黙っていられないタチなの。それでいつもいつも喧嘩に巻き込まれちゃって、小学校中学校とずっと怪我ばかりしてた。せっかく華の女子高生になるんだから我慢しなきゃって思ってたのにーっ!
待って、でもちょっと変。こっちを向いた男達の頭はまるで能面のように無表情で、瞳のない大きな目玉がふたつくっついた不気味なマスクを被っている。
男達はお母さんと赤ん坊への暴行を直ぐに止めて一目散に私に向かって駆け寄ってきた。
「ドギーッ!」
獣のような雄叫びを上げて、一人目の男が私の鼻柱目掛けてまっすぐにその拳をぶつけてきた。咄嗟に両目を瞑った私の目頭に光と共に衝撃が走る。グチャリという音がして鼻の奥の方から溢れてくる血液が喉まで垂れていくのを感じた。痛みで顔を覆う私の手の平ごとお構いなしに次々と殴られて尻餅をつく。殴られた指が、目の下の骨が鈍い音を立てる。その音が骨を伝って直接耳の奥に届く。堪らず頭を抱えてアルマジロのように丸まった私の背中は数人の男に囲まれて蹴られ続ける。
全身を襲う痛みに、ただただ純粋な疑問が浮かんでくる。
なんで? どうして?
頭が体の痛みを忘れさせようとするのか、心だけが身体を離れていくようなふわりとした感覚に陥る。もしかして私、死んじゃうの?
そんな諦めにも似た気持ちが身体全体に浸食してくる中、どこからともなく声が聞こえてきた。
「……ぃま、どんな気持ち?」
「誰? なんで? ……なんで私がっ……」
「……ぎ問・悲しみ・怒り……」
「ああっ、お母さんと赤ちゃんは!? もしこの声が神様の声なら、せめてあの二人だけでも……」
「慈愛……」
「神様? 本当に神様なのっ?」
直接頭の中に響いてくる謎の声からは返事がない。
「もうっ、一体誰なのっ!」
バチッ! すぐ近くで雷が落ちたように大きな音がした。
雷鳴の直後、地面に蹲っている私の前にドサリと音を立てて男の一人が倒れ、その顔に張り付いた不気味なお面が私の視界を埋め尽くす。そのまま男の頭が柔らかいビニールボールの様に圧縮され潰れていき、ぐちゃりとひしゃげた。次に私の視界に入って来たのは四角くて赤い色に光る金属の固まり。突如現れたその立方体の周囲の空気がパチパチと弾け、まるで電気を放出している様にも見える。
「君は選ばれた。この世界を救う素質がある」
さっきから聞こえていた声の主はもしかして……この金属のロボットから?
赤いと思っていたその物体は全体が鏡のような銀面で出来ていて、空の光を映し出す程に滑らかで艶やかな材質で出来ていた。
「もし君が望むなら僕が力を渡すよ」
「ち、力? わ、私なんかに無理よっ!」
「大丈夫。君なら出来る、いや言い方が適切じゃないな。……君にしか出来ない」
何も無かったロボットの側面に四角い線が現れ、そこから細長いアームが伸びてきて私の首の付け根辺りを触る。
「イタッ」一つ一つはそれほど痛くないけれど、一度に極細い注射針を何百本と刺された様な痛みが走った。
「ヒギッ」背骨が痛痒くなって手足が痺れ、勝手に指先までピンと伸びる。
「さぁ『ヘンシン』と唱えて」
「ちょ、なん、へ、へん……しん?」
私の言葉に反応するように背後で強烈な光が瞬く。光に包まれた身体が凄く軽い。それもその筈、いつの間にか立ち上がっている自分の足元を見ると足が地面に着いていない……。身体が宙に浮いてるっ! 驚いている間も無く、首の後ろから黒や肌色の帯が幾つも伸びてきて身体の隅々にまとわりつく。
「ユーマッ!」キューブ型ロボットとは違う機械的な叫び声が首元で響いた。