第085話 夏休みなんだよ!?
窓は閉めているのに、蝉の声がうっすらと聞こえてくる。
うだるような暑さなのが外に出なくてもわかる。
だが窓を閉め、冷房を付けているお陰で部屋の中はとても快適だ。
そしてそんな部屋に、ペンを走らせる音が3つ響いている。
そんな状況で1人が悲鳴のような声を上げれば、普通よりもうるさく聞こえるは当然だ。
「うぁぁぁ〜〜〜!!飽きた!!!!」
そう叫びながら由衣は身体を逸らし、ソファーの背もたれに全身を委ねている。
向かいでそんなことをされたら、嫌でも視界に入る。
俺は呆れながらも視線を上げ、「……まだ1時間も経ってないぞ」と言葉を投げる。
「だって……飽きたんだもん……」
「そんなこと言って手を止めてると、困るのは自分だけど」
そんな隣に座っている智陽からの鋭い指摘に、由衣はまた呻き声をあげる。
何故こうなったか。
それは今日の午前中のグループメッセージが原因だ。
まず由衣が「今日暇な人〜!!」と送ってきた。
すると志郎と鈴保はそれぞれ用事があると返事をした。
次に由衣が「じゃあ3人で遊びに行かない?」と言ってきた。
そこに智陽が「夏休みの課題は終わったの?」と返した。
答えは……残念ながら終わってなかった。
そこで俺は由衣と智陽を家に呼び、暇人3人組で課題をする事にした。
……いや別に俺は暇じゃないんだが。
しかし、夏休み後半に「課題終わってない…」という由衣の悲鳴は聞きたくない。
あと「堕ち星や澱みと戦ってたので課題が終わってません」なんて言い訳は絶対にさせたくない。不名誉極まりない。
なので俺はこうして、監視を兼ねて由衣に付き合うことにした。
しかし、由衣はやはりやりたくないらしい。
天井を見たまま、「ねぇ……やっぱり遊びに行かない……?」と呟いた。
「でもそうしたら後で泣くのは由衣だけど」
「うぅ……」
また呻き声を上げる由衣。
だが、由衣とて遊びに行ってないわけではない。
「お前、この前長沢や他のクラスのやつと遊びに行ってただろ」
「そういやカラオケ行ったって言ってたね」
「うん!楽しかった!麻優ちゃん歌も上手くて……って違う!
確かに楽しかったけど私はみんなともどこかに行きたいの!だって夏休みなんだよ!?」
由衣は否定と同時に起き上がった。そして俺と智陽の顔を交互に見ている。
「私は別に……」
「同意見。というか課題やれ」
「2人とも厳しいよぉ……」
その呟きの後、由衣は悲しそうな顔をしながら課題に戻った。
ちなみに俺も智陽は半分ほどは終わっている。
だが由衣だけが3割も終わってない。
そのため、俺達としては別にわざわざこんな事をしなくてもいい。
……頼むから課題を進めてくれ。
そう願いながら俺はまた、テキストのページを捲った。
☆☆☆
「飽きた!」
「あのなぁ……」
由衣がまた悲鳴をあげた。
さっきのやり取りからまだ30分ほどしか経ってない。
「こいつこんなに勉強嫌いだったか…?」と思いながら、俺はもう1度「いいから進めろ。夏休み後半に泣くのはお前だぞ」と言葉を返す。
由衣の目が泳いでいる。
その数秒後、「音楽かけて良い?」と呟いた。
「……それで集中できるのか」
「……頑張る」
さっきの泳いでいた目とは違い、真っすぐとした目で由衣は俺を見ている。
……まぁ、それで集中できるならそれでもいいか。
そう思い、「じゃあ好きにしろ」と返事をする。
すると由衣は喜びながら、自分のスマホから音楽を流し始めた。
流れ出したのは明るい曲調と女性の歌声。年齢は……俺たちと同じか、少し上だろうか。
歌詞は愛とか希望とか歌っている。
「あまりこういう曲は得意ではない」と思いながら、俺は由衣に視線を向ける。
すると、由衣はご機嫌そうにペンを持ってプリント集と向き合っている。しかも鼻歌まで歌っている。
……まぁ、これで効率が上がるならそれでいいか。
そして曲の1番が終わり間奏に入ったとき、智陽が口を開いた。
「これって……歌ってみただよね」
「そう!Ausって名前で、私の大好きなの人なんだ〜!あ、A u sでアスね!」
由衣が嬉しそうな顔をして、智陽にそう語る。
しかし、智陽は「いや曲の方……」と返事をした。
どうやら望んでいた答えではなかったらしい。
「これって原曲は合成音声の曲だよね?」
「多分……?
私、原曲は詳しくは知らないんだけど……」
由衣は「なんで?」と言いながら、首を傾げた。
「原曲の方なら何回か聞いたことあるから。由衣も聞くんだって思って」
「なるほど!私は合成音声の方はあんまり聞かないけど……ちーちゃんはよく聞くの?」
「聞くよ。こういう曲は聞かないけど」
「どんな曲聞くの?」
そう聞いた由衣の顔は、興味津々という顔をしている。
智陽はそんな由衣のその言葉に「……多分趣味合わないよ?」と返した。
「大丈夫!もしかしたらいい曲に出会えるかもしれないし!」
「そう?じゃあ……。
例えば……こんなの」
その言葉の後、智陽のスマホから流れ出したのは激しい曲調。
歌詞は強い言葉。機械による歌声だが力強く、冷たく感じる。
その曲を聞き、由衣の顔が少し歪んでいる。
そして口から「治安……悪い……」という言葉が漏れた。
「やっぱり……。一応……こっちは?」
流れる曲が変わった。今度は静かな曲調だが、生きづらさを叫ぶ歌詞。
こちらも機械による歌声だが、今度は生き苦しさがこちらも苦しいぐらいに伝わってくる。
一方、由衣は「暗い!」と叫んだ。
それを聞いて、智陽は「やっぱりダメか……」と呟いた。
……内心がっかりしていないか?
「由衣の好きな曲にして」
「任せて!じゃあ次は……これ!」
そして由衣のスマホから流れ出したのは爽やかな曲調の夏らしい曲。
歌声から考えるにどうやらさっきと同じAusという人なんだろう。
本当に好きなんだな……。
そう考えていると、智陽が「この曲は結構聞くかな。原曲だけど」と呟いた。
「本当!?初めて好みがあったね!
……まー君はどう?」
嬉しそうにそう言った後、由衣は俺に話を振って来た。
だが、俺はあまり音楽などは聞かない。
聞いてる暇と余裕がないというべきか。
だが、Ausの歌声はどこか耳に残る。
いや、それより……
「……課題をやれ」
「「あ」」
まるで忘れてましたと言わんばかりの声でそう呟いた2人。
智陽まで由衣を遊ばせたら意味が無いだろ……。
そう思いながら、俺は天井を仰いだ。