第073話 逃げたくない
夕日が照らす河川敷の上で、小坂 颯馬の姿が異形のものに変わった。
全身黒い、どう見ても人ではない見た目。
……堕ち星だ。
でも私よりも、颯馬の目の前にいる梨奈が危ない。
肝心の梨奈は「颯馬………?嘘………嘘………」と口に呟きながら後退りしている。
だけど残念ながら、その言葉は颯馬の耳には届いていないらしい。
「お前ハ……俺ヲ……裏切っタ!」
その瞬間。梨奈の身体が横に吹き飛んだ。
梨奈は河川敷の斜面を転がり落ちていく。
私は反射的に走り出す。
そして梨奈の名前を叫びながら斜面を駆け下って追いかける。
梨奈は斜面を下りきって止まった。
私は梨奈の身体を揺すり、声を掛ける。
だけど、返事はない。
意識がない。
颯馬が異形の姿の堕ち星になったショックで気を失ったのか。それとも今の出頭を打ったのか。
どっちかはわからない。
でも頭からの出血は見当たらない。
とりあえず……救急車?
でも颯馬が堕ち星に……。
次の瞬間。
「鈴保……俺ハ……お前ヲ……許さなイ!!」という叫び声が聞こえた。
そして肩に強い痛みを感じたのと同時に、視界に空が映り込む。
その数秒後、今度は肩とか背中に強い痛みを感じた。
全身が痛い。
何をされたかすぐに理解ができない。
……多分、次は私が颯馬に吹き飛ばされたんだと思う。
とにかく、早く逃げないと。
私は何とか立ち上がって、状況を確認する。
颯馬はさっき私がいた梨奈の隣から、こっちに向かって歩いてきている。
……梨奈は動けないのに私の方へ来るってことは、私を狙ってる?
だったら、私がここから逃げれば颯馬は私を追ってきて、梨奈から遠ざけることができる?
でも、自身がない。
それに私が逃げれば梨奈を先に狙うかもしれない。
だったら梨奈と一緒に逃げる?
いや、無理。担いで逃げれない。
そもそも颯馬は短距離専門。まず普通に足の速さで勝てない。
それに今は堕ち星になってるから絶対無理。
「お前さエ……いなけれバ……!!!」
その叫びで気が付くと、颯馬が目の前まで来ていた。
迷ってる時間はない。
そんな私を、颯馬の右足での蹴りが襲ってくる。
私はそれをなんとか右に避けて転がり、距離を取る。
私はそのまま反射的に言葉を投げる。
「颯馬!何でこんな事するの!?」
「うるさイ!!お前さエ……お前さエ……!!!」
颯馬もう目の前にいる。
速い。
「堕ち星は人間と身体能力が違う」というのは聞いてた。
聞いてても、いざ目の前にすると反応できない。
でもぎりぎり攻撃が見えた。
足首を狙った蹴りをなんとか跳んで避ける。
だけど、次の攻撃は見切れなかった。
私の身体はまた宙を舞い、地面を転がる。
頬を殴られたみたい。
口の中が切れたのか血の味がする。
……何で私がこんな目に。
何がいけなかったの?
私が、ずっと部活から逃げてたから?
私が、梨奈や颯馬とちゃんと話をしなかったから?
私が怪我をして大会に出れなかったから?
「これデ………終わり二……!!!」
颯馬がもう目の前にいる。
しかも既に蹴りの構えに入ってる。
私は倒れたところから上半身を起こした状態。
たぶん首の辺りが狙われてる。
……結局、私の役目わかんなかったじゃん。
陰星に悪態をつきながら私は目を閉じる。
でも、颯馬に殺されるのはちょっと嫌だな。
「終わらせるかっ!!志郎!!」
「おう!!」
私はその予想外に聞こえてきた声で目を開ける。
すると、颯馬は蔦で縛られていた。
そんな颯馬に紺色と橙色の鎧が右ストレートを叩き込んだ。
颯馬は吹き飛ばされて地面を転がる。
そして紺色と黒色の鎧が私の傍に来た。
「砂山、無事か」
「……何とか。でも梨奈が……」
「梨奈ちゃんは大丈夫ー!!」
声がする方向を見ると、紺色と赤色の鎧が梨奈の傍にいた。
声的に今隣りにいるのが陰星で梨奈の方にいるのが白上。
それなら消去法で橙色が平原か。
そんなことを考えていると、陰星が「で、この堕ち星は」と疑問を投げてきた。
「……小坂 颯馬。昨日から連絡が取れてなかった」
「長くて2日……か。2人とも、こいつも速いから気をつけろ」
「おう!」「うん!」
そのやり取りの後、3人が颯馬との距離を詰める。
「邪魔ヲ……するナ!!!」
だけどその叫びと同時に、また澱みが湧き出して3人の行く手を阻んだ。
「またぁ!?」
「どれだけ湧くんだよ……!!」
白上と平原のそんな声の後、3人は澱みと戦い始めた。
……颯馬は?
あたりを見回すが、見当たらない。
……じゃあどこに?
私が可能性を思いついたのと同時に、答え合わせのように颯馬の「今度こソ!!!」という声が後ろから聞こえた。
間一髪、前に飛び込んで攻撃を避ける。
そのまま横に転がって身体を起こす。
……さっきから逃げてばっかり。もう疲れた。
いや。逃げてばっかりなのはこの1年間ずっと。
怪我をしたことから。
大会に出れなかったことから。
梨奈と颯馬から。
部活から。学校から。
何もかもから逃げてた。
ぐるぐると、私の中で感情が渦巻く。
だけど颯馬はもう距離を詰めてきて、既に目の前にいる。
蹴り、殴り、蹴りの順番で攻撃が飛んでくる。
私はそれを立ち上がって、何とか避ける。
そこに上から両腕から拳が来る。
それをなんとか両手で受け止める。
だけど力が強すぎる。
こんなの人間が受け止めれるものじゃない。
私は押し負けて、どんどん姿勢が低くなっていく。
そこに、足払いが飛んできた。
もちろん避けれない。
私はそのまま足を払われて、体勢を崩す。
そして、颯馬の蹴りが脇腹に叩き込まれる。
吹き飛んで地面を転がる。
……もう、嫌だ。
そのとき、「すず…ほ…」という声が聞こえた。
吹き飛ばされたときに閉じた目を開けると、すぐ隣に梨奈が居た。
「すず……ほ……だいじょう……ぶ?」
「梨奈……」
私は梨奈のすぐそばまで吹き飛んでいたらしい。
意識が戻った梨奈が私を心配してくれている。
……とりあえず、意識が戻ってよかった。
でも……。
私は視線を颯馬の方に向ける。
全身がどす黒く、首の後ろの鬣、頭の上から生えている耳、手足には蹄、そして尻尾。明らかに人間の姿ではない颯馬。
そして頭の中で、白上が説明のときに言った言葉がよぎる
『堕ち星は人の良くない感情が刺激されてるんだって。だから「言ってることは本当に思ってることを大げさに言ってる」って思っていいってまー君が』
つまり、今の颯馬も同じはず。
……それに私は、こんな姿に成った颯馬を梨奈に見せたくない。
だったら、私がすることはただ1つ。
……それに、やっとわかった。
颯馬がこっちへ来る。
やり方は聞いている。
覚悟は、できた。
「私はもう、逃げたくない!」
そう叫ぶと同時に、左手から全身にかけて熱いエネルギーが巡るのを感じた。