第072話 力があるのに
「鈴保……大丈夫?」
「何が?」
「部活の空気……悪くなかった?」
「私が悪いんだから気にしてない」
「強いね……」
私と梨奈はそんな会話しながら、学校から帰り道を歩いている。
夕日が照らし始めた住宅街を、2人で。
私が戦う力を押し付けられてから、数日経った。
だけど、それまでと特に何か変わったわけではなかった。
……いや、それは嘘。部活には行くようになった。
だから何も変わってないは嘘。
あの日の次の日。
私は陸上部の顧問の先生に謝るのと入部届けを書きに行った。
そしたら顧問の先生からは「元から砂山は入部済みだぞ?」と言われた。
実は私が星芒高校に入学したのは、部活での実績も考慮される入試で合格したからだった。
そして、その試験で入学した生徒はその時点で部活は強制入部の決まりだった。
なのに私は、そのことを全く覚えてなかった。
……入試の時期もヤケになってて、周りに言われるのが嫌だから言われた通りにしてたからかな。
そしてつまり、私は外から見ると推薦入試で入部してるけど無断で部活に来ない幽霊部員になってた。
……だいぶヤバい1年じゃん、私。
ちなみに先生には全く怒られなかった。
むしろ「やっとやる気になってくれたのか!」と喜ばれた。
私としては、怒られるのを覚悟して行ったから肩透かしを食らった気分。
まぁ……安心したけど。
でも先輩を初めとした他の部員には白い目で見られた。
こっちは予想通りだった。
だから、今は部活の帰りという訳。
……梨奈と帰るの、かなり久しぶり。
だけど、梨奈の雰囲気はいつも通りではなかった。
「……今日も颯馬、来なかったね」
梨奈が重い口調で、呟くようにそう言った。
そう。
私が陸上に復帰したら、今度は颯馬が颯馬が部活に来なくなっていた。
それも、私が復帰した次の日から《《入れ替わるように》》。
……でもあの態度なら、来ない理由は考える必要もないでしょ。
「私が復帰したからでしょ」
「そんなことないよ……たぶん」
梨奈は私の言葉に、自信なさそうに返す。
どうやらメッセージを送っても既読すらつかないらしい。
……自分で言うのもあれだけど、この前までの私?
「私のこと嫌ってたし、梨奈も私側についたと思ってスネてるんじゃない?」
私の投げやり気味に言葉を投げる。
すると、梨奈は呆れたような声で「何それ……」と呟いた。
「私はどっちかの味方とかじゃないんだけど……。
前はこんなんじゃなかったじゃん……」
「私に言われても困る」
その返事を受けて、梨奈はため息をつく。
でも実際言われても困る。
私としては颯馬が普通に話してくるなら普通に返すつもりだし。
そこに、梨奈が「ねぇ」と呟いた。
「……鈴保は颯馬とこのままでいいの?」
「別に……どっちでもいい。」
実際……どっちでもいい。
梨奈とは小学生の頃からの仲で、仲直りしたいとは思ってた。
でも、颯馬は中学で部活が同じだっただけ。
別にこのままでも……寂しくない。
そのとき。
妙な感覚がした。
言葉にすると……周りの空気が少し濁ったような感覚。
私は気味が悪くて辺りを見回す。
「どうしたの?」
「今なんか……変な感じが……」
だけど、梨奈にはわからないみたい。
「え……?」と呟いた後、困った顔で辺りを見回している。
その後、私の左手を見た。
「……もしかして、この前あの怪物に刺されたのが」
梨奈がそう言い切るよりも前に、私達の目の前の地面から黒い泥のような何が湧き出した。
そしてその泥は、人の形になる。
この前も見た、泥のような人形。
これ、確か澱みってやつ。
……とりあえず逃げないと。
私は慌てる梨奈の手を左手で掴んで、「逃げるよ!」と叫ぶ。
そして、澱みと反対方向に走り出す。
次に空いてる右手で、ジャージのポケットから自分のスマホを取り出す。
そしてメッセージから平原 志郎を探して、通話ボタンを押す。
焦りからか、私の口からは「早く出て!」という叫びが飛び出す。
私の祈りが通じたのか平原は2コールで通話に出てくれた。
『砂山から通話なんて珍しいな!どうした?』
「『どうした』じゃない!澱みに追われてるの!早く来て!」
『お、おう!場所は!?』
「学校の近く!走ってるから切るよ!」
そう言って通話を切る。
同時に梨奈が「鈴保……」と息を切らした声で私を呼んだ。
「何!?」
「逃げ切れたみたいだから……ちょっと休憩させて……」
その言葉で振り返ると、確かに澱みの姿は見当たらなかった。
夢中だったけど、通話している間に数回道を曲がった。
……逃げきれたと思って良いのかな。
とりあえず、私達は足を止めて道の端で息を整える。
流石に通話しながら走るのはキツい。
それに運動部とは言えど復帰したてと、マネージャーだから体力がとてもあるわけでもない。
肩での呼吸がだいぶ収まってから、梨奈が「もう……追って、こない……?」と聞いてきた。
「たぶ……ん。助けは呼んだから……大丈夫」
「助けって……由衣ちゃんや陰星君のこと?」
「……そう」
「……ねぇ。あのとき、鈴保に何が起きたの?」
私はそこで、言葉に困ってしまった。
結局、私は梨奈に何が起きたかを話していなかった。
陰星に「あまり人に話すな」と言われていたのもある。
でもそれより、私自身が戦うつもりなんてないから言う必要もないと思っていた。
……でもこうやって、澱みとか堕ち星に遭遇するたびに助けが来るまで逃げ回らないといけない。
私には、戦う力があるのに。
そのとき。
耳に「ねぇ、鈴保?」という言葉が聞こえ、肩が叩かれるのを感じた。
我に返ると、梨奈が目の前に居て、私の肩を叩いていた。
「鈴保……大丈夫……?
左手……やっぱり痛いの?」
その言葉で目線を下に向ける。
私は自分の左手を右手できつく握りしめていた。
右手はスマホを持っているのにも関わらず。
……何でこんなこと。
私は、戦いたくないのに。
とりあえず、私は梨奈を安心させるために「何もない。大丈夫。」と言葉を返す。
その瞬間。
また私達の進行方向の地面から澱みが湧き出した。
「逃げるよ!」と梨奈に声をかけて、私達はまた来た道を走り出す。
しかし、今度は走り出した先の曲がり角からも澱みが現れた。
気が付いた私達は慌てて足を止める。
何これ。
どうなってるの。
でも今はそんなことは気にしてられない。
私達は囲まれていて、前からも後ろからも澱みが迫ってくる。
逃げる場所がない。
そう思ったとき。
私達の前に、空から炎が降って来た。
その炎は、目の前の澱みは瞬く間に包み込んでいく。
その炎が消えるときには、そこには何事もなかったよう澱みも炎も消えていった。
地面に、焦げ跡すら残さず。
代わりにあったのは、見慣れた制服を着た男子だった。
「2人共、怪我は?」
「陰星……」
そこには、陰星 真聡が立っていた。
……きっと、平原から連絡を受けて飛んできたんだと思う。
というか今、生身で炎を出してなかった?
混乱していると、住宅街に陰星の「走れるなら走れ!」と声が響いた。
私はその声で我に返り、梨奈と一緒に再び前へと走り出す。
走って。
走って。
走る。
気がつくと、河川敷が見えてきていた。
とりあえず私達は堤防の上まで走る。
そこで私達は足を止めて、再び上がった息を整える。
陰星が来たということは、平原や白上も来てるはず。
もう澱みは追ってこないはず。
そう安心したとき、河川敷の道の先に人影が見えた。
その人影は、ゆっくりとこっちに歩いてくる。
「……颯馬?」
梨奈の言葉の通り、その人影はどこからどう見ても颯馬だった。
3年の夏以降はほとんど会わなくなっていたけど、流石に見間違えるはずはない。
夕日によって、少し見にくくても。
……昨日から連絡がついてなかった颯馬がなんで今ここに?
私はそんな疑問を抱いた。
だけどその疑問について考える間もなく、梨奈は颯馬の名前を呼びながら走っていく。
私も急いで後を追う。
「ねぇ何でメッセージ返してくれないの!?
というか2日間何してたの!?心配したんだよ!?」
梨奈はそう叫びながら颯馬の前で足を止めた。
でも、颯馬は何も言わない。
そして私は、近くに来てようやく気づいた。
颯馬の顔色か明らかに悪いことに。
「梨奈……お前ハ……俺ヲ……俺ヲ……!」
その言葉と同時に、颯馬の姿が人ではない黒い異形の姿に変わった。