第070話 選ばれた
最悪の事態だ。
砂山 鈴保が蠍座概念体の前に飛び出して、尻尾の針に刺された。
お陰で好井 梨奈は無事なようだが、負傷者が出たことには変りない。
「よそ見なんて、余裕あるね!」
その声と共に、無数の黒い羽根があらゆる方向から飛んでくる。
流石に無詠唱で対処できる量ではないので、俺は「風よ、吹き荒れろ!」と短く言葉を紡ぐ。
同時に右手を目の前で払い、風魔術を使って壁を作り出す。
すると黒い羽根は吹き荒れる風に巻き込まれ、俺に届かず吹き飛んでく。
今すぐ2人のところに行きたいが、からす座を放置するのは無理だ。
そして由衣と志郎は澱みと戦っているために行けない。
……というか途中で澱みが増えたよな?どうなってる?
だが、考え込んでいる場合ではない。
黒い羽根を全て撃ち落とせた。
俺は風魔術の壁を消して、からす座との距離を詰める。
そして右手に炎を纏わせて、からす座に向けて振るう。
しかしからす座はその一撃を避けながら、余裕層に後ろに下がって距離を取った。
そして「あ〜あ」と口を開く。
「あの女の子、刺されちゃったんだね。
あれは蠍座だったから……このままだと毒で死ぬかもね?」
……煽られているな、これ。
だが感情的になっても仕方ない。冷静に突破口を探さなければ。
数秒ほど、どちらも距離を詰めず睨み合う。
だが俺は視界の端で、周囲の状況を確認しながら。
蠍座の概念体は倒れた砂山と心配する好井をじっと見ている。
……概念体の狙いはなんだ?
だが、早く助けに行った方が良いのは確かだ。
しかし、由衣と志郎はまだ増えた澱みと戦っている。
……俺がからす座を何とかして行かないと。
そう思ったとき。
校舎の屋上に人影が見えた。
光の加減と小さいせいで、はっきりとは見えない。
だけどその人影は、上に向けて何かを構えているのは見えた。
「あれだ」と感じた次の瞬間、人影が空に向けて何かを飛ばした。
その何かは、天へ登りながら分裂するように増えていく。
俺は杖を生成して、急いで短く言葉を紡ぐ。
「草木よ!澱みに塗れ、堕ちた星と成りしからすの座を縛れ!」
杖先を地面つけると、からす座の周囲の地面から蔓が生えてからす座に絡みついた。
俺は「上から攻撃が来る!自分の身を守れ!」と由衣と志郎に向かって叫びながら、砂山と好井の方に向かって走り出す。
そして今気がついたが、さっきまで居た蠍座概念体がどこにも見当たらない。
だが、その疑問について考えるのは今じゃない。
俺は2人のそばにつくと杖と同時に杖を空に向けて掲げ、言葉を紡ぐ。
「風よ。世界に循環をもたらす風よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、渦巻いて吹き荒れ、我らを脅威から守る壁となり給え!」
杖先を中心に風が渦を巻き始める。
次の瞬間、空から大量の矢が雨の如く戦場に降り注ぐ。
俺の上に降り注ぐ矢の雨は、間一髪間に合った風の渦による壁にかき消されていく。
その矢の雨は数秒ほどで収まった。
俺は風魔術による防壁を解いて、状況を確認する。
由衣と志郎は疲れている様子だが、星鎧は維持されている。
どうやら2人でカバーし合ったようだ。
澱みは見当たらない。
こっちはあの矢の雨で残らず消滅したようだ。
そして、からす座は傷だらけで膝をついていた。
俺の草木魔術によって動きを封じられて矢の雨を防げなかったようだ。
狙い通りだ。
そんなからす座は、よろよろと立ち上がりながらため息をついた。
「山羊座君は今の攻撃がわかってた訳ね……。
まったく……恐ろしい事をしてくれるね……お陰で全身が傷だらけ……。どうしてくれるの」
俺はその言葉に「知るか」と返す。
いつでも攻撃が打てるように杖を構えながら。
しかし。
「でもまぁ。蠍座も消えちゃったし、今日は帰せてもらおうかな」
からす座はそう言い残して、よろよろ飛び去っていった。
本当なら無力化しておきたい。負傷している今は、またとないチャンスかもしれない。
だが、今の状況だと優先順位は人命が先だ。
俺はギアからプレートを抜き取り、元の制服姿の高校生に戻る。
そして、好井に膝枕のような形で抱えられている砂山の隣にしゃがむ。
するとちょうど、砂山の口から呻き声が聞こえた。
その声を聞いた好井が反射的に「鈴保!?」と口を開いた。
「大丈夫!?私のことわかる!?」
「私……どうなるの……」
弱々しい声でそう呟いた砂山。
見た感じ、異常はない。
だが蠍座に刺された。毒が注入されてるかもしれない。
……しかし、残念ながら俺は人を癒すような魔術は使えない。
神遺の毒に効くような解毒薬も持っていない。
もし本当に毒が注入されていたら……と最悪の事態が頭をよぎる。
いやしかし、今は俺にできる事をしなければ。
「刺された場所は」
「多分……左手」
好井の言葉を受け、俺はすぐに左手を確認する。
掌には異常はない。
次に左手の甲を確認する。
そこには、明らかに普通の人にはないものが刻まれていた。
しかし、それを見た俺は一安心した。
「嘘!?」
「それって……」
「……もしかして」
由衣と志郎、そして華山のそんな驚きの声が耳に入ってきた。
そこで俺はようやく、自分の周りに由衣達や数人の教師がいることに気がづいた。
俺は現状を伝えれる範囲で、簡潔に纏めた言葉を口にする。
……由衣と志郎はうすうす気が付いてるみたいだが。
「砂山 鈴保は死にません。大丈夫です」
その一言で、張り詰めた辺りの空気が少しほぐれるのを感じた。
俺が砂山が死なないと確信した理由。
それは砂山の左手の甲に、蠍座の星座紋章が刻まれていたからだ。
☆☆☆
戦闘終了後、俺達はタムセンの指示で保健室に移動した。
そして「砂山が1人で歩けるようになるまではいるように」と言われた。
短縮授業の放課後というのもあってか、保健室には俺達以外の生徒はいない。
そのため俺達4人も、念のため砂山が動けるようになるまで保健室にいることにした。
あと砂山と好井と同じ部活である小坂 颯馬も保健室にやってきた。
だが、小坂はずっと保健室の出入り口辺りで口を開かずにいる。
一方、俺達4人は各自、保健室にある椅子やソファーに座っている。
俺以外の3人は時に雑談をしたりしながら。
しかし俺はその会話に混ざらず、さっきの戦闘について考えたり、 ベッドに寝かされている砂山とすぐ傍の椅子に座っている好井の会話に耳を傾けたりている。
今2人は……。
「でもごめんね……私を庇ったから……」
「だから気にしなくていいって。私が自分の意志でしたんだから。梨奈と一緒」
……その会話、3回目ぐらいじゃないか。
だが砂山の体調はようやく落ち着いて、普通に喋れるまでに回復した。
あれから……大体10分くらいだろうか。
とにかく、一大事にならなくて本当に良かった。
俺が色々考えている間にも、2人の会話は続いている。
「……それで、鈴保はこれからどうするの?」
「……とりあえず、もう1回やり投げやってみようかなって。
だいぶ期間空いちゃったけど」
砂山の言葉に「……戻って来るのか」と小坂が静かなトーンで言葉を投げた。
由衣の話だと砂山の怪我以降、小坂は砂山を嫌ってると言っていた。
……だが、俺には少し違うように思えた。
しかし、砂山は「悪い?」と言い返した。
「でも私が決めることだから。颯馬には関係ないでしょ」
「……そうだな。
……梨奈、俺は先に戻るから」
「……うん。わかった」
そう言い残して小坂は保健室から出ていった。
そんな背中を見ながら、好井はため息をつく。
2人の険悪な関係が改善しないのが嫌なんだろう。
だがそこに固執してても仕方ないと思ったのか、好井は「それで」と次の話題に移った。
「鈴保はこの後どうするの?顧問の先生のところに行くなら私もついて行くよ?」
「……流石に今日はやめとこうかな」
俺はその言葉に「その方が良い。今日は念のため安静にするべきだ」と言葉を投げる。
毒が入れられてないから良かったが、砂山は蠍座に刺されている。
万が一のことを考えて今日は無理をしない方が良いのは間違いない。
そして俺が会話に入ったことに驚いたのか、2人が俺の方を見た。
砂山はそのまま俺に「というかさ」と質問を投げてきた。
「これ……何?」
そう言いながら、砂山は左手の甲をこちらに見せる。
そこにはさっきも確認した蠍座の星座紋章が刻まれている。
やはり星座紋章は消えていないか。
つまり、砂山 鈴保は蠍座に選ばれたようだ。
……理由も基準もわからないが。
だが説明しないといけない事は山ほどある。しかし……。
「……話せば長くなる。だがここは避けたい」
「あまり人に聞かれたくない話……ってこと」
その通りだ。
学校では誰が聞いてるかわからないからな。
そこに由衣が「じゃあさ!」と口を開いた。
「まー君の家に移動すればいいんじゃない?広いし!」
「お!いいなそれ!広いもんな!」
「私も同意見」
志郎と華山も由衣に続いた。
確かに俺の家ぐらいしか場所はない。それに今までもたまに集まって来た。
だが……この3人は俺の家を何だと思ってるんだ。
呆れた俺の口からは、ため息が漏れた。
しかし話は既に、俺の部屋に移動する方向で進んでいた。