第104話 最悪
何も見えない。
何もわからない。
そんな俺はまず、自分が生きていることを確認するために自分の肌に触る。
自分の肌は暖かかった。
つまり、死んだわけではない。
それを認識すると、自分がさっきまで堕ち星と戦闘していたことを思い出した。
あれから……どうなった?
こぎつね座の堕ち星は倒した覚えはない。
ここは……どこだ?
その瞬間、目の前に人影が現れた。
あれは……由衣達か?
ここにいるということはひとまず無事なのか?
それを確認するために俺は目を凝らす。
そして近くに寄るため足を踏み出そうとしたとき。
俺はその人影が人型ではあるが、人ではないことに気づいた。
1つは、両肩に人の模様が入った黒い何か。
1つは、両手が鋏で尻尾の生えた黒い何か。
1つは、手足には爪があり鬣が生えた黒い何か。
1つは、手足に蹄があり頭には角、そして全身が毛皮に包まれた黒い何か。
……あれは、双子座、蠍座、獅子座、牡羊座の堕ち星だ。
そしてこの4つの星座はそれぞれ選ばれた者がいる。
つまりこの堕ち星の正体は
由衣達だ。
「違う。違う。違う。違う違う違う違う!!!」
目の前の光景を受け入れられない俺の口からはそんな言葉が漏れる。
そして俺は膝を地面に付き、両手で頭を押さえる。
違う。こんなことが現実のはずない。
だけど、目の前には仲間たちが堕ち星に成っている。
そんな混乱する俺の頭の中に、追い打ちの様に声が響びき始めた。
『お前が、巻き込んだからだ。これは全部、お前のせいだ』
「俺は………俺は………俺は!!!!」
その瞬間、何かが潰れるような音が聞こえた。
同時に頭を押さえている両手に違和感を覚える。
何か、ねっとりしたような感触。
両手を頭から離し、目の前に持ってくる。
その両手は赤く染まっていた。
俺は反射的に先程目を逸らしたものに、また目を向ける。
そこにはもう堕ち星の姿はない。
その代わりに地面は赤く染まっている。
そしてそこには
児島 佑希が
砂山 鈴保が
平原 志郎が
白上 由衣が
変わり果てた姿で倒れていた。
『お前が、殺した。あのときと、同じように。』
「違う。違う…………違う!!!!」
こうなるのが怖かったんだ。
こうなるから嫌だったんだ。
俺はまた友人を手にかけたんだ。
約1年前と同じように。
だから独りで戦うつもりでいたんだ。
大切な人を失わないように。
巻き込んだ結果、また堕ち星に成らないように。
そして、自らの手でその命を奪わずに済むように。
だが結果として、目の前には最悪の事実がある。
俺の身体からは力が抜け、両手すら重力に抗う力を失った。
俺は結局、最悪の想定を回避できなかった。
「まー君!!!!!」
突然。そんな、聞き慣れた叫び声が聞こえた。
ストレスによる幻聴だろう。
だって、由衣は。
しかし次の瞬間。
俺の周りを縦横無尽に半透明の羊達が走り回り始めた。
今までに見たことない大群。
同時に目の前の景色が薄れ始めた。
黒と赤の世界に薄っすらと色が付いていく。
すると、頭の中に欠けていたものがようやく埋まった。
何で気が付かなかったんだ。
現実じゃないと、一度は思ったはずなのに。
これは幻覚だ。
俺はこの状況になる直前にこぎつね座の堕ち星に幻覚をかけられた。
つまりこれは俺の恐怖が映し出されているに過ぎない。
あいつらは生きている。堕ち星に成ってない。
俺は全身に力を入れて、立ち上がる。
すると世界が反転するかのように、駅前の広場に景色が戻った。
俺の身体は星鎧を纏っている。
手にも、あの感覚はない。
やはり、ただの幻覚だったようだ。
俺は深く息を吐く。
すると、足音が聞こえてくると同時に「まー君……大丈夫?」という声が聞こえてきた。
……精神的にキツかったが、そんなことを言ってる場合ではない。
俺は「……大丈夫だ」とだけ言葉を返す。
すると由衣は「良かった……凄く苦しそうだったから……」と呟いた。
一方、俺は急いで状況を確認する。
こぎつね座は志郎と鈴保が戦ってくれている。
一方、佑希は膝をつき、頭を抱えたまま動いていない。
だが、全員星鎧を纏っている。
やはりあれは幻覚だったようだ。
……だったら、することは1つ。
「佑希を頼む。
……終わらせてくる」
そう言い切って俺は踏み切り、一気にこぎつね座との距離を詰める。
志郎と鈴保は迫る俺に気づいたのか、道を譲るかのように退いた。
俺はそのままこぎつね座に突っ込み、地面に押し倒して馬乗りになる。
そして「よくもやってくれたな」と言葉を投げつける。
「何がだよ……!」
「……あれはお前の意思ではないのか」
「だから何の話かわかんねぇって!」
そう叫びながらこぎつね座は抵抗するために、じたばたと暴れ始めた。
俺は動きを封じるために、全力でこぎつね座を抑えつけながら言葉を紡ぐ。
「草木よ。この星に循環をもたらす草木よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、澱みに塗れ堕ちた星と成りしこぎつねの座を縛る枷となり給え」
唱え終わると同時に、地面から蔓が生えてきてこぎつねの全身を縛り地面に抑えつけた。
俺はこぎつね座から離れ、由衣を呼ぼうとする。
しかしビルの間の路地での戦闘で、こぎつね座は力ずくで蔓の拘束から脱出していることを思い出した。
あのときは気を抜いていたのもあるが。
だがこのままでは、人間に戻す前に拘束から抜けられる可能性はある。
そう考えた俺は急いで術を重ねるべく言葉を紡ぐ。
「氷よ。世界に永遠を与える氷よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、澱みに塗れ堕ちた星と成りし、こぎつねの座に永遠の停止をもたらし給え」
すると、こぎつね座の身体は俺が乗っているお腹を中心に凍りつき始めた。
「何で……何で俺ばっかり……」
「……どんな理由があろうとも、人を害することは許されない。
神遺の力を使うなんて尚更な」
「何で……だよ……」
その言葉を最後に、全身が薄氷に包まれたこぎつね座は動かなくなった。
俺はこぎつね座から離れながら、後ろを振り向いて由衣の名前を呼ぶ。
由衣は少し離れているとはいえ、既に後ろに居た。
そして「準備できてるよ」という返事が返ってきた。
振り返ると、由衣の周りには5匹の中型犬ぐらいの透明な羊が居た。
俺は急いでこぎつね座から離れる。
すると羊達は走ってきて、こぎつね座を埋め尽くした。
そして数分後。
5匹の羊達は、煙のように消えた。
そこに残っていたのはこぎつね座と同じ態勢で倒れている、森住 晶と思われる少年だけだった。
そしてそのすぐそばには、こぎつね座と思われるプレートが転がっている。
俺は近付いてそれを拾い上げる。
今回の戦闘では、他の堕ち星も澱みも現れていない。
つまり、これで終わりだ。
俺は「戦闘終了だ」と呟く。
同時にギアからプレートを抜き取って、元の制服姿に戻る。
すると同じく元の姿に戻った4人も集まってきた。
そして、一番最初に由衣が「終わったね」と口を開いた。
俺はその言葉に「……あぁ」とだけ返事をする。
すると、佑希が「悪い」と口を開いた。
「結局分身を消す方法は役に立たなかったし、さらに後半は戦闘にも参加できなくて…………役に立ってないな」
「そんなとこないよ!きっと私だけだったら、
しろ君とすずちゃんが来るまでにまたピンチになってたかもしれないし……」
「そうそう!今回は相手がそれだけ強かったんだよ。な!真聡」
由衣と志郎がそんなフォローの言葉を口にした。
その通りだ。
むしろこうなった原因は。
「……そもそも俺がこぎつね座の能力を見誤ってたのが原因だ。佑希は悪くない。」
「ほらな?だから気にすんなって」
そう言いながら志郎は佑希の肩に手を回し、鈴保も巻き込んで会話を続けている。
俺は超常事件捜査班に連絡を入れるため、スマホを取り出す。
そして少し距離を取るために広場の階段を上がり始める。
しかし、魔術を使いすぎたのか。
はたまた先程の幻覚によるダメージがあるのか。
力が入らない。足元が少しふらふらする。
そのとき、後ろから「まー君、大丈夫?」と声が飛んできた。
振り返ると、由衣がすぐ後ろに居た。
……見られていたのだろうか。
だが、由衣も足元がふらふらしているように見える。
隠そうとはしているが、本調子ではなさそうだ。
なので俺は「お前こそ無理するな」と言葉を返す。
すると由衣は少し恥ずかしそうに「あはは……」と笑いながらも目を逸らした。
だが、それでも目線をこちらに戻して「……でも」と口を開いた。
「みんな頑張ってるし、まー君もゆー君も辛そうだったし。
だから、私が何とかしたくて」
その言葉から推察するに、やはり幻覚の最後に見えた羊の大群は由衣が全力で作り出したようだ。
今までで見た中で、大きめのサイズの羊では1番の量だった。
あれだけ生成した後に、こぎつね座を戻すために巨大な羊を生成したんだ。
星力切れにもなるだろう。
無理はしてほしくない。だがあれで助かったのは確かだ。
俺は「あれは……助かった」と感謝の言葉を口にする。
由衣は少し嬉しそうにしながらも照れてるが、俺はそのまま抱いていた疑問を言葉にする。
「……お前はあのとき何を見た」
「言わないと……ダメ?」
褒められたときよりも恥ずかしそうに、目を逸らしながら返事をしてきた由衣。
……何で恥ずかしそうなんだ。
だがこの反応から考えると、俺と違うものを見ていたことは間違いなさそうだ。
……それならいんだ。
「別に言いたくないなら言わなくて良い。
……丸岡刑事に電話をかけてくる」
俺はそう言い残して、広場の階段をまた上り始める。
こうして、こぎつね座との戦いは幕を下ろした。