第010話 逃げる
「あのさ、今日楽しかったんだ、私。だからまー君もまた……一緒に……」
由衣が俯きながら、呟くように言葉を投げてくる。
彼女はきっと、たくさんの言いたいことを我慢してこの言葉を選んだのだろう。
どれだけ俺が突き放そうとも、彼女は諦めず心配してくれる。
友達だと言ってくれる。
普通なら「いい友達だね。大切にしなよ」となるだろう。
しかし、今の俺には《《いい友達》》である彼女が嫌だった。
これ以上、言葉をかわすと自分の中のなにかが壊れる気がした。
故に、俺はその言葉を最後まで聞きたくなかった。
だから、俺は彼女から逃げることを選んだ。
俺は小声で自分に認識阻害の詠唱魔術をかける。
これで彼女をはじめ、他人から俺の姿が認識できなくなったはずだ。
まず俺はしゃがんで左手を地面につき、言葉を紡ぐ。
「土よ。生命に安寧を与える土よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、人々を澱みから守る土壁となり給え」
すると、左手の下に茶色の魔法陣が現れる。
そして、ここにいる星芒高校1年生と引率教員が土壁で囲われた。
流石にこのサイズを出して維持するのは辛い。
だが、今はそんな事を言っている場合ではない。
次に俺はバスがある方向に跳躍し、土壁の上に着地する。
そしてギアを呼び出してプレートを差し込み、いつもの手順で左腕で目を隠す。
「星鎧生装」
俺の身体は光りに包まれ、星座の力を宿した鎧を身に纏う。
そして杖を呼び出して、言葉を紡ぐ。
「火よ。人類の文明の象徴たる火よ。今、その大いなる力を我に分け与え給え。今、ここに現れ、人々に害をなそうとする澱みを全て焼き尽くす炎となり給え」
杖先にはいつもより少し大きな赤い魔法陣。
対象を指定することで、威力を上げた。
その分、星力の消費も増えるが今は全員を逃がすことが先決だ。
俺は杖先を澱みに向けて、炎を放つ。
瞬く間に澱みは消滅していく。
次に自分を中心に土壁の左右2箇所を杖先で指定して、その場を離れる。
そして指定した箇所の間の土壁を消滅させる。
これでバスまでの道は開けた。
あとは全員がバスに逃げ込み、ここを離れれば一件落着だ。
その間に俺は少しでも澱みを減らさなければ。
俺は杖を消滅させて、澱みの群れの中に降り立つ。
杖がある方が魔術を使うときには色々と楽だが、杖がなくても使えないわけではない。
それに、この量なら打撃で直接戦ったほうが速い。
俺は澱みを殴り、蹴り、魔術を飛ばして消滅させていく。
だが、聞こえてくるのは戸惑う声ばかり。
移動しようとする話は聞こえてこない。
「なぜ誰も動かない?」そう思っていたとき。
「みんな!バスまで逃げよう!」と叫ぶ声が聞こえた。
由衣の声だ。
その声で徐々に動き出す生徒たち。
俺は一安心する。
全員を守り切るなんて無理なので、さっさと逃げてくれた方がこちらも助かる。
澱みに目を向けると、まだかなりの量がいる。
俺は気合いを入れなおし、倒す速度を上げる。
しばらくするとバスのエンジン音が遠のいていくが聞こえた。
どうやらバスはここを去ったらしい。
それとほぼ同時に最後の澱みを消滅させる。
澱みに囲まれたときは焦ったが、なんとかなった。
俺は息を一つ吐き、力を抜く。
しかし、なぜこんなところに澱みが大量に出たのだろうか。バスを降りたときには何もないと思っていたが。
余裕が出来たので眼の前のこと以外を考えていた次の瞬間。
悍ましい気配を感じた。
堕ち星の気配だが、今までのよりも遥かに黒くて強い。
俺が気配の主を見つけるのよりも早く、声が聞こえてきた。
「あの人数を守りながら、あの量の澱みを倒してしまうなんて。流石だね」
「何者だ、お前。何が目的だ」
「質問は1つずつだよ。それに、簡単に僕のことを話してしまったらつまらないだでしょ?山羊座」
……そう簡単に聞き出せるわけはないか。
俺は声がする方に視線を向ける。
聞き出せないなら見てわかることから少しでも情報を得なければ。
全身が黒い異形。堕ち星であることは違いないだろう。
しかし、ここまでしっかりと会話できるやつとは天秤以来だ。
……いや、そこは今考えても時間の無駄だ。
今するべきことはやつが使っている星座を見抜くことだ。
体表は鱗に覆われていて、尻尾のような物も見える。へび系の星座かりゅう座辺りか?
だが、りゅう座ならもっとゴツいはずだ。手足に爪はない。りゅう座の手足だとすると貧弱すぎると思う。
しかし、へび系の星座は3つある。うみへび座の場合は最悪だ。
まだ情報が足りない。
結論は他の能力を見てからにするしかない。
とりあえず毒を警戒しないといけないので、近距離は避けるべきだ。
念のため、耐毒魔術も使っておくべきだろう。
無詠唱で耐毒魔術を発動した後。次の情報を引き出すために、俺は「何が目的だ」と問いかける。
「そうだね……。目的ぐらいは話しておこうか。
簡単に言うとまぁ……君を殺しに来た。君をこのままにしておくと邪魔になるんだよね。だから、今のうちに殺しておこうかな……ってね」
このままにしておくと。今のうちに。
つまりこいつは今までの澱みや堕ち星はこいつが仕組んだのか?
逆にこいつをここで倒せば、これ以上澱みや堕ち星は生まれないということか?
それなら、星雲市《この街》で観測されている魔力の異常もこいつが原因か?
疑問は増える。だけど、まずは目の前の《《こいつ》》を倒すのが先だ。
他のことはことは後で考えればいい。
俺は気合を入れ直し、右手で杖を生成する。
「やれるもんならやってみろ。逆にここでお前を倒す」
「ふ~ん。ま、楽しませてよね」