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8.◇



「あの……今日はありがとうございます。わざわざ家にまで迎えに来てくださるなんて」

「婚約者として当然です」


 にこりと笑うフェリクスに、まだ婚約者ではありませんとは言えないシェリーであった。



 フェリクスからの手紙を持ったランズベリー公爵家の使者がアーモンド子爵邸を訪れたのは、シェリーとフェリクスが平民街で会った翌日だった。てっきりあの場凌ぎの社交辞令かと思っていたシェリーは、邸にやってきた使者の顔をまじまじと見つめてしまった。


 それからはとんとん拍子に今日の予定が決まってしまったのだ。

 

 馬車で家に迎えに来たフェリクスはシェリーを貴族街にある、さる高級料理店に連れて行った。シェリーも一応は貴族の端くれではあったが、このような高級な店には入ったことがない。一応はフェリクスに恥をかかせないような身なりをしていたが、やはり気後れしてしまうのは仕方ないことだった。


 それでも、どこかおどおどしていたシェリーに対しても店員の対応は良かったし、フェリクスもそんなシェリーをまったく気にしていないように始終笑顔だった。料理も美味しかったし、勧められるままに頼んだデザートも、普段エイダと行く店に引けを取らなかった。


 前夜、緊張してあまり眠れなかったシェリーだったが、店では夢のようなひと時を過ごすことが出来た。普段よりもおしゃれをして、普段のシェリーだったら絶対に入らないような店に入り、本来なら親しく話すことさえ出来なかったはずのフェリクスとの会話を楽しんだ。


 ふと、これは夢ではないかという想いに囚われたシェリーは、ああそうだ、これは婚約話が白紙に戻るまでの一時の夢なのだと気づき、一抹の寂しさを感じた。



◇◇◇



 食事を終えたシェリーとフェリクスは現在、平民街を歩いていた。


「ここに私的な用事で来たのははじめてですね。考えてみれば、いつも警邏の職務で来るだけでした」


 フェリクスが立ち並ぶ店々を眺めながら感慨深げにつぶやいている。


 目立つ美貌のフェリクスがこの場にいると、普段よりもさらに視線が突き刺さった。シェリーもここへ来るとよく視線を浴びるが、その比ではない。フェリクスが店の前で立ち止まったときなど、ちらちらと、あるいは食い入るように店の者や店に来ていた客たちがフェリクスを見つめてくるのだ。

 

 だがフェリクスにとってはそんな視線も特には気にならないらしい。先ほどから様々な店に視線を移しては楽しそうに品物を物色している。


 するとふいに漂ってきた香ばしい匂いにフェリクスが反応し、匂いの出所である店を見つけた途端口元に笑みを浮かべた。


「ああ、あの店……。いつも美味そうなものを売っていると思って見ていたのですが、さすがに職務中に買い食いするわけにはいきませんからね。少し寄っても良いですか?」

「ええ、もちろん」


 シェリーの答えに、フェリクスが嬉しそうに目を細めた。その笑顔を見たシェリーの顔にも、自然と笑みが浮かんでくる。


 フェリクスと一緒にいると、とても楽しかった。


 フェリクスは思っていたよりも話しやすく、シェリーは意外にも気負わなくて済んでいる。こうやって平民街を一緒に歩いてもくれるし、しかもそれは無理して付き合ってくれているのではなく、心から楽しんでいるのがちゃんと伝わってくるのだ。


(ふふ。さっき食事をしたばかりだと言うのに……)


 シェリーは美味しそうに肉の串焼きに噛り付いているフェリクスの横顔を見つめた。美しい顔に似合わず、大きく口を開いてがぶりと肉に噛り付く様子は、見ていてとても微笑ましい。


(……そう。とても楽しいのだけれど……。でもこのまま交流を続けてしまえば、きっと捨てられた時に私は傷つくのではないかしら?)


 そうでなくても、今のシェリーはこのままフェリクスとの婚約話が無くなることを、惜しいなどと思い始めてしまっている。


 下手をすれば歯牙にもかけられていないのではないかと思っていただけに、フェリクスの好意的で気安い態度に、シェリーは驚くと同時に胸を躍らせてもいた。


 フェリクスに会う以前のシェリーは、婚約して捨てられたならばそれも仕方ない、むしろ次の婚約者に期待しようと思っていたくらいだというのに。


 けれどフェリクスに会った今では、その気持ちも揺らいでしまっていた。


(相談……してみる?)


 相談してどうにかなるものではないのかもしれない。何せ、相談したいことは占いの結果なのだから。しかもその占いの結果は、フェリクスに対しあまりにも失礼な内容だ。けれど……と、シェリーはフェリクスの横顔を見上げた。


 するとシェリーの視線に気付いたフェリクスが、シェリーを振り返った。


「何ですか?」


 シェリーを見るフェリクスの菫色の瞳は、いつでも優しい。だがその瞳を見ていると、不安に思うことを全て話してしまいたいと思う一方、困らせたくないとも思ってしまうのだ。


「あ、あの……。いえ……何でもありません……」


 あなたは将来私を捨てるのですか?

 

 そんな失礼なことを、フェリクスに聞けるわけがない。人によっては自分を信じていないのかと、怒り出してしまう恐れもあった。


(フェリクス様は、多分怒らないわ。……でも傷つけてしまうかもしれない)


 だがすぐに、いや、それだけではないとシェリーは思い直した。自分はきっとそれを言ってフェリクスに嫌われるのが怖いのだと。あの優しい瞳のまま、やはりシェリーとの婚約を止めると言われることが怖いのだと。


 フェリクスはこの婚約話を進めたいと言ってくれた。けれど実際には婚約話が凍結している今、いつフェリクス自身の気が変わるとも知れないのだ。あるいは、本当にフェリクスは進めたいと思ってくれていたとしても、家の方針如何によっては答えも変わって来るだろう。


(どうしましょう……。もうだいぶ手遅れな気がするわ……)


 己の気持ちがフェリクスに傾きつつあることを悟り、シェリーの胸がちくりと痛んだ。


 しばらく黙ったまま二人で歩いていたが、ふと立ち止まったフェリクスがシェリーに向き直り、シェリーの瞳を見つめながら尋ねて来た。


「シェリー嬢……何か俺に話したいことがあるのではないですか?」


 フェリクスの瞳は真剣だ。何事かを言いかけてやめてしまったシェリーを、案じてくれているのだろう。


「力になれるかはわかりませんが……話してくれませんか?」


 こちらを安心させるかのような優しい声音と心配そうな視線を受けて、シェリーは占い師に言われたことを話そうと決めた。


 フェリクスからどのような答えが返って来ようとも、それを受け入れる覚悟で。


「あの……実は……」



◇◇◇



 シェリーの話を聞いたフェリクスは、そのまま黙り込んでしまった。

 

 眉を顰め、鋭い視線は空中で止まっている。何かを考えていることが丸わかりの態度だったが、シェリーにはフェリクスが何を考えているのかが全くわからなかった。


「なるほど……そちらもですか」

「え……? そちらもと言うと……」


 フェリクスがハッとしたように顔を上げ、シェリーを見つめた。


「いえ……何でもありません」


 そうやって目を細めて微笑まれれば、シェリーはあっという間に先ほどのフェリクスの発言など気にならなくなってしまった。


「ところでシェリー嬢。今後身の周辺に注意を払ってください」

「え?」

「そして何かあればすぐに俺に連絡を」

「え、あ、はい」

「あと、その占い師の言うことを信じる必要はありません」


 シェリーはフェリクスが断言したことに驚き、目を見開いた。


「どうしてですか?」


 彼の占い師は当たると有名な占い師だ。なぜフェリクスはそんなにはっきりと信じる必要はないなどと言えるのか。シェリーの心情がわかったのだろう、フェリクスはシェリーを安心させるかのように優しく微笑んだ。


「俺に貴女を捨てる気はまったくないからです」


 シェリーはぽかんとした表情でフェリクスを見つめてしまった。


「まあ、まだ婚約の話し合いを再開できてもいない内から何を、と思われるでしょうが。もう少しだけ待っていて貰えませんか」


 待っていて欲しいと、そう真剣な表情で言うフェリクスに、シェリーはたちまち自分の頬が熱くなるのを感じていた。


「は……はい」


 シェリーが承諾したのを確認したフェリクスは、満足気に微笑んでいた。


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