14.◇
誤字報告ありがとうございます。
「シェリー嬢。それでも……貴女は俺との縁を結んでくださるでしょうか?」
フェリクスのその言葉を聞いたシェリーの胸に、喜びが広がった。
どんどんとフェリクスに惹かれていく自分には気付いていた。だが、フェリクスの言葉を聞いた瞬間、己はすでに特別な相手としてフェリクスを見ていることを思い知らされた。
大した交流があったわけではない。共だって出かけたのはまだ一度だけだ。婚約者らしいことなど、それくらいしかしていない。
だが、それはこれからすればいいのだと、シェリーは顔を綻ばせた。
占いの結果は嘘だった。シェリーは将来、フェリクスに捨てられたりしない。奇しくも結ばれた縁を、これから大切に育んでいくことが出来るのだ。
「はい……! よろしくお願いします」
シェリーはフェリクスを見つめ、心のままに微笑んだ。すると驚くことに、フェリクスが泣き出す寸前のような表情でシェリーの手を取り、その指先に口付けを落としたのだ。
シェリーは一瞬のうちに己の顔に血が集まって来るのを感じた。顔全体が熱くて仕方ない。今シェリーの顔は真っ赤になっているに違いなかった。
それをどうか見ないで欲しいと願っていると、顔を上げたフェリクスが驚いたように目を大きくし、そして鮮やかに微笑んだ。
「シェリー嬢。これから貴女を家にお送りします。ところで……子爵は今日、家においでで?」
「お父様ですか? ええと……はい。今日はいるはずです」
シェリーがそう答えると、フェリクスは「良かった」と言って目を細めた。
◇◇◇
シェリーの両親はフェリクスと共に帰って来た娘を見て驚き、そしてフェリクスからこれまでの仔細と
経緯を聞くとさらに驚いていた。
「そうか、エイダ君が……」
「お父様……」
シェリーも衝撃を受けたが、両親も少なくない衝撃を受けているようだった。占い師の言葉にそのような裏があっただけではなく、娘の友人までもが深く関わっていたとくれば、それも当然である。
そして一息つき、皆が一旦落ち着いたところで、フェリクスがシェリーの両親に向き合い頭を下げた。
「フェ、フェリクス殿!」
慌てたのはアーモンド家の面々である。
公爵家の人間であるフェリクスに頭を下げられるなど、ごく常識的な神経を持つアーモンド家の人間にとっては大事だ。
「この度はこちらの勝手な都合で婚約の話し合いを一時凍結などという真似をしまして、申し訳ありませんでした」
「いや、そんな……」
シェリーと父は顔を見合わせた。
確かに今回のことはランズベリー側の勝手な都合ではあったが、一連の話とその理由を聞いた以上、フェリクスを責める気にはならないし、そもそもがシェリーと父には責める気もなかったのだ。
母にだけは占いのことを言っていなかったが、概ねランズベリーに対する意見は二人と同じであった。アーモンド家の人間はそもそもが皆お人好しなのである。あるいは撤回ではなく凍結だったことが、母の怒りに触れるのを防いだとも言えた。
「ですが婚約を阻んでいた問題はすべて解決しました。父はほどなく公爵の座を退く予定です。今後は兄が当主となりますが、今回の件があるので、ランズベリーが昔年の名声を取り戻すのはすぐには難しいかも知れません。ですが兄は祖父同様素晴らしい人間です。アーモンド家に迷惑をかけることはないと、お約束します。……後日婚約の書類を持って、再び兄とともにこちらを訪ねたいと思っています。その時にはぜひ、書類に調印をお願いしたい」
フェリクスの言葉を聞いた父が真剣な表情で黙り込み、そしてシェリーに視線を合わせて来た。
「シェリーはそれで良いのかい?」
父に問われたシェリーは先ほどのフェリクスとのやりとりを思い出し、再び顔を朱に染めた。その顔を見た父がふっと、気の抜けた笑顔を見せた。
「どうやらすでに本人の了承は得ているようですね。それなら、私から言うことは何もありません」
そしてフェリクスの顔を見つめ、「これからは娘ともども、アーモンド家をよろしくお願いします」と頭を下げた父の姿を見て、シェリーは胸を熱くした。同じように目頭も熱くなってくる。
「お任せください」
父からの期待を請け負ったフェリクスが、シェリーを振り返り目を細めている。
ああ、この人のこの優しい瞳が好きなのだと、シェリーはフェリクスの瞳を見ながら得も言われぬ幸福を感じていた。
◇◇◇
「いやー、良かった良かった。おめでとう、フェリクス。シェリー嬢」
「……あ、ありがとうございます」
後日ランズベリー公爵邸に招かれたシェリーは、フェリクスの友人のアレックスに祝われ、頬を染めながらも笑顔を返した。
アレックスは平民街でフェリクスと一緒にいた騎士で、エイダを連行した銀髪の騎士でもある。今日はフェリクスとシェリーに対する祝いと、それからエイダの近況を知らせに来てくれたらしい。
三人はランズベリー邸で提供された食事を新たな公爵夫妻と共に楽しんだ後、現在庭先を歩きながら会話をしていた。
アレックスの話だと、エイダはあれから自らの行いを認めはしたが、それの何が悪いのかと牢の中で喚き散らしているらしい。
「エイダ……」
あのエイダが牢に入っていると聞いた時には、騙されていたことも忘れてシェリーは胸が痛くなってしまった。牢などエイダには似合わないと。だが自らの過ちを認識出来ていないというのなら、いくらシェリーの心が痛んでも擁護することは出来ない。
しかしそれでも――と、シェリーはエイダを想い瞼を伏せた。
急に立ち止まったシェリーに、フェリクスとアレックスの二人も足を止める。わずかな間沈黙がその場を支配したが、その沈黙を破ったのはアレックスだった。
「君が気に病む必要はないよ、シェリー嬢。罪を犯したならちゃんとそれを償わなきゃ」
「そうなんですが……」
アレックスはそう言うが、エイダがあの占い師を使ったのは、今回だけだという。
自らが婚約破棄された折り、フェリクスの義母である叔母――アビゲイルからフェリクスとシェリーとの婚約の話を聞かされたエイダは、シェリーの立場に自分が成り替わろうとしたらしい。子爵家の娘のシェリーよりも、伯爵家の娘である自分の方がフェリクスには相応しいと。エイダはフェリクスのことが好きだったのだから、そう思うのはきっと自然な流れだったのだろう。
だから、祖父の子飼いのあの占い師を使ったのだ。
まずアビゲイルに占い師を紹介し、シェリーとの縁を結ぶと不幸が訪れると脅した。そしてシェリーにも白紙撤回の申し込みがあったときに素直にそれを受け入れるよう、占い師を使って将来婚約者に捨てられると脅した。
エイダの唯一の誤算は、ランズベリー家とアーモンド家が、正式な書類を交わしていなかったことだと、本人は語っているらしい。アビゲイルはその時にはまだフェリクスの婚約に大して興味を示していなかったため、エイダに伝える情報が曖昧だったらしい。エイダはすでにフェリクスとシェリーの婚約は調ったものだとばかり思っていたそうだ。
だがエイダは誤算と思っていたようだが、もし実際にすでに婚約が調っていたとすれば、婚約話で留まっていた時よりさらに、婚約を白紙に戻すことは難しかっただろう。結局のところ二人の婚約話が曖昧な状態だったからこそ、エイダと占い師の付け入る隙があったと言える。
だがそんなシェリーの心情を正確に読み取ったらしいフェリクスから、シェリーを窘めるような言葉が返って来た。
「一度限りでも犯罪は犯罪です。それに彼女は義母と違い祖父と父親の悪事を知っていた。知っていて、犯罪で稼いだ金を自らの欲のために使っていたんですよ」
フェリクスもアレックス同様、エイダに対し一握りの同情も示すつもりはないらしい。そしてそれは当然のことなのだと、ここにきてシェリーもようやくエイダに対し踏ん切りがついた。
「……そうですね。あの占い師のせいで人生を狂わされた人達だって、大勢いるのでしょうから」
シェリーだって、将来婚約者に捨てられると言われた時には軽く絶望したものだ。もし相手がフェリクスでなければ、せっかく繋がれた縁が他人の勝手な思惑で切れていたかもしれないのだ。
「そういうこと。シェリー嬢は何も気にせず、フェリクスと幸せになっていいんだよ」
微笑むアレックスの言葉に、フェリクスも微笑み、頷いている。二人のその笑顔を見たシェリーは、胸の奥からじわじわと湧き上がって来た喜びに、声を詰まらせた。
(ああ……、幸せになれるのね、私)
思えばあの占い師に将来婚約者に捨てられると言われてから、シェリーは己の未来に対し夢を見られなくなっていた。
捨てられた後のことを考え、非は相手にあるのだからなんとか婿に来てくれる人がいれば、などと思っていたのだ。今思えば後ろ向きすぎる考えである。
だが今は違う。今のシェリーはフェリクスとの明るい未来を、何の疑いもなく思い描くことが出来るのだ。
(フェリクス様と、幸せに……)
シェリーが感極まってフェリクスを見上げれば、フェリクスからは優しい笑顔が返って来た。
「シェリー嬢。それなら早速、また二人であの串焼きを食べに行きましょう」
今度はシェリー嬢も一緒にと、フェリクスが楽しそうに瞳を輝かせている。その隣でアレックスが「串焼きかよ」と何だか呆れたように呟いているが、シェリーにしてみれば高級料理でも串焼きでも、フェリクスと共に取る食事ならどちらでもまったく構わなかった。
「はい!」
二人で並んで串焼きを食べる。
そんな些細で、けれど最高の幸せは、すぐそこの未来にあるのだ。
あの時の串焼きの味を思い出しているのか子どものように顔を綻ばせているフェリクスに、シェリーは心からの笑い声を上げた。
終わり
最後までお付き合いくださりありがとうございました。




