12.◇
文章付け足したら長くなりました……。
「あんたは将来その男に捨てられる。今すぐ、その男との接触を断ちなされ」
「え?」
エイダが訪ねて来た翌日にはもう、シェリーは件の占い師の前で座っていた。そして二度目の忠告だ。
「その男はお前とその家族、そして周囲の者に不幸をもたらす。お前の周囲で起こった不幸な出来事は、みなその男と縁を結ぼうとしたことが原因だ」
何とも抽象的すぎる話だった。
普通に考えれば一連の出来事とフェリクスとは何の関係もないはずだ。
しかも縁を結ぼうとしただけで不幸が起こるというのなら、何故それを最初占った時にシェリーに言わなかったのか。
ここへ来てシェリーはこの占い師の言うことに不審を抱き始めた。
「大変よ、シェリー! やっぱり婚約は止めたほうがいいわ!」
「エイダ……」
そしてシェリーの隣に座り一緒に占い師の話を聞いていたエイダまで、占い師を援護するようなことを言っている。
これは思っていたよりもエイダはこの占い師に傾倒しているようだと、シェリーはエイダの言に不安を覚えた。
(思い込みが激しいとは思っていたけど……ここまで来るとちょっと心配だわ)
「お前さんの家族が不幸になっても良いのかい?」
シェリーがエイダを心配している間にも、占い師がシェリーに脅しともとれる言葉を投げかけて来る。そのあまりの物言いに、シェリーはつい口を滑らせてしまった。
「……でも! フェリクス様は、とてもお優しい方なんです。不幸をもたらすなんて……」
シェリーがそう言うと、隣のエイダから小さく舌打ちのようなものが聞こえて来た。
驚いたシェリーが隣を見れば、こちらを睨みつけているエイダと目が合った。
シェリーはその表情に驚くが、しかしエイダはすぐに表情を元のシェリーを心配しているような真剣なものに戻してしまった。
たった一瞬の出来事だった。
それこそ、その一瞬の間に幻を見たかのように。
(今のは……見間違い?)
一瞬見えたエイダの見たこともないような冷たい表情にシェリーが動揺していると、エイダが低い声を放った。
「そう……やっぱりフェリクス様なのね。あなたの相手」
シェリーがしまったと思った時にはすでに遅かった。
エイダがシェリーの瞳を見つめながら微笑んでいるが、その笑みを見たシェリーの背に何故か怖気が走った。
「……あなたが向こうも婚約に乗り気みたいなこと言うから、もしや叔母様の勘違いで、相手はフェリクス様じゃないのかと思っていたわ。……なんだ。ふふ。相手が乗り気なんて、あなたの勘違いね。あのフェリクス様がシェリーのような地味な子を相手になんてするわけないもの」
「や、やっぱりって……」
エイダは色々なお茶会やパーティに顔を出しているため、ランズベリー公爵家側から出た情報を知っていたとしてもそこまでおかしくはない。だがもし知っていたのだとしたら、なぜそれをシェリーに告げなかったのか。
「……私の婚約話の相手がフェリクス様だって、知ってたの? エイダ」
シェリーの言葉に、エイダが今度は上機嫌に微笑んだ。
「そんなことはどうでもいいのよ。ねえシェリー? 公爵家のフェリクス様と子爵家のあなたではつり合いが取れないと思わない?」
エイダの加勢をするように、占い師が言った。
「その通りだね。その男が悪いわけではない。だが世の中には相性というものがあるのだ。お前とその男は破滅的に相性が悪い。家柄だけではない。人としての相性が悪いのだ。そういう者同士が夫婦となればお互いを、そして周囲を不幸にしてしまう」
「そんな……」
占い師の口からは、先ほどからどんどんと新たな忠告が飛び出してくる。まるでシェリーの婚約を阻止することに、躍起になっているかのようだった。
(やっぱりおかしいわ……。どうしてこんなに二人して必死で……)
確かに、世の中にはどうしても、どうあがいても相性の悪い者同士の組み合わせというものはあるのだろう。けれどそれが自分とフェリクスに当てはまり、なおかつ周囲にも影響を及ぼすとはにわかには信じがたい。
フェリクスと連れ立って歩いた時には、あんなにも楽しかった。たとえそれがシェリーだけが感じていたものなのだとしても、それでも――。
(……なのに、フェリクス様との婚約を、なかったことに?)
実際にはまだ婚約は結ばれていない。けれどシェリーはフェリクス本人から婚約を進めたいと告げられているのだ。
この占い師は怪しい。
そしてすでに友人であるエイダをも、信じることは危険な気がした。
エイダは、シェリーが将来婚約者に捨てられるからではなく、シェリーとフェリクスとの婚約そのものを反対しているのだ。
(どうして……? 確かに私とフェリクス様では釣り合わないけど……。それが理由なの?)
エイダの婚約者の家柄は侯爵家。シェリーの婚約者になるはずのフェリクスの家柄は公爵家。
もしや、それがエイダの矜持を傷付けてしまったとでも言うのだろうか。
(それでも、エイダは侯爵家に嫁ぎ、フェリクス様は子爵家に婿にやってくる。将来の身分はエイダの婚約者の方が高くなるのに……)
この占い師の言葉も、エイダの言葉も、信じない方が良い。
すでにシェリーはそう理解していたが、それでも――。
「……シェリー。良いの? このままではまた不幸な出来事が起きてしまうわ」
エイダのその言葉に、シェリーは逃げ道を塞がれたような気がした。
盗難ならばまだ良い。物が無くなっただけだ。だが馬車の故障に加え、実際に使用人の一人が怪我をしている以上、あり得ないこととは思いつつもその可能性を考えないわけにはいかない。
(……この占い師は信用できない。わかってるわ。でも、万が一、家族や使用人たちにこれ以上の何かが起きたら……)
「シェリー! フェリクス様のためでもあるのよ!」
(フェリクス様の、ため?)
「あなたたちだけじゃないの! このままではフェリクス様に、そしてランズベリー公爵家にまで不幸が及びかねないわ!」
(ああ、駄目。そんなのは駄目……)
シェリーの脳裏に、優しく目を細めるフェリクスの笑顔が思い浮かんだ。フェリクスが自分のせいで不幸になるなど、容認できるわけがない。
すでに二人の言うことなど信じられないと思っているのに、次々と投げかけられる言葉の数々に、次第にシェリーの思考力が奪われていく。
もう何が何だかわからない。
もう少しだけ考える時間が欲しいとシェリーが思っていると、畳みかけるようにエイダがシェリーの名を呼んだ。
「シェリー!」
エイダのじっと己を見つめる強い瞳にシェリーが思わず頷きそうになった瞬間――。
「シェリー嬢。そんな虚言癖を持つ人間の言うことに耳を貸す必要はない」
ここにいるはずのない、フェリクスの声が聞こえた。
「「フェリクス様⁉」」
フェリクスを呼ぶシェリーとエイダの声が重なった。
フェリクスはエイダの目の前を通り過ぎ、シェリーの前まで来ると恭しくその手をとった。
シェリーは己の手を取り椅子から立ち上がらせたフェリクスの顔をじっと見つめた。
「フェリクス様? なぜここに……それに虚言癖とは一体……」
「それはだな。そこの占い師とその娘の言うことは嘘ばっかりってことだ」
フェリクスではない声が聞こえて来たと思ったら、占い師はあっという間に騎士たちに囲まれてしまった。両腕を騎士に拘束された占い師に、銀髪の騎士が近づいていく。フェリクスと共に、平民街でシェリーに声をかけてきた騎士だった。
占い師はその銀髪の騎士に向かって叫び、無実を訴えた。
「な、何を! 私が何をしたって言うのさね! 虚言癖だって? 営業妨害も甚だしいよ! 騎士っていうのは真っ当に働く庶民をいたぶるのが趣味なのかい⁉」
「真っ当に働いていたら、俺たちだって来ないっての。フェリクス。そこの令嬢はどうする?」
そこの令嬢、というくだりで、銀髪の騎士がエイダを見つめ目を眇めた。
「一応、公爵家の関係者だからな。丁重に扱ってくれ」
「フェリクス様⁉」
エイダが眼を見開きフェリクスの名を呼んだが、フェリクスはエイダに一瞥をくれただけだった。エイダがなおもフェリクスの名を叫んでいるが、当のフェリクスは一切無視だった。銀髪の騎士が他の騎士に指示を出してエイダの手に縄を掛けさせている。
驚いたのはシェリーだ。
銀髪の騎士はエイダに対しても虚言癖と言っていたが、シェリーには何のことかわからない。確かにエイダはこの占い師に傾倒しているようだし、シェリーの婚約を良く思っていない。だがいうなればそれだけである。
シェリーにとっては、ただ友人が目の前で騎士に拘束されるという異常事態だった。
「待って……! フェリクス様⁉ どうしてエイダを⁉」
シェリーがフェリクスに詰め寄ると、フェリクスがシェリーに向き直り微笑んだ。
「シェリー嬢。そこの占い師は偽物です」
「偽物⁉」
「そう。そいつは犯罪者。騎士隊が目を付けていた者だ。そいつは占いと称して陰でその占いを真実にするためにとある貴族と結託して犯罪を犯していた。手下の者を目的の人物の家へと送り込み盗難騒ぎを起こしたり、馬車に細工をして故障させ、事故を起こさせたりね」
「盗難……馬車の故障……⁉」」
物凄くどこかで聞いたことのある話である。
「そして貴女の友人であるエイダ・ウィールライトは、そのとある貴族の娘。彼女自身、その占い師と結託して君に嘘を吐いていた。裏はすでに取ってあります」
フェリクスの言葉に、シェリーは開いた口が塞がらなかった。茫然とフェリクスの菫色の瞳を見つめてしまう。
「じゃあ……私とフェリクス様が結婚したらみんなが不幸になるというのは……」
「まったくの嘘で何の根拠もない作り話です。微塵も気にする必要はありません」
「どうして……どうしてエイダはそんな嘘を」
エイダがシェリーとフェリクスの婚約に反対していることは、さきほどわかった。
それでも、どうしてそこまでするのか信じられないとシェリーが落とした呟きに、エイダ本人が答えた。
「だって……おかしいじゃない! どうして伯爵家の私を通り越して、子爵家のシェリーがフェリクス様の婚約者になるのよ!」
「君はついこないだまでレジール侯爵家の嫡男と婚約していただろう?」
エイダを見るフェリクスの瞳は、シェリーに向けるものとはまったく異なっている。シェリーにとってフェリクスの視線はいつも優しく、心が温かくなるものだった。けれど今のフェリクスの瞳はとても冷たい。まるで氷のような温度でエイダを見つめていた。
「今はしてないわ!」
「そうだな。破棄されたんだっけか? まだ結婚してもいないのにレジール侯爵家の資産を随分と使い込んだそうじゃないか。レジール侯爵家はこれから家を立て直すのに大変だろう」
「ひどいわ、使い込んだなんて言い方! ちょっと高いプレゼントを強請っただけじゃない!」
「王都郊内に邸一軒買える値段のプレゼントは、ちょっとじゃないと思うが。それでよく、爵位なしの男の元へ嫁ぐ気でいたものだ」
郊内に邸一軒と聞いたシェリーは目を剥いた。
確かにエイダは少々派手でお金に無頓着なところがあると思っていたが、まさか他人のお金にまでそうだとは思ってもみなかったのだ。シェリーの脳裏にここ最近エイダが着けていた、高そうな指輪の影がちらついた。
そしてエイダが婚約を白紙に戻されていたことも、シェリーはまったく知らなかった。
「ねえっ……シェリーより私の方が美人でしょ⁉ 絶対に、私の方がシェリーよりもあなたに相応しいわ! 私、フェリクス様だったらお金がなくても構わないのよ! 贅沢出来ないのだって我慢するわ!」
エイダの普段は美しい青い眼が血走っている。艶のある黒髪も、今は乱れていた。そんなエイダを、シェリーは信じられない思いで見つめていた。こんな必死な姿のエイダを、シェリーはこれまで一度も見たことがなかったのだ。
(ああ、エイダは……フェリクス様のことが好きだったのね……)
だから、シェリーのことが許せなかったのだ。
だから、こうまでしてシェリーとフェリクスの婚約を阻止しようとしたのだ。
「……自分の置かれた状況をまったく理解していないようだな。まあいい。アレックス連れて行ってくれ。俺はシェリー嬢を家まで送っていく」
「了解」
アレックスと呼ばれた銀髪の騎士がエイダを連れて行こうとしたが、途中エイダがフェリクスに対して懇願するように叫んだ。
「待って……フェリクス様! フェリクス様だって私が叔母様のところへ行く度に、切ない瞳で私を見つめていたじゃない! もう私に婚約者はいないわ! ねえ、お願い。助けて! 」
シェリーがえっ、と驚いてフェリクスを見れば、フェリクスが盛大に眉を顰め、大きな溜息を吐いた。
「……だから虚言癖だと言うんだ。俺がいつ君を切ない瞳で見ていたって? 義母同様煩い女性だと思って見ていただけだ」
「な、なんですって……!」
零れ落ちそうなくらいに大きく目を見開き、フェリクスを凝視するエイダ。唇は震え、顔は朱に染まっていた。




