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bw.04(小狡い手段)


   ※


 初めての話が書き上がったのは、衣替えが済んで、梅雨の到来を待つ頃だった。

 一通り書き上げたあと、また最初に戻り、話の整合性は取れているか、誤字や脱字はないかと読み直し、都合二回、書き直した。自分で分かっている物語を幾度も読み直すのは、しんどいことだった。自分が書いたであればなおさらだった。

 原稿用紙三十枚弱。長いのか短いのかよく分からない。それでも、紙の束をまとめると、ある種の満足感と達成感を感じた。しかし、一方で書き上がったこの物語が、面白いものなのかどうかと何度も自問した。

 自分としては、それなりによく書けているのではないかと思ってはいた。

 駄作、と云うには思い入れがありすぎたのかもしれない。だからといって、良作と呼ぶには程遠いことは理解しているつもりだ。

 ただ、これが読むに値するのかどうかは、分らなかった。

 先輩に喜んで貰えるかどうかは、結局のところ本人に尋ねてみるしかないのだ。

 その頃、先輩の読書ペースは落ちることはなく、確かに春先、部室を訪れた時より早くなっていた。

 書き上がって直ぐに先輩に見せることは出来なかった。ぱらり、ぱらりと、ページを繰る音を聞きながら、少なくとも三日、僕は書き上がったことを先輩に伝えようと努力はした。だが、気持ちはなかなか決心がつかなかった。

 僕は結局、小狡い手段に打って出た。

 金曜日の別れ際に、先輩に原稿用紙の束を渡したのだ。

「書き上がったんだ」

 先輩は万年筆色の文字が並んだ原稿用紙を優しく受け取ってくれた。

 僕は逃げるようにしてその場を立ち去った。

 週末の時間はのろのろと過ぎたようであり、思えば一瞬だったような、そして折りにつけては紙束を手にした時の先輩の声音が頭の中で響いていた。

 月曜日が待ち遠しくも、怖かった。


   ※


 部室の扉を開けると、既に先輩は来ていた。

 いつもの窓際。その前に原稿用紙の束。

「どうしたの?」

 入らないの?

 僕は後ろ手で扉を閉めて、やはりいつしか自分の定位置になったパイプ椅子に座った。

「いいニュースと悪いニュース、どっちから訊きたい?」

「どちらもなしってのは」

「ダメ」

 先輩は笑った。「じゃぁいいニュースから。本当に初めてなの? 普通に面白かったわ」

 僕は、その時どれほど自分が緊張していたかを知った。

 褒められた。

 先輩に褒められた。

 ふわりと気持ちが明るくなった。

「じゃ、悪いニュース」

 きた。

「どこかで読んだことのある物語ね」

 やっぱり、と思った。

「でも、気にすることはないわ。模倣こそ最良で最短の訓練よ」

 指が原稿用紙を捲る。「なにものにも似ていないこと証明することは不可能だわ。似ていることを証明するのは容易なのに」

 悪魔の証明ね、と先輩は続けた。「たぶん、本当の意味での創造性って既に過去のものなのかもしれない。既にあるものを分解して繋ぎ合わせたり組み立て直したりして、そうして自分にとって気持ちの良い組み合わせを探すのが現代的なアプローチなのかもしれない」

 先輩の目が僕の目を真っすぐ捉えた。「アンディ・ウォーホルのアトリエって、彼の言葉によれば工場ファクトリーだそうよ。芸術は工業化され、商業化され、大衆化され、そのものの価値は、つまり、どれだけお金になったかで計られるようになった」

「それはちょっと違うんじゃないですか」

 そうかもね。「あくまでも、ひとつの考え方でしかないから。なんであれ、いちばん大切なことは共感だから。そうでなければ、誰の支持も得られないし、もちろん芸術である必要はないのだから」

 先輩は立ち上がって、僕に原稿用紙を返してきた。「あと、ちょっと表現が冗長なところがあるかな。勢いがそがれちゃう。複雑にしないで、もっと単純にしてもいいかも」

 とろこで、と座る僕の目線に合わせるように身体を曲げた。「この主人公の製本ミスの下り、モデルはわたしよね?」

 僕は頷いた。やっぱり、と先輩。「わたし、あんな風に見られてたんだなぁって思った」

「それは違います」僕は慌てた。「フィクションです、ただのお話です」

 確かに少しは先輩の影響を受けた部分はあるかもしれないけれども。いや、多分に受けたかも知れないけれども。「全くの架空の人物であって、実在の人物との関係は──」

 僕の弁解に、ぷっと先輩は吹き出した。分ってるわよ、と。

「わたしね、時々思うんだ。もう、わたしたちがニンゲンであることの最後は、言葉なんじゃないかって。言葉こそ、ニンゲンがニンゲンであることの、境界なんじゃないかなって」

 先輩は自分の席に戻った。「でも言葉を書くことって、孤独と背中合わせね。正しいか正しくないかなんて分らないまま。それでも書き続けるのは、それしか出来ない人だけ。まだまだ書き足りないんじゃない?」

 僕は頷いた。出来はどうあれ、一つの話を書いた今では、それまで無かったもの、新しい価値が、欲求が、自分の中にあるのを知った。

 僕は書き足りなかった。

 もっと書きたかった。

 もっと書きたい言葉があった。

 もっと書いてみたい物語があった。

「時間と孤独に堪えられれば、紙とペンだけあればいいのね」

 次の作品も楽しみにしてるわ、と先輩はいつものように読書へと戻った。

 その晩、自室のベッドの上で、僕は返ってきた原稿用紙を読み返した。その枡目には、僕の思いがそのまま投影されたかのような筆跡の文字が詰まっている。紛れもなく僕が書いたものなのだが、先輩から返された今、それは全部が全部、僕のものだと思えなかった。

 先輩は云った。物語を書くことは孤独との背中合わせだと。

 はたして、僕は孤独だっただろうか。

 確かに先輩に見せるまで、この紙に書かれたものが面白かどうか、読むに値するものであるか分からなかった。けれども、それは孤独とは違っていたと思う。正しいかどうかも、たぶん意味がないことだ。共感を得ることが目的ならば、自分一人で考えたって、とどのつまりナンセンスなのだから。

 誰かが居て、初めて共感は成立する。

 だとすると、やはり僕は孤独だったのか? 共感なり反感なり、何かしらの回答を貰うまではたった一人で原稿用紙に向き合っていたのか? 

 不意に、僕は気が付いた。

 僕は、先輩にどう思ってもらえるかとずっと頭の片隅で考えていたのだ。

 僕は、孤独ではなかった。

 この物語を書いている間、僕はずっと先輩と一緒だったのだ。

 けれども、それの意味するところを深く考えるのは、どこか気恥ずかしいことのように思えた。

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