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無彩色のアンドロギュノス  作者: 柴石 貴初


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47/53

24.2

 私たちはついに洞窟の終点にたどり着き、傾斜の強い、一面真っ白な山肌に出た。肺の中に外の新鮮な空気が流れ込むとともに、中天に上がった日の光が洞窟の暗さに慣れた目を焼いた。どうやらこちら側では吹雪が去って、晴れ模様になっているようだった。思わず驚きと明るさで目が眩んで、立ち止まってしまう。


 「危ない!!」


 トマスが私を押し倒して、背後の脅威から私を逃す。魔術師から放たれた火炎は間一髪私を避けて、白く輝く山肌の澄んだ空気をちりちりと燃やした。


 「ごほっ……ありがとう、助かったわ」


 「いいよ、まだお前に助けられた回数の方が多い――――それより……!」


 トマスは煙に焼かれてがらがらになった声でそういうと、素早く立ち上がって私を起き上がらせた。するとさっきまで私が転んでいた場所に今度は火の玉が飛び込んできた。地面に火球が衝突して、しゅわあという音とともに雪が湯気を上げて溶ける。


 「ちっ、今度は当てるつもりだったんだけどな――――って、眩しっ……おいおい、もう雲の上に出たのか……?意外と標高高いんだな、ここ」


 洞窟から出た魔術師もまた、外の明るさに面食らって立往生をしている。今のうちだ。


 「……トマス、あの岩がある、出っ張ってるところよ、走って」


 自分の喉から出る声もまたトマスと同じように、長い間煙に焼かれたせいでしわがれていた。他にも煙で目と鼻、そして頭がやられて、いつもより体の感覚と判断力が鈍っているのがわかる。新鮮な空気を吸えて多少ましになったとはいえ、トマスと私はもうぼろぼろだった。でも、私たちにはまだ勝ちの目がある。旅立ちの直前にサロアと交わした会話を思い出す。彼女は詳しくは語らなかったが、この洞窟の先に、とある仕掛けを施したようだった。

 出来るだけ道を急ぎ、もし万が一魔術師に追われたときは、その場所に誘い込め、それが、彼女が最後に私に伝えたことだった。

 遠くに見える、一面真っ白な山肌の中に出っ張って小高い山のようになっている段差を、その言葉を思い出しながら見つめる。私自身も彼女の作戦には一度、煮え湯を飲まされた記憶がある。その時の彼女の作戦ははっきり言ってしまえば、仕様もないもので、私は彼女の神秘的な容姿からそのような矮小な発想が出てくることに、少しの軽蔑とよくわからない安心感を得た。

 私は小声でトマスに作戦を伝えるとその出っ張り目掛けて一気に走り出した。後ろ手にトマスも走り出したのがわかる。


 「今度は的当てか?良いぜ付き合ってや……うおおっ」


 魔術師の悲鳴と地面が擦れる音に異変を感じて後ろを振り返る。洞窟の入り口にあったはずの地面と、魔術師が忽然と姿を消していた。魔術師が立っていた辺り――洞窟の手前の地面は、私たちが通過したときは雪と氷で覆われていて気付かなかったが、どうやら深淵へと続く深い割れ目のクレバスだったようだ。つまり落とし穴である。サロアらしいと言えばサロアらしいが……私はトマスに押し倒された時の事を思い出した。背筋に悪寒が走る。もしあの時氷が溶け切っていたら、クレバスに落ちていたのは……

 でも――――


 「おおっと、あぶねえ。全く、殺すつもりかよ。これがお前らの狙いだったんだな、ふんっ、いい度胸してやがる」


 クレバスに落ちたはずの魔術師は、どういうことかその淵に手を掛けて這い上がってきた。そして――――


 「ほらよ、お返しだ!!」


 崖淵から飛び上がるように、宙を舞った魔術師は、そのまま空中を落下しながら火の玉を作って、それを私たちに投げつけてきた。


 「おいおい、そんなんありかよ……!」


 常識外れな挙動をする魔術師に、思わず苦言を呈したトマスを横目に、息つく間もなく到来する火の玉を必死に避ける。幸い、私たちの横をかすめて、地面の雪を溶かしただけだったが、私たちに恐怖を与えるには十分だった。


 「早くっ!あそこまで行くのよ!!」


 次々に飛来する火球に冷や汗をかきながら、急こう配で足場の悪い山肌を走る。サロアの作戦に若干の不安を覚えてはいたが、もう私たちにはそれ以外に縋れるものはなかった。


 「ああ、面倒くせえ!!なんで当たんねえんだよ!!」


 背後で魔術師が癇癪を起したように言った。しかし私たちにそれを見て喜ぶ余裕などは微塵もなかった。構わずに私たちは急こう配の山肌を駆ける。あともう少しだ。火の玉を投げ続ける魔術師を見下ろしながら、それが当たらないことを祈って、真っ白な山肌を上る。


 「もういい、ちょっと待ってろ!!」


 と、唐突に雨のように降り注いでいた火球が止まった。


 「諦めたのか……?」


 トマスは期待と疑念が半々ずつこもった声音で後ろを振り向いた。しかし――――


 「――――嫌な予感がする……」


 私の言葉を聞いたトマスはその答えで確信に変わったようだった。トマスがさも嫌そうに顔の形を歪めた。


 「走れ!!」


 トマスの言葉に私たちははじかれたように走り出した。さっきまでも迫りくる炎に肝を冷やされていたが、これは比べ物にならない。それぐらいに私たちは今の魔術師から得体の知れない死の脅威を感じていた。

 出っ張りに辿り着く。爆発音。魔術師の方を見ると、先ほどとは比べ物にならない程大きな火球を作り出して、まさに今、放つ寸前だった。私たちは神とサロアに祈った。


 「これで死ねえ!!」


 しかし、無情にも魔術師から放たれた大火球は緩やかな放物線を描いて、真っすぐこちらを目指している。これは避けられない――――


 ――――――……


 死を覚悟したその時、背後で轟音が響いた。ごごごと地面が鳴り響く音に、大火球がなにかに衝突して爆ぜる音、目の前を通り過ぎる灰色の濁流。大量の雪が溶けて、蒸気と熱風とそして雪が顔を叩きつける。

 雪崩だ。大きな雪崩が起きて、魔術師が解き放った大火球を受け止めたのだ。

 私たちは爆発の中、出っ張りから落とされないように二人で抱き合って、地面に這いつくばる。


 ――――これが彼女の、サロアの魔法の力……


 やがて、爆発が止んだ。サロアの魔法が奴の魔術を上回って、封じ込めたのだ。風が凪ぐ。私はその時になってようやく、自らの命が助かったのを実感した。これで終わったはず――――


 「馬鹿、止めろ。さすがに奴も為すがままだ。このまま伏せてるんだ」


 だけど私は隣で流れ去る雪崩を見ながら、気付けば背中に担いだ弓を取り出して、矢を番え、構えていた。


 「だめよ、たとえこの雪崩に流されたとしても奴は生き残る。今しかないの」


 私の体は感覚で理解していた。奴がまだ生きている事、そして今が奴の息の根を止める千載一遇の機会であることを。


 「それじゃあ……!」


 トマスの抑制の声が聞こえる。当然私にも彼が言わんとすることはわかっていた。でも止められない。抑えられない。

 崖際で魔術師の身がクレバスに投げ出されたのが見えた。

 今……!引き絞った弓を放つ。しかし――――


 魔術師が雪崩の中で目を見開き、その顔がマスク越しでもわかるほど邪悪に歪んだのが見えた。魔術師が空中で放った火球は寸分たがわず、私を目掛けて突き進む。避けられない。お互いの一撃が到達したのはほぼ同時だった。


 私の矢は魔術師に到達してその胸を貫いた。


 魔術師の火球は私ではなく、私の目の前を遮ったトマスに当たった。


 トマスは反動で雪崩の中に投げ出される。


 「トマスーー!!」


 私は必死に叫んだ。しかし彼は完全に雪崩の中に消えて、もう一度その姿を見せることはなかった。

 雪崩が終わっても叫び続けた私は、自らの状況に気付けなかった。視界が唐突に黒に染まる。山肌を染める白の世界が明滅した。


 ――――そうか、私も…………


 膝から崩れ落ち、雪の上に倒れこんでようやく全てを理解する。どうやら洞窟の中で煙を吸いすぎたようだ。

 さっきまであんなに機嫌の良かった空模様は、見る見るうちに表情を変えて、気付けば洞窟に入る前と同じような、不機嫌そうな灰色の空模様を浮かべていた。。風に乗って降り注ぐ雪が、私の頬に触れて溶けた。点滅を繰り返す灰色の世界の中で、私は終局を知らせる帳が降りようとしているのだと気付いた。


 ――――自然とともにあるのは狩人の誉であり運命でもある


 もちろん私はあの程度で死ぬほどやわじゃない。だから、私を殺すのはあいつじゃない。師の言葉と共に、頬に当たる雪はもう消えずに降り積もっていく。これも狩人として命を奪って来た者の宿命なのだ。だから私の終わり方としては悪くない。だけど――――


 「エレナ…………」


 目を閉じ瞼の裏に最も愛すべき我が子を思い浮かべる。

 そう、唯一悔いがあるとすれば、最も愛する我が子、その行く末を見守れなかったこと。もう一度目を開け、空に願う。彼女の幸福とその未来を――――


 明滅する視界は徐々に間隔を狭めて黒に染めていく。視界が完全に黒に染まる前、私は自らを覗き込む二つの黒い点を見た気がした。


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