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無彩色のアンドロギュノス  作者: 柴石 貴初


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24.1

24.



 猛烈な吹雪の中、時折現れる赤い旗を目印に進む。サロアが作ってくれたこの道しるべが無かったら、私たちはもうとっくに道に迷い、野垂れ死んでいたことだろう。

 彼女が一体いつの間にこんなものを用意していたのかは不明だが、私たちは彼女を信じ、この道を選んだのだ。今更その道を疑うわけにはいかない。

 その詳細を知らされていない後ろに連なる村人たちは、恐らくこの道が自らを助ける唯一の道と信じている。でもそれは間違いだ。この地獄から逃れるたった二つの鍵の使用者は、イオリアとトマスとそして私の独断によって決められた。この状況に不信感を抱いている者は少なくないだろう。しかし、もうすでに聖水という二つの鍵を手放した私たちには彼らになんと責められようと、他に差し出せる選択肢は無かった。

 

 「おーい!!ちゃんと着いてきているか!!」


 私のすぐ後ろを歩くトマスが、後ろを振り向きながら、大きく声を張り上げる。

 私たちは夜通し夜の森を歩き続け、この雪山に至った。明け方、山に入る前に野営を敷いて、申し訳程度の仮眠と休息を取ったものの、その疲れは当然抜け切れておらず、さらにはこの猛吹雪となれば、生きてここまで来れている事だけでも奇跡に近いことだった。

 横から猛然と殴りつける吹雪がトマスの声をかき消す。かろうじて、一番前の列にいたテオルが手を振り返したのが見えた。


 「カレン!!風を凌げる場所で一旦休憩しよう!!」


 「もう少し先にサロアが教えてくれた洞窟があるはずだわ!!そこまでの辛抱よ!!」


 私はひっきりなしに顔を叩きつけてくる雪と風に耐えながら、なんとかそう返答することが出来た。

 きっと彼女はこの猛烈な吹雪を予想していたのだろう。事前に渡された地図には休憩ポイントが複数記載されていて、それが私たちの生命線になっていた。

 強行軍の代償として酷使され、疲れ果てた両足を、背後から迫りくる恐怖を追い風として、這いつくばるように進む。

 イオリアの書斎にてこの道を指し示したサロアは、この道程には人員の選定が必要であると言った。それは誰もが覚悟をしつつも、口に出すのをためらっていた事実だった。サロアは村人たちの健康状態と年齢を照らし合わせて、機械的にそれらの人員を定めていった。私たちは彼女の選定に誰一人、口を挟まなかった。一応、理屈としては、彼女がこの道を開拓した張本人であるし、それに必要な装備についても彼女が用意したものであるため、限りがあるそれらの資源を無駄にしないように、彼女が選定するのが最も適切であるのは間違いなかったが、無表情で村人たちを選定する彼女の横顔を思い出すと、どうしても罪の意識を抱かずにはいられなかった。そして誰も何も言わぬまでその作業は続いて、最後に彼女は自らの手で取り上げた赤ん坊を、リストから除外した。赤ん坊がこの厳しい雪中行軍に耐えられるわけが無いのは、彼女でなくても真っ先に理解できることだった。


 「この旗の次よ!!」


 私は過去の記憶を振り払うように、大声を上げた。彼らはまだ死んだと決まった訳じゃない。自らの意志で留まった者も居る。彼らの為に、そして私たちに道を指し示し、さらには辛い選択まで課してしまったサロアの為に、私たちはこの道を抜け、生き延びなければならない。しかし――――


 「――――……」


 トマスがなにか呟いた気がした。


 「どうしたの!!」

 

 トマスが私の肩を叩き、後方を指差す。


 「そんな……」


 後ろを振り向くと、一番手前のテオルを残して、後ろを付いてきていた村人が忽然と姿を消していた――――そんな……さっきまでちゃんと着いてきていたのに……


 「後悔してる時間はねえ!!とにかく洞窟まで非難するぞ!!」


 「……わかったわ!!」


 私たちは焦る気持ちを抑えつつ、慎重に足を進めて、なんとか地図に示された洞窟までたどり着いた。


 「みんな、無事?」


 洞窟に身を寄せると、トマスとそれに続いてテオルが岩陰に入ってくるのが見えた。


 「ああ、だが……」


 「はい……すいません。俺も自分の事で手いっぱいで……」


 しかし、テオルに続いて入ってくる人影は誰一人居なかった。


 「仕方ないわよ……ここは元々人が入ってこられる場所じゃないわ」


 覚悟はしていた。しかし希望もあったことは事実だった。激しく叩きつける吹雪に抗って、心の中で灯っていたその火が徐々に消えゆくのを感じた。しかし皮肉にもそれに反比例するように、厳しい吹雪を逃れた身体は徐々に温まっていった。それはサロアが作ってくれたこの不思議な防寒着のおかげだった。鹿の毛皮やその他の良くわからない素材を原料として作られたそれは、何らかの仕組みで内側から熱を発していて、これが無ければたとえ、吹雪く雪から身を隠せたとしても生きていられなかっただろう。しかし、その彼女の技術と努力もほとんどは、絶え間なく降り積もる雪の中に埋もれて行ってしまっているのかもしれない。

 私が呟いたその言葉は誰に対して呟いたものだったのだろうか。誰に対してでも、それが一時の気休め以外に意味は無く、それによって外に降り積もる雪のように自らを埋め尽くす罪悪感を一層高める要因になっていたとしても、それ以外に私が言える言葉はなかった。

 絶望的な状況の中、私は気を逸らすために、洞窟の中を見回した。

 洞窟は休憩にはまさにうってつけの場所で、自然に出来たにしては出来すぎていたが、もしかしたらサロアが事前に用意した物なのかもしれない。

 しかし、全員分を収容できるように用意されたかもしれない余裕のある奥行きは、今はただ寒々しさを演出する空虚な洞と化していた。


 「――――大丈夫よ……まだここ以外にも休憩所はある。そこにたどり着けたなら、助かるかもしれない」


 苦し紛れに絞り出したその台詞も、空虚な岩に包まれた洞に、溶けるように消えていく。しばしの沈黙の後、薄暗い洞窟の中で二人がこくりと頷いた気配を感じた。もちろん、一時的に助かったとして、それから生き延びられる確率は万に一つと無いだろう。そんな誰もがわかりきった気休めの言葉に、二人と、そして自分自身も、今はそれに縋るしかなかった。

 誰も何も言わない沈黙の時が流れて、外で吹雪く雪と風の音がやけに大きく響いた。私は村に残らざる負えなかった人々の顔を思い出した。年老いた牧場主、新たな命を授かり、それを守るため残った夫婦、そして村人に対する全ての責任と自らの業のために残った幼馴染、それ以外にもそれぞれの理由や、止むを得ない事情で残った人たち……山の中で遠目に村が火で焼かれるのを見た。彼らの為に私たちは生きるしかない。たとえどんなに絶望的な状況だったとしても――――


 「そろそろ、行くわよ。時間が無いわ」


 「おう」


 「ちょっと待ってください」


 洞窟の入り口で顔を埋めながら、背中を丸めて座っていたテオルが、何かに気付いたように顔を上げてある一点を見つめた。テオルは何か気になることがあるようだった。一人、洞窟の入り口に立って、外に顔を出すと、耳を澄ませるように目を閉じて、首を傾げた。


 「誰かの声が聞こえた気がします!もしかしたら後ろの奴が追いついたのかもしれない!」


 ぱっと表情を輝かして振り向いたテオルは私たちにそういうと、洞窟を踊るように飛び出していった。

 彼の言うことが本当ならまさに奇跡だ。


 「なんだって!?――――やったぞカレン……!俺はてっきり……ってカレン?」


 ――――しかし、嫌な予感がする。


 「駄目よ!テオル!戻って来て!!」


 「うわあああああああああっ!!」


 戻ってきたテオルは全身火だるまになっていた。


 「テオル!!」


 トマスの悲痛な叫びががらんどうの岩場にこだました。


 「トマス!こっちよ!走って!!」


 私は狼狽するトマスに声を掛けて、洞窟の奥へ走った。


 「カレン……!でも……」


 「いいからっ!こっちであってるわ!」


 後ろの燃え盛る火が徐々に小さくなっていく……ごめんなさいテオル……


 「確かに空気の流れがある……!奥に出口があるのか!」


 「ええ、そうよ。サロアの地図ではこの洞窟を抜けた先が目的地になってるはず……」


 私はテオルを見捨てて逃げる罪悪感を、無理やり頭の片隅に追いやって、必死に足を進めた。しかし――――


 「ほお……!考えたなァ!でもどうやってこんな洞窟を見つけたんだァ!?」


 洞窟に反射して奴の声がやけに大きく聞こえる。そして――――


 「あつっ」


 声と同時に後ろから炎が迫って、それは間一髪私の鼻先をかすめて直撃した岩を焦がした。まるでおとぎ話のドラゴンだ。間違いない。


 「おー、逃げろ、逃げろ!でも、面白かったぜ!!雪山の中で一人一人、殺していくのは!!」


 またしても背後から下卑た笑い声と共に、炎が迫って岩を焦がす。反射した炎と煙がさっきまで寒さに震えていた喉を焼いた。


 「ごほごほっ……」


 「おい、カレン大丈夫か」


 「……やっぱりあいつの仕業だったのね……!!」


 「おい、止めろ……今は逃げるんだ」


 炎に燻されながらも、私の頭もまた怒りで煮えくり返っていた。先ほど抱いていた空虚な絶望感がどろどろと粘りつく、灼熱のような憎しみに変換される。忘れない、あいつがしたことを……今あいつがしていることを……

 しかし、トマスの言う通り、今は足を進めるしかない。この場で戦っても奴に勝つことはほぼ不可能だった。再び炎が迫って、洞窟の凍てついた空気と岩を焼いた。


 「……あいつ、加減してるわ。私たちをじっくり時間を掛けて殺すために……でもその油断と驕りが、奴の致命傷になる……!」


 「カレン……」


 トマスの呟きは背後から迫りくる業火によってかき消された。燃え盛る炎がうねりながら洞窟の空気を食らって、ごうごうと音を立てながら、私たちを急かす。私の予想通り、またしても炎は私たちを避けて、洞窟の凍てついた岩々を熱して黒く焦がした。間違いない。わざと加減をして、狩りを長く楽しむつもりだ。しかし、炎に追われた私たちはその油断を咎めることはおろか、息をつく暇もなく、洞窟のごつごつして不安定な地面を転がるように逃げ惑わざるを得なかった。

 

 (息が苦しい……空気が……!)


 だがそれでも、私たちを苦境に追い詰める要素は尽きなかった。どうやらこの洞窟は緩やかな傾斜がついていて、奥へ進むほど標高が高くなっているようだ。そのせいで炎から上がった煙が私たちを追って、ただでさえ空気の薄い雪山から更に空気を奪って私たちの喉を締め付けた。あともう少し洞窟の天井が低ければ、私たちは煙に捕らわれて、もうとっくに地面に這いつくばっていただろう。

 空気が足りずに明滅する視界の中、定期的に灯される明かりを頼りに足を進める。皮肉なことに背中を焼く炎が視界の悪い洞窟内を照らして、私たちを奥へと導く光となっていた。もしかしたら奴は、それも考慮に入れて、私たちの苦しみが長く続くように、あえてこのような追い方をしているのかもしれない。私はそのことに気が付いて、腹の中が更に怒りで沸き立つのを感じた。


 ――――どれだけ走っただろう。煙と走り続けた疲労で、時間も距離の感覚も曖昧だった。隣を走るトマスを見ると、彼もまた限界だった。しかし、なおも迫りくる炎は私たちに休息はおろか、お互いを思いあう言葉さえも失わせていた。

 まさに地獄――――もし地獄と呼ばれる場所で罪人に罰が与えられるとしたら、きっとこんな感じかもしれない。いつまでも続く真っ黒な洞窟の壁に、機械的に村人を選り分けていくサロアの横顔が映った。確かに私は罪人だ。


 (でも……先に罰を受けるべきなのは私達じゃない……!)


 背後に迫った炎が洞窟の壁を照らして、サロアの幻をかき消した。そう、それは奴であるはずだ。私は奴に相応の罰を与えられる機会が来ることだけを願って、熱と煙が支配する洞窟を駆けた。

 空気を求め、喘ぐ二人の息遣いと、洞窟にこだまする魔術師の下卑た笑い声。その音たちが洞窟の壁に反射して、ぐわんぐわんと頭の中を揺さぶる。幻影と幻聴が折り重なって、正常な精神さえも失いかけたその時、魔術師が放つ炎の明かりに混じって、前方に白い光が射すのが見えた。私はその光にサロアの面影を見た――――


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