23.1
23.
立ち並ぶ木々をかきわけて、道なき道を急ぐ。雪と泥とその下に隠れた木の根が行く手を阻んで、思うように前へ進めない。俺は言い知れない焦燥感を胸の内に必死に抑え込んで、あの炎で赤らんだ空の方角を目指す。
俺の勘が言っている、これはただの火事ではないと。村人たちの根底にあった、あの、恐怖と怨嗟が具現化して形になっているような、そんな気がした。
息を切らせて、実際の距離の何十倍もの道のりを走ったような気分になりながら、ようやく村の入り口が見えた。恐らく方角的には北側の門に当たる場所のはずだ。俺はその、変わり果てた村の入り口を見て言葉を失った。
地面には無数に入り乱れた、何者かの足跡、そしてあの分厚い木材で出来ていたはずの塀と門だったと思しき、黒く焼き焦げた木の残骸。村人たちがまだ見ぬ侵入者たちへの対抗手段として建設したそれらの建築物は、まるでその努力をあざ笑うかのように、いともあっさり無力化され、恐らく役割を十二分に果たせぬまま、ただの焦げた炭の残骸となっていた。
村は明らかに、何者かによる襲撃を受けていた。それは村の人々が語る終末と同一のものであるのかもしれない。
俺は門に近づく前に、木陰に身を隠して、慎重に思考を巡らせた。
あまりにも早すぎる。恐らく敵対者の侵入経路はこの北門であることは――敵兵力が分散されていない限り――間違いなく、その足跡を見る限り、それほど大人数ではないはずだ。あの地震が奴らの襲来に関与しているのなら、時間と戦力数的に考えて、この戦力は先遣隊であってもおかしくない。しかし、その少ない戦力で門は消し炭にされ、村は火の海となった。威力偵察にしては、あまりにも強大な戦力だった。
門の周辺には人の気配を感じない。焼けた痕跡からして、彼らがここを通り過ぎたのはもっと前、俺があの崖淵で村の炎上を見たあたりであるように思う。あの崖淵から村までの距離は正確にはわからないが、それほど離れてはいないだろう。道なき道を進んで、実際の道のりより手間がかかったとはいえ、これほどまでに少人数且つ迅速な進入、圧倒的な破壊、燃え上がる炎と焦げた残骸――考えたくはなかったが、これらの被害と特徴を鑑みるに、恐らく敵は、話に聞く魔術師である事に違いなかった――――
先を急ぐ。通り過ぎる家々は全て焼け焦げ、灰になっているか、炎がくすぶり、家の形を成していない残骸を焼いているかどちらかだったが、村の奥に進む度にその割合は減って、まだ家の形を成して炎上している建屋が増えていった。奴らの痕跡を辿っていることは間違いない。
しかし、不思議なことに人の気配が無い。村の入り口に入る時に、門の残骸に混じって人の形をしたような炭を見た気がするが、俺はあえてそれを見なかったことにした。嫌な予感が高まる。俺は祈った。これが全て夢の中の出来事でありますようにと。しかし喉を焼く煙はやけに生々しく、頬に当たる炎の余波は、ひどく暖かみを感じるものだった。
走りながら、見覚えのある建屋に気付く。俺はすぐに目をそらしたが、一旦それを目にしてしまったのなら、無視するわけにはいかなかった。
俺はその、雪の中で倒れこむ人影にゆっくりと近づいていく。それは死体だった。うつ伏せに倒れるその死体は、後ろから剣かなにかの刃物で切り付けられ、更には胸のあたりに貫かれた刺し傷があった。俺は恐る恐る、その死体を表に向けて顔を確認する。その顔は予想通り、あの幸せの中にあった、家族の一人、カロルのものだった。
俺は不思議と悲しみや憎しみの情が湧かなかった。それほどにこれらの光景は現実味のないものだった。
「っ――――!」
思わず小さく息を呑んだ口元を手で隠して、急いで燃え尽きた家屋の残骸の陰に身を隠した――――足音だ。話し声も聞こえる。
「にっしても、小せえ村だなぁ、なんでこんなちんけな村に直々にあの魔術師様どもが派遣されてんだ?」
「そんな事俺に聞いてもわかるわけないだろ、それより生き残りがいないかちゃんと探せ。物陰から刺されても知らんぞ」
「んなもんいるわけねえだろ、見りゃわかるべ、村はほとんどもぬけの空じゃねえか。俺たちの襲撃はばれてたんだ。まともな人間は残っちゃいねえ」
「お前、ちゃんと話聞いてなかっただろ?ここに逃げ場なんて無いんだよ。四方は険しい山に囲まれてるし、唯一、脱出できるのはメルクリオ様が開けてくださった“道”だけだ。だがそんなとこ通ろうとしたらそれこそ袋の鼠だ」
「……お前さあ、メルクリオ様好きだよな、何処が良いんだ?やっぱり顔か?」
「うるさい、今そんな話はしてないだろ!」
「けっ、つまんねえな、俺はどこがいいのかわかんないね、あんな気味悪い連中。特に今回は皆殺しだって?――――はあ、そんな事する必要ねえだろ。いつもみたいに女かっさらって楽しい思いさせてくれよ。きっとサルファー様だけだったら、もっと楽しい遠征だったろうに」
「はあ――――まあ、確かに皆殺しは意味がわからんな、逃げ道が無いっつっても、森の中にでも隠れられたら骨だ。サルファー様は確信があって雪山に入っていったみたいだけど、そんなん俺達はやってらんないな。こっちが逆に凍え死んじま――――っ、誰だ!!」
足音が近づいて、かちゃかちゃと鉄製の武器が鳴る音が聞こえる。俺は息を殺した。
「隠れても無駄だ出てこい!!」
残骸を蹴り上げる音。そして振り下ろされる武器の音。ぐちゃりと肉と骨が砕ける音。
「なんだコイツ」
「……羊だな。なんでこんなところに……?」
「さっきの牧場から逃げ出したんじゃねえ?ほら、よぼよぼの爺さんがいたところ。――全く、哀れだね。きっとこの羊も爺さんも置いてかれたんだろうよ」
俺は思わず声が出そうになった。
「こんな事してても埒が明かねえ。今日んところは適当に流して、明日の本隊を待とうぜ」
「ああ、そうだな」
足音が去っていく。俺は完全に奴らの気配が消えるのを待って、残骸から陰から身を起こした。手元が黒いすすで覆われている。俺は暗澹たる気持ちでそれを見つめた。
しかし、空虚な心持ちの中、ふと、目の端に何か止まるものがあった。
必死で瓦礫をかき分ける。ここがカロルの家ならもしかして――――
瓦礫の下にあったのは、一人の死体だった。背中は焼け焦げ、鋭い瓦礫の破片が体を貫いている。
その死体は何かを守るようにして、背中を丸めていた。火災の死体は自ずとそうなるようらしいが、それとも違う。それを裏返してその腹に抱えた赤ん坊を彼女から奪い取って抱く。奇跡的に息があるようだった。
母親の顔を見る。最後まで使命を全うした一人の母親の慈愛が現れていた。
腕の中で冷たくなっていく赤ん坊の手を俺は握りしめた。どうか……どうか死なないで欲しい――――
しかし、その願いは虚しく、俺の腕の中で赤ん坊は静かに息を引き取った。
しばらく、この世の無常さと、微かに胸の内に生まれた、何かどろどろした、今まで味わったことのない、ひどく苦い感情を抱えつつ、俺はその場に立ち尽くしていたが、今の状況を思い出して、そのまま胸に抱いた赤ん坊を瓦礫の中から救い出すと、雪の上で横たわる父親の横に並べ、続けて母親の死体も同じように運んで、彼らをあるべき形へと戻した。
(ごめんなさい、いつか必ず、あなたたちを弔います。だから今はどうか)
俺は彼らを置いて足を進める。赤ん坊を死なせたのは俺だ。彼らは必死にその使命を全うし、命を繋いだのだ。




