21.3
「うん、だってロビンの“生き延びる”は私の“生き延びる”の前にあるから」
通り過ぎる雲が月光を遮って、彼女の顔を隠す。再び現れた彼女の瞳には、人非ざる神秘が潜んで、決して、ただ人では近づけぬ隔たりがある気がした。
「――――えっと、それは、エレナが生き延びるには俺が必要だって事でいい?」
俺はエレナの言っていることがよくわからなかったけど、彼女の言葉を自分に都合のいい解釈をして、その質問に一縷の望みを託した。もしそうであるならば、それはどんなに素晴らしいことだろう。
「うーん、そうだとも言えるけど、そうじゃないような……うん、ちょっと違うかも」
半ば予想していた気がするけど、やっぱり違ったみたいだった。彼女の人生にとって俺は必要ではない、その言葉が俺の胸を貫いて、傷口がたまらなく痛かった。
「そっか、そうだったらいいのになって思ってたんだけどね……」
「ううん、私にとってはロビンが必要だなって思うよ。だって今の私にはロビンがいなかったらなれなかったから」
エレナは事も無げにそういった。俺にはその言葉は矛盾しているように感じる。
「――――俺には君の言っていることがわからないよ。俺は君みたいになんでも知ってるわけじゃないから……」
「どうして?私よりロビンの方がもっといろんなことを知っているのに……」
噛み合わない。俺は彼女の言葉も、意味も、彼女自身の事も、何もかもがわからなかった。彼女はもしかしたら嘘をついているのだろうか。いや、彼女は真実しか言わない。きっと本当の事しか知らないんだ。
「…………」
俺は彼女に言葉を返すことができなかった。不思議そうに、そして少し不安そうに俺を見つめる彼女とは何処までも交わらない。彼女の双眸を見つめ返す。彼女に俺はどう見えているのだろう。その瞳の中の俺は彼女をどう見ているのだろう。
俺は彼女を知らない。
彼女を知りたいと、そう思い始めたのはいつのころからだろうか。俺は彼女が怖かった、彼女を哀れんだ、彼女に同情した、彼女に手を伸ばした、彼女と共にあろうと思った。それは何故だろう。自分らしくないと、今更ながら思った。
「エレナ、君だけじゃない。俺は俺の……自分の事すら知らないんだ」
「私は知ってるよ、ロビンの事。ロビンはいつも私を助けてくれて、いつも人の為に頑張ってる。私だけじゃなくて、サロアもソフィアさんも、他にもいっぱい助かった人がいるよ」
「……それは違う――――それは本当の俺じゃない。本当の俺は他人を利用することしか、自分が生きる事しか考えていない……そんな――」
人未満の獣だ。
「うーん、私はロビンの言ってることの方がよくわからないよ。私は本当の事を言っているんだよ。ロビンも本当の話をしているかもしれないけど、それは本当じゃないよ」
「…………」
彼女は相変わらず、その神秘を孕んだ眼で、不思議そうに俺を見る。
俺も相変わらず、エレナの言っていることの意味が解らなかった。胸中にもどかしさと虚無感が入り混じって、灰色の水面をつくる。その海の中で、俺は泳ぎ疲れて、その深く暗い水底へと落ちていった。沈んでいく身体は水の重みで手を伸ばすのもままならない。指一本動かせない深海の中で、俺は溺れていく。どうやら、這い上がる力はもう何処にもないようだった――――
――――――…………
誰かの声。でも、どういうことだろう、沈んでいく中、一筋、微かな光のようなものが差しているのが見えた気がした。俺はまじまじと月光に照らされて、白く幻想的に光る彼女の顔を見る。
自分の中でどこかの歯車が回りだした気がした。もう一度声が聞こえる。
――――人は皆生れ落ち、母親からの繋がりを断たれたとき、一人になります
俺は一人だ。自分の中の本当は本当じゃない。
――――だからこそ繋がりを求める
「でも、それは寂しいよ……」
「…………?」
何故、俺はここでこんなことをしている?何故、彼女の中に自分がいないことに寂しさを覚える?偽物である方が生き延びるには都合がいいのに、それはどうしてだろう。
――だから、愛しましょう
「俺は君を知りたい。俺を君に知ってもらいたい――――」
「――――――………」
――ああ、そうか、これも簡単な事だったんだ。自分が何者かなんて気にならなくなる、自分の中の絶対の真実。自分の中の嘘じゃない場所。
「エレナ、俺は君が好きだ。君のことが好きなんだ」
エレナの月光に照らされた両眼が、大きく見開いて、きらきらと光った。
そうか、なんで気付かなかったんだろう。この気持ちはこれ以上説明できない、分解できない。それはきっと“生き延びる”より前にあって、それがなぜそれより前にあるか説明ができない。でもその説明できない気持ちが繋がって、いろんな形を作っていた。
「――――ロビン……その……私…………」
エレナの大きく潤んだ瞳が、伏せられて、長いまつ毛に青白い光が反射する。きっと彼女の答えは俺の望んだものではないだろう。だけど俺はただ、彼女を知りたかったし、彼女に自分の事を知って欲しかった――――
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