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無彩色のアンドロギュノス  作者: 柴石 貴初


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3/53

3.1

3.


 「ありがとう、本当に助かりました。」


 その言葉に私の心は舞い上がり、手足の先まで幸福感で満たされていくのを感じた。

 これがたぶん私の初恋だった。


 するすると彼が木陰で着替えている音が聞こえる。

 その衣擦れの音に私の胸はより一層高まった。

 彼はたぶん生物学上女性に分類されるはずだったけど、その時の私にはそんな些細な事は気にならなかった。それどころか──確かに胸元にふくらみを認めてはいたが──少し節くれだった手の指先、やや大き目な肩幅、うっすらと浮かぶ腹筋……先ほど間近で見た彼の身体すべてが男性性を訴えかけていて、恐らく女性であるはずなのに更に私の性的興奮は高まった。

 

 「ありがとう、本当に助かりました」


 そして私はもう一度彼の台詞、彼の貌を思い出す。

 端正で中性的でありむしろ男性的な雰囲気を全く感じさせないそれは、私の少ない人生で培った常識や価値観をぶち壊すのには十分で、彼の身体、声、顔、表情は人生観のみならず性的志向まで徹底的に破壊したようだった。

 

 まあ平たく言えば一目ぼれである。

 私は彼に遭遇して、逃げるように駆け出して、息を切らせながら両親のタンスを物色して、彼に服を渡すまで自分が一体何をやっているか理解していなかった。

 彼に服を渡し、礼を言われて初めて私は何のためにこんな行動を起こしたかを理解した。


 「エレナ……大丈夫か」


 相当だらしない顔をしていたのだろう。隣で私と同じく彼の着替えを見ないように同じ大樹を背にして座っていた幼馴染のロビンが少し心配そうな顔で尋ねてきた。

 

 「だ、大丈夫だよ。すこし走ったからちょっと疲れただけ」


 顔に血が上り、頬が熱くなっていくのを感じる。

 ロビンにあの人についての邪な感情を悟られるのがなにか気恥ずかしくて誤魔化す様に顔を俯けた。

 

「そうか、少しぼーっとしてたみたいだから心配になって……」

 

 顔を俯けていたからその表情は見えなかったけど、声色から本当に心配しているのだろうことが窺えた。

 どうやら本当にこの真面目で心優しい少年を心配させてしまったようだった。

 一気に心の中に罪悪感が広がっていった。

 

 ロビンは一つ歳が上の幼馴染だった。

 私たちの村は非常に少人数で同じ年頃の子供は私たち二人だけだった。

 内気でどんくさい私と違って、ロビンはやや真面目過ぎるきらいがあるものの、要領がよく、頭もよくて、年の割にはしっかりしていると村の大人たちに好かれていた。

 そんなしっかり者のロビンに私はくっつきむしのようにいつもついて回っていた。

 両親や村の大人たちには早く兄離れしなさいと再三言われていたし、私自身ももう年齢も二桁を数えるのに一人では何も出来ない自分に若干の焦りを感じてはいた。

 

 顔を上げ、心配そうに私の顔を覗き込むロビンに心配いらないよと即席で笑顔を作る。

 

 「本当に大丈夫だよ。ちょっと座ってたから元気出てきた」

 

 実際のところ元気は有り余っていた。


 「そうか、元気そうなら良かった」


 私の表情から何かを読み取ったのだろう。ロビンはまだ気掛かりがありそうな面持ちでありながら、大分表情を和らげた。

 私はロビンの思慮深くも包容力のある顔からふんわりと浮かび出た微笑みを見て、ああ私はまだ兄離れは出来ないなと感じた。彼の判断は大体において正確だった。


 少しの沈黙があった。

 お互いもっと他に話さなければならない話題があったが、あまりに強烈すぎる出会いとその後の森の静けさがハレーションを起こしていて、その原因となった事柄について話しだす切っ掛けをつかめないでいた。


 一足早くそのふわふわと明滅した空間に整理をつけたのは案の上ロビンの方だった。


 「あのさ、あの人のことどう思う」


 「えっ?あっ、ど、どう思うって……うーん、きれいな人だなあって思うよ……?」


 思いもよらぬ質問に私は動揺してしまった。


 「そうだよな……きれいすぎる……まるで同じ人間とは思えない」

 

 ロビンもロビンで他に何か気掛かりがあるのか私の動揺は気にならなかったようだ。字面だけ見れば私と同じ感想だが、ロビンの語調には張り詰めたような、緊張感のある音が含まれていた。

 

 「まず、こんな辺鄙な村に旅人がいるわけが無い」


 ロビンは私に言い聞かせるというよりは自分の頭の中を整理するために話しているようだった。


 「いたとしたらそいつは旅人なんかじゃなくてどこからか俺たちの村を聞きつけた略奪者の斥候だ。でもあれはきれいすぎた。あんな目立つ斥候はいない。それに全裸だった。状況を考えればあんな嘘すぐにばれるし、色仕掛けにしても少年と少女の二人組に話しかける道理がない」


 ロビンの言葉は途中から独り言になっていた。 私たちの村が何者かに追われていて、皆隠れ潜むように暮らしていたことは二人とも子供ながらにもなんとなくは察していた。

 私はそれを聞きながらああ、もしかしたらこの村を滅ぼすかもしれない敵の手助けをしてしまっていたのかもしれないなあと他人事のように思っていた。


 「だからたぶん違う。そうあれは……俺たちと同じだ。」


 ロビンは何かを思い出す様に目線を上に向けて言葉を続けた。


 「何かのっぴきならない事情があってこんな辺鄙な森まで逃げて来たんだ。嘘をついて子供を騙すような真似をして、何かに縋るように助けを求めたんだ」


 「その事情って?」


 「……君はまだ知らなくていい」


 そんな非常事態なら嘘なんか吐かずに素直に助けを求めればいいのに、私は絶対助けるのに、私はそんな風に思ったけど、ロビンの何やら深刻そうでこれ以上の議論を拒絶するような声色に私はその言葉を飲み込まざるを得なかった。


 「……父さんはあの人を村に入れると思うか」


 「えっ?どうだろ……入れないかも……あっでも他に人が泊まれる場所なんてないよ」


 ロビンの質問は唐突だったけど確かに一番直近に迫った問題だった。

 ロビンのお父さんは村長とは言われてはいないが村の指導者的な立ち位置にいた。彼は基本的には優しくロビンと同じく周りに気を配れる人であったが警戒心がとても強く、村の警備については厳格で特に村の出入りについては敏感だった。


 「一応あるにはある。ほらエレナも知ってるだろ?村のはずれにある狩猟小屋。あそこは今は春だから誰も使ってないはずだ」


 村では毎年秋になると冬を越す食料を得るため何人かの大人たちが一定期間村を離れ、村のはずれにある狩猟小屋に泊まり込んで狩りを行っていた。秋以外では長期的かつ持続的に狩りを行えるようにするため、狩猟小屋は使われていなかった。

 

 「え、ああ、うん。でも私それがどこにあるか知らないよ」


それはロビンも知らないはずだった。ここら一帯の生態系は比較的温厚な生物が多く、人が襲われることは多くはないが危険な野生生物や魔獣がいることは確かで、人里を離れるほど危険である。そのため狩りには熟練の猟師や腕に覚えのある大人たち数人で行う。当然、まだ半人前の私やロビンは同行したことはなかった。


 「俺もだ」


 「じゃあどうやって──」


 「お待たせしました」


 後ろから唐突に話しかけられた私たちはぎょっとして立ち上がった。

 

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