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4.6

 私は扉を完全に押し開け、恐る恐る内部を確認する──

 

 山の陰から日が覗き、建付けの悪い木の板の隙間から日が漏れ、牛小屋を照らす。

 果たしてその結果は、祈りが通じたのか、申し訳程度の柵で区分けされた部屋の中で、いつものように干し草を食み、のんびりと時を過ごす牛たちの姿があった。

 その景色ははあまりにも平凡で牧歌的な光景であり、むしろこの状況ではその光景こそが異常で、浮いた空間に見えた。

 その光景に呆気に取られている私を追い抜き、トマスはずんずんと奥に進んで行く。恐らく昨日の子牛を診に行ったのだろう。それに気づいて私も数歩遅れて後を追う。

 冷静になった途端急に、牛たちの独特の生活臭と息遣いが聞こえ始めた。やはり浮いていたのはこちらの方だったらしい。

 先に進んだトマスの後を追い、病気のため隔離された子牛の部屋に入る。

 

 「これは──驚いたな」


 トマスは屈んで触診をしていたが、彼の声は驚きで震えていた。


 「──どうした、トマス」

 

 私は診察の様子をしばらく見守っていたが、ついに耐え切れなくなって声をかけた。


 「ああ……治ってるんだ──完全に。ちょっと良くなったとかそんなんじゃない。完全に治ってる。それどころか多分この牛小屋の中でこの子が一番調子が良い」


 「なんだと……それは──そういったことは通常の薬でも起こりうることなのか」


 「起こらない」


 トマスは診察をやめ、立ち上がった。


 「俺の知る限り、そんな薬は存在しない。親父の作った薬でもここまで効果があったのはなかった」


 「そうか……」


 「これは間違いなく俺たちの知らない技術だ──恐らく魔術師の……」


 トマスの表情には恐れと同時に何か確信的な、計画したいたずらが上手くいったときのような少し興奮した表情が表れていた。嫌な予感がする。


 「お前何を企んでいる」


 「なあ、イオ、お前ちゃんと息子の話を聞いたのか」


 「──ああ、昨日あの子たちがどんな状況だったのかは想像がつく。とても危険な状況だった」


 言われて気が付いた。確かに私は息子の言葉を話半分で聞いていたのかもしれない。私は息子が連れ帰ってきた事柄の重大さに気を取られ、その行動に違和感を覚えながらも、当の本人がどんな意図をもって、どんな顔をして、それを伝えていたのか、とっさに思い出すことが出来なかった。


 「俺は驚いたよ。娘が話した出来事もそうだけど、俺はあの内気な子があんな風に誰かを説得しようとしているのは見たことなかった」


 「エレナが……?」


 トマスの言葉に私も少々驚きを感じていた。他所の家の子に言うのは失礼かももしれないが、トマスの娘は──彼自身とその妻のカレンの性格をよく知る私から言わせてもらえば──彼らから生まれて来たとは思えない程おとなしく、少し悪い言い方になってしまうが、自分自身の意志が薄弱だった。故に──


 「それは……あまりそんなことは考えたくないが魔術師に何かされた可能性があるんじゃないか」


 「ああ、俺もそう思って、いくつか関係のない話題の質問をして、いつもと違うところが無いか確認をした。──特に違和感を覚えることはなかった」


 「そんなこと言ったって、魔術師に何かされたのだったら、そんなことしたくらいで分かるもんではないだろう」


 「ああ、それはそうだな。だからお前の息子にも話を聞きにいった」


 「いつの間に……」


 「すまん。こっそり裏の窓から──」


 とっさに私は文句を言おうとしたが、思えば昨日の夜は自分の事ながら、とても冷静に話が出来るとは言いづらい状況で、トマスが全てを詳らかに語っていたのなら、事態はさらに拗れていたことだろう。


 「いや、こちらこそすまない。続けてくれ」


 「おう──率直に言って、ロビンもいつもと同じではなかった」


 「何だと!」


 私はその言葉を聞いて急に不安に駆られ、今すぐにでも家に足を向けたくなった。

 しかし、トマスは食い掛るような私の詰問を受けても未だ冷静だった。


 「まあ、落ち着け。いつもと同じではなかったというのは、なんというか、いつものあの子らしくなかったてことだ……まあ、その、あの子はいつも冷静で理路整然としているだろ?」

 

 私は頷いた。話が見えてこない。


 「だがあの時は、普通の子供だった。普通の子供のように上手くまとまらない感情や考えがあって、それであの子自身途方に暮れていたように見えた」


 「…………」


 私は昨日確かに息子と言葉を交わした。しかし私はまともに取り合わなかった、それはなぜか。

 それはあの子の説明があまりにも胡乱だったからだ。

 私の立場からみれば、息子の言う、着るものも無い流浪の旅人だとか、薬がどうとかいう話は聞く価値の無い、ほら話だった。

 私は昨日の夜を思い出す。

 ……息子自身もそれを理解していたように思える。


 「それが、俺にとっては至極まともに見えた。あの子はお前の反応を見て、何かいけないことをしたと思っていて、でも感情として自分とエレナのわがままを通したいと思っているようにみえた。実際にエレナが自分に素直になってこんなことを言うのは珍しいから、叶えてやって欲しいともお願いされた」


 「──それではまるで、野良犬を拾ってきた子供みたいな……」


 「ああ、俺たちも昔同じことをしたよな」


 過去の記憶にあるそれは、薄汚れた灰色の子犬で、額には生えかけの角が生えていた。その犬種は一般には人に懐かないものとされていて、結局飼うことは許されなかったが、その子犬のいたいけな瞳と、それを見つけてきたカレンとアイリスの期待と不安のこもった目は今でも思い出すことが出来た。


 「──だからと言って、それが魔術師が仕組んだことではないとは言い切れないだろう」


 「まあ、そうだな……」


 トマス自身も少し困っているようだった。

 私自身もそれと同様な感情に行き会っていた。理論的な思考は警告音をしきりに鳴らしているのに、空気はひどく緩慢で日常的だった。

 牛の鳴き声と、それが発する生物的な臭いが鼻についた。

 

 「正直に言うと、根拠はない。勘だ。俺から見て二人とも正常に見えた。それだけだ」


 トマスは開き直ったようにそういって、膝元で、口さみしかったのか、ズボンを甘噛みしている子牛を、たしなめるように手のひらで撫でた。


 「それに魔術師はどうやら、この薬をちゃんと親に届けるように言い聞かせたらしい。薬を子牛に飲ませたいだけなら子供にそのまま飲ませるようにいうべきだろ?」


 ここに至ってようやくトマスの行動に合点がいった。いや、根拠は勘だし浅はかな行動であることは間違いないのだが、それにはやはりもう一つ重要なファクターがあった。


 「──エレナはやはり、あの訪問者を信頼しているのか?」


 私の問いに、トマスは浮かない顔でううむと唸るように肯定した。


 「ああ、そりゃ熱心に。まあ、元がああ大人しいから、他人が見たらわからんが、俺とカレンが見る限り相当だ」


 「……そうか」


 私はしかめ面でそういうトマスを少し気の毒に思った。


 「まあ、そうなると、本当に魔術師では無い可能性も出てきたな……」


 「それは──どうなんだろうな」


 トマスは子牛を視線を送り、引き続き撫でながらそういった。確かにこんなことが出来る存在は、魔術師以外他にないだろう。


 「──外の世界から来た存在である可能性は」


 「はは、お前がそんな事言うとはな。相当焼きが回ってるな」


 遥か最果ての海の向こうには神々が暮らす理想郷があるとされていた。もちろんそれは神話というより、おとぎ話に近いもので、何より我々の教義にはそぐわないものでもあった。


 「ああ、すまない忘れてくれ。そうかエレナがか……」


 これには子供の戯言の一言で切って捨てられない、少々変わった事情があった。

 エレナには少し変わった、いや特別な能力といっていいものを神から授かっていた。


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