第八章
エデンに赴いた私たちは、近辺の海岸を調査していた。
「アリス、さっきも言った通り、今回はアリスの素性の調査を最優先にするため、ここでの調査はフェイクになる。一応それらしいことはするが、人目があるやもしれんし、助手らしく振舞っていてくれ。」
「は、はい・・・。あの・・・助手らしくっていうのは・・・どうしたら・・・」
ロディアは私に軽く手招きした。
側に寄ると、彼は砂浜にしゃがんで掌をついた。
その瞬間、空気が波動のようにふわりと広がった。
ふわりと髪の毛が持ち上がったロディアの顔を伺うと、しらばく目をつむり、次にゆっくり開いた時には、その瞳は灰色をしていた。
「アリス、俺がしていることを観察していればそれらしく見えるだろう。そして時々話しかけることに、返事をしていればいい。」
「わかりました・・・。」
ため口を聞くとおかしく見えてしまうと思ったので、私は人目があるなら畏まって話すことにした。
彼は灰色の瞳のまま立ち上がり、海岸をなぞるように視線を動かす。
「ふむ・・・やはりこの辺りには痕跡がないな・・・。」
ロディアはまた書類を取り出して、悩ましい表情をする。
「あの・・・痕跡って何のですか?」
彼は尚も灰色の瞳のまま私を振り返った。
「俺は人や場所の記憶を見ることが出来るんだ。この場所でかつてあったことを遡って、風景として見て探している。海岸の位置から考えて・・・もう少し西の方だろうな・・・。少し移動するか。」
「はい。」
砂浜に若干足を取られながら、ロディアの後を追った。
海岸はとても静かで、近くの丘から山道が続いていてもっと高いところには建物が見えた。
そこまで人目はないけど、ちらほら海釣りをしている人たちもいた。
辺りを見渡しているうちにロディアの背中が遠くなっていて、慌てて駆けよった。
「ろでぃ・・・わ!!」
砂浜で足がもつれ体勢が崩れて、砂だらけになる覚悟をしてぎゅっと目をつむった。
「大丈夫か?」
ロディアは何でもないように無表情のまま私の体をさっと支えた。
「あ・・・は・・・ありがとうございます、すみません。」
「いや・・・もう少し歩きやすい靴を買ってやればよかったな。街に戻って靴屋を見つけたら何足か歩きやすい物を買ってやろう。」
「いえそんな・・・」
私が遠慮するのも気にせず、ロディアはまた先へ歩いて行った。
でも今度はさっきよりゆっくり歩いてくれていた。
きょろきょろせずに背中を追うと、少し海風が強くなってきて、自分の髪の毛を束ねるように掴んだ。
彼の言う西側の海岸に着くと、ロディアはまた静かにしゃがんだ。
そこは海岸と言っていい程なのか、とても小さな場所で到底大きな船が停まれる場所ではない。
岸辺も整備されていないのか、少しゴミや貝殻が散らばっていた。
遠くの方で鳴く鳥の声を聴きながら、ロディアの背中を眺めていると、彼はゆっくり立ち上がる。
だけど彼は立ち上がってそのまま、何も言わずじっと佇んでいた。
私はそっとロディアに近づいて隣に並んだ。
背の高い彼の表情をそっと伺うと、その無表情の瞳の中で、灰色がぐるぐる渦巻いていた。
それはまるでコーヒーに注いだミルクを混ぜたように、ゆっくり一定の速さで陰影が混ざっている。
私は何となく不穏な空気を感じながら、声をかけることは出来ずにいた。
するとやがてスッとロディアの瞳は紫色に戻った。
そして少し、悲しそうにまつげを伏せる。
「あの・・・どうかした?」
ようやく弱々しい声が自分の喉から出て、彼の返事を待った。
「やはりここだったのか・・・。」
「え・・・何かお仕事の手がかり掴めたんですか?」
「いや、さっき言っただろう?アリスの調査を最優先する、と。・・・まぁ、真相を明らかにしてから説明しよう。今俺がここで見えたものだけを説明しても、混乱するだけだからな。」
ロディアの言葉に若干の不安を感じながら、私たちは街へ戻った。
その後人通りの多い場所に出ると、目についた花屋さんにロディアは声をかけた。
「すまない、聞きたいことがある。エデンには魔術師は何人かいるか?」
彼の質問に花屋の女性は小首を傾げて眉をしかめた。
「魔術師?何だい、あんたらお国の人かい?」
「ああ、許可を得て少し事件の調査をしている。あまりこの辺りでは魔力を感じないが、魔術師は多くないんだろうか。」
「そりゃ昔は多くいたよ?けど今はもう魔術なんかとは縁遠い生活をしている人がほとんどだねぇ。唯一いるとしたら・・・北の方のペンションの隣にある、緑の屋根の家を訪ねたらいい。」
「そこに魔術師が?」
「ああ・・・何でも魔術で薬を作って売っていたことがある薬師がいるんだ。今はあまり姿を見かけないし、何してるか知らないけどね。」
「なるほど・・・ありがとう。これは礼だ。」
そう言ってロディアは花屋のおばさんに銀貨を一枚手渡して、踵を返した。
「アリス、はぐれないようにな。」
「はい・・・。」
言われた通りに街並みを抜けて、私たちは北へ北へと歩いた。
商店街を通り抜け、昼間は静かな繁華街を通り過ぎ、住宅街の奥の奥、花屋さんが言っていたペンションが見えた。
そしてその近くには、緑色の屋根の一軒家。
私はそれを見て、思わず立ち止った。
「・・・・アリス?」
「あ・・・はい。」
「大丈夫か?」
心配そうにそう問うロディアに私は何も返せなかった。
閑静な住宅街で、何だかその家のあたりだけ空気が止まっている気がした。
「嫌な感じがしているなら家には入らなくていい。俺が様子を伺ってこよう。」
そう言って彼は家の前まで進み、淡々とドアをノックした。
そのノックには誰も答えず、ロディアは偽装した立場を名乗りながら、家主が出てくるのを待っていた。
私はその光景をどこか他人事のように、まるで野次馬のように傍観していた。
するとそっとドアが開き、中年男性が顔を覗かせてロディアの顔色を伺った。
ロディアが何か問いかけをして、その男性が口を開いた時、私は何故か反射的にロディアの側へ走った。
彼の腕を勢いよく掴んで、男性から離すように引っ張った。
「アリス・・・?どうし」
「ああああ!!あ・・・な・・・!何で・・・・!」
何故か男性は酷く狼狽えはじめ、後ずさりして尻もちをついた。
私は訳が分からず呆然としていると、ロディアは厳しい口調で問いかけた。
「彼女を知っているんだな。」
「あ・・・いや・・・そ・・・・そんなはず・・・」
ロディアは私を見てゆっくり腕を解くと、男に近づいてしゃがみ込んだ。
「私はアレンティアの賢者、ロディア・ベル・クロウフォードだ。今から詰問することに、一切の偽りの証言を受け入れん。」
「け・・・賢者・・・?まさかそんな・・・」
「アリスの姿がハッキリわかるなら、お前は保護魔術を解かずとも俺が見えているだろう。アレンティアの賢者に見覚えがないと言うまいな?・・・アリス、家の中に入るか?そこにいるか?」
ロディアはドアに手をかけて私を振り返る。
「あ・・・えっと・・・入ります。」
衝動的に体が動いたものの、特に気分が悪いという感覚もなかったので、大人しく家の中へ入った。
リビングのテーブルにつき、目を伏せて汗をかく男にロディアは再び質問を続けた。
「まず名前を伺おう。」
男は一つゴクリと唾を飲んで、小さく答える。
「・・・ユーリ・クラウドと申します。」
「そうか。では・・・ここにいる彼女の名前と、お前との関係性は?」
「・・・その子は・・・アリス・クラウド・・・私の・・・娘だ・・・戸籍上は・・・。」
私はそれを聞いても、特にピンとこず変わらず傍観者だった。
「戸籍上?」
男はチラリと私の顔色を伺って、ゆっくり話し出した。
「・・・出て行った妻が・・・別れを切り出すとき、こう言ったんだ。『アリスは貴方の子供ではない』と・・・。アリスは・・・母親にそっくりだったから私はわからなかった・・・。そしてアリスを連れて出て行くと言い出したから、他の男のところに行くのは構わないが、アリスだけは連れて行かないでくれと頼んだ。妻は・・・最初こそそれを拒んでいたが、或る日口論に耐えかねて、アリスを置いて出て行った・・・。」
「なるほど。お前はその後、彼女に何をした。」
低く響くロディアの声は、まるで男を刺すように放たれる。
「あ・・・アリスは・・・その後も成長していくにつれどんどん妻の生き写しのように育っていった・・・。2年程経って・・・アリスが16になった時、私は・・・地下で精製していた薬を・・・娘に飲ませた。その頃まだ薬師だったので・・・娘には・・・栄養剤だと言って・・・」
「それは違法薬物だったんだな?」
男は青い顔をしながら、静かに頷く。
「妻にそっくりな娘を見ていると・・・妻が恋しくなってしまい・・・娘に、成り代わってもらおうと思い立った・・・。アリスは意識が混濁していたが、俺が妻に語り掛けるように話していると、次第に思うような態度をとるようになっていったんだ・・・。だが・・・お粗末な薬の出来のせいで、アリスは娘に戻ったり、妻に戻ったり二重人格のような言動を取るようになった・・・。やがて外に出すと怪しまれてしまう程になってしまったから・・・娘を地下に幽閉し、元に戻そうと薬を開発したが上手くいかず・・・金も底をつき・・・追い詰められてしまった・・・」
ロディアは黙っていた私をそっと見たので、戸惑いの表情を返した。
「アリス、少し外に出ていてくれ。この者の処分について、話すことがある。」
震える男は私を一切見なかった。
私も自分のことを話されているのによくわからなかったので、言われた通り席を立ち外に出た。
わずかにロディアと男が会話をする声が聞こえたけど、ハッキリ内容まではわからなかった。
「お前はアリスを海に捨てたな?」
「・・・あ・・・それは・・・」
「証拠を完璧に消したつもりだったようだが、俺の目は誤魔化せない。まぁ海に突き落として始末しようとした工程を、証拠が出ないようにこなしていたとしても、さっきの証言を元に地下室を調べれば違法行為は成立する。現にアリスは薬の影響で記憶が曖昧になり、体内の魔力は延々かき混ぜられるような乱れを繰り返す羽目になった。挙句感情の起伏やフラッシュバックなどの引き金で、魔力は体外へ漏れ出ることも判明している。お前は二度も、娘を殺そうとした。」
「あの子は・・・私の子じゃなかったんだ・・・。あの子は私の・・・!」
「そうか。もういい。殺人者に倫理観を求めても仕方ない。追い詰められた自分を生かすことに必死ならば、刑務所の方がまだましだろう。誰の目につくわけでもない、生活が保障され、裁判と処分を待つだけだ。魔術で知らせを打った、時期に国の者が捕えに来るだろう。」
「ま・・・待ってくれ・・・!私は娘を殺したいわけではなく・・・私は・・・」
「言い逃れは裁判所でしろ。俺はアレンティアの賢者だ。ブルームには慈悲を請われても受け入れないようにとだけ伝えておく。」
「あ・・・アレンティアの賢者に慈悲はないのか!もとはと言えば妻が・・・そうだ!・・・作った薬品は全て献上する!国にではなくあんたに!医療魔術師なら薬品はほしいだろう!」
「黙れ。次に口を開けば、今すぐここで処刑する。」
会話が終わったのを感じると、ロディアが静かに扉を開けて出て来た。
少し見えた家の中の男は、うなだれて手錠をかけられていた。