第七章
ロディアは私がどこの何者か、本当は知っているのだろうか・・・
彼がリーベルに同行を願った頃から、何となく私はそう思っていた。
大きなベッドに潜り込み、一人体を縮めて布団をかぶる。
ロディアはまだ奥のソファに座ってるのかな・・・
そう思った矢先、わずかに絨毯の上を歩く足音がして、うっすら目を開けると、ロディアがゆっくりとバルコニーの扉を開けていた。
彼は外へ出て身を乗り出すようにして、イルカの群れでも探すように海をあちこち眺めている。
何してるんだろう・・・
後ろ姿だけでいったいどんな表情をしているのか見えなかった。
わずかに波の音が聞こえてきて、彼の背中を眺めているうちに、うとうとと瞼は落ちていった。
そして私は不思議な夢を見た。
水の中にいて、何故だか息が出来ていて、周りには綺麗な魚とサンゴ礁がたくさんあった。
海の底だ・・・
自分の髪の毛が水の中でゆらゆら揺れて、わずかな光しかないそこで、寝る前に見たロディアを思い出した。
彼は暗い海の底に、何かを探していたんだろうか・・・
ひどく胸の内が痛む。
涙が海に溶けていって、ひたすら海面を眺めてた。
何だろう・・・水の中なのに声が聞こえる。
誰なの・・・?
りす・・・
アリス・・・
「アリス」
頭上からハッキリ声が聞こえて、パッと目を開けた。
そこにはベッドに腰かけて私の顔を見下ろすロディアがいた。
「あ・・・は・・・お・・・はよう・・・。」
寝ぼけた体と頭を無理やり起こした。
「おはよう。後1時間ほどで到着予定だ。朝食やシャワーを済ませておくといい。」
「・・・はい。」
彼は静かに立ち上がると、少し甲板へ出てくると言って部屋を後にした。
昨日ロディアが佇んでいたバルコニーに出てみると、変わらず雄大で美しい大海が広がっている。
潮風の匂いが何だか少しだけ懐かしさを感じさせた。
そして何故だか、胸の底に重く沈んだ不安もそこにあった。
やがて客船のアナウンスと共に、船はリーベルの港に到着した。
またロディアに手を引かれながらゆっくり船を降りると、到着を待つ人々の中で、大きな紙を胸の前に持ちニコニコしている男性が目に入った。
ロディアも同じ方を見て少し立ち止ると、私の手を引いたままその人へと近づいた。
「お!!ようこそ~!リーベルへ~!」
彼の持つ紙には大きく、『魔術師ロディア御一行様』と書かれていた。
「ブルーム・・・貴様何を・・・」
ロディアがブルームと呼んだその人は、またニカっと笑みを浮かべて元気な声で続けた。
「何をってお出迎えだろ!一回やってみたかったんだよなぁこういうの。テレビで見たのさ、不満か?冗談が分からんやつめ・・・。お、これはこれは麗しいお嬢さん・・・」
ブルームさんは私の手をすっと取って、手の甲にキスを落とす。
「お初にお目にかかります。ブルーム・リゼ・ウォルダンと申します。」
口ひげの似合う紳士なおじさま、そんな印象を受けた。
「あ・・・アリスです・・・。あの・・・よろしくお願いします。」
港を眺めながらロディアが空間から書類を取り出した。
「アレンティアからの俗が違法漁業をしている件について、行きの船から近辺の海域を調べたが、いくつか痕跡が見られた。奴らの目的は本当に魚なのか?」
「ん~・・・まぁ歩きながら話すとしよう。お二人は先にエデンに用があるんだろう?俺ぁあそこに何の用があるかの方が聞きたいんだがな。」
歩き出す二人を追うと、ロディアは少し私を振り返って、また静かに手を差し出した。
「あ・・・あの、大丈夫。よそ見せずついて行くから。」
さすがに人前で堂々と手を繋ぐのが恥ずかしくてそう言うと、ブルームさんが口元を持ち上げて笑みを返した。
「嬢ちゃんは、獣人か?それとも魔族の子供か?」
「へ・・・獣人?魔族・・・?」
私がキョトンとすると、ブルームさんは眉をしかめた。
「ん?いやぁ・・・ちょっと変わった魔力をしているから、ロディアが保護しているということはそういうことかと思ったんだが・・・?」
「彼女は人間だ。恐らくエデン出身者で、何か魔術か違法薬物関連の事件に巻き込まれた可能性がある。今回はアリスの手がかりを探しに来た。場合によっては今後の規制が厳しくなる類の事件かもしれん。」
ロディアが淡々と説明すると、ブルームさんはロディアと同じく真剣な顔つきに変わった。
「ほう・・・?俗のことといい、何かきな臭い事件がこの辺りで多発しているってことか・・・。ロディアはつまり、お嬢ちゃんの件と俗の件、関連性があると踏んでるのか?」
港からレンガの道を歩きながら、やがて見晴らしのいい広場へ着いた。
「いや・・・まだ何とも言えん。だが今回はアリスの調査を最優先させてもらう。この子は魔力がかき乱され、挙句には外へ漏れることも判明している。原因と対処法を掴まなければ命に関わるのでな。」
ブルームさんは大きな町の看板の前に立ち、顎髭を撫でて困ったように腕を組んだ。
「ふん・・・魔力が漏れ出す・・・違法薬物、または魔術・・・俗の違法漁業・・・乱獲・・・。関連性が確かにこの時点ではつかめないなぁ。わかった、そういう事情があるならお前さんたちは先にエデンに向かうといい。俺の方で俗の件は引き続き調査員たちと進めておく。」
そう言うと彼は指でつまんだ書類をロディアに差し出した。
「何だ?」
「許可証だ。エデンは国家魔術師の許可証を持ってなきゃ入れない。最近じゃあ近辺の大きい街と結びついて、独立運動しようとしてんじゃねぇかって噂もたってる。」
「独立・・・あそこは貴族の末裔が住んでる比較的小さな町だろ・・・。」
「はぁ・・・その末裔様方はお国のやり方が気に入らないんだと。ま、仕方ねぇ・・・数十年前までは割かし権力持った政治家もエデン出身者がいたし、元は自分たちがリーベルを作ってきたっていう教育されてっからあそこは。賢者の俺からしたら厄介極まりねぇけど、言いたいことはわからねぇでもねぇからよ。別に独立したけりゃどうぞって感じだけどな。」
ブルームさんはそう言って煙草を取り出す。
この人賢者様なんだ・・・。
「王は認めていない、と・・・?」
「んあぁ・・もちょっとあいつにもまともになってくれって言いながら、ひいひい舵切ってんのよ。こちとら女房に逃げられて可愛い娘にも会えねぇってのによ~。」
煙草をふかすブルームさんをじっと見つめると、またニカっと笑顔を返してくれた。
「余計なおしゃべりが過ぎたな。まだ昼前だし、調査が済んだらここに集合ってことでいいか?可愛い女の子連れてのランチやディナーなら、いくらかいい店知ってっから。」
「ああ、わかった。」
大手を振るブルームさんに見送られて、私たちは森の方へ道を逸れると、涼しい風がふく一本道をひたすらまっすぐ進んで言った。
「こんな森の中に街があるんですね・・・。」
ポツリと呟くと、ロディアは私の少し前を歩きながら言った。
「この辺りは気候も穏やかでかつ海も近い、海産物もよく獲れるし森の恵みも受けられる。文字通りエデンだ。その昔、リーベルがまだ小国だったころ、各領地を治める貴族たちが政も請け負っていた。そして最も優れた魔術師であった公爵が王になったという。その後も貴族たちが協力して政治を行っていたが、天災や派閥争いなどで、紛争が立て続けに起こったことをきっかけに、貴族の政への介入を禁止すべきと、国民のデモが巻き起こったんだ。そして争い事が小さくなっていった頃には、有名だった貴族たちはほとんど残っていなかった・・・。そして立場を追われ、名声を失った彼らは、追いやられるようにこの土地を与えられた。そして自分たちだけの文化を重んじながら、ひっそりと楽園を築き上げていったんだろう。」
その背中を見つめながら聞いていると、ロディアは立ち止った。
「ここが入り口のようだな。」
そこには切り開かれた場所に、たくさんの花であしらわれたアーチがあった。
シンボルのような飾りがぶら下がったそれが揺れると、何故だか自分の地面まで揺れたような感覚になる。
「大丈夫か?」
ハッとロディアを見ると、私を支えるように肩を抱いていた。
じんわり体から汗が出る感覚がする。
「はい・・・。」
「何か体に異常を感じたらすぐに言うんだ。いいな?」
心配そうに顔を覗き込むロディアに、私はゆっくり頷いた。
少し目眩がするものの、特に気分が悪いという程でもなかった。
アーチをくぐって町の中へ入ると、警備員と思われる人たちが数人私たちの前に立った。
「許可証を・・・」
ロディアが紙を手渡すと、警備員は目を通しながら、チラリと私に視線を向ける。
「違法漁業に関する海岸の調査と、町民への聞き込み・・・ですか・・・。そしてそちらのお嬢さんは?」
「彼女はまだ若いが私の助手だ。仕事を覚えるために同行させている。」
ロディアが保護魔術をかけているおかげで、見た目で怪しまれてはいないようだった。
私は話を合わせるように警備員にお辞儀した。
警備員は少し後ろを振り返って、他の者と伺い頷き合うと、海岸の場所を教えてくれた。
街中の風景はとても穏やかだった。
緑も多く、商店街が賑わいを見せ、子供たちが遊んでいる。
そしてエデンの人々は、そのほとんどが私と同様金髪と青い瞳をしていた。
けれど私は・・・ここが故郷なのだと、少しも感じられなかった。