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第四章

ロディアとの買い出しはそこまで時間がかかるものでもなかった。

私の服を購入していた時間を合わせても、二時間もかからないうちに家に戻ってきた。

家というか研究所というか・・・。あまり生活感がないから研究所なのかな?

空間から玄関内に荷物を取り出している彼を見て、私は尋ねてみた。


「あの、ロディアさんはここにどれくらい住んでらっしゃるんですか?」


すると彼はブーツを脱ぐ私をチラリと横目で見て、また荷物に視線を戻しながら答えた。


「・・・賢者になった後・・・どれ程経った後だったか、定かじゃないな・・・。恐らく300年くらいか?」


「300年・・・・?あの・・・失礼かもしれませんけど、お若いのかと思っていました。」


彼は苦笑いを返して、ごちゃついた机に向かった。


「賢者は年を取らない。その他王宮に仕える者たちも年を取らない、一部の役職を覗いて。」


国家公務員ってことかな・・・。

けれどその「賢者」に対して、知らないのか覚えていないのかわからないので、更に尋ねるしかなかった。


「賢者というのは・・・その、魔術師の中で高位な立場の人ってことですか?」


靴箱の中にブーツを揃えて入れると、出かける前に見た目が随分変わってしまったそれは、元に戻る気配は無かった。


「賢者というのは、各国に一人存在する、魔術師の中で最高位の者だ。王の次に権力を有する職業で、どんな魔術師が賢者として選ばれているかによって、国の特性を示すものでもある。同時に、賢者の力がその国の力を表すものにもなる。」


私は淡々と答える彼の言葉を聞きながら、先ほどの会話を思い出した。

彼は私のことで王宮に申請しなければならない、と言っていた・・・。


「それってつまり・・・この国にたった一人しかいない存在ってことですか・・・?」


彼はコートを脱ぎ、帽子掛けにかけて、何食わぬ顔で私を見た。


「そうだな。アリス、買った洋服は寝室のクローゼットに適当にしまっておいてくれ。」


そう言って私に洋服の入った紙袋を手渡した。


「あ・・・はい・・・あの・・・。」


「ん?」


私は少し混乱しながらも、聞いてみたいことが溢れては脳内ではじけて消えた。

きっと聞きたいことは芋づる式で増えていくと思う。


「あの・・・私覚えていないことが多くて、常識的なこともきっとわかっていないし・・・不躾なことを聞いていたらすみません・・・。」


「・・・別に構わん。教えてほしいことは聞くといい。」


彼は特に表情を変えることなく言うと、奥の部屋へと歩いて行った。

私は少し考え込んだけど、とりあえず渡された洋服たちをクローゼットにしまってくることにした。

螺旋階段を上がって、元の寝室へ戻り、黒い木製のクローゼットの前に立った。


「王の次に権力を持つ、って・・・そんなえらい人がどうして森の中に住んでるんだろう・・・。」


考え込みながら、私は買ってもらった洋服たちを一つ一つしまった。

最後の一着を仕舞い終える頃、ふとどこからか視線を感じた。

寝室を見渡すも特に何もなく、不思議に思いながらダイニングに行き、水を飲むためにキッチンに入った。

グラスを手に取って水道の蛇口を上げた時、側にある自分の影から、更に黒い影が長くつながって伸びていることに気が付いた。


「え・・・?」


するとその先の丸い大きな影から、盛り上がるように何かが現れた。

声も出せずに固まっていると、犬か狼のような形をした黒いものが、赤い目をこちらに向けていた。


「貴様・・・何者だ。何故賢者と共にいる・・・。妙な魔力を纏いおって・・・。」


空気が震えるような鈍い声が、耳に響いて聞こえた。

震える足で後ろに下がると、螺旋階段からロディアが上がってきた。


「グレイド・・・その子に近づくな。」


彼がそう言って手をかざすと、それは靄をかき乱すように消えてしまった。

ロディアは私の元へ歩み寄って、震える私の肩に手を置いた。


「すまない、怖がらせたな・・・。」


ほっとしたものの早くなる鼓動を治めるために肩で息をした。

ロディアは流れ出たままの水道に、私が握りしめていたグラスを取って水を汲んだ。

さっきより喉が渇いていたけど、受け取ったグラスの水を見つめたまま声を出せずにいた。

するとロディアは、私をソファへと促すように背中に手を回した。


「さっきのはあまり気にしないでくれ。説明すると長くなるが、幻獣・・・のようなものだ。俺に逆らったりはしないし、アリスに手出しはさせないから大丈夫だ。」


「そう・・・なんですか・・・。」


何ともざっくりした説明だけど、きっと私が詳しく聞いたところで未知なことなんだろうなと思った。

私はゆっくりソファに座る彼の後をついて、隣に腰かけた。

そしてやっと手に持った水を口にした。


「おとぎ話の中に出てくるような生き物が、時々魔力を求めて現れることがあったんだ。・・・今は滅多にないが。そういう奴らは飼いならされて力を貸す代わりに、魔術師から一定の魔力を奪う。」


ロディアは寝る前に絵本でも読むかのように、穏やかな声で話し始めた。


「さっきのグレイドは、200年程前に俺がアレンティアの片田舎で見つけた幻獣だった。俺以上に長く生きているようで、どういう経緯で存在しているのか話してはくれないが、あまり人間が好きではないらしい。」


「そうなんですか・・・。あの、もしかして私のブーツを魔法で変えてくれた生き物もそうなんですか?」


「いや、あれは精霊の類だな。魔術師に仕える者は少ないが、放浪する種類のものだと気に入った魔術師に宿る。精霊は幻獣と違ってほぼ実態のないものが多いが故に、寄生する魔術師の魔力の中に溶け込むような形をとる。」


記憶を失くす前の自分も、恐らく知らなかったであろう話だと思った。


「えと・・・さっきの・・・グレイド・・・は、このおうちの中にいるんですか?」


ロディアは少し目を伏せて、また私に視線を戻して答えた。


「そうだな、普段は地下からあまり移動はしない。だが動くな、と命じたからもう姿を現すことはないだろう。」


そういうと彼は、私が持つグラスの水をじっと見つめた。


「アリス、今から少し・・・推測でしかないが、アリスがここに流れ着いた経緯を話してもいいか?」


紫の瞳が私を射貫くようにぶつかった。

知ることが少し怖かったけど、頷いて見せた。

ロディアは立ち上がって、キッチンの隣の棚から何かを取り出して戻ってきて、またゆっくり隣に腰かけた。


「これはアレンティアと付近の海域が載っている地図だ。ここがさっき買い物で行った城下町、これが王宮・・・。そして少し離れたこの辺り・・・今いるフロンで、俺たちがいる森はここだ。」


そう言いながら、古びた地図を彼の細い指がなぞる。


「そしてアリスが流れ着いていた場所が、ここから少し歩いたところにある小さな浜辺だ。地図では書かれていないが、この辺りだ。その目の前にある海域は沖まで行くと貿易船が多く通る、客船などが行き交う付近では決してない。一番近くのリーベルでも、この辺りから出向させる船はないだろう。」


その地図には、隣国とそこまで離れていない距離のように思うけど、複雑な地形をしていて、確かに大きな船が停泊する場所は無いように思えた。


「ここから近いリーベルの浜辺は・・・この辺りにある。そして近くに街や村もある。個人で船を出すくらいは出来うる場所と言える・・・。」


「じゃあ・・・私はこの・・・一番近いリーベルの浜辺から船に乗って流されたってことですか?」


私がそう問いかけると、ロディアは表情を変えず黙り込んだ。

正直彼の推測は無理があるんじゃないかと思ったけど、彼はその無理を可能にした何かをわかっているのかもしれない。


「アリス、魔術は人間の知り得ない複雑なことを可能にする力がある。」


「え?・・・はい・・・。」


「この世には、300年以上生きている俺でも、何千年生きる幻獣にも、知り得ない存在があるものだと思う。アリスが命を落とすことなく、偶然にも救助出来たのは、予想出来ないことが重なった結果なのだと思う。ただ・・・」


彼はそう言って、ゆっくり瞬きをして、また私に視線を合わせた。


「アリスが今、記憶を失くし、自分自身がどこの誰かもわからなくなっているのは、予想できない事などではなく、人為的に引き起こされたものだ。それはおそらく、高度な魔術か薬品を使われたからだろう。そうなると俺としても容易に見過ごすことは出来ない。」


彼の横顔から向けられた瞳は、微かに怒りを感じた。


「厄介な魔術が絡む事件調査も、賢者の仕事の一つではあるが、アリスのような記憶障害を伴う魔術や、薬品を使われた人体実験などの話は聞いたことがないし、そもそもそんな高度なものはそうそう出回ったりはしない。そうなると、アリスが個人的に何か事件に巻き込まれ、事故か故意なのかわからないが海へ投げ捨てられたのではないか、と俺は考えている。」


私は握ったグラスの水を見つめた。

私が全てを思い出せば・・・いえ、全てでなくとも一つでも何か記憶があれば・・・きっと彼を煩わせることもないだろう。

けれど私の脳内には、どうしてもその記憶の一片すらなかった。

黙り込む私に、ロディアは落ち着いた声で続けた。


「記憶を失っていることが副作用なのか、はたまた記憶を消すこと自体が目的とされていたのか定かではないが、もしそれを引き起こした張本人が、今後も新たな被害を生み出す恐れがあるなら、調査して阻止しなければならない案件だ。幸いにも来月、リーベルに視察に向かう仕事が入っている、同時に調査するには好都合というわけだ・・・。」


ロディアはそう言って立ち上がり、キッチンへ歩いた。


「そこでアリスの身元が明らかになるかどうかはわからないが、出来れば一緒に出向いてほしい。その地に行って、何か記憶が戻ることもあるかもしれんし、アリスが消えたことを不審に思って探している者がいるかもしれん。もちろん一緒に行く以上、身の安全は保障する。」


・・・どうすればいいのだろう・・・。

そこに行けば何もかもを思い出すんだろうか・・・。

すると彼は付け加えて言った。


「そしてもし、そこに赴いてアリスの記憶が戻り、生きていける環境にあるなら、そのまま故郷で暮らすといい。」


私は何故だか、言い知れない不安に襲われた。

本来なら自分の故郷に一刻も早く帰りたい、と思うものだよね・・・。

わからない・・・何かわからないけど、思い出すことを恐ろしく感じた。

私がグラスを持ったまま俯いていると、キッチンに立っていたロディアの足音が、急に私に向かってきて、思わず顔を上げた。

すると彼は困惑した表情で、目を瞬かせて私を見ていた。


「アリス・・・どうした・・・なぜ・・・。」


「え?何ですか??」


訳が分からず尋ねると、彼は座っている私の正面に屈んで、私の体や顔をあちこち確認するように眺めた。


「魔力が・・・外に流れ出してる。何だ・・・?!まずい・・・。」


私は訳が分からなくて、きょろきょろする彼を見て不安になった。


「あの・・・私魔力なんて・・・。」


私は魔術師でも何でもない、ロディアのように魔術を使えるはずもない。


「人間でも魔力を保有しているんだ。少し特殊な魔力だとは思っていたが・・・。体外に漏れ出すなんて異常だ。人間は無意識に生命維持に魔力を使っているんだ、枯渇したら内臓が機能しなくなる!動かなくなった内臓をいっぺんに治療することなんて俺にでも出来ない・・・。」


捲し立てるように説明するロディアは、私の腕を掴みながら魔力を流しているのか、何か別の空気のようなものが自分を取り巻いているのを感じた。


「ダメだ・・・止められない・・。外から膜を張っても漏れ続ける。」


そう言って彼は、今度は私に瞳を合わせると、その目は黄金色に変わった。


「ロディアさん・・・」


いったいどうして・・・と口にしようとしたとき、何故か目眩がして視界が歪んだ。


「アリス!!・・・どうしたら止められる・・・。このままじゃ・・・。」


視界が滲んで揺れている・・・。何か息も苦しくなってきていた。

え・・・あれ・・・私もしかして・・・死・・・・


「体の中から塞げばいいのか・・・?」


彼のそんな声が聞こえた時、息が一瞬止まった。

けれど次第に、揺れていた視界がゆっくりと止まり、私の体を支えているロディアの手の感触も戻った。

目の前に彼の顔があって、ゆっくりと唇にあった感触も同時に離れた気がした。


「ろ・・・でぃあ・・・さ・・・」


「大丈夫か?」


クリアになった視界で、心配そうに私を見つめる瞳。それはいつもの紫色に戻っていた。


「はい・・・。あの・・・どうして私・・・」


嘘のようにハッキリと意識が戻ったのを感じる。

私の問いかけに彼は、黙ったまま口元に手を当てて考え込んでいた。

そして私の目をじっと見つめ、今度はその瞳を黒く染めた。


「・・・うん、異常なさそうだな・・・。」


彼はまるで体の中を見透かしているように、視線を動かしたのち、立ち上がった。


「アリス、さっきの俺が言ったアリスの身に起きた推測を聞いて、何か思い当たるふしはないか?それか何か思い出せたことはあるか?もしかしてそれが引き金になって今の現象が起きたのかもしれん。」


彼は空間魔術で何かを取り出して、薬品の瓶を傾けながら尋ねた。


「いえ・・・思い出せそうなことがないな・・・って申し訳なく思っていました。」


「・・・わからないことが多いな・・・。とりあえず、救助したときからそうだったが、アリスは他の人間と違って体の中の魔力が不安定な状態に思える。さっき俺の魔力を体の中に流し込んで、無理やり外に出ないように内側から膜を張ってみた。その状態を強化しておきたいのと、安定させたいから・・・これを飲んでくれないか。」


ロディアは薬品瓶の青い液体を差し出した。

私がそれを覗き込むように見ると、彼は子供を慰めるように言った。


「不安になるよな・・・。俺は人間だったころ医者をしていた、その延長で医療魔術師になったんだが・・・。これは大した薬品じゃない、人間で言う整腸剤程度のものだ。アリスの体内で異常を引き起こす原因となった薬品、または魔術がどんなものかわからない以上、実験するような薬品を飲むのは危険だからな。これに関しては安心してくれ。」


「・・・お医者さんだったんですか・・・。」


「ああ。」


最初に抱いた印象と違いなかったんだ。

記憶がなくて何もわからない状態の自分を助けてくれたとは言え、何もかもを鵜呑みにするのは危ないかもしれない。

けれど私は素直にそれを飲んだ。

助けて介抱してくれた彼も、さっき朦朧とする私を対処してくれた彼も、悪い人には思えなかった。

いいえ、疑う余地はもしかしたらいくらでもあるのかもしれない。

賢者だという証明も何もないし、提示されても私にはわからない。言いくるめることは出来ると思う。

けれど何より、私はロディアを信じたいと思った。

それは何も過去を思い出せない私の、ハッキリとした意志だった。

というより・・・愚かな直感なのかもしれない。


ごくりと、喉を伝わせてもそれは特に違和感もなく、先ほど飲んだ水と変わりなかった。

味もなく匂いもなく、体の中に自然と染み渡っていった。


「うん・・・大丈夫だ。」


ロディアはそう言って、私の瞳を覗き込むように見つめた。


「アリス・・・不甲斐ない話だが、仮にも医療魔術師でかつ賢者であろう者が、アリスの身に起きていることを把握出来ないんだ。それが魔術か薬品によるものなのかも、可能性が広すぎて断定出来ない。今しがた予想出来ないことが起こったばかりで不安だろう・・・。記憶が戻る過程で、もしかしたらもっと心身に影響のある状況に陥るかもしれない、だがその時ばかりは・・・命を賭してでも治して見せると誓おう。」


ソファに座った私の前に跪く彼は、お医者さんというより騎士か王子様のようだった。


「あの・・・ロディアさんにとっては・・・私は国外の人間ですし、私の身に起きていることは依頼された仕事でもないですし・・・守る義務も助ける義理もないはずですよね・・・。」


私が呟くと、彼は初めて今までとは違う、柔らかい微笑みを見せた。


「まぁそうだな・・・。だが関わってしまった以上、医者としても、人だったものとしても見過ごせない。まぁ・・・そういう性分なんだ。それでは納得出来ないか?」


彼の少し人間臭い言い分を聞いて、私もつられて少し笑みが漏れた。


「いえ・・・。自分の身に何が起こっているのかわからなくて正直・・・不安です・・・でも・・・今はロディアさんが居てくれるから少し安心しています。あの・・・面倒かけてしまってすみません、ついてきてほしいと言うならどこへでもご一緒しますので、どうか、これからよろしくお願いします。」


私が改めてそう頭を下げると、彼は安堵した表情で頷いた。


「うん・・・。あと・・・アリス、俺の呼び方を少し改めてほしい・・・。」


「へ・・・あ・・・すみません、ロディア様・・・?」


私がそう言うと彼は苦笑いしながら立ち上がった。


「違う・・・。ロディア、でいい。敬称をつけて呼ばれるのが嫌いなんだ。」


「・・・ロディア・・・」


私が改めてそう呟くと、彼は、それでいい、とだけ言って温かい紅茶を淹れなおしてくれた。


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