第二十一章
お昼間の営業が終わり、マスターも含めて3人で私の魔術について話し合った。
「ほう・・・それはそれは・・・アリスさんにそんな才能がおありとは・・・。」
「現状ではむやみに歌唱することで、魔力を帯びた歌声を回りに聞かせるわけにもいかない。出来るだけの検査をして、アリスの体内の魔力性質を調べようと思う。だが普通に生活して、働いている分にも問題は起きないし、注意することもないように思うから大丈夫だ。」
二人の会話を聞きながら、私自身は少し不安だったけれど、マスターは白い顎髭をなでながら考え込んだ。
「そうですか・・・。アリスさんさえ良ければ、夜の営業の一幕に、小さな舞台を作って歌ってもらうこともまた一興・・・と思ったのですがねぇ。」
「え!!そんな・・・きっと危ないです・・・自分で制御できないし・・・。」
「そうだな、制御出来ないうちはむやみに歌唱しない方がいいだろう。だがゆくゆくは可能なことかもしれんな。」
「・・・そんな・・・私・・・人前で歌うなんて緊張して・・・」
「ほっほ・・・アリスさん、何も無理にお頼みしようとは思っておりませんよ。ロディア様の言う通り、ご自身の魔力をよくよく制御出来るようになり、もし歌うことが楽しいと心から思って、誰かに聞かせたいと思えた日に、そうしていただいたらいいのです。年寄りは随分先の話をしてしまう癖があって申し訳ない。」
「い、いえ・・・。もし・・・マスターのおっしゃる通り、自分でやってみたいと思えたら、お役に立とうと思います。」
ロディアは空間から一冊本を取り出し、目を通しながら言った。
「まだ何とも言えんが・・・いくらか仮説がある。確かめられることは全て確かめなければな・・・。」
彼はそう言って本を閉じてしまうと、思い出したようにマスターが言った。
「そういえば・・・ロディア様、ノエルが関わっている件はご存じですかな。エレナ様も繁華街で悪い噂を聞くと懸念されていたのですが・・・。」
「エレナが・・・?ノエルが関わる話ならいくつか耳に入っていることはある。魔獣や獣人の違法売買を行っている団体に狙われているだとか、はたまた魔術師の一部の民間部隊に誘われているだとか・・・。エレナが懸念していたというのは、他国から流れてきている野良猫やその他動物の類か?」
「ええ、繁華街でゴミ捨て場などを荒らされて困っている地域もあったそうで・・・。まぁ国のものが随時対処しているようなので、ロディア様にお手間を取らせる案件ではございませんが、動物を違法に捕えるものもいるかもしれんと、ノエルが駆け回って動物たちを誘導していたそうでございます。」
ロディアは少し考え込み、組んだ足の上でトントンと指先を叩く。
「ねぇロディア・・・ノエルってお国の誰かに雇われているわけじゃないんだよね。」
「・・・ああ、そうではないと思う。ノエルは元々獣人の研究を熱心に行っていた国家魔術師の元で暮らしていたらしい。その魔術師はノエルの他にも獣人を保護しながら研究を行っていたらしいが、いくつか不運が重なってそれを継続することが困難になり、ノエルが国の者に渡る前に逃がしたのだとか・・・。結局その研究もあまり思った成果は得られなかったようで、その魔術師も程なくして亡くなったらしい。元々獣人の研究をする魔術師自体が少ないのでな、先駆けで行っていた専門家と言えるほどの者だったらしいが、研究所も違法な薬物のほかに、複雑に暗号化された資料が多く、それらの情報を知りたがっていたものは、当時こぞってノエルを追い回していたと聞いた。」
マスターは視線を落としてため息をついた。
「ふぅ・・・危ない目に遭うことは日常茶飯事とばかりに、少々無茶が過ぎる行為もさることながら、最近はなりふり構わず首を突っ込んでいるようにも思えるのです・・・。」
「ふむ・・・何かノエルの中で、確かな目的が生まれたのかもしれんな。さっき会った時についでに聞いておけばよかったか・・・。」
「ねぇロディア・・・ノエルが魔術師のことも、人間のことも好きじゃないっていう理由はなんなんだろう。」
二人は私を見つめた後、お互い目を見合わせた。
「まぁ・・・ああ見えてノエルは100年近く生きているからな、色々理由はあるだろう。」
「そうですな・・・私共の想像からでは本当のことはわかりかねます。ですがアリスさんに対しては、そこまで警戒心を持っているようには思えませんので、もし仲良くなれたら本人が話してくれることもありましょう。」
「そっか・・・。」
きっと私が知り得ない、想像も出来ないような過去や出来事があったんだろう。
それはロディアも同じだろうけど、マスターが言うように、ノエルからは何か切羽詰まった様子を感じてしまう。
ふと立ち上がったロディアを見上げると、瞳の色が青くなったり黄色くなったり変化していた。
「アリス、本体の戻りが今日は遅くなるかもしれん。もう仕事が終わったなら、先に研究所に帰ろう。」
「あ、うん・・・。」
私たちはマスターに挨拶してそのまま研究所に帰ることにした。
検査ってどういうことをするんだろう・・・。
彼の背中を眺めて後ろを歩きながら、やがて森の入り口に到着すると、ロディアはピタリと足を止めた。
「何やら騒がしいな・・・」
「え・・・?」
静かな風の音だけが聞こえる木々を見つめて、ロディアは言った。
彼はチラリと私を見やって、手を掴んだ。
「アリス、先に研究所に転送する。俺は海岸の方を見てくるから、待っていてくれ。」
「えっ!あ・・・うん・・・え・・・」
返事をするや否や、パッと辺りの景色が変わって、体はストンと研究所の玄関前に降ろされていた。
森の中ではロディアの言う海岸方面がどっちかわからない・・・。
辺りを見回して耳を澄ませてみたけど、私には何の変哲もない静かな森の中でしかなかった。
仕方なくドアを開けて、しんと静まり返ったリビングを見渡した。
ロディアが従えている獣人や精霊たちは、私がいる時は姿を見せないようにしているのか、ロディアの命令以外は聞かないのか、気配を感じることすらない。
ブーツを脱いで靴箱にしまうと、急に外でガタン!という大きな音が聞こえた。
ビックリしてドア越しに外を伺っていると、ロディアの少し慌てたような声が聞こえた。
咄嗟に開けようとドアノブを掴む
「アリス!開けるな!」
ビク!と体が固まってその場にとどまると、うめき声のような叫び声のようなものが聞こえる。
「ど、どうしたの!?大丈夫?ロディア・・・」
ふとその呻く声が、ロディアのものではなくよくよく聞けばノエルだとわかった。
「の・・・ノエル!?ノエルに何かあったの!?」
ロディアは私の言葉を無視して魔術を使っているのか、ノエルに話しかけながら治療している様子だった。
数秒間であろうその間、鼓動が自分の体を震わせて、祈るようにロディアの声を待った。
「アリス、寝室に戻っていてくれ。」
「・・・・どうして?大丈夫なの?心配なの・・・お願いノエルそこにいるの?」
彼に話しかけても返答はなく、ロディアはいつもと変わらない声色で続けた。
「大丈夫だ。治療をして少し眠っている。俺は今・・・服を着替えないと見苦しい程汚れてる。ノエルを寝かせて、着替えてからなら会わせてやれるから、そこを離れてくれ。」
「・・・私に出来ることはある?ロディアが着替えてる間、私はノエルのこと看ててあげられない?」
震える声でそう請うと、しばらく黙ってからロディアはドアを開けてくれた。
そこには灰色だったはずのノエルの体が真っ赤に染まって、同じようにロディアも血しぶきを浴びたように顔に赤く模様があった。
ぐったりしたノエルを抱きかかえたロディアは、紫色の瞳に戻っている。
「あ・・・ああ・・・ノエル・・・」
「大丈夫だ、止血はしたし傷も全て塞いだ。」
「ロディアは?怪我してるの?」
履いていた靴をパッと消すように脱いで、彼は安心させるように微笑んだ。
「俺は怪我をしてもすぐ治るし、今回は怪我などしていない。途中で本体が戻れたからな。だが咄嗟の判断が遅れてノエルに重傷を負わせてしまった・・・。少し無理やり治療はしたが、体内の魔力も問題はないし、生命力も元々強いから、数日休んだら元気になるだろう。」
リビングのソファにノエルをそっと寝かせて、ロディアは来ていた衣服を脱ぎ始めた。
「・・・何があったの?」
ノエルの乱れた毛並みにそっと触れて、ロディアを見上げると、彼は尚も淡々とした様子で答えた。
「密猟者がこの森にまで侵略していた。他国で内紛か何かで追われてしまった動物たちが紛れ込んでいたんだ。フロンにまで来ていたのは、それらを密輸しようとしていた最中だったからだろう。船を出そうとしていた奴らに、ノエルは自分の魔術を使ってまで引き留めようとしていた。それを見た奴らはノエルが獣人だとわかったのか、ターゲットにして捕えようとしたんだ。族の中には魔術師もいて、攻撃魔術をさして使えないノエルは瀕死状態だった・・・。だから犯罪者たちには、多少強引な魔術を行使して俺が捕えた。」
「・・・そうなんだ・・・。」
ソファの上でぐったり横になるノエルは、血濡れてしまっているけど、穏やかな呼吸で眠っている。
「・・・後で色々と話を聞く必要があるな。」
ロディアは汚れた服を抱えて奥の部屋へ消えて行った。




