第十九章
「あの、マスター夜の準備手伝います。」
バックヤードで重たい豆の袋を取り出そうとするマスターに駆け寄った。
「そうですか?では・・・準備だけお手伝いいただきましょうかね。」
「マスター・・・歳なんだから重い物持とうとするんじゃない。こないだぎっくり腰になったの忘れたか?」
ノエルが側に寄って尻尾を振りながら言った。マスターはまたいつもの調子で笑う。
豆を抱えて店内へ戻ると、ココアを飲んで一息ついているエレナさんがニコニコ笑みを浮かべたまま私を眺めていた。
「エレナさんは・・・この後お仕事なんですか?」
「ええ、贔屓にしてくれてるお客さんとディナーに行った後、うちの店に行くの。」
「そうなんですね。」
コーヒー豆を補充しながら備品のチェックをしていると、ドアからさっとノエルが入ってくるのが見えた。
「誰かと思えばお前だったのか・・・。」
「あら、ノエルじゃない。久しぶりね。・・・そういえば最近繁華街に野良猫が多いんだけど、何かあったの?」
「・・・エルデンの方から流れてきたらしい。もっと言えば、ラズールの方で暴動が起きて、動物達が南へと逃げて来たんだ。あそこは元々自然豊かな地だし、森に住む動物も含めてな・・・」
「何それ・・・困った話ね・・・。ラズールから流れてくるなんて相当じゃない。」
「アレンティアに辿り着いている動物はそれでも少ないくらいだ。ここに来るまでに密猟されたり、捕獲されたりした動物の方が多いだろう。何にせよ、アレンティアであっても一か所に数が増えれば駆除されかねん。それなりに分散するように呼び掛けているつもりだが、向こうには獣人がいないのか、恐れられて逃げられてしまう。手間だがもう少し時間はかかるし、国の者に掛け合ってあまり介入しないよう要請している。」
「ふふ、そうなのね。大変ねぇボス猫さんも・・・。」
補充が終わってカウンターを覗くと、椅子に座ったままエレナさんに首を撫でられるノエルが見えた。
その表情だけを見るとただの可愛い猫にしか見えない。
「何の報酬もなしに取り仕切っている俺に感謝してほしいもんだ。」
「そうよねぇ、貴方お国に雇われてるわけでもないのに~。あ、でも噂で聞いたんだけど、ノエル民間の魔術師集団に雇われてるっていうのは本当なの?」
「・・・レイヴンの奴らか?あいつらは機械魔術師だろう?俺と何の関係もない。」
「ん~・・・どういう名前の集団だったか忘れちゃったけど・・・魔族とか獣人を従えてる、みたいなこと聞いたわ。」
「ふん・・・俺が魔術師に加担するわけないだろ。外から来たものは俺をよく知りもせず、利用しようとする愚か者ばかりだ。」
エレナさんはまたノエルの頭を撫でながら、考え込むように頬杖をついた。
「ノエル・・・もしかしてこの間怪我してたのは・・・」
私がぼそりと口を出すと、エレナさんも彼の顔を見た。
ノエルは視線を逸らせたまま、またふわりと人の姿になった。
「アリス、妙な勘繰りはしないことだ。ここでは地元の客だろうと、エレナのように王都で働くものであろうと、幅を利かせている魔術師や、国に関わる要人からの情報を持ち込む者もいる。知らなくてもいいことは聞き流せばいいんだ。」
「そうよ~皆愚痴に交じって結構機密情報話すこともあるからぁ・・・」
「・・・はい・・・。」
ノエルはさっとエレナさんの手を取る。
「お前はロディアにも情報を売ってるんだろう?俺も王都の件で気になることは山ほどある。買収した国の下っ端は何やらきな臭い。」
「私から情報ほしいってこと?でも・・・ノエル貴方お金持ってるの?」
「訳あって今は金を使えない。エレナから足がつくということは考えにくいが、だいぶ慎重に動かねば俺も追われる身になりかねん。情報の代金は体で払う。」
さらっとすごいことを言うノエルに、私は思わず口を開けたまま二人を眺めた。
同じくキョトンとするエレナさんに顔を寄せたノエルは、彼女の耳元で何か囁いた。
するとエレナさんは苦笑いを浮かべて、ノエルの頬を優しく撫でた。
「別に代金がなくても協力してあげるわよ?事情が事情だもの・・・職場に悪影響あったら困るしね。」
エレナさんはそう言って立ち上がり、小さな鞄からさっとお金を取り出してカウンターに置いた。
「そろそろ行くわ。アリスちゃん、マスターによろしく。ノエル、またお店に来てね。」
「あ、いってらっしゃいませ、ありがとうございました。」
ノエルが気を利かせて彼女の代金を取り、私に手渡してくれた。
「エレナは色んな意味でなかなかのやり手だぞ。覚えておくといい。確かロディアとも親しいはずだ。」
「そうなんだ、ありがとう。」
ノエルは私を見てふっと優しく笑った。猫の姿だと私が見下ろして話しているけど、人の姿だと背の高い彼を見上げなければならない。
「アリスはすぐ人に礼を言う癖でもあるのか?カフェバーに詳しくなる前に、損をしない生き方を覚えろよ?」
頭をポンとされて、彼は今度は表の入り口から去っていった。
その後お店の中の掃除を手伝っていた。
ある程度テーブルを綺麗にして窓を開けて換気をしていると、店の一番奥の方で紫色のカーテンが揺れる。
「マスター、気になってたんですけど、このカーテンの後ろって・・・?」
グラスを磨いているマスターに声をかけると、彼はそれを見て懐かしそうに目を細めた。
「ほほ・・・そこは昔小さなステージがあったところなんですよ。お店のスペースを広げる工事をした際に壊してしまいましてね。元々はそこより手前にもステージがあって、ピアノとマイクが置いてありました。夜はシンガーに立っていただく場所だったんです。」
「へぇ!素敵ですねぇ・・・。」
「若い頃はそれなりに繁盛しておりましたのでねぇ・・・。エレナさんやアリスさんのような見栄えのする女性シンガーが一曲歌えば、それはそれは地元の男たちは虜になったものです。」
私はさっき読んだカフェバーの本にも書かれていた情景を思い浮かべた。
簡易なステージのマイクの前で、艶やかに歌う女性はそれはそれはカフェの雰囲気も相まって素敵なものだろう。
「今はもうマイクが立てる程のスペースもないんですか?」
「そうですなぁ・・・。少し段差は残しておりますが、使えるスペースではないのでカーテンをしたままだったんですよ。最近のお客様はそこにステージがあったことすらご存じないでしょうね。」
「そうなんですかぁ・・・。」
古びたカーテンは少し埃をかぶっているものの、綺麗な厚い布はもったいなくそこに垂れさがっているだけだ。
「もしやアリスさんは歌を嗜まれるのですか?」
「へっ!?いえそんな!全然・・・。たぶん・・・えっと、昔の記憶がないので何とも言えないですけど、たぶん歌えません・・・。」
マスターはまた穏やかな笑みを私に返してくれた。




