第十四章
ロディアはわずかな時間で、その分厚い本をもうすぐ読み終わってしまおうかとしていた。
私がまた彼の横顔を眺めていると、高速に動くその瞳をピタリと止めて、一つ瞬きをして私を見た。
「・・・どうした?」
「・・・あの・・・」
私は率直に疑問に思ったことを聞こうとして、ふと考えた。
感情の塊であるドッペルにもし失礼なことでも尋ねたら、怒られたり悲しませたりするんじゃないかな・・・
けれど私にはどこまで聞いていいことなのか、ボーダーラインがわからない。
「えっと・・・」
私が相変わらずまごまごしていると、彼はスッと指先で私の髪の毛に触れて、それを耳にかける。
「さっきからチラチラ何かを気にしているようだけど・・・いったいどうした。わからない文字でもあったか?」
特にいつもと変わらない声色でそう問われて、彼の表情を伺う。
「あのね、ロディアのことで疑問に思ったことがいくつかあるんだけど・・・でもそれを聞くのは不躾かなぁって悩んでて・・・。」
静かな空間で小声に彼にそう言った。
広い本棚に囲まれた一室は、幸いにも周りに人の気配はなく、空調の効いたひんやりした空気に包まれている。
遠くの方で読書する人たちがいるけど、物音が大げさに聞こえることもなく、長机は本棚に囲われてまるで私たちを隔離しているようだった。
「例えばどういうことだ?」
少しの沈黙を破って、ロディアは変わりなく言った。
「えっと・・・飲まず食わずで不老不死なのは・・・体とか精神的に苦しいことはないのかなぁとか・・・。」
私の言葉に、彼は次第に目を丸くして眉を歪ませたかと思うと、口元に左手を当てて何やら笑いをこらえるようにした。
「ふ・・・面白いことを・・・。そうだな・・・。まずアリスに教えておきたいのは、国家魔術師という時点で、それは人間ではないということだ。人の形をしているだけで、体の中は魔力をエネルギーとして成り立たせている。生まれつきそれを多く保有しているものは才能に恵まれることもあるが、典型的な人間は食事や太陽光からエネルギーを得て生活することが出来る。だが国家魔術師程に認定されるものは、その内臓機能の全てを、魔力だけで賄うことが出来る。もちろん元は人間であるので、三大欲求である食欲、睡眠欲、性欲が何等かの形で残る魔術師も存在する。だが基本的には年月が経つにつれ、内臓は魔力で死なずに稼働させることが出来るし、子孫を残す能力が失われる代わりに、人間に必要不可欠とされる食事などの全てが不要になる。」
ロディアはわずかに微笑んで頬杖を突く。
「そしてアリスの疑問に対する答えだが・・・そもそも国家魔術師程の腕を持つものは、専門知識や魔術能力に長けているから、人間の生活を面倒に感じている者がほとんどだ。わかりやすく言えば、食事や睡眠をとる時間があるくらいなら研究をしたいとか、能力向上のために鍛錬し続けたいだとか・・・。国家魔術師のほとんどがそれほど高齢者もおらず、成人するころに才覚に芽生えるがために、だいたい30代くらいで王宮に召し上げられることが多い。そこまで認められる程になるためには、必然的に人間生活を捨てなければ成せないことでもある。だから魔力や能力が向上していくにつれ三大欲求は必要なくなるし、それを辛い、苦しいと身体的に感じることもない。中には自分は人間よりも高尚な存在で、そんな欲求などそもそも必要ないのだと驕り高ぶっている者もいるな。精神的な問題も然りで、余程人間生活が好きでもなければ、心を病んだりする者はいないように思える。」
「そう・・・なんだ・・・。」
だからそもそも人間としての感覚がないとか、考え方が違うっていうことかな。
私はロディアのわかりやすい説明を聞いても、尚も疑問は溢れる。
どうせなら、感情を持っている彼にしかわからないことを聞いた方がいいような気もする。
「ロディアがそうやって長い年月を生きて来たのはわかったんだけど・・・その、ロディアが楽しいとか、生き甲斐だなって思うことは何だったりする?」
すると彼は真顔になって、頬杖をついたまま私の顔を凝視する。
「・・・何故そんなことを聞く。」
「え・・・ダメだった?」
「いや、ダメというか・・・何故そんなことが気になるんだ?」
その時の彼が、怒っているのか単純に疑問に思っているのか私には推し量れずにいた。
「・・・生き甲斐ねぇ・・・ふふ・・・。研究や仕事に明け暮れていると、あまり街に出ることはないんだが・・・たまに昔から贔屓にしている喫茶店に行って、住人たちの話をマスターから伝え聞くんだ。城下町に出向くのも買い出しと情報収集がメインで、人々の暮らしの現状把握をしている。国民が平和に暮らせているということがわかれば、いわゆるそれが俺にとって生き甲斐になっているかもしれないな。」
それを聞いて賢者らしい答えだな、とも思った。
彼の根底にはいつも、国民の生活のため、という考えがあるのだろう。
「っていうのは建前で・・・」
「え?」
彼はまた口角を持ち上げて、今度はちょっと見たことない嘲笑するような笑みを見せた。
「実のところ、長生きして賢者を続けているのは、俺個人の私怨だ。」
「私怨・・・?それは・・・どういう・・・」
ロディアはまた優しい笑みに変わって、今度は私の頭を大きな手で撫でた。
「一介の国民にそんなこと教えられんな。言ったろ?知らなくていいこともある、と。」
小さな子供扱いをされた気がして、気恥ずかしいのと、なかなか本音を聞き出すことの難しさを痛感していた。




