第十二章
翌日、また心地の良いベッドで目覚めた。
ふと天井を見上げたまま、昨日のテレーゼさんとロディアの会話を思い返していた。
行く当てのない子供はたくさんいる・・・アレンティアはとても栄えている国に思えるけど、孤児も多いのかな。
安全が保障された賢者様のうちで、温かいベッドで寝起き出来ることはとてもありがたいことで、どんな偶然が重なっても到底手に入らないようなものじゃないかと思う。
ゆっくり体を起こして、洗面所で顔を洗った。
クローゼットを開いて、買い揃えてもらった洋服を眺める。
ロディアの隣を歩いていて恥ずかしくない人でありたいな。
そんなことを思いながら、何となくシックなデザインのワンピースに手を伸ばした。
図書館に行くんだし、少しおとなしめな雰囲気のもので・・・
着替えを済ませてキッチンで簡単な朝食を拵えた。
紅茶を淹れながら、ふと食器が揃った棚を見た。
「ロディアは食事をしないのに・・・どうして食器があるんだろう・・・。ここに来始めた頃はまだ食べたり飲んだりしてたのかな・・・。」
せっかくだしティーカップをもう一つ取って、私は彼の分の紅茶も淹れた。
わざわざ二階に呼ぶのは悪いかな・・・。そもそも今どこにいるんだろう。
ロディアの研究所兼自宅はかなりの広さで、三階と地下まであるのは何となく知っていたものの、その部屋すべてを見せてもらったわけではなかった。
そもそも勝手にウロウロしてもいけない気がしていて、だいたいは用事があれば彼から声をかけに来てくれるものだった。
ロディアは恐らく私の居場所が魔力でわかるのかもしれない。
私はそんなこと到底出来るわけもないので、とりあえずティーカップをテーブルにおいて、一階を少し探してみることにした。
助けてもらって初めてここに来た時の、連絡用の鳥がいればすぐ呼べるのかもしれないけど・・・。
そう思いつつ階段を降りて、広い部屋をキョロキョロ見渡す。
螺旋階段の周りに広々あるリビングは、お客様用のテーブルとソファがあって観葉植物が置いてある。
奥には扉がいくつかあるけど、どれも手をかけたことはなかった。
とりあえず静かなリビングにロディアがいないことはわかる。
「ロディア・・・どこにいる?」
大声を出していいのかもわからないので、とりあえず部屋に響く程度で呼んでみた。
しんと静まり返ったリビングが、寂しく私に沈黙だけを返した。
どうしよう、一部屋ずつ入ってみるべきかな。
でも入っちゃいけない所とかも絶対あるよね。研究所だっていうくらいだし・・・。
そう思いまごまご辺りを見回していると、リビングの奥にある本棚に目が留まった。
可愛い植物が置かれた小さなテーブルと、小さな窓もそこにあって、何とも落ち着く隅っこだ。
私は導かれるように本棚の前に立って、背の高いそれを見上げた。
本はびっしり詰まっている。色んな色の背表紙は古そうなものばかりだ。
一つ適当に手に取ってみると、何と書かれているのかわからないタイトルだった・・・。
読めなさそうなそれをめくると、少しだけ挿絵も入っていて、どうやら医療関係の本のようだ。
語学の本やアレンティアの歴史の本があったらありがたいけど・・・
ろくな記憶も知識もない私にはそれがお似合いだ。
けれども手に取るもの全てが、とても難解で読めない文字が多かった。
仕方なく本を閉じて戻しながら、脇にある小さな窓から外を覗いた。
深い森の中で木々は鬱蒼としていて、わずかに風に揺られる様子だけが見えた。
とぼとぼリビングの中央に戻ると、カタンと頭上から音がしてパッと見上げた。
そこには天井に吊るされている植物のほかに、鳥かごらしきものがわずかに揺れていた。
けどそれは扉が開いていて、中身は空っぽだった。
首を傾げていると、すぐ側からそれは聞こえた。
「やぁ、お嬢さん。」
「へっ!?」
情けない声を出して目の前のテーブルに視線を戻すと、青と緑の綺麗な鳥が私の真似をするように首を傾げていた。
「驚かせたかな、失礼。さっきからウロウロしているけど、ロディアに用事かい?」
「あ・・・は・・・えっと・・・そうです・・・。」
「申し遅れた。僕はライザスと言う。簡単に説明すると鳥の獣人だ。まぁ獣人と言っても人の姿になることはほとんどないがね。100年程前からロディアと契約している。」
「あ・・・えっと、私はアリスといいます。」
私が名乗るとわずかに口元を持ち上げて答えた。
「伺っているよ。君は・・・変わった魔力をしているけど人間のようだね。今ロディアを呼ぼう、少し待ってね。」
そう言うと彼の緑の瞳がわずかに光った。
するとどこか奥の方から物音がして目の前の空気がわずかに滲むと、そこからロディアが現れた。
「アリス、すまない、地下にいたんだ。どうした?」
「あ、ごめんなさい・・・お仕事の邪魔してしまって・・・。どうということもないんだけど・・・その・・・少し話したくて、紅茶を淹れたから良かったら・・・。」
私がそう言うと、ライザスさんは優雅に羽を口元にあてて微笑む。
「なんて気の利く女性だろう。こんなに麗しいのに謙虚で・・・。君の側使いとして相応しいんじゃないかい?ロディア。」
ロディアはチラリと彼に視線を合わせたけど、相変わらず無表情に答えた。
「ありがとう、いただこう。すぐ行くからティーカップを準備しておいてくれ。」
彼はそう言って踵を返して白衣を脱いだ。
私は微笑むライザスさんに一つ頭を下げて、また螺旋階段を上がった。
冷めてしまった紅茶を温めなおして、用意していたカップに注ぐ。
そういえば・・・前にロディアが紅茶を淹れてくれた時、あまり嗜好品は使わないって言ってたなぁ・・・紅茶好きじゃないのかな・・・
少し不安になりながらも、自分の分のカップと一緒にテーブルに置くと、彼が階段を上がってきた。
ロディアはソファに腰を下ろして、ありがとう、と言うと特に気にすることなく紅茶を手に取って口を付けた。
「・・・どうしたんだ?」
「あ、ごめんなさいじろじろ見て・・・。」
同じく隣に腰かけて、自分の分の紅茶を一口飲んで、小さく息をつく。
「あの・・・ちゃんとお礼を言ってなかったけど・・・エデンでのこと、どうもありがとう。それから・・・私に住む場所を与えてくれたことも。」
ロディアはカップを静かに置いて、ゆっくり視線を返した。
「昨日も少し話したが、俺の気まぐれのようなものだ。・・・運よく命を助けられて良かったと思ったし、薬の悪影響で何が起こるかわからない状態では、まだまだ診察が必要になるだろう。いきなり街で生きていったとして、症状が出た場合誰も対処できないだろうからな。」
それ聞きながらふと、昨日ロディアとテレーゼさんが交わした会話を思い出す。
「あの・・・テレーゼさんがロディアに、何か隠してるって言ってたけど・・・そうなの?」
恐る恐る尋ねると、ロディアはまたカップを取って口を付けた。
「物事の全てを明らかにして、その全てを伝える方がいいかと言われたら、必ずしもそうではないと思っている。知る必要のないこともあれば、知ってしまったことで事態に巻き込まれることもある。またそこまで大袈裟のことでなくとも、人は事実を知らされると、無為に傷ついてしまうことがある。」
ロディアのその説明からわかることは、私のために言わないでいてくれていることがある、という風にとれた。
「人間は時にこんな風に言うだろう?『知らない方が幸せなこともある』と・・・。」
特に表情を変えず淡々とそう言われて、何だか少しだけ不安を落とされた気がした。
そんな私を察したのか、ロディアは付け加える。
「俺がアリスや他の者に真実を伝えていないことはたくさんあるかもしれんが、そのどれもが本人の問題ではなく、俺が対処出来ると判断したからだ。何も気に病む必要はないし、アリスの身に危険を及ぶことは一切ない。もちろん自分のせいで何か俺に負担がかかっているのでは、と思う必要もない。」
「・・・きっとそれでもロディアは、私に関係してる何かを一緒に抱えてくれたんだと思うから・・・ありがとう。その・・・私なんかがロディアの何かを助けてあげることって出来ないかもしれないんだけど・・・。もし出来ることがあれば、何でも協力するから言ってね!」
意気込むように言うと、ロディアは優しい笑みを見せた。
「そうか・・・。俺がアリスに対して望むことがあるとすれば、一つだけだな。」
彼は残りの紅茶をくいっと飲み干す。
「なあに・・・?」
ロディアは空になったカップをじっと見つめて言った。
「生きてほしい。」
彼のその一言の意味を、もしかしたら私は深く受け止められないかもしれなかった。
記憶を失くした私は、ほとんど生まれたての赤ん坊同然だ。
対して彼は350年のうちの100年を除き、記憶と経験を持ち、国民に尽くしている賢者様。
「助けたいと思った命を救えて俺は、自分自身の存在が報われたように感じているんだ。そういう意味では生きてほしいという願いはエゴかもしれんが、手助けしたいという行いや気持ちを継いでくれたらな、と思う。それは人間にとって必要なことだと思っているし、国民にはそういう気持ちを持って支え合っていてほしいから。」
「うん・・・。わかった。ありがとう、話してくれて・・・。」
ロディアはまた優しい瞳を向けて、短いお茶の時間を締めくくるようにこう言った。
「アリス、自分の家族の記憶がほとんどないだろうが、さっきライザスが言っていたように、相手に対して気遣いが出来て、真面目な姿勢を持っているのは、その根底を作り上げてくれた周りの存在があったからだ。戻らない家族を寂しく思うことがこれから先あるやもしれんが、その全てを悔やむことも恥じることもない。生きて行く上で大切にしたいものは、これから自分で選択できるんだ。そこに信念を持てるかどうかに、自分の親は関係ないし、生い立ちも問われない。」
ロディアがくれたその言葉たちを、深く頷いて受け止めた。
そして彼がくれた大事な時間を忘れないために、紅茶と一緒に飲み込んだ。




