第十章
港近くの町の広場で、私たちはベンチに腰掛け休憩していた。
「ロディア・・・感情を閉じ込めたもう一人のロディアは・・・どこに行っちゃったの?」
彼は遠い目をしたまま、広場の噴水を見つめていた。
「普段は自分の中に納めている。身代わりのようにすぐ外に出すことは出来る。だから出していない時は多少だが、感情の起伏は自分の中で起こる。まぁ・・・何百年も生きているから、アリスのような若者に比べたら、それはほとんどわからない程度だと思うが。」
そう言ってロディアは瞳だけこちらに向けて苦笑した。
「でも・・・私は少し何となくだけど・・・ロディアの感情はちゃんと感じてたよ。私の・・・お父さんだった人が・・・私にどんなことをしたか知ったから、代わりに怒ってくれてたのかなって・・・。」
ロディアは考え込むように視線を落とした。
「愚か者のせいで・・・子供が犠牲になることが許せないんだ。アリス、俺は特異なケースだが、人間であっても感情を押し殺して生きようと思えばそうすることも出来うるし、意図せずそうなってしまう者もいるだろう。だがな・・・感情が動くことは生きている人間にとってとても大事なことだと思う。そして感じたことを言葉にしたり、表現することは難しいがもっと大事なことだ。人を殺し続けるために、国のためと大儀を掲げて非情にならざるを得なかった俺とは違う。なぜなら感情表現は、自分が生きていると感じることが出来る行為だからだ。言葉にしなければ、誰かに伝えなければ、自分の中だけのそれはいずれなかったことになるか、心に傷をつけるだけになるだろう。それは人間を精神的に苦しめる。だから人は美しい花を綺麗だと思うし、感謝を述べるためにありがとうと言うし、愛していると伝えたくて抱きしめるんだ。」
静かに彼の言葉に耳を傾けていると、小さな花束をいくつもカゴに入れた少女が、私たちの前に駆けて来た。
「旦那様、奥様に一ついかがですか?20スートです。」
可愛らしいワンピースを着た女の子は、花束をロディアに見せてニッコリ微笑む。
「ありがとう、貰おうか。」
ロディアは笑みを返して少女にお金を手渡し、花束を受け取った。
「ありがとうございます!お二人に女神様のご加護があらんことを。」
女の子は満面の笑みを浮かべて去っていく。
「アリス・・・記憶が曖昧であるのは薬の副作用だろう。俺は家の中で記憶の復元を行って、アリスが生きて来た時間を見た。そのどれもが幸せな記憶かと言われればそうではないし、このすべてをアリスに返すことが正しいのかどうかもわからない。生年月日も確認できた・・・アリスは今年で二十歳だ。」
ロディアはピンクと黄色が集まった花束を、そっと私に手渡した。
「悲しいと・・・辛いと思うことは、生きている限り何度も繰り返し起こるだろう。だが感情を表に出すことは恥ではないし、愚かなことでもない。」
綺麗な花束が、彼の優しい声を聴いていると、どんどん涙でにじんで見えていく。
「リーベルの花まつりでは、家族や友人、恋人などに花束を贈る習慣がある。アリスを妻や恋人扱いするつもりはないが・・・ブルームも言っていた通り、頼れる者が近くにいるときは、甘えてもいいと思う。つまり・・・はぁ・・・回りくどい言い方しか出来ないな・・・。」
ロディアはそう言いながらボロボロこぼれる私の涙を、綺麗な指ですくった。
彼の優しくて少し困ったような笑顔を見て、こらえきれない気持ちが溢れる。
そっと抱きしめてくれた彼にしがみつくように泣いた。
時々人が行き来する広場で、恥ずかし気もなく子供のように。
私の家族は壊れてしまった。
元に戻ることがあったとしても、私には戻りたいと思う気持ちも存在しない。
愛し愛されていた記憶がない。
だから家に帰りたいと思っていなかったのかな・・・。
自分の過去を語られても、父以外の家族が現れたとしても、きっと家族になることは出来ない。
たぶん私は、エデンで生きていた時も、心の中で家族と訣別したい気持ちを抱いていたのだと思った。
ここで生きていたくない・・・。故郷に対してそんな風に思っていたのかもしれない。
そして記憶を失って出会って半月程しか経たないロディアに、ましてや大国の賢者様に、私は甘え切って生かされていた。
ロディアは私が泣き止むまでずっと、背中をさすりながら抱きしめていてくれた。
一頻り泣いて、彼が貸してくれたハンカチで拭っていると、私たちの間に割って入るようにお腹が鳴った。
「・・・・あ・・・す・・・すみませ・・・」
途端に恥ずかしくなって顔を伏せると、ロディアは腰を上げた。
「腹がすく頃だろうと思った。城下町に移動するか。」
「はい。」
差し出された手をまた繋いだ。
たくさん泣いたからか、胸の内はスッと晴れて、涼しいリーベルの空気を胸いっぱい吸い込んだ。
けれど代わりに、彼に抱きしめられていた感触をいつまでも思い出して、繋いだ手が気恥ずかしくて仕方なかった。
その後二人で観光客用の車に乗って、城下町へとやってきた。
そこではアレンティアの城下町程の広さはないものの、軽快な音楽が奏でられ、出店がたくさん並び、広場の近くでは大道芸を披露する人たちまでいた。
街灯にはたくさんの花が飾られ、人々は思い思いに祭りを楽しんでいた。
「さて・・・適当に見て回るか。食べたい物があれば教えてくれ。」
手を引いて私に穏やかな笑顔を向ける彼に、同じく笑みを返した。
私はリーベルのこともアレンティアのことも、ましてや自分自身のこともよくわかっていないけれど・・・
でもそれでも、これからたくさんの世界を知って、出来ればその世界をロディアと一緒に見てみたいな、と思ってしまった。




