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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ビイドオ

作者: はむはむ

よろしくお願いします。

 ここは、とある田舎。

 車やコンビニはほとんどなく、周りにあるのは田んぼばかり。冬は家に積もった雪を降ろし、春には桜が散るのを眺め、暑くなるとスイカを食べ、やがてはトンボが飛ぶ季節になったねぇ、と口々に言い合う。


 今日はそんな田舎に、まるで春の日差しのように、穏やかな放射線が降り注いでいた。


「……? なんだ、これ……」

「……なんだか、首のあたりが痛い様な……」


 外に出ていた人々は、なんとなく『違和感』を覚えてこそいたものの、誰もその正体に気が付かない。子供は変わらず、道端で遊んでいる。


 しかし数秒後、その声は悲鳴に変化する。


「……な、なんだ、あれは!?」


 一人の男が、山の方を指差した。

 指の先ではマグロが一匹、ビチビチと飛び跳ねている。それは遠くから見ても十分目に入る程で、小さく見積もっても縦に10mはありそうだった。じゃっかん、光を放っているようにも見える。


 虚ろに濁った魚の眼が人々を捉えると、飛び跳ねるようにしてそれは近づいてきた。


「に、逃げろッ!!」


 静かな田舎に、そんな叫び声と魚が飛び跳ね地面が隆起する音とが響き渡る。


 田んぼがグチャグチャになり、中にいる人の悲鳴さえも聞こえぬまま家は壊された。

 農作業に勤しんでいた人々がどうなったかは、言うまでもない。


「なに、これ……」


 外で遊んでいた子供が、日常の終わりつつある音に気付いて顔を上げる。

 アルカリ性を示すみたいに、その顔は真っ青に染まった。手に持っていたプラスチック製のスコップが、滑り落ちた。


 目と鼻の先に、マグロの顔があった。

 心臓の辺りに、すとんと冷たいものが落ちる感覚。


「……や、や、やだ……」


 子供に備わっている生存本能、俗にいう恐怖が声をしぼり出す。が、体は動かない。

 時が止まったようだった。


 二秒後、そこには只、血でできた水溜まりが残っているだけだった。



***



 男は、パソコンの前に座っていた。

 左上の矢印をクリックし、ホーム画面へと戻る。彼の好きなソシャゲの最新動画は、まだ更新されていないようだ。そんな風に確認すること、ここ一分でなんと10回。


 おかしいな、今日の午前11時って聞いてたんだけど。


 男はデジタル時計を見て、ため息をつく。

 時計は確かに、11時1分を示していた。


 彼がいるのは、カーテンを閉め切った防音室。当然それは、爆音で動画を視聴するためにわざわざこしらえたものだった。


 仕方がないので、彼は左上の『再読み込み』を押した。

 その時である。



 窓の外から、破壊音に似た音が響いた。

 男はほとんど条件反射的に、カーテンを開けた。


 マグロがいた。


 彼は嘆息と共に、窓を開けた。

 涼しい風が部屋に入ってくる。


 帰ってくるまでに、動画が投稿されてないといいんだけど。


 いつの間にか、彼の手には重厚感のある一丁の黒い剣が握られていた。

 駆け出した。


 見ると、マグロの前で一人の幼い子供が座り込んでいる。

 あのままだと、二秒と持たずに殺されるだろう。

 そこまでの距離、およそ100m。


 ギリギリ、間に合うか?


 彼は剣を振った。

 衝撃波が空気を揺らし、マグロと子供の方へと向かって行く。

 彼は自分で飛ばしたその衝撃波よりも早く走り、子供を抱えて衝撃波の軌道から外れた。


 衝撃波はマグロにぶつかり、ぐちゃ、と鈍い音とをたてる。

 二秒後、そこには只、血でできた水溜まりが残っているだけだった。


 ……任務完了っと。


「もしもし? こっちi373。『ビイドオ』は仕留めた。後始末の援軍要請」

「承諾。部隊M43を向かわせるわ」

「なるはやで」

「承諾」


 男は本部の人間と会話していた。

 そのとき、彼の手に抱えた少年が言う。


「な、い、いまの……」

「悪いな、坊や。今はそんなに話してるヒマはないのさ」


 青色の空のもと、

 彼は子供を地面に降ろし、欠伸をした。


「……悪いことは言わないから、今日あったことはもう忘れてお眠り、な?」



***



「イデデデッ、やめろッってお前ェ!」

「……そんなこと言わずに、黙って確認させて」

「いやいやいや、俺無傷だって!」


 戦いが終わり、家に帰った男は、女に服を脱がされていた。

 とんでもない話だった。


 男は無理くり血の付いた服を脱がせようとしてくる女の顔を見る。

 短い黒髪で無機質な彼女は、目つきがきつく、性格も頑固で物足りないが、世話焼きという意味では間違いなくいい女だった。


 こんなのが女房だったら、まぁ人並みに幸せになれるだろう。

 確かに、女房かと間違えるくらい二人の付き合いは長い。しかし、それはあくまで『戦闘員』と『医療員』としての関係なので、恋愛にはとうてい発展しそうになかった。


「大体、血が出てたらわかるだろ!」

「内出血」

「ハァ⁈ どこも痛くないって!」

「いつのまにか内出血って言うでしょ」

「それは骨折だ」


 彼女は言いながら、相変わらず服を脱がそうとしている。

 やがて男は根負けし、自分から上半身裸になった。男が再三繰り返している通り、そこには傷の一つさえない。青く腫れた部分もなく、内出血しているようには見えなかった。


「……本当に、ない」

「だから言ったろって」


 男は服を再び着用した。

 窓の外を見るとそこには、潰れた家々や隆起した田の痕。じきに、後始末部隊こと隠蔽部隊が眼に映らないようにしてくれるだろう。政府は今だ、化物たちを国民に隠蔽し続けている。


 しかし、困ったものだ。


 男は顎に手を当てた。

 10年前、突如として日本に現れた化物、もとい『ビイドオ』の被害は段々と増えつつあった。最初の方こそ太古の昔に生きた原核生物みたいに卑小な生き物だったのが、今や立派な巨大マグロだ。

次に来るのは地を這う毒タコの群れか、はたまた巨大電気ウナギか。いずれにせよ対処はごめんだと思った。



 男が表情を崩したのを見て、女は「痛むの?」と尋ねる。

 さっき怪我はないって確認しただろ、と男は生返事した。



 ……まぁ、それもじきに終わるだろう。


 男は自分の手を見た。

 普通の人間には、今の自分に起きた『異常』はわからないだろう。だが、彼は自分の体調不良を感じ取っていた。


 どことなく、体がだるい。手の痣の治りが遅い。


 さっきのマグロだ、と男は推測する。

 遅かれ早かれ、後始末部隊から放射線の検出が報告されるだろう。むしろ、これまでこうならなかったことの方が不思議だ。


 マグロそのものが放射性物質だったか、それともあたり一帯に放射線が降り注いだか。おそらく前者だろうが、もし後者だとしたら、ここ一帯もろとも終了だ。


 男は立ち上がり、パソコン前の椅子に座った。

 自然となっていたスリープ状態を解除すると、そこには動画配信サービスのサイトが映っている。どうやら、例のソシャゲ動画は5分前に公開されたらしい。


 男はそれを、クリックして再生した。

 視聴しながら、彼は声を出して笑った。



***



 次の日、やはりマグロから放射性物質が検出された。それも、直接ビイドオと対峙し血を浴びた男は多くの放射線を被っており、多く見積もっても10日で動けなくなり、死ぬという。


 医療班の女は愕然と青い顔をしていたが、当の本人は「まぁ当然だよな」と達観した思いで報告を聞いていた。


 いつか、こんな日が来るだろうなとは思っていた。

 「大丈夫?」と尋ねる女に、男は頭を掻きながらこう答えた。


「まぁ、今の所体に異常はないから、とりあえず活動はできるよ。ちょうど『ビイドロ』出現の兆しが、この辺で出てるし。とりあえずはそれをやる」

「……そっか」


 女は止めなかった。

 男は「じゃ、行ってくるわ。夜までには帰る」とまるで出勤するかのように言って、彼は玄関へと歩き、扉を開けた。ポケットにはスマホと、1万円入りの財布だけが入っている。


 まさに出て行こうとした時、女が止めた。


「待って、私も行く」


 男は驚き、振り返った。

 彼女は少し頬を赤らめて、男を見ている。


「……なんで?」

「医療員だから」


 男はため息をついた。


 普段頼っている医療員はこの女一人だけではないため、同行するのは極稀だった。

 それが危ない行為なのは、重々承知だろう。

 このような言い方をするときの彼女は梃子でも動かないと知っていたからこそ、彼が掛けた言葉は一つだけだった。


「気を付けろよ」



***



 二人は、ビイドオが現れるであろう山のすぐ近くにある、コテージに宿泊した。

 いつ化物が現れるかわからないので、宿泊は必須だった。にもかかわらず1万円しか持ってきていなかったので、女がいなかったら彼は路上で寝泊まりするハメになっていただろう。


「……それで、奴らが現れるまでどうするの?」


 女が男に尋ねた。

 付いてきたはいいものの、女はこれまで一度も男と一緒にこのように行動したことが無かったので、普段彼が何をしているか知らなかったのである。

 男は「まぁ」と呟いた。


「暇を持て余す形になる。スマホは持ってるだろ?」


 彼は自分のポケットから、黒い板状の物体を取り出して見せた。

 女が首を振った。


「持ってない」

「……本気で言ってるのか? 医療用具一式持ってきた癖に?」


 その問いに対し、女はまた首を横に振る。

 男は肩を落とし、わざとらしく落胆のしぐさを見せた。


「外で美味しいものでも食べに行こう」

「やだね、俺はインドア派なんだ。一人で行ってくれ」


 彼はスマホをいじりながら、女には目もくれずに言う。

 女は頬を膨らませて、男の手からその黒い板を奪い取った。「あっ」と男が言うより先に、女はコテージの玄関扉を開けている。


「おい、待てって」


 男は急いで彼女を追った。

 本気を出して専用の器具も用いれば世界最速なんて優に超えられる男だが、ビイドロが現れた時に備えて今は本気で走れない。そのせいで、女との距離はまるで縮まらなかった。


 女は、コテージのすぐ近くにあった山を上っていた。

 日光を遮る形で木が生えているため、真昼間だというのに薄暗い。鳥の声や酸素の多い空気を胸いっぱいに吸い込んで、彼は女を追いかける。


「返せって!」

「やだ!」


 そうこうしているうちに、段々と、二人の距離は縮まっていた。

 あと少しで、男は女に手が届きそうな所まで来ていた。男は手を伸ばし、その肩を掴もうとする。


 その時だった。


「うわっ」


 突然、女が転んだ。

 幸い上り坂だったので落下することとはなく、彼女はその場に倒れた。

 「言わんこっちゃない」と、男はため息をついた。


「早く返さないからそうなるんだよ」

「……」


 「ほら」。

 彼は手を差し出す。女は大変不服そうにその手を握り返し、立ち上がった。


「大丈夫か?」

「ちょっと土がついただけ。切り傷もない」

「なら大丈夫だな」


 男はひとまず安心して、またため息をついた。

 それから、既に少し疲れていた彼は「帰るぞ」と言う。

 だが、女は「嫌だ」と言った。


「この山を下りたところに、団子屋があるから。せめて、団子だけでも食べよう」


 今日だけで、何度目のため息だろう。

 もう疲れていた男は、「わかったわかった」と頷かざるを得なかった。女と男は二人並んで、山を下りる。


 上る時は一生懸命すぎて気が付かなかったが、人が整備した道はないので、足場がかなり不安定だった。夏に相応しく、セミの抜け殻やカブトムシなども見た。


 山を下りると団子屋より先にコテージが見えたが、女は見えないフリをしてスルーした。

 コテージから徒歩2分のところ、山を間近で拝める位置に団子屋はあった。暖簾や横開きの扉など、まるで、そこだけ時間が過去に戻ったかのような雰囲気だった。


 二人が店に入ると、口の両端に深いしわのあるおばあちゃんが「いらっしゃいませぇ」と言ってきた。女は軽く会釈するが、男は無視してカウンター下の団子を見る。


 だんごにはいくつか種類があり、色とりどりだったが、男は一番最初に目についたものを選んだ。


「……ずんだで」

「一本だけでいいの? 料金は私が持つけど」

「一本でいい」


 男は不愛想に言って、顎をしゃくった。

 女は「じゃぁ、私も」と呟いて、おばあちゃんに「ずんだ二本下さい」と告げる。

 勘定は300円だった。


 外に出て、男は日傘のある赤い席に、女は日傘のない赤い席に座る。

 男に団子を渡すと、女は口を開いた。


「……なんでそんなに不愛想なの?」


 彼女は男の眼を見つめていた。

 たまらず彼は、目を逸らす。見つめ返すことなんてできなかった。

 代わりにただ一言、「あたりまえだろ」。


「どうして?」


 男は団子を一つ、口に入れた。


「普段なら、ただスマホとかパソコンとかで時間潰してゴロゴロしてるんだよ。なのに、お前のせいで外に出された。不機嫌にならないわけない」

「外に出るのも、いいこと」


 女は座ったままだ。


「奴らが現れたら、どうせ外に出る」

「外に出るって……強制的に、でしょ。外に出て、美味しいもの食べてって、できないでしょ」


 男はまた一つ、団子を口に含んだ。

 むしゃむしゃ咀嚼しながら、「スマホ返せよ」。


「返さない」

「なんで」

「返したくないから」

「お前、いつからそんなガキになったんだよ」


 男の語気が段々と荒くなる。

 それに呼応するようにして、女の態度も尖った。


「貴方にだけは言われたくない。それに、世界がどんなに楽しいか、どうせ知らないんでしょ?」

「はぁ?」


 男は団子を食べるのをやめた。


「それ、どういう意味だよ」

「スマホだけを楽しみにしてる人生なんて、どうせつまらないって言ってるの」


 鳥の鳴き声が、静けさに木霊した。

 次の瞬間、何かがプツンと切れたみたいに、男が立ち上がった。団子の串が折れて、団子は地面に落ちた。


「お前にそんなこと言われる資格はない!」

「いや、ある。医療員として、貴方の生活習慣はあまりにも──」

「うるさい! ああもう、連れてこなきゃよかったよ! こんな能無しなんか!」


 女が立ち上がった。


「能無し? 私がこれまで貴方の傷を治療してこなかったら、貴方は野垂れ死んでた」

「そのこととこのことは関係ないだろ! ゆっくり、静かに、一人で過ごさせてくれ!」

「人聞きの良い事は言うけど、どうせネット依存でしょ?」


 男は一拍の間さえ開けない。


「ああそうだよ、俺はネット依存患者さ!」

「ダメ! そんなの……」

「どうせ俺は、もうじき放射線で死ぬんだよ!!」


 ……また、静寂。


 男は女から顔を逸らした。

 女は男の背中に何か言おうとするが、言葉が見つからず、その口は閉じてしまう。

 男は深く、深くため息をついて、振り返った。


「返してくれよ、スマホ」


 その口調は、この上なく穏やかだった。

 男は、女の目をまっすぐ見ている。睫毛や手は震えていた。その眼には、恐怖が宿っていた。


 それでも、女は目を逸らさずに言った。


「返さない」

「なんで……」


 セミの鳴き声が聞こえる。

 太陽が眩しい。日光は、日傘の下に立つ男には当たらない。


「たくさん外に出て、美味しい物を食べて、悔いの残らない人生にしてほしいから。胸を張って『充実した人生』って言って、心から笑ってほしいから」

「……お前には、関係ないだろ……」


 男は震えていた。


「関係ある」

「……」


 男は、頭を押さえて椅子に座った。

 女はゆっくりと、彼に近づく。


「だとしても、どうせ、どれだけ充実しようと、関係なく、死ぬんだ。だから、好きにさせ……」


 何かがぶつかる音がして、男は顔を上げた。


「……え? なんで……」


 彼の視線の先には、ボロボロと涙を流す女の姿があった。一つも減っていない団子が、地面に落ちている。

 女は両手で目を覆い、目を隠す。液体は顎を伝って、地面にシミを残す。


 男はどうしたらいいかわからず、彼女を見つめるばかり。

 やがて、女は泣きやんだのか、嗚咽は聞こえなくなった。泣きはらした赤い目で、男を見る。


 沈黙。


 押し負けたのは、男だった。

 彼は頭を掻いた。


「わかった、わかった、俺の負けだよ。今日は、外でゆっくりしよう。ただ、今度『スマホ返せ』って言ったら、ちゃんと返せよ」


 男はポケットを探り、財布を取り出した。

 そこにはただ、いくつかのコンビニのレシートと1万円札、小銭が少しのみが入っている。


「……団子、買ってくるから」

「私も行く」


 男が立ち上がり、店に入ると、女は目を赤くしたまま続いた。

 おばあちゃんは何か感じるところがあったようだが、何も言わない。「いらっしゃいませえ」と、微笑むばかりだ。


「四本までな」

「そんなに食べられないよ」

「……じゃぁ二本」

「二本は少ない」

「なんでそんなに反抗的なん?」


 女は声を出して笑った。

 男もつられて笑う。


「……注文いいですか?」


 男が先に言った。


「どうぞお」

「こしあん一本、みたらし一本、七味一本」

「あ、私も一緒にお願いします。つぶあん一本、みたらし一本、ごま一本」

「はぁい」


 おばあちゃんはケースからだんごを取り出し、フードパックにいれた。

 男は代金を払い、それを受け取った。

 ふーっと、ため息のように彼は深く息を吐く。


「……なぁ」


 外に出て、席に座り、男が口を開いた。


「なんでつぶあん選んだの?」

「おいしいから」


 男はこしあんの串を手に取り、一つを口に含む。

 それを見た女が、つぶあんの串をとって食べる。


「こしあんの方がおいしくね?」

「え……? 何を言ってるのかわからない」

「だから、そんなつぶつぶしたやつより滑らかな舌触りのほうが良くないかって」

「いやいや、このつぶつぶがいいんでしょ」

「いいやそんなことはない。だって考えてみろよ。こしあんにはなぁ、鉄分が多くて健康にいいんだぞ」

「そんなこと言ったら、つぶあんはポリフェノールが多くて動脈硬化を防ぐ働きが……」

「それにだな、こしあんは……」

「つぶあんは……」


 そのうち、言い合いに疲れた二人は黙った。

 まだ団子は、ほとんど減っていない。


「仕方ない、こしあんとつぶあん、もう一本ずつ買ってくる。それでこしあんの良さを知るがいい」

「……そんなに食べれないよ」


 女は少し口ごもり、「それにさ」。


「まだ残ってるんだし、一つあげるよ、私の団子」


 女は男に、串を差し出した。

 男は驚きの表情を浮かべ、どうしたらよいかわからず左右を見る。山が広がるばかりだ。

 彼はため息をついて、「じゃ、俺のも一つやるよ」。


 団子を交換して、もぐもぐ、と口に入れた。

 ごくり、と嚥下する。

 口の中にはまだ、あんこの風味が残っている。


「やるじゃん」

「今回の所は、引き分けね」


 二人がそう言ったのは、図らずもほとんど同時だった。

 それで、二人は笑う。


 一度笑いだすと、止めるのは難しかった。




 こしあんは舌触りがよくて、濃厚な甘さだった。

 みたらしは香り高く、甘じょっぱい。

 七味はみたらしに七味をかけたもので、想像していたよりも辛く、つーんとした。


 地面の触感は確かだった。

 山の空気は澄んでいた。

 空はどこまでも高く、青かった。


 それが、愛しくて。

 男は思わず、呟いた。


「……死にたく、ないなぁ……」


 ため息が、口から零れていた。



***



 それは、二人がちょうど、コテージに戻ろうとしていた夕暮れ時だった。

 大きなものが倒壊するような音が、遠くで聞こえた。


 ああ、とうとう来てしまったらしい。


 男は静かに悟り、右手を宙にかざした。

 するとその手に、黒い剣が握られた。


 振り返ると、スズメバチの群れが山から下りてきていた。

 ブーンと言う羽音が、100m以上離れたこの場所まで聞こえる。

 黄色と黒のサインを、人間は『危険信号』として多用する。


「……下がってろ」


 言うが早いか、男は走り出した。

 女も走り出したが、男との距離は一瞬にして50mを越える。


 近くで見ると、ハチは顔だけで男の身長の二倍近くあり、威嚇するように顎を鳴らしていた。もっとも、それ以上に羽音が大きく、ほとんど顎の音は聞こえない。


 男はハチと刹那睨み合い、地面を蹴った。

 数メートル飛び上がりハチよりも高い場所へ至った彼は、剣を振った。


 剣はハチにぶつかり、真っ赤な液体とその体を散らす。

 無防備な男の胴を、別のハチの針が狙う。

 男はたった今殺したハチの体の一部を蹴り、空中で一回転した。

 彼の剣が針にぶつかり、ハチが怯んだ。


 彼はその隙を逃さず、また剣を振る。

 真っ赤に染まった。


 男は剣を何度も何度も振りかざした。

 その度、羽音が一つずつ減ってゆく。



 数こそ多いが、一匹一匹の動きはさほど複雑でなく捉えやすいので、大したことはなかった。

 それに、アシナガバチでもスズメバチでもなく、相手はただのミツバチだ。大した毒も持っていない。

 このままなら、時間はかかるがいつかは殲滅できるだろう。


 そう、この戦いで、男が負けるリスクは万に一つもありはしなかった。



「あらぁ、なんだか外が騒がしいわねぇ」

「あ……! 危ない!」


 団子屋のおばあちゃんが外に出てきたのを、彼は目撃してしまったから。

 そこにリスクが生まれた。


 群れのうち数匹のハチが、団子屋の方に向かった。

 条件反射的に、彼は団子屋とハチの間に割って入った。

 針と剣がぶつかり合い、信じられないことに火花を散らす。火花は男に降り注ぎ、火傷の痕を腕に残した。


 彼は剣にかかっている衝撃と火花の痛みに、顔をしかめる。


「なんだい、これは……」

「いいから下がってて!」


 言いながら、彼は一気に力を込めてハチを押し返した。

 おばあちゃんは何が何かもわからぬまま団子屋の中に戻ろうとするが、その瞬間ハチが団子屋に突っ込み、団子屋は音をたてて崩れ落ちる。おばあちゃんは腰を抜かして、青い顔をしていた。


 そこに、またハチが迫る。

 男は目の前のハチを一息に押し返し、おばあちゃんの前に立った。


 剣を振るが、ハチはもっと速い。

 その鋭利な針が、毒が、とうとう男を掠った。左腕にじんわりと走る痛み。男はそれを無視して、剣を振り続ける。



 ──どうせ、俺は死ぬ。だから、何をしたって、何を守ったって変わらないし、俺には関係ないはずだった。


 なのに、なんで俺は、こうも死に物狂いで戦ってるんだ?

 何のために?


 ハチが迫る。

 ま、いいか、どんな理由でも。



 いつの間にかおばあちゃんの姿はなくなり、

 あんなに煩かった羽音はほとんどしなくなっていた。

 真っ赤な液体を頭からかぶった男は、血塗れの剣を杖のように、地面に突き立てた。


 肩で息をしている。左腕の感覚はない。


「……!」


 そんな彼の元に、女がたどり着いた。

 彼女は男を見るや否や、両手を広げて彼に駆け寄る。

 彼女は男を抱きしめ、「大丈夫か」と囁く。


 答えは、吐血だった。


「あ……っ」


 男の体から力が抜け、女は彼の全体重を支えた。

 彼の体が、やけに冷たい。


 彼女は、男のポケットをまさぐり、スマホを取り出した。


「……医療班……医療班の増援要請をしないと……」


 ダイヤルするが、手が震えているせいでなかなか上手くいかない。

 焦りだけ募っていく。


 とうとう、電話は繋がった。電話の相手はものの数秒で電話に出た。


「……東北地方で任務にあたっていた……i373の専属医療員です。致命傷を負ったので、医療員の」

「返してくれよ」


 突然、男が声を上げた。


「スマホ」


 その時、彼が何をしようとしているのか、わかった。


 女の顔が熱くなり、やりきれない思いになる。

 でも、男を止めることは、彼女にはできなかった。


 スマホを男の口元に近づける。

 男は、確かな声色でこういった。


「こっちi373。医療員は不要。戦闘の援軍要請」


 電話は切れた。


 男は、小虫の羽音のより小さな声で囁いた。


「ありがとう」

「え……」

「俺さ」


 男は、ため息をつかない。


「ずっと引きこもってばっかだったから、わかんなかったけど。外の世界って、こんなに楽しいって、おまえのお陰で気付けた。充実してるって、はじめて感じれた」


 男の体に力が入り、女の腕から離れた。

 女はその背中を、見つめることしかできない。


「おまえに出会えて、本当によかった」

「……そんなの……!」


 女は一歩、彼に近づいた。


「そんなのって、ないよ……! こっちを向いて、こっちに来てよ! 治療させてよ! 私が治すから! だから──」


 彼女の視線の先で、男が倒れた。

 彼女は男に近づく。


 女は崩れ落ち、唇を震わせた。


 男の血は止まらない。

 どくどく溢れ出して、現実を見せつける。


 男の視界は、暗くなりつつある。


 オレンジ色の空のもと、

 男は女に聞こえるよう、声をしぼり出した。


「ありがとうな、今まで」

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