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小笠原

作者: 小城

再興 

 小笠原民部少輔彦七郎貞頼は、信濃松本小笠原氏で、武田信玄により、国を追われた長時の孫であり、長時の子、貞慶の兄、長隆の子という。が、小笠原氏の家譜には、その名はない。

 1582年に、織田信長が本能寺で死ぬと、その混乱に乗じて、小笠原貞慶は、信濃深志の城を乗っ取り、30年ぶりに、故郷に立った。その中に、貞頼という男もいた。としよう。


織田

 1551年に、武田の侵攻により、長時と貞慶は、信濃を離れた。彼らは、越後の上杉氏を頼り、その後は、京都で、三好長慶、足利義昭に仕えた。織田と決別した義昭が、京都を離れると、彼らは、一旦、越後に戻り、その後、貞慶は信長に仕えた。

「我が、この目で武田の様子を探って参る。」

 小笠原家の正嫡は、貞慶である。貞頼の父、長隆は、貞慶の兄ではあるが、既に、亡くなっていた。貞頼は、20歳になった1578年。彼は、貞慶の下を出奔した。貞頼は、手始めに、武田領となっている信濃、甲斐に入った。

「井筒橋弥兵衛と申す。元は大和松永弾正の臣で御座った。」

貞頼は、素性を偽り、武田の侍の下士となった。

「武田はもはや、風前の灯火に過ぎぬ。」

 長篠の戦いを生き延びたという老武士は、粗末な茅葺きの屋敷に住み。下士として雇った貞頼を馬小屋の番屋に住まわせて、馬の世話をさせた。

「織田は武田を許すことはない。どのみち滅びる。遅いか早いかの事だ。」

 老武士は、元僧だと言った。長篠で、本家の道統が絶えて、遠縁の者に還俗させられたという彼は、甥の未亡人と仮の縁組をし、幼子の後見をしているらしかった。

「賢い者たちは、既に、武田を見限っているよ。」

「殿は、どうもしないので御座るか?」

「いざとなれば、わしも逃げる。百姓に戻る。」

 その頃、武田の当主、勝頼は、美濃、遠江には、手を出さず、専ら関東へ出兵していた。貞頼は、主の馬を引き、槍を持って、上野国に向かった。

「備えい!」

 貞頼の初陣は、武田家の下での、上野金山城攻めであった。金山城は、標高235mの金山全体が、城域となっている。関東では珍しく石垣造りであった。

「早ようせい!」

 主と伴に、尾根に登り、駆けて行く。

「おぬし、若いのに、踏ん張りがないな。」

 主は山に慣れていた。後で、聞くと、僧だったときに、山中の修行をしていたらしい。宗派は密教系だったようである。隣には、どこの誰かも分からない兵士たちがいる。堀切を挟んだ向こう側からは、二、三本矢が飛んで来た。貞頼たちは、樹木の陰に身を隠している。

「兵が伏せっているな。」

「どうされる?」

「逃げる。」

 主は、堀切から離れて後退し、貞頼がそれに続くと、隣にいた兵士たちも、後ろへ退がった。貞頼たちは、そのようにして、のらりくらりと戦場を逃げ回っていた。そして、日が暮れると、山を降りて、本陣に戻った。

「戦など、こんなものだ。」

 主が言うことには、本当に戦っているのは、全体の二割程だと言う。貞頼には、それが嘘か真かは分からない。

「どのみちこの城は落ちぬ。」

 それが見立てだと言う。

「これが兵法だよ。」

 主はそう言った。結局、城は落ちず、勝頼は、軍を甲斐へ引き上げた。

 織田の甲斐侵攻が始まった。先鋒の織田信忠らの勢いは、凄まじく、行く先の村々には、火をつけ、女、子ども構わず、皆殺しにしているという噂が立った。翌日、貞頼が番屋を出ると、母屋の主たちは、もぬけの空となっていた。貞頼も逃亡し、駿河方面へ逃走したが、途中で、徳川の軍に出遭うと、その中に、何食わぬ顔で、紛れ込むことにした。徳川は穴山梅雪と伴に、甲斐、信濃に向かった。

「彦七郎。おぬし、今まで、何をしていた。」

 諏訪で将が一堂に集ったとき、叔父もいた。貞頼は、彼らに従って信濃、甲斐を歩いた。


深志

 本能寺で信長が死ぬと、貞頼は、叔父の貞慶に従って、信濃に入った。深志城には、上杉に身を寄せていた長時の弟、小笠原貞種が、先に入っていたが、主筋である貞慶の方を歓迎するきらいがあり、深志城で、貞種、貞慶の戦闘が起こった。

「鉄砲玉が雨のように降って御座る。」

「叔父上め。城に残されていた物を、ここぞとばかりに使いおるな。」

 武田に奪われた深志城は、以前とは、大分、様変わりしている。備えも堅固になっていた。長時と貞慶は、力攻めを一旦、止め、貞種と交渉を進めることにした。貞慶らに優位なことは、小笠原旧臣の多くが、貞種ではなく、正嫡である貞慶側に付いていたことである。己の不利なことを悟った貞種は、深志城を明け渡し、自身は、越後へ去った。

「大叔父殿。待たれい。」

「誰かと思えば、彦七郎ではないか。」

 深志城退去の日の前の晩、貞種の下に貞頼がやって来た。

「何か用か?」

「話を聞きに来た。」

 貞種は、かつて、長時らと伴に京にいたが、長時たちが信長に仕えた際、貞種は、それを断って、家来と伴に越後へ戻った。それ以来、数年ぶりである。

「越後のことや、合戦のことなど聞きたい。」

「奇特なやつだな。相変わらず。」

 貞種は、越後にいる際も、上杉に仕えて、幾度となく、合戦に及んでいた。

「雪の降る日は、辛子の粉を、足に塗ってから、足袋を履くのだ。そうすれば、凍傷を防ぐことができる。あと、酒は、少量だと体が温まるが、飲み過ぎると冷えてしまう。」

「成る程。」

「このようなこと尋ねて、どうするのだ?」

「ただの数寄だ。」

「変わったやつだな。そう言えば、信濃守には、会ったか?」

 貞頼の祖父、長時は、この頃、会津の蘆名氏の下にいた。

「いや。もう何年も会っていない。」

「そうか。信濃守は、今、会津にいる。」

「会津か。」

 貞種はそれ以上は、何も言わなかった。

 翌日、貞頼は、信濃を離れ、単身、会津に向かった。

「おい。彦七郎。待て。」

「止めても。無駄だぞ。叔父上。」

 陣中を立つとき、貞慶に見つかった。

「父上の下へ行くのだろう。」

「よく、分かったな。」

「叔父上に聞いた。」

 貞種は、貞頼の性格を見抜いていた。

「行くのは、構わぬが。ついでに、これを届けてくれ。」

 貞慶が渡したのは、書状であった。

「此度のことが書いてある。」

「心得た。」

 貞頼は、信濃を離れた。


会津

 会津へは、越後を通って行く。が、貞頼は、他の道を行こうとした。

「ふつうの道を進んでも、面白くない。」

というのが、理由であった。

「どこだ。ここは?」

 山中を彷徨って、3日目に、道に迷っていることに気が付いた。

「おぬし、迷い人か?」

「何だ。猿ではないか?」

 貞頼の目前に一匹の猿が現れたと思うと、その猿が、人語を話し出した。

「そちらではない。こちらだ。」

「何だ。人か。」

「何だとは、何事か。」

 貞頼の後ろに、猟師のような鉄砲を担いだ人物が立っていた。

「俺は、この峠に住む鷲尾佐太夫という者だ。おぬし、道に迷っているのか?」

「会津は、どちらだ?」

「会津などと。おのれ、ここは木曽の山中ぞ。」

「木曽?」

「ああ。」

 松本から木曽といえば、会津とは、反対方向である。

「会津ならば、越後へ出い。」

「それでは、つまらぬな。」

「死ぬよりは、よいだろう。とりあえず、俺の山小屋へ来るといい。」

 貞頼は、佐太夫に案内されて、山中の山小屋に向かった。

「これは何だ?」

「熊胆だ。」

「こちらは?」

「鹿肉だ。まあ、座れ。」

 小屋には、あちらこちらに動物や魚の肉や何かが干してある。貞頼は、囲炉裏端に、腰を下ろした。

「どこから来たのだ?」

「深志だ。」

「何だ。すぐ近くではないか。」

「大分、道に迷っていたらしい。」

「まあ、よかったではないか。この辺りには、熊なども、よく出るからな。」

 佐太夫は、囲炉裏に火を起こし始めた。

「直に、日が暮れる。今宵は、この小屋で休め。」

 晩飯は、炙った干し肉と魚だった。

 翌日、佐太夫が深志まで、案内してくれた。

「彦七郎。おぬし、もう、戻ったのか?」

「いや。道に迷っていた。」

 貞慶に会うと、そう言われた。

「遣いは、他の者に託すとしよう。」

「それが良い。」

 貞頼は、書状を手渡した。


甲斐

 信濃周辺では、騒乱が続いていた。甲斐の国で、徳川と北条が、兵を出して対峙している。木曽や真田などの小名たちは、自領を守備しながら、様子を伺っていた。小笠原も、また、その一人である。

「俺が様子を見て来る。」

 言うが早いか、貞頼は、城を抜けて、甲斐へ向かった。

「これは、良い眺めだな。」

 山間の平地では、ところどころで、旗がなびいていた。貞頼は、槍を持って、その中のひとつに紛れ込んだ。

 貞頼が紛れたのは、徳川の軍勢であった。彼らは、その夜、隠密裏に移動し、北条方の砦近くに身を潜めた。

「すは。掛かれ!!」

 日が昇り、砦から、将兵が出てきたところを襲った。貞頼は、その中にいて、とりあえず槍を振るった。

「追えい!!」

 砦へ逃げて行く兵士たちを追って、城攻めが始まった。とは言っても、土居に柵を拵えた簡易な城塞である。柵の合間から、突かれて来る槍に、自らの槍を合わせた。そのうち、柵が破られて、味方の兵士が砦内に入り、砦は陥落した。

 その後も、しばらく、貞頼は、徳川軍と行動を伴にしていた。数日後には、他の砦で、夜討ちの戦があった。服部党の連中が、先に砦に潜入し、木戸を開き、火の手を上げたあと、味方が侵入した。味方は、合印に、白い襷掛けをしているが、入り乱れての乱戦では、用をなさなかった。炎が馬小屋を焼き、逃げ出した馬が、人々を蹴散らしながら、駆けて行った。やがて、どよめきがなくなると、辺りは、静かになった。

「おい。お前。」

 突然、貞頼は、呼び止められた。

「何だ?」

「刀を忘れているぞ。」

「刀?」

 自分の腰廻りを確認したとき、目の前で叫び声が聞こえた。前を向くと、男の腹から、槍の刃が貫き出ていた。貞頼は、槍を構えた。

「待て!待て!こやつは、敵じゃあ。」

 ざっと、刃が引っ込むと、男が倒れた。倒れた男は、いつのまにか、手に刀を持っていた。

「襷をしておらぬだろう。」

 男の腹当てには、何も付いてなかった。

「助けてくれたのか?」

「何のことだ?」

 男が突かれたのは、偶然のようだった。

「早い者勝ちじゃあ。」

 闇の中の男は、倒れている敵の首級を持って行った。徳川と北条の対峙は、その後も、ひと月ほど続いたが、戦は徳川が優位なまま、やがて、両者は和睦し、兵を引いた。深志城の貞慶も、徳川に服属し、深志は松本と地名を改めた。


徳川

 貞慶は、人質として、13歳になる子の貞政を、徳川の下に送り届けることとなった。その一行に、貞頼も、無理を言って、付いて行かせてもらうことにした。

「くれぐれも、可笑しなことはするなよ。」

「分かっておる。」

 行き先は、三河岡崎であった。徳川には、三河衆と遠江衆があり、その三河衆を束ねる石川数正の配下に、貞慶はなったので、彼のいる岡崎城へ、貞政を届ける。

「御役目。御苦労であった。」

 一行は、貞政を引き渡すと、その日は、城に泊まった。

「俺は、しばらく、ここにいる。」

 貞頼は、そう言って、城下に宿を取ると、ぶらぶらと周囲を歩き回ることにした。

「小笠原殿。」

 宿に戻ると、客が訪ねているという。

「某、小笠原金左衛門と申す。」

「小笠原?」

「遠江高天神の小笠原に御座る。信濃守貞朝様の御子、長高様の末裔で、前の高天神城主、信興殿の甥に当たりまする。」

「その小笠原が何用か?」

「実は、城下に信濃守様の御一族が滞在されていると聞きつけ、やって参りました。」

「それで用は何なのだ?」

「誼を通じたく。」

「成る程。そういうことか。」

 金左衛門は、三河の奥山休賀斎に兵法を習っているという。

「我が家は、細々と続いてはおりますが、武家として、取り立てていかれることは、もはやあるまいと思いまする。」

「それ故、兵法で身を立てようと言うのかな?」

「それも、ありますが、兵法を身につけておれば、幾分か、仕官の口も開けるので御座る。」

「成る程な。」

 高天神小笠原家は、北条家の下で、微々たる知行地と伴に、暮らしているという。かつて、流浪していた長時や貞慶たちと同じ境遇であろう。この度、信濃で、貞慶が旧領に復したと聞いて、諸国から亡臣たちが、再び、集まりつつあった。が、同じ小笠原でも、骨肉を争う間柄であり、そう簡単には、一族と云えども、頼ることはできなかった。

「それ故、某は、兵法を習っております。」

「御立派な事だ。どれ、その兵法とやら、某にも、少しお教え願えぬかな?」

「左様ならば、休賀斎様の下へ、参りませぬかな。」

「よし。」

 奥山休賀斎は、三河奥平家の下にいるという。二人は、岡崎から、道中、新城を目指した。

「小笠原彦七郎と申す。」

 貞頼は、休賀斎の下で、金左衛門と伴に、奥山流の兵法を学んだ。

「彦七郎様。遣いの方がお訪ねにございます。」

 年が開けた頃、貞頼が寄宿している寺の宿坊に、男が訪ねて来た。

「おう。おぬしは…。」

「鷲尾佐太夫だ。おぬしに、書状を預かって来た。」

「誰から?」

「松本の殿様だ。」

「叔父上か。」

 佐太夫は、今、貞慶の下で、密偵のようなことをしているらしい。

「山里で聞いた話を伝えるだけよ。それより、書状だ。」

 貞頼が書状を開いて見た。内容は、会津で、祖父、長時が家臣に討たれたという。

「大殿が、家来に討たれたらしい。」

「信濃に戻るのか?」

「いや。」

「そうか。では、俺は行くぞ。」

 佐太夫は、それ以上聞かず、帰った。そのうち、歳月が流れ、羽柴と徳川の間に、不穏な空気が流れた。

「奥平殿の下にも、陣触れが届いたようで、某と彦七郎殿にも、声が掛かりまして御座る。」

「それは、面白そうだな。」

「腕の見せどころに御座ろう。」

 貞頼と金左衛門は、奥平信昌の下で戦に出陣した。同じ頃、信濃でも、貞慶が、羽柴方の城を攻撃していた。貞頼たちは、清須で、家康本隊と合流した。

「陣中が騒がしいな?」

 小牧山へ移動した徳川軍の下に、美濃金山から、森長可の軍が、羽柴本隊に先んじて、小牧山から少し離れた羽黒八幡林の地に布陣する様子だと言う報せがあった。

「声を立てぬよう、兵たちは、口に布を噛め。」

 徳川軍から、一部が、夜間に出撃し、羽黒に向かった。その中の奥平信昌率いる一軍に、貞頼と金左衛門の姿もあった。

「それ、行け!!」

 未明に羽黒に着いた一行は、そのまま、森長可の部隊に、鉄砲を撃ちかけると、槍を揃えて、突撃し、林の中は、乱戦となった。

「いるわ。いるわ。」

 金左衛門は、刀を持ち、林の奥深くに逃げて行く、兵を追っていた。貞頼もそれを追った。

「木々茂るこの地は、白刃に限りますな。」

「左様だな。」

 辺りが樹木に覆われた森の中では、長柄の槍は、扱いが制限される。木の陰では、弓鉄砲も当たりにくく、それ故、刀同士の争いになりやすい。それならば、休賀斎の下で、奥山流の兵法を学んだ貞頼たちは、優位であった。森家の雑兵、家士が逃げつ、向かいつして来るが、貞頼たちは、それらを斬って捨てた。雑兵の首級は構わず、名のある兜首を二つ挙げて、信昌の下に戻った。

 翌月、長久手方面で、戦いがあった。その戦いも、激戦となり、徳川軍は、羽柴方の池田、森の両将を討ち取り、敗走させた。結局、その後も、徳川と羽柴は、半年程、対陣を続けた後、和睦し、兵を引き上げた。


豊臣

「岡崎城代の石川伯耆が、羽柴へ出奔致しましたぞ。」

 小牧、長久手の翌年、相変わらず、奥平家で、食客をしていた貞頼の下に、岡崎に行っていた金左衛門が飛んで来た。

「それがどうかしたのか?」

「伯耆守は、信濃守様の御一子を連れて行ったそうに御座る。」

「幸松丸がか?」

 幼名、幸松丸。小笠原貞政である。

「如何されます。一度、信濃へお帰りなされては?」

「左様だな…。」

 とは言った、貞頼は、信濃ではなく、数正が貞政を連れて行った秀吉がいる大坂へ向かうことにした。

「某も、お伴致す。」

「別に良いのに。」

 貞頼は金左衛門も伴って、大坂を目指した。

「近江、伊賀、伊勢。どこを通って行きますか?」

「うむ。伊賀を越えて行こう。」

「伊賀越えは、山道に御座いまするぞ?」

「以前、甲斐で、徳川勢に身を寄せて砦を攻めたとき、伊賀の服部党の連中と会ってな。」

「それが如何されたので?」

「ただ伊賀国を見てみたいだけだ。」

 二人は、尾張から、伊勢長島を経て、伊賀の山中に入った。

「山ばかりだな。」

 伊賀は、今年夏、大和から筒井家が移り、上野には城が建てられている。今は、冬である。貞頼と金左衛門は、その真冬に、伊賀の加太峠を越えようとしていた。

「彦七郎殿。右手に人が、後を尾けて御座る。山賊やもしれませぬ。」

「どれどれ?」

 右手の丘の斜面の林に、樵のような男がいた。

「おい!おぬし。この辺りの者か?」

 貞頼が大声を掛けると、男は、姿を消した。

「逃げたのか?」

「用心するに越したことはありませぬ。」

 二人は、街道を離れ、横に逸れた林の中を進んだ。林の中ならば、大勢の襲撃を受けても、木々を背にして、一人ずつ相手に出来る。

「おい。」

 二人の前に、突然、男が現れた。男は樵のような格好をしている。どうやら、先ほどの男のようであった。

「こやつ。いつのまに!?」

 金左衛門は刀に手を掛けた。

「まあ、待て。お前ら、兵法者か?」

「彦七郎殿。辺りに人影は御座るか?」

 金左衛門は、男と対峙している。

「いや。見当たらぬ。」

「仲間はおらぬ。ところで、どちらが、手練れか?」

 男は、腰廻りに付けた小太刀に手を掛けた。

「殺ってみれば、分かるだろう。」

 金左衛門は、刀を抜く。と思わせて、脇差を投げた。そのあと、刀を抜き、林を駆けて、男に向かった。

「彦七郎殿。やつの後ろへ!」

「分かった。」

 貞頼も、刀を抜き、林を迂回した。

「せい!」

 金左衛門は、突いた。が、男は、そこにはいなかった。金左衛門が突いたのは、男の被っていた笠であった。

「いない!?」

「金左衛門。上だ!」

 頭上から、気配がして、刀で払うと、蓑が落ちて来た。切れた蓑の間から、小太刀を抜いた男が降って来るのが、見えたので、金左衛門は、必死に、右手に転がって、男の刃を避けた。

「ち。」

 地面に落ちて来た男の頭上から、貞頼が、男を両断する勢いで白刃を振った。が、男は、それを避けるように、後ろに転がった。

「大丈夫か。」

「申し訳ない。」

 貞頼と金左衛門が態勢を整えた。

「この男。やりおる。まるで、猿のようだ。」

「忍びの者に御座ろう。」

 二人が話している隙に、男が何かを投げて、それが、木の幹にぶつかって、破裂した。

「目眩ましか!?」

 二人は、いつのまにか風下にいた。刺激物が、二人の粘膜を襲った。

「待て!」

 貞頼が大声を出した。

「参った。金からやる故、命ばかりは、取るでない。」

 小太刀を持って、こちらへ駆けていた男の足が止まった。

「つまらぬ。所詮、この程度か。早く金をこちらへ投げろ。」

「分かった。」

 貞頼は、銭の入った袋を男がいる方へ投げた。

しばらくして、目が戻ると、辺りには、誰もいなかった。

「助かったな。金左衛門。」

「申し訳ない。」

「相手が悪かったわ。」

 二人は、そのまま、林の中を進んだ。


伊賀上野

 二人は、伊賀上野で一息ついた。

「某の手持ちで、木賃くらいは何とかなりまするが。いつまで持つか…。」

「とりあえず、京に着けば、当てがある。」

 二人は、今宵は、木賃宿に泊まり、明日の未明に京を目指すことにした。

「加太越えで、山賊に遭ったか。」

「知っているのか?」

「旅人が狙われる。が、襲われるのは、侍だけだ。あれは、たぶん、信長に滅ぼされた伊賀者崩れであろう。」

 そう言った宿の主人は、大和から移って来たという。

「伊賀の山には、あのような者が、何人もいるのか?」

「さあ。どうかね。」

 翌、未明に、伊賀上野を経った二人は、丸一日掛けて、その日の夕には、京に着いた。

「御免。」

 二人が訪れたのは、京都の商人、茶屋四郎左衛門の店であった。茶屋は、元、小笠原長時の家臣中島宗延の子で、長時たちが、京都の三好長慶の下に身を寄せていたとき、世話になっていた。

「これは。彦七郎殿でございますか。」

「しばらくぶりだな。四郎左衛門。姉上は息災か。」

「お蔭様で。」

 貞頼の姉は、四郎左衛門の子の四郎次郎に嫁いでいた。二人は、座敷へ案内された。

「実は、これから大坂へ向かう途中なのだが、伊賀の山中で、賊に遭ってしまってな。手持ちがないのだ。すまぬが、少し用立てしてもらえぬか。」

「それは、災難でしたな。伊賀の山賊の噂は、京中でも、耳にします故。」

「伊賀の忍び崩れらしいが。」

「命ばかりは大切になさいませぬと。大坂へは、幸松丸様のことでございますかな?」

「ああ。叔父上に言われた訳ではないが。そうだ。こちらの御仁は、遠江の小笠原の者だ。」

「信興の甥の金左衛門に御座る。」

「これは、どうも。申し遅れました。茶屋四郎左衛門尉に御座います。」

「ところで、四郎左衛門。幸松丸のことは、何か聞いておらぬか?」

「先日、信濃守様の下より、羽柴殿の下へ遣いが参られましてございます。それ故、信濃守様は、羽柴へ臣従なされて、徳川と刃を交える所存に御座るそうな。」

「ほう。左様なことになっておるのか。」

「彦七郎殿は相変わらずに御座いますな。」

 その日は、茶屋の屋敷で、一泊した。

「そうで御座います。長時様は、御悔しい事に御座いました。」

「ああ。刃傷沙汰だというが。」

「下手人は、坂西という者だとか。」

「坂西…。」

「その者、逃げようとしたところを、蘆名の家臣に斬られたそうに御座いますな。」

「左様か。」

 貞頼と金左衛門は、茶屋から路銀を貰い、大坂に向かった。 


大坂

 大坂には、城の建築に、人夫が全国から集まっていた。去年の大地震の騒ぎも、段々と落ち着き、街中には、年始の人々が、大勢、出歩いていた。貞頼と金左衛門は、石川数正が逗留している屋敷を訪れたが、会うことはできなかった。しかし、貞政は息災に過ごしているという。信濃の貞慶も、それは承知しているようなので、貞頼は、無理に会うことはしなかった。

「後は、大坂を見物して行こうか。」

「左様ですな。」

 大坂には、5万人以上の人夫が滞在しているとも言われた。二人は、街道沿いに宿を取った。

「どれ、少し、城下に出てみようではないか。」

 大坂には、城が建てられ始め、各地から、人が集まるにつけて、人家や商売屋も増えている。

「すごい人手だな。」

 城下の色町には、人夫たちが、溢れていた。貞頼たちは、町を一通り見物して、店には上がらず、宿へ戻ることにした。

「何だ?」

 前方の暗闇から、叫び声のようなものが聞こえた。二人が駆けて行くと、血を流して倒れている男の傍に、血刀を垂らした凶徒が二人立っていた。貞頼たちは、咄嗟に刀を抜いた。と思いきや、前方の男が一人、刀を振って斬り込んで来た。貞頼は、それを受けて、その男と鍔迫り合いになった。

「彦七郎殿!」

 すかさず、金左衛門が、助太刀しようとしたところ、側面から、もう一人の男の白刃が襲った。

「こやつら。千人斬りとかいう賊か!?」

 昨今、京、大坂で、千人の生き血を求めて、横行している辻斬りがいるという噂を聞いていた。金左衛門は、間合いを取りつつ、貞頼の様子を窺った。凶徒は、貞頼に、押し迫り、頸に白刃を押し付けようと、ごり押ししていた。その隙に、もう一人の男が、迫って来たので、それをいなして、再び、間合いを取った。金左衛門は、再び、貞頼の方を見た。隙を見て、男が迫る。

「っ!」

 と、金左衛門は、足下の地面を蹴って、相手に砂を掛けた。

「せいや!」

 砂を掛けるのと、同時に、刀を振り下ろした。鈍い手応えがあった。金左衛門は、すぐさま、貞頼の方に駆けた。

「彦七郎殿。」

 凶徒に向かって、刀を振った。

「おい!!」

 先ほどの男が、大声で呼び掛けると、もう一人と伴に、暗闇へ消えて行った。

「大事ありませぬか?」

「すまぬな。」

 二人伴に、怪我はなかった。倒れている男に駆け寄ったが、既に息はなかった。貞頼は、その場に残り、金左衛門は、近くの人家へ人を呼びに行った。しばらくして、村人たちがやって来た。

「これで、この辺りでは、3人目だ。」

 村人の一人はそう言った後、二人に事情を聞き、他の者たちが遺体を運んで行った。貞頼と金左衛門は、宿の名前を伝え、帰った。

「御免。」

 翌日、町衆の一人に連れられて、侍がやって来た。

「筑前様家来、石田治部少輔と申す。」

 石田は、辻斬りの下手人のことを尋ねた。

「然らば、辻斬りの内の一人は、傷を負っているということに御座るな?」

「刀に血糊が付いていましたので。」

「承知仕った。有難く存ずる。」

 石田は帰って行った。

「羽柴家中が直々にやって来るとは、何かいわくがあるのかも知れませぬな。」

「小笠原殿。御客に御座います。」

 石田の次は、京の茶屋から遣いが来た。

「近々、叔父上が、上洛するらしい。」

「信濃守様がで、御座るか。」

「うむ。それで、しばらく、この地に留まるようにと、それまでの金子を置いていった。」

 来月には、やって来るという。その間、ひと月程、手持ち無沙汰になった。貞頼が、成すこともなく、城下をぶらぶら歩いていると、かの千人斬りが、捕まり、処刑されたという立て札があった。春になり、貞慶が上洛した。

「お初にお目にかかりまする。遠江小笠原の金左衛門に御座る。」

「彦七郎が厄介をかけましたな。」

「とんでも御座いませぬ。」

 貞慶らは、石川数正が連れて来た貞政と伴に、大坂城で、秀吉に謁見した。小笠原家は、秀吉に臣従し、貞政は秀吉から偏諱を賜り、秀政に、名を改めることとなった。

「信濃守殿。某、尾藤左衛門尉に御座る。」

 秀吉との謁見の後に、貞慶の逗留先に、訪客があった。

「源内重吉の子息に御座る。」

「尾藤源内と言えば、父上の御家来衆の尾藤に御座るかな?」

「左様。今は、筑前守様の下で、働いておりまする。」

 尾藤源内重吉は、信濃の住人で、小笠原長時と伴に、武田信玄と戦い、敗れ、一族は、流浪した。その一人が、左衛門尉知宣である。彼は、秀吉配下の古参として、この時、播磨に5000石の知行を得ていた。

「上様は、近々、九州に兵を出すおつもりに御座る。」

 尾藤は、貞慶らと、歓談して帰って行った。

「尾藤殿。」

「お手前は、確か…。」

「信濃守の甥の彦七郎に御座る。」

「何か御用かな?」

「尾藤殿は、九州に出陣成されるのか?」

「おそらくは。」

「ならば、俺にも、御陣を借りさせてはくれぬか?」

「客分として、戦に出られたいので御座るか?」

「ああ。だが、手柄を立てたい訳ではない。九州の地を足で踏んでみたいので御座る。支度などは、自ら整える故。迷惑はかけぬ。」

「それは構いませぬが。信濃守殿は、御承知で?」

「ああ。」

 それは嘘であったが、貞頼を止めることはできないだろう。

「某は、一度、三河へ帰りませぬと…。」

 貞頼の九州出陣のことを聞いて、金左衛門は、申し訳なさそうに言った。休賀斎のことが心配なのだろう。

「いや、俺に構うことはない。」

 しばらくして、金左衛門は、貞慶一行と伴に、帰国した。

「好きにせよ。」

 貞慶は、そう言って帰った。貞頼は、京都の茶屋四郎左衛門の所に寄宿することになった。


九州

「休賀斎先生から、武者修行をして来るようにと、言われました。」

 茶屋の屋敷で、弓の手入れをしていると、金左衛門が、三河から戻って来た。

「ところで、金左衛門よ。おぬし、弓は引けるか?」

「多少ならば…。」

「それならば、さっそく、山狩りに行くぞ。」

 戻って来たばかりの金左衛門を連れて、弓と伴に鞍馬山の方へ出た。

「もっと奥へ行こう。」

 小笠原家は、鎌倉以来の弓馬礼法の家柄と言われ、貞頼も、幼少より弓の心得がある。

 鞍馬の山は、青葉が茂っていた。

「お。いたな。」

 離れたところに雉がいた。貞頼は、矢を番えると、弓を引いて、射た。

「お見事。」

 矢は、木の間を通り、雉に当たった。

「今宵は、雉酒だな。」

 貞頼と金左衛門は、こうして、暇な時を過ごした。その間、信濃では、周辺で、真田や徳川の悶着があったが、次第に収まり、彼らも、秀吉に臣従するようになって行った。

「参るぞ。」

 秀吉は、豊臣と姓を変え、年が、開けると、本格的に九州出陣が始まった。先遣隊は、既に、小倉を占領しているが、四国渡海勢が、戸次川で、軍監仙石秀久の失態により、敗戦すると、仙石に代わり、尾藤左衛門尉知宣が、軍監に就任した。尾藤ら一行は海路、小倉に入った。貞頼と金左衛門も、その中にいたが、尾藤は、諸将と、軍議に忙しく、貞頼らと顔を合わせることはなかった。

 九州に秀吉本隊も到着すると、進軍が始まった。貞頼らは、豊臣秀長率いる軍の端にいた。

「それにしても、大軍であるな。」

 行軍していても、隊列が延々と続いている。豊臣軍は、人夫なども引き連れ、10万人規模であった。秀吉は西から、秀長は、東から、二手に攻めた。秀長軍一行は、島津の高城を囲み、陣を構えると、人夫を動員して、根白坂に築砦を始めた。

「何故、あのようなところに、砦を築くのだ?」

「もうじき、あそこに、敵がやって来るらしいと言いますが…。」

「ふむ。」

 軍監の一人である黒田官兵衛の進言であった。

「島津は、根白坂に、夜襲を掛けて参りましょう。」

 官兵衛の言ったとおり、島津は、高城救援に、根白坂の砦に夜襲を掛けた。諸隊は、すぐさま、根白坂砦に向かおうとした。が、その前に、もう一人の軍監、尾藤が苦言を呈した。

「島津は、おそらく、兵を伏せている。」

 黒田は、島津の動きを予想して、先手を講じた。が、尾藤は、さらに、その先を予想した。

「あれは、島津の釣り野伏せだ。」

 釣り野伏せは、囮で、相手を引き寄せて、伏兵で叩くやり方である。先の戸次川でも、尾藤の先任の仙石たちが、島津の伏兵にやられた。

「援兵は、朝になってからの方が良い。」

「それでは、何故、砦を築いたのか分からぬではないか。」

 尾藤の言うことも、道理ではあった。なので、一旦は、援兵は中止された。が、やはり、道理は、諸将にあった。諸将は、本隊の中から、数百の兵を率いて、個々に、根白坂に走った。藤堂や戸川が、始めに行くと、他の将も、後を追った。貞頼と金左衛門も、駆けた。

「物凄い音だ。」

 闇夜には、銃声が轟いていた。諸将の援兵は、斬り合いはせず、闇夜に向かって、鉄砲を撃ち込んでいた。

「どれ。」

 貞頼は、後巻から、一本だけ、矢を番えて、弓で射た。矢は、暗闇の中を、弧を描いて、飛んで行った。


 

幡豆

 島津は降伏し、豊臣に服した。貞頼と、金左衛門は、特に活躍することもなく、九州を後にした。しいて言えば、根白坂砦で、援兵と追撃に反対した尾藤左衛門尉が、秀吉に叱責されて、所領を没収の上、追放された。

「叔父上を頼ってはどうか?」

 豊臣家を追放された、尾藤に、貞頼はそう言った。

「俺も一度、帰る。」

 堺の港から、歩いて京に向かった。金左衛門は、武者修行がてら、九州から、徒歩で山陰、山陽を巡ると言い、貞頼と別れた。尾藤は、尾藤で、家来と伴に、信濃へ向かった。

「戻ったぞ。」

 貞頼が来たのは、三河幡豆であった。彼は、ここに妻がいた。

「お帰りなさいませとは、申せませぬ。」

「そう腹を立てるな。」

 三河幡豆にも、小笠原の家があった。信濃守貞朝の次子を祖とする家系で、彼らは、徳川に臣従していた。貞頼は、祖父や叔父、貞慶たちと伴に、一時期、幡豆小笠原家に奇遇しており、貞頼は、そこで元服をして、当主の娘を娶った。貞慶たちが、京に向かってからも、しばらく、貞頼は、幡豆にいて、姉川や高天神の合戦に、義父と伴に出た。その後、京の貞慶らの下に行き、各地を放浪して、三河奥平家の休賀斎のところにいたときに、一度だけ、顔を見せたが、それからは、戻っていなかった。

「上方にいるという噂は、聞いておりましたが。」

「ああ。すまなかった。」

 各地に行っても、何故か、この地が一番、居心地が良い。

「そういえば、兄上は、見たか?」

「年の暮れに、船を直しに来られましたが、それ以来、見ておりませぬ。」

「左様か。」

 貞頼の兄の長頼も、幡豆で、元服した。彼は、そのまま、幡豆小笠原家の下で、船手大将となり、今は、どこかで、海賊のような真似をしているらしい。幡豆は、海辺の土地であり、船運が盛んであった。貞頼の妻は、本来、兄に嫁ぐはずであったが、長頼は、断り、代わって、貞頼が縁談を受けた。

「我は、生涯を海で過ごす。」

 それが理由であった。

「春に、信濃守様が来られましたよ。真田様とご一緒に。関白様にお目通りした帰りだと言って、そのあと、駿府で、徳川殿に、会うのだと。」

「叔父上も忙しいの。」

「お前様が、呑気なのでございましょう。」

「俺が呑気に見えるか?」

「大いに。」

「左様か…。」

 しばらく、貞頼は、幡豆に留まった。それと、時期を同じくして、兄の長頼が、数名の家人と伴に、幡豆に寄港した。

「関白の海賊停止で、陸に戻って来た。」

「兄者は、これからどうするのだ?」

「しばらく、思案するとしよう。」

 幡豆にいる間、貞頼は、長頼と伴に、海に出た。

「そうか、お前も、九州におったのか。」

「兄者は、誰の陣にいたのだ?」

「我は、海の上にいた。」

 志摩鳥羽の九鬼家の水軍にいたという。幡豆に戻ってからも、長頼は、ちょくちょくと、志摩鳥羽へ通っていた。

「海の上では、潮の流れを見ることが一番大事だ。」

「まるで壇ノ浦の義経のようだな。」


小田原

 貞頼たちが、幡豆で、船に乗っているうちに、秀吉が、小田原に攻め入ることになった。貞頼と長時は、九鬼家に招かれて、戦に参加することになった。

 志摩鳥羽には、豊臣家各地の水軍が集まり、その数は1000隻を超えた。

「我らは、先に兵糧を駿河に運ぶぞ。」

 兵員に先立ち、兵糧の輸送が行われた。その後、毛利、長宗我部、脇坂などの水軍と伴に、伊豆半島を制圧しながら、小田原へ向かった。小田原での、彼らの目的は、海上封鎖にあり、実際の戦闘は行われなかった。

「絵のような景色だな。」

 小田原の城も広いが、それを囲む諸将の陣容も甚だしい。九州のときと言い、今回の小田原と言い、全国の大半を掌中に収めた豊臣家の戦は、それまでのものとは、比べるべくもなかった。小田原沖から見る陸の景色は、青々とした新緑が映えて、綺麗だった。

 小田原の陣中で、貞頼は、一度だけ、陸に上がった。前田利家らの部隊に、貞慶がいると聞き、武蔵国を訪れた。

「彦七郎も参陣しておったのか。」

「息災なようで御座るな。」

 陣中には、秀政もいた。秀政は、正式に小笠原家の家督を継ぎ、徳川家康の娘を娶った。

「あれは、尾藤左衛門尉ではないか?」

 九州で、秀吉の勘気を被り、追放された尾藤知宣がいた。彼は、今、小笠原家に厄介になっているらしい。

「おぬしが、信濃に行けと言ったと申しておったぞ。」

「そういえば、そのようなことを言った気がしないでもないが。」

 彼らは、明日、八王子の城に向かうという。

「彦七郎も来るか?」

「そうだな。海の上で体がなまっておったところだ。」

 貞頼は、貞慶らと伴に、八王子城攻めに参加した。八王子城は、一日もかからず落ちた。前田や上杉など数万相手に、城方は、百姓も合わせて、1000人程である。それでも、城主不在の城方は、激しく抵抗し、女子ども、武士、百姓の別なく、殺された。

「ここまでしなければならなかったのか?」

「関白様の御命であろう。」

「やはり、海の上の方が、俺には向いているのかもしれぬ。」

「戦が怖くなったか?」

「うむ…。」

 怖いというより、若い頃のように、血がたぎるということはなくなった。そこまで、戦をするということに、必然性を感じなくなったのだろう。貞頼が、そのつもりならば、他の道も、大いに存在する。

「本家のことは、我らに任せ、おぬしらは、好きにするが良い。」

 貞慶たちからすれば、その方が禄も少なくて良いのかもしれない。

 直に、小田原は開城し、戦は、終わった。小田原の戦功により、小笠原家は、秀吉から、讃岐半国を与えられたが、皮肉にも、尾藤知宣を匿っていることが、秀吉に知られて、小笠原家は、讃岐は愚か、信濃国も没収されてしまった。しかし、幸いにも、関東に移封された徳川家康によって、下総古河に3万石で、知行を与えられた。


朝鮮

 改易の一件があってから、貞頼は、何となく、本家の秀政らとは、疎遠になった。

「別に、お前様のせいという訳ではありませぬのに。」

 尾藤は、その後の行方は知れなかった。噂では、秀吉に処刑されたとも言われた。結局は、下総で御家は存続したとはいえ、貞頼も、進んで、秀政らの邪魔をしようという訳ではないので、以後、関わりは避けた。

「関白は、唐入りの手筈を始めているという。」

 長頼が言った。

「それ故、九鬼の所にも、軍船の普請が命じられておる。」

 貞頼も、兄に従って、九鬼家の手伝いに行った。

「何ともでかい舟だな。」

 九鬼家で建造されている船は、全長80丈は、あろうかという大船であった。

「外海を渡るのだからな。まあ、これほど大きくなくても、渡ることはできるが。」

 志摩の湾は、入り江が入り組んでいて、風や波除けには、良い。

「この海の向こうには、何があるのかの。」

「南蛮やいろいろだろうな。」

「俺も、どこか、海の上の土地を見つけたいものだ。」

「ふむ。そこの領主になるか。」

「誰もおらねばな。」

「唐入りから無事に帰れたならば、二人で、探してみるのも悪くないかもな。」

 貞頼と長頼は、九鬼家の船に乗って、秀吉の唐入りに従った。彼らは、他の水軍衆と伴に、李舜臣率いる朝鮮水軍と海戦に及んだが、倭寇との戦闘により培かわれた海戦法により、豊臣家の水軍は、悉く、敗戦し、勝利を得ることはできないまま、秀吉の一度目の、唐入りは終わった。


小笠原

 秀吉が、二度目の唐入りを模索している頃、貞頼と長頼は、海の上にいた。彼らは、もはや、海を渡り、朝鮮へ、戦に赴くつもりはなかった。

「やはり、海は広いな。」

 彼らは、下総から、八丈島に渡り、そこに住して、近海に船を漕ぎ出していた。

「この景色を見ると、戦などは、どこか遠くのことのようだな。」

 三河幡豆の小笠原家も、徳川の関東移封に伴い、信濃小笠原家と同じく、下総に移っていた。二人は、そこで、船を借り、航海に出た。彼らは、八丈島の漁師から、南海に無人の島があると聞き、船を漕ぎ進めた。

「兄者。島が見えるぞ。」

 遙か、海上に、ぽつんと一点、青い物が見えた。船を近づけて行くと、それは、確かに島であった。

「今日から、ここは、小笠原の島だ。」

 貞頼たちの発見は、徳川家康や豊臣秀吉に知らされ、その島々を彼らの名前にちなんで、小笠原諸島と名付けることを許されたという。

 それらの事績は、享保年間、幕府に、小笠原諸島探検を願い出た、貞頼の曾孫で、小笠原貞任を名乗る人物の供述により、知ることができるが、当時、筑前小倉を治めていた小笠原家は、小笠原貞頼、長時なる人物は、存知せずとし、貞任は、身分詐称で入牢の後、追放とされた。結局、小笠原諸島を発見した貞頼、長時という人物が、この世に存在したかどうかは、明らかにはされていない。しかし、小笠原諸島の父島にある小笠原神社では、今も、貞頼の小笠原諸島発見の事績を称えている。

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