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26. いってらっしゃい

「おかえりなさい! クリスティーナ」


 お姉ちゃん……シェスティンの良く通る声が中庭中に響いた。その声は、なんというか、弾んでいた。


「ただいま!」


 そう答えたあたしの声も弾んでいたかも。


 中庭に集まった人々の戸惑いや驚愕の声が、姉の声をきっかけに一斉に歓喜の声に転じた。


 エリックが戸惑いながらもあたしに自分のローブをかけてくれたので、前を手で閉じ、ワンピースのように着て立ち上がった。左手だけをローブの隙間から出し、髪を指ですいてみたら肩の辺りでひっかかった。たぶんボサボサのひどい髪形になってる。


 それでもあたしが立ち上がると人々の間から一斉に拍手が沸き起こった。思わずあたしはそのまま左手を振ってしまった。


「ありがとうございまーす。クリスティーナ、ただいま戻りました。ご心配をおかけしてすみませんでしたー」


 あたしが拍手に負けないよう大声てそう言うと、歓声が一段と強くなり、拍手が更に大きくなった。みなさん、驚きと喜びの表情だ。一度退席した人々が戸惑いながらもぞろぞろと、人によっては駆け足で中庭に戻ってきていた。


 お父さん……フレデリックが立ち上がり、嬉しさと不信感を半々に表情にうかべながらふらふらと階段を下りてきた。


「クリスティーナ? 本当にクリスティーナなのか?」


 父はまだ半信半疑といった感じであった。


「ただいま、お父さん。心配かけちゃってゴメン」


 あたしがそう言うと、お父さんがあたしをがっちり抱きしめた。


「クリスティーナ! クリスティーナ!」


 父は、泣いていた。


 母が、兄が立ち上がり、あたしの周りに集まってくれた。二人とも驚愕の表情であった。


 姉がその後から嬉しそうにゆっくり近づいてきた。


「おかえり」


「おかえりなさい」


 母と兄が言った。


「ただいま」


 あたしは父に抱きしめられたまま答えた。


 中庭に集まった人々の間からも「おかえりなさい」「よくぞご無事で……」「クリスティーナ姫ー」などと声が挙がった。と、同時に「どいうこと?」「えっ、あのナナちゃんが?」と困惑する声も聞こえた。


 父はあたしをゆっくりと手放すと、


「何があったのか、教えてもらえるか?」


 と、言った。


「その前に、出陣式はもう解散でいいよね?」


 あたしがそう聞くと、


「あ、ああ」


 父は戸惑ったようだったが、広場を振り返り、


「これにて出陣式を終了とする。皆、ご苦労であった」


 と宣言した。


 拍手と歓声が止み、中庭に規律が戻ってきた。しかしもはや誰一人中庭を出て行こうとはしなかった。


 人数としてはむしろ出陣式の時より多くの人が中庭に集まってきているようで、宮殿の広大な中庭がむしろ狭く見えた。


 あれ? なかには絶対に職場を離れてはいけない筈の顔も……


「ヒェルさ~ん、クヌートさ~ん」


 あたしは中庭の一番隅に立っている二人に声をかけた。


 とたんに二人の背筋がピンッと伸びた。


「後で正門に挨拶に行くので、今は門番、しっかりお願いしま~す」


 あたしがそう言うと人々の間から笑いが起こり、二人は引きつった笑顔であたしに頭を下げながら中庭を出て行った。その足取りは嬉しそうであったが、この二人、あたしがネに持つタイプだと書いたことを忘れてないかな?


「あの2名もお前の身に起きたことに関係があるのか?」


 父が聞いてきた。


「お父さん」


 ふと思い出してあたしは父に怒った顔を向けた。


「な、なにかね?」


 父はうろたえた。


「お父さんさっきあたしのこと、『しょせん豚』って言ったよね」


「うっ……」


 父が下を向いてしまった。


「お父さんは人を見た目で判断しない人だと思ってたのにガッカリ」


 あたしはそう言いながら、これはこんな大勢の前で言う言葉じゃ無かったな、と咄嗟に反省した。


「すまない……」


 父はすっかりしょげ返り、王としての威厳を無くしていた。


 あたしは怒り顔をやめて笑顔を作った。


「でも今回、豚になってみて、お父さんがあたしのことどんなに思ってくれているか判って嬉しかった。ありがとう」


 そう言ったら父は肩の力を抜き、


「お、おう」


 とだけ言った。


 今や、中庭に居るほぼ全員があたしに注目し、あたしの次の発言を待っていた。さっき聞こえた歓迎の声、驚きの声、戸惑い、疑問の声、すべてに答えなければ、と思うと急に眩暈めまいがしてきた。


「この度はあたしの軽率な判断ミスによりみなさんにご心配をおかけしてしまい、どうもすみませんでした」


 そう言いながら中庭の人々に向かって頭を下げると、眩暈めまいは余計ひどくなった。


「王族の捕虜としてもう少し丁重に扱われるものと思っていたのですが、まさか豚にされて、記憶まで抜かれるとは思ってもいませんでした」


 あたしが一言話すごとに歓声が上がり、それが眩暈めまいを更に助長した。あたしは何かにしがみつきたくなり、隣に茫然と立っていたエリックの腕に掴まった。が、エリックは咄嗟とっさにあたしの手を振り払った。


「え?」


 あたしはエリックを振り返った。一見茫然として見えたが、よくよく見ればそれは激しい怒りを無理矢理抑え込んでいる表情であった。


「エリック……」


「王女様に失礼なことをしてしまいました。申し訳けありません」


 エリックはあたしの呼びかけを無視し、あたしから一歩離れて片膝をつき、頭を下げた。


 頭をあげた後は父と目を合わせ、あたしのことは意図的に無視した。


「俺はこれから作戦会議がありますのでこれで失礼します。それから先ほど申し上げた結婚の話は俺の気の迷いだったようです。貴重なお時間を無駄にしてしまいすみませんでした」


 エリックは一礼すると中庭の出口の方へ歩き出した。


 中庭に集まった人達は静まり返り、黙ってこの事態を見守っていた。父も、狐につままれたような顔で茫然と突っ立っていた。


 あたしはがまんしきれなくなり、立ち去るエリックの背中に思いのたけをぶつけた。


「何であたしが人間になったらいけないの? エリックが欲しかったのは、マーヤの傷をいやしてくれるペット・・・の豚だった? それともマーヤへのとむらいとして、豚と結婚することで自分に罰を与えたかったの? 結局あなたも他の人達と一緒じゃない!」


 あたしは言い終えるとその場にしゃがみこみ、ローブに顔をうずめた。もちろんエリックは振り返ってはくれなかった。


 何が何だか事態がややっこし過ぎて解らないが、エリックに振られたことだけは間違え無さそうだった。男に振られて泣いている姿を家族や宮殿のみんなにさらすなんて、最低最悪だった。


「アニータ、出発の準備を手伝ってもらえるか?」


 遠くでエリックの声が聞こえた。


「エリック様すみません。今だけ、ナナちゃんの世話を優先させて頂いてよろしいでしょうか?」


 アニータが答えていた。


「勝手にしろ」


 エリックがエリックらしくないセリフを吐いていた。


 ちらっと顔を上げると、アニータがこちらに走ってくる姿と、ヘレが上空から舞い降りてくる姿が見えた。アンダースとオーレが、ヘレに「後は頼んだ」という合図をしながらエリックを追って中庭を出て行った。


「先ほどのクリスティーナ姫の話の続きをあたしの方から説明させてください」


 ヘレがあたしの横に立ち、家族や中庭に集まった人達に、これまでの経緯の説明を始めた。


 アニータがあたしの背中に手を置いた。


「クリスティーナ様、大丈夫……じゃないですね」


「アニータには『ナナちゃん』って呼ばれたい」


 あたしは少々無理なわがままを言ったが、さずがアニータはすぐに察してくれた。


「ナナちゃんはエリック様の為に準備してたことがあったよね。それだけはエリック様に何と言われようが仕上げちゃおうよ」


 アニータの言葉にあたしはうなずき、涙を拭いて立ち上がった。


 あたしの……クリスティーナ姫のお付き女中のインゲルが、少し離れた所で目を真っ赤にして嬉しそうに立っていることに気が付いた。


「蒸気機関チームのみんなには手伝ってもらうよね?」


 アニータが聞いてきた。


「うん。お願い。あたしは着替えてくる」


 今度はアニータに言葉で答えられた。


 アニータは蒸気機関チームの集団の方へ走っていった。


「みなさーん。ナナちゃんことクリスティーナ姫から皆さんに作業のお願いがありまーす。機械加工室で少々お待ち頂けますかー」


 アニータが叫んでいた。


「インゲル~、久しぶり~」


 あたしがインゲルに手を振ると、インゲルは泣きながら駆け寄ってきてくれた。


「インゲル、なるべく動きやすい服を用意してくれる?」


「承知しました。……ご無事でなによりです。もうお目にかかれないんじゃないかと……」


 インゲルはまた泣いてしまった。インゲルは17歳のあたしから見れば母のような年齢の女性で、普段は怖いイメージなのだが、今日は泣いてばかりで別人のようだった。


 中庭を振り返ると大半の人々はヘレの話に耳を傾けつつ、心配そうにちらちらあたしを見ていた。


 あたしがヘレを見ると、ヘレは一旦説明を止め、あたしが中庭の人々に挨拶をする時間をくれた。


「みなさん、先ほどは温かいお声がけ、ありがとうございました。あたしは急いで片づけなければならないことがありまして、先に退席させて頂きます。こんな状況であたしが抜けちゃってごめんなさい。ヘレ、ありがとう。後、お願いね」


 ヘレが任せなさいとばかり、大きく頷いてくれた。


 人々が再び拍手と歓声であたしを見送ってくれた。


「相変わらずクリスティーナはせわしないな」


 兄が言った。


「行ってらっしゃい。頑張って」


 母が言った。


 やはり家族である。あたしの行動原理はみんな先刻承知であった。ただ、父だけが寂しそうな顔で中庭から立ち去るあたしを見ていた。

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