25. ただいま
出陣式は戦闘員の士気を高める目的で行われた。王宮内の中庭に今回戦闘に参加する戦闘員全員が集められ、王から直接今回の戦闘の意義が伝えられた。
王宮内の一般職員にも極力出陣式に出席するように指示が出されていたのので、中庭の周辺は戦闘員を取り巻くように人であふれていた。
あたしもその中に居るようエリックから言われたので、蒸気機関開発仲間の姿を見つけ、そこに立った。あたしの隣に立ったアニータは、蒸気機関開発に全然関わり無いにも関わらず、すっかりみんなに馴染んでいた。
出陣式の最後に今回の戦闘員の隊長さんと軍師さん、それにエリックが前に進み出、全員を代表して委任状を受け取り、隊長さんが決意表明して式が終わった。
戦闘員にも観衆にも、さあ終わった、解散だ、という空気が流れた時、エリックが王を振り返った。エリックが何かを言おうと息を吸ったその時、
「ときにエリック、先日の婚約の話は皆に話して良いかな?」
と、王がエリックに尋ねた。
王はあえて詳細をぼやかした言い方をしたが、急に眼が泳ぎだした王の隣の隣に座るシェスティンの態度を見れば、誰と誰の話をしているかは中庭に居るほぼ全員にバレバレであった。
中庭に並んだ人々は、エリックを直接知る人達を中心としてどよめいた。特に魔法使い達は「おーっ」と嬉しそうな声を挙げたが、ヘレだけはあたしは知らないとばかり、そっぽを向いていた。
「申し訳けありません」
エリックが王に深く頭を下げた。
広場は急に静まり返った。最も大きな声で「おーっ」と叫んでいた魔法使いのオーレに至っては引きつっていた。
「そうか……」
フレデリック王は心底落胆している様だった。
シェスティンは両手で顔を覆い、下を向いていた。泣いてる? と、思い表情をよく観察すると、口角が上がっているようだった。あたしに記憶が戻った時、この人に対してどういう思いが沸き上がるのであろう?
「俺には心に決めた人がいます。その人とは既に将来を誓い合っています」
エリックが言った。広場は静まり返ったままだった。
「もしもお許しが頂けるなら、その者を紹介させて頂いてよろしいでしょうか?」
エリックが続けてそう言うと、広場に集まった人々は再びざわめいた。
この空気で良くそのセリフが言えるな、と、あたしは驚いたが、この場に居る多くの人も同じ思いのようだった。魔法使い達の会話には“マーヤさん”という言葉が交じっているのが聞き取れた。
「許可する」
王が静かに言うと、エリックがあたしを手招きした。
サイアク! この空気であたしにみんなの前に出ろ、と。
あたしは死にそうな思いで、助けを求めてヘレを見ると、ヘレは慌ててあたしから視線を逸らした。
もうどうにでもなれ、と、あたしが両前足に杖をつきながらエリックの傍に歩み寄ると、中庭は三度どよめいた。そのどよめきは最初の好意的などよめきと異なり、明らかに嫌悪を含んだものだった。
「俺の妻になることを約束してくれた人です。名前はナナと言います」
エリックは言いつつ、あたしに駆け寄り、あたしの両前足を手に取ってくれた。
ある程度予想はしていたことであるが、広場に集まった人々の間からはため息や“えーっ”というような抑えた非難の声が漏れ聞こえた。なかには王の面前であるにも関わらず舌打ちする者も居たし、聞えよがしに「カンベンしてくれよ」と言う人、式の終了宣言が出ていないにも関わらず勝手に中庭を出て行ってしまう者まで居た。
フレデリック王は怒りに満ちた表情で立ち上がったが、表情を抑えると再び静かに玉座に座った。
「エリック、本気で言っているのか?」
王が言った。
「はい。俺はこの娘と一緒になります」
エリックが言うと、王は再びイラつきを見せた。
「私もその豚が非常に優秀なことは知っている。しかしおまえは私の大切な娘を、しょせん豚と同列に並べ、あまつさえ豚の方が上だと言っているのだぞ。それは解っているな」
王がそう言うと、エリックはあたしの前足を強く握った。エリックの両手が一気に汗ばんだのが解った。
「おそれながら、ただいまの“しょせん豚”という言い方は取り消していただけませんでしょうか。ナナは表面上は豚ですが、中身は立派な女性です」
エリックが言った。それは、出陣式という大切な場で、軍隊のトップに立つ人間が王様に決して言ってはいけないセリフであった。王は怒りの感情を露わにし、もう隠そうとはしていなかった。
広場はもう完全に静まり返っていた。
もうダメだ、とあたしは思った。何故だろう、あたしと居ると、エリックはどんどん不幸になっていく。
その時、ヘレが突然手を挙げて、
「すみません……」
と、発言しかけた。
それとほぼ同じタイミングで、広場の末席の方からヘレの声をかき消す大きな声が響いた。
「おそれながら申し上げます。ナナさんは、少々お茶目な所はありますが、魅力的な素敵な女性であると自分も思います。エリック様が彼女を選ばれた気持ちも理解できる、と申しますか、共感できる、と言いますか……」
最後は尻つぼみながらそんな応援演説をしてくれたのは、料理長のヤンさんであった。
この発言をきっかけに、広場にいる人々が勝手に発言を始めた。
「俺もエリックさんの決断を支持します。俺もナナさんのファンです」
なんて声が蒸気機関開発組から出たかと思えば、
「この男、獣姦をさも正当な行為であるかごとく主張する変質者だぞ。我々はこんなヤツをトップに抱かなければならないのか」
なんて発言をする幹部もいて、賛否が真っ二つに割れ、なんかもうぐちゃぐちゃだった。
中庭に集まった人々の多くの人々は茫然としたり、露骨に辟易とした態度を示したりしていた。更に多くの出席者が勝手に退席を始めた。王を始め王族、幹部達は中庭を不快そうに眺めていた。
シェスティンだけがニコニコと……いつの間にか顔を上げ、じっとあたしを見ていた。
そのとき突然、あたしは自分の全身にむずがゆさが走るをの感じた。同時に、屋式七海が電車に引かれて死亡してから豚のナナとして飼料を食べ始めるまでの17年間の記憶が一気に蘇ってきた。
目の前に居る王と王妃は、あたしに甘々のお父さんとそれに対していつも文句を言っているお母さんだったし、その横にいる二人はずっと一緒に遊んだり喧嘩したりして育ってきたお兄ちゃんとお姉ちゃんだった。
記憶が戻る直前まで、シェスティンが狸だった記憶が出てくるのではないかと思っていたが、あたしの……クリスティーナの記憶にあるシェスティンは、ただちょっと仲の良いだけの姉だった。こんなにあたしのことを見ていてくれたのに、あたしは17年間気が付かなかったのだ。
その他の広場に並んだ人たちも、半分ぐらいは名前を知っていた。料理長のヤンさんも、工務のメンバーも、思い出してみればみんな前から知っている人達ばかりであった。ヘレなんて元々結構深い話をする仲で、昨夜のヘレはあたしに記憶が無いことが寂しかったかもしれないな、と思った。
一方、アニータやオーレなんかは豚になってからの知り合いだ。一度豚になることで、王宮内だけでも知り合いが一気に増えていた。
あたしは自分の前足が急激に人間の手に変化しつつあるのに気が付き、慌ててエリックの手を振り払って縮こまった。豚用の服は人間の体には小さすぎ、縮こまらないと王宮の関係者ほぼ全員があつまった広間のまんなかで自分の裸を披露することになりそうだった。
目がテンに成るっていうのかな? エリックがとにかくびっくりした表情であたしを見ていた。
「ナナ、おまえ…… え? え?」
エリックは上手く言葉が出てこないようであった。
「へへへ。魔法が解けちゃったみたい」
あたしはエリックにニタリと笑って見せながら、やっぱり人間の体っていいな、と実感していた。
中庭のあちらこちらで勝手に交わされていた議論や擁護や批判が止み、え? とか、えーっ!? とかの戸惑いや驚愕の声に急激に置き換わっていった。
「おかえりなさい! クリスティーナ」
お姉ちゃん……シェスティンの良く通る声が中庭中に響いた。その声は、なんというか、弾んでいた。
「ただいま!」
そう答えたあたしの声も弾んでいたかも。




