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20. ルノアールとフェルメールと酔っ払い

 なんだかんだ言っても人間と意思疎通ができる豚というのは見ていて面白いものらしい。宮殿内を歩いていると、いろいろな人に話しかけられる。庭師、掃除人から出入りの商人、大臣の中にもあたしを気に入ってくれて、いろいろと良くしてくれる人もいる。


 あたし自身人と会話するのは嫌いな方ではないので、喜んで会話に応じるうち、なんとなくこの宮殿内の人間の平均像のようなものが見えてきた。と、いっても街の人々と大差はないのだが、比較的宮殿内の人々の方が芸術好きの傾向があった。


 ただ、昨日出会った“彼女”は別格であった。


 宮殿内には所々にその場所の雰囲気に合わせた絵や彫刻が置いてある。絵はこちらの世界の人々の好みか抽象画が多いのだが、たまに人物画もあって、あたしのお気に入りは幼い子供達が水遊びをする絵であった。


 どことなくルノアールに似た柔らかなタッチで、絵の中の子供達もルノアールの描く人物達のように幸福そうで……。


「その絵、好きなの?」


 階段の踊り場で立ち止まり、しばらく踊り場の壁に掲げてあったその絵をボーッと眺めていたら、突然後ろから話しかけられた。


 振り返ると、華やかな美女が立っていた。装飾の多い、動くとふわふわと揺れる服、結い上げた髪を飾るのは、素人目に見ても安物ではないと判る宝飾類。そしてそれらの華やかな服に負けない、彫りの深い目鼻立ち。スマートで整った顔、立ち姿、ふるまい。


 マーヤも初めて会った時、きれいだな、と思ったが、彼女はそれ以上……というか、全然別の……なんというか女性としてのオーラがある人なのである。


 あたしがうなずくと、彼女は嬉しそうにその絵の解説をしてくれた。


 その写実的な絵からは想像もできないが、実はこの絵にはモデルがいないこと。作者自身は2度流産し子供がいないため、この絵の子供は彼女の願望であろうと言われていること。世間的には水の表現が高く評価されていること。


「あなた、聞き上手ね」


 突然彼女が言った。


 あたしは彼女の話が面白くて聞き入っていただけである。いったいどこが上手だったのだろう。じゃべらない所?


 そういえばこんなとき必ずさっとメモ帳を差し出してくれるアニータが今回は動かなかった。横を見ると、アニータは緊張してカチンコチンになっていた。


<お話、面白かったです。絵、お好きなんですね>


 あたしはアニータがやっと出してくれたメモ帳にそう書いた。


 そんな難解な文を書いたつもりは無かったが、彼女は少し時間をかけてあたしのメモを読んだ後、


「あなた、ナナちゃんでしょ。話題になってたから一度お話してみたかったの。今度是非、私の部屋にご招待させて」


と、言った。


<はい。ありがとうございます>


 そう書いてから、あたしの中で葛藤が起きた。彼女、何者? 何故、自己紹介しない? なんか怪しい人物だったりしないか?


 彼女が立ち去ると、アニータがぐじゅっと崩れた。


<アニータ、大丈夫?>


「なんでナナちゃんは緊張しないの?」


<彼女、誰?>


「ええ~っ。知らないで話してたの? 王女様。王女、シェスティン様。王様の長女」


<アニータ、声、大きいよ>


「誰のせいだと……」


<だって、会ったの初めてだし>


「そっか。ナナちゃんって元々ランスイエルフの人だっけ」


 いや、人ではないが、アニータが納得してくれるなら、それでいいや。


 えっと、ところで、……ということはあたし、王女様に招待されちゃった訳? お、これはなかなか凄いことなのではなかろうか。後でエリックに自慢しちゃおう。


 ***


 あたし達がなんだかんだと日常を取り戻しつつある頃、世界情勢はあたし達の気持ちに関係なく勝手に悪化しつつあった。


「ランスイエルフがアービスコに宣戦布告したよ」


 通りすがりにあたしとアニータに廊下でそう教えてくれたのはヘレだった。


<イナリじゃないんだ。じゃあとりあえず、まだあたし達は大丈夫?>


「とんでもない。アービスコとは5ヵ国連合を作る第一ステップとして最近同盟を結んだばっかりだから、イナリとしては派兵しない訳にはいかない。エリックは絶対に派兵メンバーに含まれるから、ナナ、覚悟しな」


 ヘレにしては珍しく、緊張の中に若干の怯えが感じられた。あたしはヘレの緊迫感に引きずられてゆっくりとうなずいた。


 現在密かに行っている膨大な計算を大急ぎで終わらせなくては、とあたしは決意した。


 ***


 イナリ王室内でもあたしのような末端レベルでは、現時点ではまだランスイエルフの宣戦布告の影響は感じられない。


 この頃、あたしは王女、シェスティンとの2回目の出会いを果たした。その場所は……驚いたことにエリックの部屋だった。


 その日、蒸気機関開発チーム30名は、フライホイールの質量モーメントを微調整することで蒸気機関の連続運転に初めて成功し、昼間ではあったが祝杯を挙げた。


 配膳されたワイングラスの底には、鉛のチップが沈んでいた。なんでもワインは酸味が強いためあまり女性の口には合わないが、鉛を入れると酸味が和らぎ女性にも飲みやすいお酒になる、との説明だった。


 鉛の毒性について指摘した文書は複数見かけていたので、まさか王室で食物に鉛を入れるとは思わなかった。いや、以前より調理室に鉛が置いてあること自体は知っていた。あの時点で怪しいと思うべきだったのだ。


 嫌なヤツだとは思ったが、あたしはその場で鉛の毒性について講義し、もったいないが鉛入りのワインはその場で全て捨てるよう促した。その後、宴席に魔法使いのオリビアを招き、改めて陶器に注がれたみんなのワインを魔法で冷やしてもらった。


 冷やしたワインは比較的酸味が抑えられ、鉛じゃなくても美味しいと好評を得た。


 調子に乗ってフルーツや香辛料をいろいろと調理室から譲ってもらい、サングリアやホットワインをつくると一律評判が良く……蒸気機関開発チームは、ゲストのオリビアやアニータ、それにあたしも含めてべろべろに酔っぱらってしまった。


 アニータの帰宅が心配だったので門番の一人に見送りを頼み(門番はあたしとアニータに借りがあるため「何やってんすか」とあきれながらも無理を聞いてくれた)いい気分で部屋に戻ると部屋に王女が居たのであたしは固まってしまった。


「おじゃましてます、ナナちゃん」


 シェスティンはあたしに笑顔を向けた。あたしはその場で固まって頭を下げた。


「お、丁度いい所に帰ってきた。この部屋に絵を置こうと思うんだけど、ナナはどっちがいい?」


 エリックが言った。


 テーブルの上には額に入った2枚の絵が置いてあった。一枚はこの世界で一般的な抽象画、もう一枚は……あたしの大好きなフェルメールそっくりの絵であった。女性の手元にある日常の何でもない小物が、窓からの日差しを受けてキラキラと輝いていた。


「この部屋にはこっちの抽象画が似合うと思うんだけど、シェスティン様が……酒臭っ」


 説明を始めたエリックは、あたしがエリックの隣の椅子に飛び乗ると鼻をつまんだ。


 あたしはその態度にかわまずフェルメール風の絵を前足で指差した。


「おまえどんだけ飲んだんだよ。一応人間じゃないんだから、うまくアルコールを消化できないかもしれないぞ。気をつけろよ」


 うん。エリックの言う通り、たしかにちょっと気持ち悪い。


 シェスティンは困惑するエリックを見て、クスッと笑った。あれ? この人、どことなくマーヤに似てるかも。


「ほら」


 シェスティンが言った。


「本当だ。じゃ、こっちにします」


 エリックがそう答えた。……何の会話?


「シェスティン様が、ナナはきっとこっちの絵が好きだって。何で判ったんですか?」


 エリックは、前半はあたしに、後半はシェスティンに話しかけた。


「なんとなく、かな。両方とも王室の資産だから、大切に飾ってね」


 シェスティンが答えた。


「両方いいんですか? ありがとうございます」


 エリックが言った。


 なんとなく話が見えてきた。経緯は判らないが、この部屋が寂しいので絵を置きたい、とエリックが言った所、この王女が絵を持ってきてくれた、というところだろう。抽象画の方はエリックのこんな絵が欲しいというリクエストに答えたもの、フェルメール風の方は王女セレクトらしい。


「ただ、こっちの絵は妹の部屋に置いてあったものだから、妹が帰ってきたら申し訳けないんだけど返してね」


「あ……」


 王女がこっちと言ったのはフェルメール風の方だった。妹、と言われてエリックが口ごもってしまった。


「大丈夫。あの子は戦争ごときで死ぬ子じゃないから」


 王女が微笑んだ。

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