17. マーヤと3人の魔女
あたしがトロトロと文字を書いて説明するまでもなく、あたしが銜えた血まみれの腕が事態を雄弁に物語っていた。門番は目の前の豚があたしであることを認識すると、すぐにエリックを連れてきてくれた。
エリックはブレスレットを見てすぐ誰の腕であるかを理解したようで、一瞬泣きそうな表情になったが直ぐに怒りが顔に沸いて出た。あたしを腕ごと抱きかかえるとほとんど瞬間移動じゃないかと思う程の凄い速度でマーヤの家まで飛び、上空からマーヤの家の居間に誰かがいるのを認めると、一直線に窓ガラスを割って居間に飛び込んだ。
「マーヤ!」
エリックが叫んだ。
マーヤは……マーヤの首から上は、老婦人が掲げる太い剣の先に刺さっていた。体の方は、別の二人の貴婦人に必死の抵抗を押さえつけられていた。その体も右手は肘から先が失われ、左手は上腕の途中で切断されていた。
マーヤの首は泣きそうな顔で、唇が必死に「助けて、助けて」と動いていた。肺や声帯が繋がっていないので声が出ないらしい。
ただ、脈に合わせて体側の首切断面から噴き出した血液が、空中を飛んで首の切断面より頭の側に飛び込んでいた。顔色は真っ青だが、かろうじてあの血液で意識を保っているものと思われた。
「ベンテ!! 何をしてる? その娘の首をすぐ戻せ!」
エリックが、初めて聞く激しい叫び声を挙げ、マーヤの首に駆け寄った。
エリックが両手を伸ばしマーヤの両頬に触れようとした瞬間、エリックの両腕が両肩の位置で切断され、血液を噴き出しながら床へ落ちた。
ベンテと呼ばれたマーヤの首を剣のさきに掲げた老婦人は、表情をピクリとも変えず、二人の貴婦人を振り返って言った。
「ほら来たろう。疫病神が」
エリックは腕を失ってもそのままの勢いでマーヤに近づき、彼女の三つ編みの髪を口で銜えた。エリックがマーヤに触れるとマーヤの頭に突き刺さっていた老婦人の剣が砕けた。
マーヤの首を銜えたエリックは、マーヤの体の方へと向きを変え、走り出そうとした。次の瞬間、エリックの両足は腿の付け根で切断され、エリックはマーヤの首を銜えたまま床に転がった。
手をつけないエリックは顔面をしたたか床に打ち付けた。思わず口から放してしまったマーヤの首が、鈍い音を立てて床に落ち、ごろごろと転がった。
あたしは咄嗟にマーヤの首に駆け寄り、マーヤの首を拾った。マーヤの首は既に生気を失っており、冷たく、重たかった。
「ナナ! マーヤの首を胴体に! 早くしないと手遅れになる!」
エリックの声が聞こえた。
言われるまでもなく、そのつもりであった。しかし次の瞬間、あたしの腹部に激しい痛みが走り、草食動物特有の長い腸が一気に床に散らばった。
強烈な痛覚で気を失わないのがやっとであり、あたしはそれ以上動くことができなくなってしまった。まるでお漏らしのような熱いぬるぬるとした液体があたしの下半身を覆い、あたしはマーヤの首を抱えたままその場で座り込んでしまった。
「なんて恩知らずな子だろうね。あんなにガイル様に目をかけてもらって……」
マーヤの体を抑えている二人の貴婦人がエリックに対して説教を始めた。マーヤの体は力尽きたかのように抵抗を止めていた。
マーヤの首が不思議な力を受けてじわじわと宙に浮きあがり、あたしの手を離れた。しかしあたしの前足から15cmほど浮き上がった空中で首の移動は止まってしまった。
胴体から頭への血液の供給は既に止まっていた。
「邪魔するな! 早く繋げないと回復できなくなるだろうが!」
エリックが叫んだ。
「させないよ。おまえもガイル様の悲しみを知るがいい」
ベンテと呼ばれた老婦人はそう言うとあたしに近づき、エリックに砕かれた剣よりもさらに重量のありそうな剣を振り上げた。明らかにあたしの前足の上空15cmに浮いているマーヤの頭が狙いであった。
「ふざけるな!」
エリックが叫んだ。
次の瞬間、あたしは信じられないものを見た。エリックの仕業とは信じたくないというか……
……3人の貴婦人の頭が文字通り爆発した。首から上が細かい部位に分離し、四方八方に飛散した。赤や黒や白の入り混じった破片が、あたしにも降り注いだ。
命ある限り力を失わない魔法使い同士が本気でぶつかった結果が壮絶なものであることを、この時あたしは理解した。
貴婦人達が倒れると、エリックは二人の貴婦人とともに倒れこんだマーヤの体を起こし、空中にあった頭を繋げた。同時に切断された自分の腕や足を引き寄せ、自分の胴体に接続した。
マーヤの首の切断面は動画の逆回しのようにみるみるつながり、あたかも最初から繋がっていたかのように、細くて長い、見慣れた首に戻っていった。が、顔色は戻らず、目も閉じたままであった。
エリックは修復したての体で駆け寄り、マーヤを抱きかかえた。
「マーヤ、しっかりしろ。おまえ、魔法使いのマーヤだろ。自分でもなんとかしろよ」
エリックが泣きながら叫んでいた。
「私ね……」
突然、マーヤの口から小さな声が漏れた。
「私、エリックの一番大切なものなんだって。やったぁ」
それだけ言うと、マーヤは微笑を浮かべたまま再び動かなくなってしまった。
「マーヤ、おいマーヤ。何を、こら。おい」
エリックが半狂乱になりながら必死にマーヤに話しかけたが返事は無かった。
あたしは床に蹲ったままエリックを見ていた。腹部の痛みは気を失いそうなほど強烈なものからただ単に辛いだけのものに低下してはいたが、とても動ける状態ではなかったから。
エリックは両手でマーヤの体を抱きしめた。
「マーヤ……」
エリックはもう叫ぶのを止め、ただひたすら泣いていた。
***
この日はエリックもあたしも事件の後始末に追われ、他のことが一切できなくなってしまった。
マーヤの親族、関係者への連絡、説明。治安組織への説明、王室関係者への連絡、説明、諸々後処理の手配、対応 …… 結局床についたのはかなり深夜。エリックはすぐに寝息をたてはじめた。
エリックの寝息が聞こえてくると、今日一日がまんしていたあたしの涙腺は一気に緩んだ。
元を正せば全てあたしのせいなのだ。あたしが大人しく食肉加工されていれば、エリックは人を4人もの元同僚を殺さずに済んだし、ランスイエルフの4人の魔法使いも死なずに済んだ。なによりマーヤがまだ生きていた筈であった。
あたしさえ居なければ、もしかしたら今頃は、ランスイエルフで成功したエリックと共に、新しい生活の相談などしていたかもしれない。
なんであたしはあのときエリックに助けを求めたりしてしまったのだろう……。
「ナナ」
突然、隣のベットからエリックの声が聞こえた。
エリックを起こさないよう、極力声を立てずに泣いていたつもりであったが、起こしてしまったか。
「こっちに来るか?」
エリックが自分の布団をめくりあげ、隣に空間を作ってくれていた。この時ばかりはあたしは自分が豚であることを感謝した。もしも人間のままであったら、エリックの隣に潜り込むことをかなり躊躇したであろうし、なによりエリックが入れてくれなかっただろう。
いや、豚であってもちょっとは抵抗があったが、なんかもういいやと思いきってエリックの布団に飛び込んだ。
エリックの布団の中は暖かく、エリックの匂いがした。あたしはそこでエリックの胸に顔を埋め、思いっきり泣かせてもらった。エリックは優しくあたしの頭をなでてくれた。
「ごめんなさい」
あたしはそう言った。もちろんちゃんとした言葉にはならず、音としては単なる豚の鳴き声に過ぎなかった筈だが、不思議とエリックには意図が通じたようだった。
「何謝ってんだよ。今日はごめんな」
エリックはあたしの頭を撫でながら言った。
そうだ、思い出した。エリックってば、ひどいのだ。エリックはマーヤの死がなかなか受け入れられずあの後しばらくマーヤを抱いていたが、その間あたしは割けたお腹からだらーんと腸を垂らしたまま身動きが取れず、涙目でひたすら痛みに耐えていた。もう少し早く治療してくれたら、あたしだってマーヤにお別れを言えたかもしれなかったのに。
「……俺も、マーヤが死んだのは俺のせいだと思ってた」
その言葉で今度は今日の夕方の出来事を思い出した。あたしはエリックの左の頬に触れた。頬は腫れあがったままだった。
夕方、マーヤの親族が集まった前で、エリックは今日の出来事とそこに至った事情を説明した。最初はヘレが上手くエリックとの繋がりはごまかして今日の出来事だけを淡々と説明していたのだが、親族が納得していないとみるや、エリックはバカ正直に、3人の魔女の言葉とマーヤの死の直前の言葉まで紹介し、マーヤはエリックを苦しめる為に殺されたのだろうとまで説明してしまった。
この説明で親族間にエリックに対する憎しみが一気に高まったのがあたしでも判った。
そこでマーヤの父が取った態度が、さすがあの娘を育てた親だと関心させられるものだった。彼はエリックに対して、君を殴らせろ、と言ったのだ。
言葉だけでなく、マーヤの父は実際に親族が集まった席でエリックを思いっきり殴り倒した。これにより親族のエリックに対する憎しみが一気に沈静化した。そのあとこの父親はエリックを抱きしめ、
「マーヤを愛してくれて、ありがとう」
と言った。
左の頬の腫れはそのときのものだ。この程度の腫れであればエリックなら難無く治せる筈だが、治さないでいるのは治したくないからだろう。
「だが、俺は悪くない。もちろんおまえ……七海も悪くない」
エリックはあたしの頭を撫でながら、久々にあたしを本名で呼んでくれた。
「俺たちがマーヤに伝えるべき言葉は『ごめんなさい』じゃなくて『ありがとう』だ。じゃなきゃマーヤが浮かばれない」
あたしはエリックの言葉をちゃんと受け取ろうと、涙を拭いて顔を上げた。ところが、
「なにが『一番大切なものなんだって、やったぁ』だよ。最後までふざけやがって」
エリックはそう言うと、逆にあたしの胸に顔を押し付けて泣きだした。あたしは前足でエリックの頭を撫でながら、これが人間の手だったらどんなに良かっただろうと哀しく思った。




