16. 小さな家の魔女、再び
一週間ぶりのマーヤの家だ。
本当は宮殿に落ち着いたらすぐにでもマーヤに様子を報告しようと思っていたのだが、エリックのイナリ王室入りをきっかけにいろいろなプロジェクトが一気にうごきだしたため、なかなかマーヤの家に戻る機会が無かったのだ。(調理室で遊んでたじゃねえか? まあそれは置いといて)
今日だって蒸気機関用の潤滑油が見つからなかったのをいいことに、マーヤなら植物油を機械油に魔法で変えられるかもしれない、という多少無理な理由を作っての訪問だ。
マーヤの家のドアをノックしたら、マーヤに怒られた。
「ここはナナちゃんの家なんだから、お客さんみたいにノックしちゃダメじゃない」
もちろんふざけて言っているのだが、確かに一週間前はあたし自身、「ただいま」の代わりにぶーぶー鳴き声を挙げながらドアを開けていた。でも、ねえ。
<やっぱりドアには鍵かけようよ。女子の一人暮らしなんだし>
あたしはメモ用紙にそう書いてマーヤに示した。
「ナナちゃんが元居た世界ではそっちが普通だったんだよね。前、聞いた。でもこの辺の人達はみんな家に居るときは鍵かけないから、一人だけかけて、変に思われるのはイヤかな。ましてやうちはお店をやってるし」
マーヤはそこまで言って、あたしが納得するのを待った。けど、あたしの感覚からしたら、こんなにきれいな若い女性が家に鍵をかけずに一人暮らしなんて、襲ってくださいと言っているようにしか見えない。
納得できずにいると、マーヤが言葉を添えた。
「ありがとう、心配してくれて。でも、ナナちゃんには見せたことないけど、私も結構強いんだよ。大抵の胃の内容物は毒に変えられるし、血管中に瘡蓋を作って血液の流れを止めるのも、肺の中の空気の成分を変えて呼吸困難を起こすのも簡単だし。たぶん普通の軍隊一小隊よりは私の方が強いんじゃないかな?」
無理に怖い話を……。
あたしがため息をつくと、マーヤが満足げに微笑んだ。
頑固者め……。
***
ただ、言うだけあって実際にマーヤの魔法は素晴らしく、イナリ王宮の魔法使い達が誰も(エリックを含めて)できなかった植物油の機械油化をあっさり実現してしまった。しかも温度を上げても粘性がほとんど変化しないのにはあきれた。
2~3時間を想定していた用事が10分で済んでしまったため、あたしは少し(?)雑談をしてから王宮に戻ることにした。
「やっぱりナナちゃんのお茶はおいしい。もっと頻繁に戻ってきてよ」
あたしの向かいに座り、お茶を一口飲んでマーヤが言った。
<良い言い訳ができたから、これからちょくちょく来れると思う>
あたしはマーヤの作った潤滑油の試作品(?)を見ながらそう書いた。
マーヤは嬉しそうな笑顔を返してくれた。
たった一週間会わなかっただけなのに、話さなければならないことは山のようにあった。
エリック(と、あたし)が王宮で与えられた部屋がどのような部屋で、部屋の家事を手伝ってくれる担当がどんな人で、エリックが手がけることになった仕事がどんなもので、エリックと一緒に働く魔法使いがどんな人達で……。
マーヤの方はそれほど大きな生活の変化は無いようであるが、行きつけのお茶屋さんが新しい茶葉を仕入れた、とか、新しい髪形を試してみた、とか、たった一週間で小さな変化は結構あった。一応、あたしが居なくなって寂しい、とも言ってくれた。
やっぱりマーヤの家の居間は落ち着く。王宮内にもエリック用に素敵な部屋を用意してもらったが、隅々までマーヤの趣味で彩られた部屋が醸し出す雰囲気は別格だ。
マーヤと雑談をしながら、将来的にはエリックにはマーヤと一緒になってもらい、あたしは二人の家政婦かペット的な立場にしてもらって、ここで一緒にお茶を飲めたらいいかも、なんて想像を巡らせた。
***
マーヤの家を去る際、あたしと入れ違いで3人の女性客が入ってきた。服装や持ち物からして、明らかに上流階級の婦人達であった。
あたしも初めて見る顔であったが、マーヤの態度から本当の新規客のようであった。(マーヤは一度来た客の顔は大抵覚えており、2度目以降の客には必ず、前回の薬の効きはどうだったか、とか、患者の様態はどうか、などと話しかける)
「いらっしゃいませ」
出迎えるマーヤの横であたしも頭を下げると、婦人達はぎょっとしたように一歩ずつ引いた。これだけで、おそらくイナリの人達ではないことは判った。どうもたった一週間で“マーヤの豚”は有名になってしまったらしく、初めての客でもイナリの人ならたいてい「ああ、あなたがあの有名な……」なんて言って話しかけてくれるのだ。
「じゃね、ナナちゃん」
客を家に招き入れた後、マーヤはあたしに簡単に別れの挨拶をし、扉を閉じた。先週までは一緒に顧客を招き入れていたのに……と、思うと一抹の寂しさがあった。
けどあたしもこれ以上ゆっくりはしていられない。プロジェクトの意義に共感してくれた金属磨き職人が徹夜で仕上げた試作品のピストンがそろそろ届くことになっているのだ。技術屋達の奮起に答える為にもあたしは機械油を早急に持って帰らなければならなかった。
***
マーヤの家を出て少し歩いた所で、ボン、と何か重たいものがあたしの肩の上に落ちてきた。振り返って見ると……肘の辺りで千切れた人間の腕であった。
ゾッとしながらもその腕を観察すると、白くて細い腕……その繊細な肌から、若い女性の腕のようであった。腕は、たった今千切れたものらしくまだ体温を残しており、切断面からは止めどなく血液が溢れていた。
恐怖で思考停止しそうな脳を必死に動かし、指の形からして右手か……などと考えていると、その手首に巻き付いた細い金属のブレスレットに気が付いた。それは、つい先ほどまでマーヤがティーカップを持ち上げる度、マーヤの腕を上下していたブレスレットであった。
明らかにマーヤがあたしに助けを求めていた。
あたしはマーヤの腕を銜えると二本足で歩くための杖を投げ捨て、4つ足で走り出した。どんなにカッコ付けても今のあたしは所詮豚だ。二本足で走るよりも4つ足で走った方が圧倒的に早い。豚であることを自分で認めたくなくて、極力二本足で歩くようにしていたが、今はそんなことを言っていられない。
4つ足で走るあたしは、まるっきり普通の豚にしか見えないようであった。王宮の門番はあたしの入場を拒んだ。あたしは2本足で立ち上がり、前足で必死にあたしだ! とアピールした。
「ナナさん?」
クヌートさんの方があたしに気が付いてくれたので、あたしはうんうんと首を縦に振った。




