14. 熱力学に基づく蒸気機関におけるエネルギー変換効率の最適化?
イナリ宮廷の門番は、あたしが宮廷を訪ねる度にどんどんおじきが深くなっているような気がする。
一度、
<もう怒ってないので、そんなに恐縮しないでください>
と、メモ用紙に書いて手渡したが、どうも読んでもらえなかったみたい。
今日もやっと門が見える所までエリックとあたしが近づいた時から門番はあたしたちに最敬礼していた。
宮廷の中はヘレが自ら案内してくれて、会議室のような小さめの部屋に通された。そこではフレデリック王と、イナリの参謀だという男が待っていた。
テーブルを囲んで王と参謀とエリックとヘレが座った。ヘレはあたしに、エリックの隣の椅子に座るよう言ったがあたしは辞退し、部屋の隅に座ろうとした。王の後ろには秘書らしい女性が二人、別のテーブルに座っていたので、あたしもどちらかといえばそっちの仲間かな、と思ったのだ。すると突然王があたしに話しかけてきた。
「ヘレの言う通り、こちらへおかけください。うちの司書連中はあなたのことを先生とお呼びしているんですよ。その先生に失礼があったら私が彼らに怒られてしまう」
一国の王が家畜にかける言葉では無かった。あたしはこの一言ですっかりこの王様を気に入ってしまった。
王様は最初に、エリックに歓迎の言葉を述べた。その後少々雑談をするつもりだったようなのだが、会話はいきなり深い所に入ってしまった。クリスティーナ姫の救出の話だ。
「私が娘の命より国民の命を優先すべき立場にあることは判っている。けど今回あの子が居なくなってみて、改めて私の中であの子の比重が重いことを思い知らさせた」
フレデリック王は、王様をやっている人物には珍しく、あっさりと自分の弱さを認めた。
「もちろん、あの子を犠牲にして軍を動かす可能性も考えているが、考えれば考えるほど気が狂いそうになる。王になどならなければ良かったと思うよ」
そう言うだけで、フレデリック王の顔色は悪くなった。
ヘレは“あのオヤジ、クリスティーナに関してはバカだからなぁ”という言い方をしていたが、要するに娘に関してだけは強い王から普通の父親になってしまうということのようだ。
「事を起こす前に、秘密裡にクリスティーナを救出してほしい。そんなこと無理だろうと思っていたが、君ならできるかもしれないと、君のうわさを聞いたときに思った。ヘレに君のスカウトを強く要請したのは実はほぼそのためだ。この通り、頼む」
王はエリックに頭を下げた。
一国の王に頭を下げられてはエリックも承諾するしかなかった。王は、この件に関しては王宮の魔法使い4人を(ヘレも含めて)自由に使って良い、との条件も付けた。4人には既にエリックの指示を最優先するよう話をつけてあるとのことであった。
「と、いう訳で、よろしくね。エリック隊長」
ヘレが言った。
「うっ」
と、エリックが唸ると王と参謀が笑った。ヘレのキツさは王宮中が知っているようであった。
***
謁見の中で王様には我々の産業復興策を説明し、最後に工務室とのミーティングをお願いした。
その後ヘレが、エリックの為に用意した部屋に案内してくれた。
ヘレが部屋のドアを開けると、中に見慣れた顔が居た。
「彼女が今日からあんたの身の回りの世話をするアニータね」
ヘレに言われて頭を下げたのは、あの、司書のアニータだった。
「アニータと申します。よろしくお願いします」
「よろしく……」
エリックが何か言いかけるのを無視して、あたしはアニータに駆け寄った。アニータも嬉しそうな笑顔を返してくれた。
「ナナちゃん、よろしく。ナナちゃんが王宮に住むことになったって聞いて、ナナちゃんの傍に居たくて無理言って配置換えしてもらっちゃった」
アニータはあたしの手を(前足を)とって言った。
あたしがエリックを振り返ると、アニータはさっとメモ帳とペンを差し出してくれた。
<アニータはすっごく優秀な司書さんだから、何か調べものしたい時には頼りになるよ>
あたしはそう書いてエリックに示した。
「なんかここは完全にナナの庭だな」
うれしそうなあたしたちを見て、エリックはあきれてそう言った。
「じゃエリック、あたしは魔法使い達を集めとくから、落ち着いたらアニータにあたしたちの控室に案内してもらって。アニータ、あとよろしくね」
ヘレが言った。
「はい、わかりました」
アニータが答えた。
***
こんな風に、あたしたちの宮殿暮らしは始まった。
エリックは魔法使い達とクリスティーナ姫救出の為の打合せを繰り返していたので、あたしは蒸気機関開発に専念させてもらった。
初日、魔法使い達との顔合わせの後、アニータにも付き合ってもらい、エリックとあたしは工務室を訪ねた。
エリックが蒸気機関の意義を説明――蒸気機関でイナリの財政立て直し――という話をしている間は、5人いる工務室室員達は興味を見せていたが、そのあとあたしが蒸気機関の構造の話を始めると、うち4人は明らか引いた。
なにしろ、薪をくべとくだけで動き続ける装置、というだけで信じがたいのに、ペットか添え物だと思っていた豚が急に前に出て黒板に文字を書き出したのだ。王様直々の招集とはいえ、アニータがいなかったらあたしたちは完全にゲテモノ認定されていたに違いない。
ただ工務室の若手、ラーシュだけは目をキラキラさせてあたしの話を聞いて(読んで?)いた。あたしが一通り説明を終えると、機関各部位の耐圧はどのぐらい必要か? とか、温度はどの程度になるのか? とか、熱膨張は? 蒸気を鉄の構造物に通して錆は発生しないのか? 等々、矢継ぎ早にあたしに質問を浴びせかせ、あたしがそのほとんどに判らないと回答すると、より目を輝かせて、まず行わなければならない基礎実験を列挙した。
ラーシュの熱意に引きずられるように、ベテラン勢が一人ずつ、ラーシュの立てる基礎実験計画にアドバイスを始めた。その鋳物を作るなら、どこの工場に頼むのが良い、とか、金属磨きならどのオヤジが腕が良い、とか。
別のベテランは実験に要する費用を計算し、このくらいの予算が必要そうだが大丈夫か? と言ってきた。その金額は、王が本開発に当初約束していた金額を優に超えていた。
「予算のことは俺に任せろ」
エリックのこの一言で、蒸気機関開発は動き出した。
***
一方、クリスティーナ姫救出の方は当初より迷宮入りしていた。
どこの国でも、魔法使いは大抵、情報ヒエラルギーのかなり上にいる。ところがランスイエルフ時代、エリックはクリスティーナ姫の所在どころか、クリスティーナ姫を人質に取っているという事実そのものを一度も聞いたことが無かった。
新入りだったから、ということはあるかもしれないが、クリスティーナ姫の所在は内部に居てすら得られない極秘情報であるらしかった。ましてや外部から情報を得るのは並大抵のことでは無い。どこに居るのかが判らなければ、救出作戦も立てようがない。
「ガイルさんならきっと所在を知ってますよね」
クリスティーナ姫救出方法を相談している席上で、オーレという若い男性魔法使いが言った。ランスイエルフ時代のエリックの上司、3班班長のガイルは、以前魔法使い養成所で講師をしていたことからオーレとヘレは個人的に彼を知っていた。
「たぶんな。けど教えてくれと訊いて教えてくれる訳ないしな」
エリックがそう答えると、オーレは急に女性の声を出した。
「これでもダメだと思います?」
オーレは、ガイルの一人娘、アンナの姿に化けていた。オーレは変身魔法の名手であった。又、オーレとヘレは魔法使い養成所でアンナと一緒であったため、二人はアンナのことも良く知っていた。
「ガイルさんにバレないのは至難の業だし、バレた瞬間殺されるぞ」
エリックがため息をつきながら言った。
しばらくイナリの魔法使い全員が黙ったあと、ヘレがおずおずと口を開いた。
「……その役、あたしがやろうか? あたしはアンナと仲良かったからあの子のクセとかも知ってる。ちょっと話をするぐらいならガイルさんにバレない自信がある」
「ヘレ……」
エリックは言葉を飲み込んだ。
オーレがヘレをアンナに変身させると、ヘレは右手で髪の毛の端をつまみ、くるくると巻いて見せた。それはエリックも知っているアンナのクセであった。
「多少はリスクを取らないと、大きな仕事はできないでしょ」
アンナ顔のヘレがニタリと笑った。




