10. 残酷な事実の受け取り方
よし、追い付いた!
エリックは懐かしさでいっぱいになり、その背中に駆け寄った。
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これは後日、エリック本人から聞いた話。
アニータが休憩室に運んできてくれた文書をあたしが夢中になって読んでいた頃、傷心のエリックがアービスコ国のオープンマーケットの中をふらふらと歩いていた。
こんな筈では無かった。ランスイエルフ周辺の主要5ヵ国中、4ヵ国がエリックを拒絶するとは。
ランスイエルフが戦場の最前線に魔法使いを配する戦略で成功し、急激に国力を伸ばしてきたことで、国家間の魔法使い争奪戦は激しさを増している……筈であった。ましてやエリックは魔法の腕には自信があったし、それを裏付ける経歴もあった。
ところがエリックが人脈を駆使して各王宮に雇ってほしい旨を伝えても、ケンもホロロの反応しか返って来ないのだ。
「悪かったな」
エリックの横を歩いていた従弟でアービスコ王室ご用商人のダニエルが言った。
「最初に腕の良い魔法使いを紹介できるって話を持ち掛けたときは、明らかにあいつら乗り気だったんだけどな」
あいつら……とはアービスコ王室の上層部のことである。ダニエルがエリックの能力や経歴を説明し、翌日……つまり今朝、採用合否の結果を聞きに行くと、理由も説明せずに不採用が告げられた。取り付く島もない、極めて事務的な伝達であった。
エリックには理由が解らなかった。ランスイエルフを辞めてきた、と告げたことでランスイエルフのスパイだと思われたか? それともランスイエルフの残虐な戦闘方法が受け入れられなかったと告げたことで、使えないヤツとの烙印を押されたか?
こうなると、残りの1国……イナリも、エリックを雇う可能性はほとんど無いと思われた。なにしろイナリは5ヵ国中最もランスイエルフに飲み込まれつつある国なのだ。エリックはイナリがランスイエルフの属国になるのは時間の問題だと見ていた。
むしろそうなった時にマーヤをイナリから連れ出せるよう、他国に自分の居場所を作っておきたかったのだが……。仕方ない、あの女に借りを作りたくは無かったが、ヘレにイナリ王室との繋ぎを頼んでみるか……。
……エリックはそんなことを考えていた。
「せめてもの詫びに昼飯を奢らせてくれ。このマーケットに美味い肉を食わせる店があって……」
ダニエルが料理についての蘊蓄を語り始めたが、エリックの頭にその内容は入って来なかった。
どこまでも直線に伸びた幅4mぐらいの石畳の道。その道の片側にひしめくようにずらりと並んだ露店。そしてその道を埋める、この街にこんなに人が住んでいたのかと驚くような数の人々。
マーケットは、この国が戦時下にあることを知らないかのように、賑わっていた。
「何かお土産、買えないかな?」
エリックがつぶやいた。
「お、彼女か?」
「いや、まあ……今、友達に少々やっかいな荷物を預かってもらってるんで、そのお礼で」
「アービスコは刺繍が有名なんだぜ。このマーケットにもたぶん何軒か……」
ダニエルがニヤニヤしながらそこまで語ったとき、エリックは人込みの向こうに見覚えのある背中を見つけた。
「ダニエルごめん、珍しい人を見つけた。すぐ戻る」
そう言い残し、エリックは駆け出した。
***
その人物は、エリックには気が付いていない様子で、速足に、あたかもエリックを巻こうとしているかのようにエリックとは逆方向へ歩き、脇の路地へ入っていった。
が、物陰に隠れているものもある程度見えるエリックにとっては、特に問題となる動きではなかった。
ある程度距離が詰まった時、エリックは確信した。やはり、ランスイエルフ時代にエリックの直接の指導係だった先輩魔法使いであった。
先輩がマーケットの人込みの中に戻った所で、エリックはその先輩に追いついた。
エリックは懐かしさでいっぱいになり、その背中に駆け寄った。
「先輩、お久しぶりです」
エリックが声をかけると、突如その人物は振り返り、エリックの顔を殴った。
周囲を歩いていた人々の間から悲鳴が漏れた。
殴り倒されながらも何が起きたか解らず、エリックが起き上がりながらその先輩を見ると、先輩はぼろぼろと涙を流していた。
「情報は俺たちの生命線だって、あんなに口を酸っぱくして教えたろ。なんで情報収集を怠たった?」
先輩がそう言うと、突如エリックの体のありとあらゆるところが割け、全身から血が噴き出した。肺もやられたらしく、喉の奥からも大量の血液が吹き上がってきた。
先輩の魔法であった。その魔法には明確な殺意が込められていた。それも、通常の人間であれば瞬時に存在が消え去るであろうほどに強力な。
おそらく、先輩としては少しでもエリックが苦しむ時間を短くしたかったのであろう。
ラーシュ王の命令か?
たがが豚一匹盗んだだけで、ランスイエルフでは他国に逃げ込んだ犯人までわざわざ追いかけて処刑するのか?
エリックには俄かに信じがたかったが、それが自分の身に起きている現実なのだから納得するより仕方がない。ラーシュ王に歯向かうことは、ランスイエルフでは絶対的に悪なのだ、とエリックは理解した。
エリックは先輩の魔法の力を削ごうとした。しかし絶対的な力比べでは相手の方が上で、とてもエリックの力では抑えられなかった。ランスイエルフから七海を……あたしを連れて逃げる際、いかに諸先輩方が手を抜き、エリックを止める“ふり”をしてくれていたかが改めて解った。やはりランスイエルフの魔法使い達は一人一人、とんでもないバケモノだったのだ。
あと1/100秒もすればエリックは単なる肉塊になってしまう、というギリギリになって、エリックは局所的になら自分の魔法が先輩に届くことに気が付いた。
同時に思い出したのが、今日一緒に歩いているダニエルの昔の事故だ。
少年時代、ダニエルは空中浮遊に失敗し、結構な高さから落下して、額をたまたま落ちていた石に叩きつけた。以来彼は魔法が使えなくなってしまった。
エリックは以前より魔法使いが一般の人より額が広いことが気になっていたが、もしかしたら魔法使いの魔法は特異的に発達した前頭葉の先端部に依存しているのかもしれない、と、ふと思った。
エリックはわずかに届く魔法の力を先輩の額に集中した。先輩の額が割け、血まみれの白いものが噴き出した。前頭葉の一部であった。
同時に先輩の攻撃がピタリと止んだ。エリックは一命を取り留めたが、先輩はその場で崩れ落ち、動かなくなってしまった。もしかしたら、魔法のみならず、先輩の生命までも奪ってしまったかもしれない。
エリックは半分肉塊と化した自分の体を急いで修復し、先輩の首筋に手を当てた。不安定ながらも一応、脈拍はある。
エリックが立ち上がると、たっぷりと血を含んだエリックの衣服から血液が滴り落ちた。
いつの間にか、エリックの周りには2重、3重の人垣ができていた。魔法使いを見ること自体珍しいのに、人通りの多いマーケット内で派手な喧嘩が勃発したとなれば、どうしても野次馬が集まってきてしまう。
誰もが凍り付き、息を飲んでエリックを見つめていた。
「どなたか、この人の介抱をお願いします」
エリックは周りに話しかけたが、誰も動こうとはしなかった。戦場にでも行かない限り、一般市民はこんな血まみれの殺し合いなど目にすることは無いであろう。動けないのはむしろ当然であった。
しかし、エリック自身が介抱する訳にはいかない。エリックはこの場を立ち去るしかなかった。
エリックは人垣の奥にダニエルを見つけた。
「場所を変えよう。その前に着替えてくるけどちょっと待って……」
ダニエルの名前を口にするのは避け、視線のみをダニエルに向けて話しかけた。が、エリックが目を合わせようとすると、ダニエルは視線を逸らし、人垣の後ろの方に移動を始めた。
ダニエルは明らかに怯えていた。人垣を抜けるとエリックに背を向け、走ってどこかへ行ってしまった。
エリックはため息をついた。




