道案内
今回は冬のお話です。いや、春かな。
2月初旬、受験シーズンである。
大学入試を控えた、顔の引き締まった学生が集まる街、東京は神保町。
「よっしゃ、着いたぜ、神保町!」
彼の名は、杉山武蔵。彼もまた受験生の一人であった。
しかし、この男、極度の方向音痴。
初めて行く場所に迷わず着いた事は皆無。
地図を持てばぐるぐる回し、自分も回る。
地図アプリを使えば、画面の矢印と同じ方向を向いたつもりで、
なぜか、違う方向へ進む。ある意味、稀有な才能の持ち主である。
友人たちに言わせれば、あいつが迷わないのは、フィールドの中だけ。
自身も、自分の稀有な才能を自覚しているため、
今回は入念に準備をしてきた。
先ず、今日は試験前々日。前日乗り込みで、下調べに失敗しないよう、
さらに一日早く、現地入り。
家族には、早すぎると言われたが、本人は譲らない。
大学入試に迷子になって遅れるのだけは絶対に避けなければならない!と。
そう決まってしまえば、安心してしまうのが、この男の悪い癖。
これで、一日迷っても大丈夫。などど考えてしまうのである。
豪胆なのか、阿呆なのか、友人達の意見は分かれる。
さて、そんな杉山武蔵も、神保町の駅に無事到着したが、
なにせ、初めて降り立つ駅である。才能を遺憾なく発揮する。
事前に調べた最短コースは、A9出口。彼が出たのはA4出口。
南北の両端の出口である。
出口を出たら、左へ進む。メモにはそうある。
早速、まったく反対方向である。
さらに、地図を見ることを得意としない武蔵は、地図を見ても判らない。
だから、最初から地図を見ない。これが通常である。
気が付くと、皇居の堀が見えてくる。
よくよく周囲を見れば、九段下の駅への案内がある。
ここで、ようやく、間違っていたことに気付く。
仕方がないので、来た道を戻る。
道を間違えるのは、いつもの事。まったく気にしない。
ようやくと、神保町駅のA4出口まで戻ってきた。
そしてまた、才能を発揮してしまう。左へ進んで行くのである。
だが、今回は、湯島天神の御祭神、学問の神様、菅原道真公のお導きか、
違和感に立ち止まる。
実はこの男、高校時代はラグビー部で、フォワードをしていたため、
非常に体が大きい。そして荷物も大きい。
そんな大男が勢いよく振り返ろうものならば、旋回半径も当然大きいので、
ドンッ 当然、こうなる。
本人は、何がぶつかろうが、屁でもないが、当たった方は堪らない。
急旋回した武蔵のボストンバッグは、隣を歩いていた女性に衝突し、
女性は尻餅をついてしまった。
「いったぁ~。」
「も、申し訳ありません。」
武蔵は女性の横に両膝を着きはしたものの、女性に触れる事を躊躇って、
手だけが、右往左往している。アワアワといった状態だ。
倒れた女性は、巨体を屈めて慌てている男の姿が、可笑しかったのか、
座ったまま、口を押えて笑いだしていた。
笑い出す女性にますます動揺する武蔵の両手。速度が速くなる。
それを見て、堪えられなくなった女性は、口を開けて笑い出す。
「あっはははは、き、君、動きがおもしろすぎるぅ~。あーははははっ。」
道を間違えようが気にしない豪胆さも、この状況では発揮されない。
道端に座り込んで大笑いする女と、
高速で両手を左右に振っている大男の図。
周囲の人から見たら、さぞやおかしな光景だろう。
「はぁぁ~、笑った。あ~、おっかしぃ。
ぷっ、ねぇ、もうその手止めてくれないかな。ぷぷっ。」
言われて漸く、武蔵は気付く。己の両手の状態と、彼女の爆笑の原因に。
「す、すみません、ど、動揺し、してしまって。お怪我はありませんか?」
「はぁ~、体は大丈夫よっと。」
女性は立ち上がろうと、体勢を変える、
すると、目の前に差し出される、今まで、高速振動していた大きな二つの手。
笑いそうになるのを堪え、その手に摑まると、
自身の筋力など一切使わぬまま、体がふわりと立ち上がる。
隣には同時に立ち上がった巨体。
190㎝はありそうな身長に、よく見れば、全身についた筋肉。
「もしかして、ラガーマン?」
「? はい、フォワードです。」
「だよねぇ。受験生?」
「はい。明後日の試験のために来ました。」
「明後日? もしかしてM大受けるの?」
「はい、M大の理工学部です。」
「そっかぁ、私、M大の3年なんだ! 後輩君だね。」
「受かればですね。」
「受かるよ! 絶対! だって、M大でラグビーやるんでしょう?」
「! はい、ラグビーやりたくてM大選んだんです。」
「だよねぇ! うんうん、ウチのラグビー部は強いからね~。」
「はい! 子供の頃からの夢なんスよ、あのジャージ着てラグビーやるのが。」
「よし! 一緒にご飯食べにいこうよ。おいしいカレー屋さんがあるの。」
「あ、うれしいっす。何処に何があるのか全然分からないんで、助かります。」
「そうか、泊まる所は何処?
チェックインして、荷物置いてから行く方がいいよね。」
「それが、ですね、俺、方向音痴なもんで、
2時間くらい歩いてるんスけど、見付けられなくて。」
「筋金入りだね。それは。ホテルの名前と住所は?
その前にお互いの名前だね。わたしはセイラ。」
「せいらさんですか、俺は、杉山武蔵っていいます。」
「武蔵君ね。よし、ホテルはどこ?」
人間万事塞翁が馬。
こうして武蔵は、心強い味方を得て、目的地に到着できた。
おいしいと評判のカレーにありつくこともできた。
さらに、筋金入りの方向音痴エピソードを披露したところ、
ホテルから大学までの下調べの道案内にまで、協力してもらえたのは、
幸運としか言い様がない。
「せいらさんは、どうしてここまでしてくれるんですか?」
「母校のラグビー部のため。友達がラグビー部なの。」
「そうなんですね。」
「あと、夢に向かって頑張る人は応援したくなるじゃない。
まして受験生。」
「まぁ、それは建前で、ホントはね、大笑いさせてくれたから。」
自分の失態と、更なる醜態を思い出し、赤面する武蔵。
「最近、気持ちが後ろ向きになることが、結構あってね、
それが、さっきの大笑いで全部吹き飛んだのよ。そのお返しかな。
すっきりした。どうもありがとう。」
今日、初めて会っ女性の心情に対して、スマートな事を言える武蔵ではなく、
ただ黙って聞いていることしかできない。
「ちょっと前にね、友達の助けのおかげで、長年の悩みが解決してね。
そのことが、嬉しかったの。
だからね、私も誰かの役に立てたらいいなって、思ってたんだよね。」
「その気持ちはわかります。ひとりはみんなのためにってのが、
ラグビーですから。」
「みんなは一つの目的のために。なんだよね。」
「そうなんスよ。結構間違って覚えてる人が多いんです。
ひとりのため、じゃないんス。」
「じゃあ、私達の目的は、M大ラグビー部の強化ってとこかな?」
「そのためには、合格しなきゃいけないス。」
「そう、そのためには、当日迷わずに、ここに到着する必要があります。」
武蔵の宿泊するホテルからは、わずか5分。目的地M大学正門の前にいた。
「こんなに近かったんだ。これなら、迷わないで着けます。」
「うん。明日もホテルから、ここまで歩いてみてね。当日のためにね。」
「はい、そうします。迷いたくないですからね。」
「うん。その意気だよ。大丈夫。あなたならできるわ。」
「ありがとうございます。出来る気がしてきたス。」
「ねぇ、武蔵君。4月に、ここで再会しよう。約束だよ。」