問い合わせきた
マオは基本的に俺の部屋で俺と寝る。自分自身の部屋もあるにはあるが、それはあくまで非常用だ。
なんでそうなっているかって?
そりゃあマオは俺の飼い猫で、旅の相棒だったからだ。
……まぁ、今はただの猫じゃないけどな。
「ん……」
誰も邪魔の入らない、ふたりだけの時間を過ごす俺たち。
旅の途中だったあの頃とは違う、ゆるい、でも充実した疲労が腰のあたりにあった。
……ああうん、細かい描写は勘弁してくれ。ちょっと気合を入れすぎちまったんだ。
「……」
マオは俺にくっつき、満足そうに寝ている。
あの日、東京の誰もいない家で再会してからというもの、ユミが同席してない夜は外だろうとどこだろうとかまわず求めてくるもので、危険な場所でない限りは求めに応えている状態だ。
……猫ってお産が軽いっていうけど、当たりやすくもあるんじゃなかったっけ?
まぁ、まがりなりにも家も建ったわけで。
来月にも妊娠しましたって言われる気がして、俺は期待なんだか不安なんだかわからない感情を抱いている。
自分でいうのもなんだけど、無理もないと思う。
だって。
ほんの少し前まで、こんな時間が待っているなんて想像もしてなかったんだから。
「……ん?」
ふと違和感。
これは……精霊たちが、何かざわめいてる?
なんだ?
眉をしかめていたら、マオまでむくりと起き上がった。
「……」
ぺろりと精霊布のシーツがこぼれて、大きな胸がゆっくりと動いた。
一瞬、触りたくなるけど、あいにくその時間はなさそうだ。
「ユー」
「ああ、なんか来やがったな」
精霊たちに頼んでいた警戒網に、今度こそ何かひっかかったようだ。
「船……」
「ああ、船だな」
沖合い遠くに軍隊らしき船。
だけど、そいつらは待機しているだけ。
そして、石廊崎に近寄ってくるのは……たった一隻。
漁船くらいのサイズで、武装しているようでもない。
戦意のようなものも感じられないが、油断はできない。
俺は黙って服を身につけはじめた。
「マオも着ろ」
「ユー」
「なんだ?」
「こぼれる」
「っ!……悪いけど、リフレッシュで洗浄できないか?」
「ん……あとで続き」
「わかったわかった」
何がこぼれるか、なんて聞くなよ?今はそんな時じゃない。
俺たちは急いで身支度を整えると、家を飛び出した。
石廊崎漁港に入ってきた船は、感知した通りにただの一隻だった。
乗っていたのは、ふたりの兵士らしい護衛を引き連れたおっさん。
眼鏡をかけ、きちんと頭も整えている。
背広の上に灰色のコートをきちんと着ていて、まるで彼のまわりだけ世界は昔のまま、なんの秩序の崩壊も起きてないかのように見えた。
そして。
おっさんは俺とマオを見て、そして微笑んで頭をさげた。
けど、それよりも。
「……魔力?」
そう。
俺とマオは、この、妙にリーマンくさいおっさんが魔を帯びているのを感じていた。
……こいつまさか。
「はじめまして、私は野崎豊といいます。
日本人ですが、日中の友好交流プログラムで渡航したのをきっかけに、中国国内で仕事をしておりました。
現在も中国で、とある方の庇護を受けております。
今回は、使者として参上いたしました。
うかがいますが、相沢祐一様で間違いありませんか?」
「たしかに間違いないけど、今は単にユウと名乗ってます。
差し支えなければユウと呼んでくれませんか?
あと、様づけはいりません」
「わかりました、ではユウ君、では失礼でしょうか?
私の事も、お好きに呼んでくだされば」
「では野崎さんでいいですか?」
「ふむ、下の名でもかまいませんが……ええ、わかりました」
改めてと、野崎さんは一礼した。
「こちらからも質問だけど、なんで俺を知ってるんです?
あと、どういう用件でこちらに?」
「最初の質問に答えるためには、私たちの用件を伝えるほうが早いでしょう。
まずひとつはユウさん、あなたのご両親の安否を確認に参りました。
中国政府の方で、ご両親に恩のある方がいらっしゃいまして、おふたりの安否を大変気になさっておられまして。
そしてもうひとつは、今のこの世界の状況についての情報です。
もしや皆様方であれば、何かご存知ではないかと思った次第です」
「……するってーと、本当に、単に情報を求めてきたと?」
「はい、そうなります」
野崎さんは大きくうなずいた。
「まぁご両親の安否は純粋に個人の案件ですが、あのゾンビたちについての情報我々のみならず、この世界の人間なら誰もが知りたい事でしょう。
あれはいったい何なのか?
どうしてアメリカ映画のゾンビのように死体が歩き出し、しかも感染するのか?
いったい世界には何が起きているか?」
「……情報収集だけにしては、ものものしい軍隊を連れているじゃないか?」
少し考えて答えたら、野崎さんは大きくうなずいた。
「お恥ずかしい話なのですが、我々はここに来るのに日本政府に許可をとっておりません。
イイワケになりますが、どことも連絡がつかなかったからです。
ですが事実、今、勝手に国境を侵犯しているのはまぎれもない事実です。
良い事ではありませんが、護衛は必要とされました」
「……それだけ?」
まだあるだろ?
言外にそううながすと、野崎さんは苦笑した。
「皆さんがもし困窮していらしたら、救助してお連れしなさいとも言われておりました。
これは皆さんだけでなく、生き残りの要人などを見つけた場合もそうです。
結果論から言いますと……必要なかったようですが、要は備えということです」
「そういう事ですか」
たしかにそのとおりなので、うなずいた。
「ちなみに生活物資など、不足しているものはありますか?
食料は調達できるとして、医薬品などはありますか?
我々も充分ではありませんが、何か融通できるものがあれば」
「とりあえず問題ありません。ご心配ありがとうございます」
もちろんただの善意ではないのだろう。
だけど、たとえ利害絡みであっても、両親を心配してくれたのは事実らしい。
ならばお礼は言うべきだろう。
「いえいえ。こんな時代です、お互い様ということで」
ふむ。
俺は少し考えた末、とりあえず話をしてみる事にした。
全面的に信用したわけではない。
けど、最初から俺の名まで知っていた彼らが何者か、知りたいと思ったんだ。
漁港の隅で、数分かけて仮設テントを作った。
中には即席のキャンプテーブルと椅子を並べた。
え、なんでそんなもの作ったかって?
うちは今リトルも、先遣隊の全種族も好き放題に出入りしているからさ。
「こんなものですみませんが、どうぞ。
すみませんね。
家に案内できればいいんですけど、家にいるのは俺たちだけじゃないから」
「いえ、かまいませんよ。では失礼」
野崎さんたちは仮設テントに驚いた顔をしていたが、すぐに話をはじめてくれた。
けど、その内容にはすぐ驚くことになった。
「つまり俺の両親が以前、中国政府の人を助けたと?」
「はい、メンツにこだわる彼らですらも、手放しで称賛するほどの活躍だったそうです。
昔話の道士のような力を使い、しかも古き良きサムライとヤマトナデシコを思わせるお二人。
その方はいたく感銘なさったそうです」
「……」
サムライとヤマトナデシコ?あのふたりが?
うーん……まぁいっか。
「しかし金銭などによる礼をおふたりは固辞されまして。
それでその方はせめてもの礼にと、おふたりに中国名を与え、一族の者としての庇護の約束をなさったそうです。まさかの時には頼ってくださいと」
「え……」
それはちょっと驚いた。
「ちょっと待った野崎さん。
相手に名付けをするって、たしか家族同然に迎えるという中国の昔の風習のこと?」
たしか日本人だと、歌手の故・山口淑子が有名だ。
彼女は第二次大戦の頃、李香蘭という歌手名で知られていたが、別に偽名ではない。この家族同然に迎える風習により北京でもらった中国名『李香蘭』でそのまま活動していたにすぎないはずだ。
中国は結婚しても生家の名字を名乗る。
それくらい「家」の意味が大きく、この点が日本とはおおきく異なっているんだ。
だからこそ、中国名を与えるというのは大きな意味をもつはず。
「ユウさんよくご存知ですね。
はい、そのとおりです。
あの方はユウさんのご両親に、それぞれ林浩然、林若溪の名を与えたそうです」
「……ちょっと確認いいかな?」
俺は野崎さんの言葉を止めると、メモを取り出した。
「リンって林ですよね。もしかしてこう書きます?」
俺は、林浩然とメモに書いてみせた。
「はい、それで林浩然です。お父様の中国名ですね……何か心当たりが?」
「親父、自分のノートに名前書く時、こっちを書いてたんですよ。
俺はてっきりペンネームだと思ってたけど」
「ああなるほど。おそらく、第2の名として使っておられたのでしょうね」
「……そうですか」
いや、驚いた。
うちの両親が実は召喚勇者と精霊使いだと知った時ほどじゃないけど、かなり驚けたぞ。
まさか。
あのふたりがこの世界でも、そんな不思議な縁を結んでいたなんて。
「しかし、おふたりがもう亡くなられていたとは残念です」
「俺も、どういう経緯でそうなったかは推測なんですけどね。
けどゾンビになったのは間違いないです。俺がふたりを焼きましたから」
「そうですか……残念です。では、そのように伝えますね」
「はい、ご心配ありがとうございますとお伝え下さい」
「ええ、もちろん伝えますよ」
その人が何者なのかは知らない。
けど、うちの両親の安否を心配し、わざわざこのご時世に人までよこしてくれたんだ。
精霊たちの反応からいってもウソではなさそうだし、厚意にはお礼を言うべきだろう。
結局、野崎さんたちは石廊崎で一晩泊まった。
エルフの担当がやってきて今後の交流などについて情報交換をした翌朝、彼らは去っていった。
「ありがとうございました!」
「こちらこそ!心配してくださった方に、どうかお体に気をつけてとお伝え下さい!」
「はい、たしかに伝えます!」
決して形式ばかりではない挨拶を交わして見送り。
……さてと。
「うん」
マオもやっぱり気づいていたか。
うーむ……これで終わるはずだったんだけどなぁ。
俺は、東の森の中、違和感を覚えている空間に語りかけた。
「あの、よろしければ、そろそろお話しませんか?」




